五十沢二郎 『中国聖賢のことば』の訳が、めっちゃくちゃいい。
キリスト教的。超訳的。
加地伸行さんも太鼓判を押していらっしゃる。
特にキリスト教的に、いくつか刺さるところを抜粋。
■ 朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり(論語)
→ 真に生きる道を知りさえすれば、肉体の死のごときは、もはやなにものでもありはしない。
■ 五十にして天命を知る(論語)
→ 宇宙の意志といったものの何であるかがわかったのは、五十になってからだった。
■ 其の心を尽す者は其の性を知る。其の性を知れば則ち天を知る。其の心を存し、其の性を養うは天に事うる所以也(孟子)
→ 良心を深めるということは、生命を知るということである。生命を知るということは、宇宙の意志を知るということである。
ゆえに、良心に忠実であり、生命を尊重するということは、畢竟するに、宇宙の意志を成就するということである。
■ 道の道とすべきは、常の道に非ず(老子)
→ 論理に捕捉できる真理を、真理とはいえない。
■ 我に三宝有り、持して之を保つ。一に曰く慈、二に曰く倹、三に曰く敢えて天下の先と為らず(老子)
→ 自分たちの守るべきところのものが三つある。
第一は、愛である。
第二は、運命に従順なることである。
第三は、謙遜なることである。