facebookに投稿した7年前の今日の文章です。

私の投稿としては、割と反響が大きな記事だったので、振り返ってみました🤗
タイトルは「内輪話、職人の目」です。
「エライコッチャ」
5月の連休で埼玉の実家であげた敏美さんの悲鳴。
マグカップに湯呑みがはまって抜けなくなったのだ(写真はイメージ、マグカップは実物)。

「任せなさい」学生時代に研究室で試験管やフラスコを割り尽くした私の出番だ。
洗剤ヌルヌル作戦、氷and熱湯の熱膨張率利用作戦、万力押さえ作戦。
四苦八苦して試したが、すべてダメだった。
「湯呑みを割っていいか?」
と、おふくろに聞くと、
「また、誰かが外してくれるから、ほっといて。」
と言う。
誰かってだれ❗️
おふくろ愛用のマグカップだけでもと思ったが、結局、外せないまま大阪に帰った。
その後、弟(埼玉県教育委員会選定で2015年のハツラツ先生となった数学教師)が、ピタゴラスの定理や、微分積分を駆使して挑んだが、歯がたたず。
このときもおふくろは「誰かが外してくれるから」を連発したらしい。
だから誰なんだ‼️
一か月後、帰省。
朝食。
なんと、おふくろがあのマグカップで低脂肪牛乳を飲んでいるではないか⁉️
「ジェジェジェ(古いー)」
聞いてみると、おふくろの弟のKさんが、外してくれたとのこと。
いったいどうやって?
おふくろ曰く、
「木っ端で横を叩いて、次にマグカップの底を叩いて、スポーンと外したよ」
おふくろの「誰か」は、Kおじさんだった。
推測すると、Kおじさんはマグカップを横から見て、湯呑みのわずかな傾きを見つけ、それを直してから、方向に注意して、一気に押し出したようだ。
そんな方法はどこにもなかったし、何と原始的というか、物理的というか、、、
Kおじさんは、おふくろが暮らす実家を40年前に建ててくれた大工さんである。今は引退してるが、大工職人歴65年。
私と弟が歯が立たない仕事をなんなくやってしまった。私たちはいったい何を勉強してきたんだろう⁉️
マグカップを眺めながら弟とそんな話をしていると、親父のことを思い出した。
15年前に亡くなった親父は建具屋である。仕事場でカンナがけをしている親父の仕事を見るのが好きだった。カンナの中からカンナ屑が、天女の羽衣のように生まれてくる。あのカンナの刃は、カンナの先と元を木槌で叩き、目で見て調整する。木の種類や堅さ、削る深さを計算しての職人仕事だ。
Kおじさんの口癖は、「俺は目がいいから大工を続けられたんだ」である。
親父やKおじさんの目は、職人の目である。職人技とよく言われるが、それは手先の器用さだけではないとわかった。
毎日、パソコンで原稿とにらめっこしている私の目は、職人の目と言えるのだろうか? かなり衰えているような気がする。
親父もKおじさんも、懸命に仕事をして、私たちを育ててくれたんだろうなあ😌