昔々、遠くの山の麓に多吾作という者おったげな。
多吾作はとても働き者で、毎日山や田んぼの仕事に精を出していたったと。
そして多吾作は信心深い人でもあって、暇を見つけてはお地蔵様の周りの草取りをしたり、祭りの頃には、貧しい暮らしの中から餅などお供えしていたんだと。
多吾作は遊ぶ事は何もしないで、村の衆に誘われても酒も飲まなければ博打もしなかったと。
そんでまた、多吾作の家は山の麓の一軒家だもんで隣近所も無く、んだから、知り合う娘っ子も無く、独り身だったと。
んだぁ~・・・可哀想っちゃ、そう言う身の上でなぁ・・・。
多吾作のお父もお母も前の飢饉の時に無理したのが祟って、早くに仏様になっちまってるもんで家には一人なんだなぁ。
お父の残した猫の額程の田畑を少しずつ広げたり、家とは呼べねぇあばら屋を切ったり貼ったりしてなんとか格好つけていたったんだと。
そんなもんで多吾作は夜明けとともに起きては、日暮れ間近まで働いて、粗末なおまんま食ったらせんべい布団に包まって寝るだけの毎日だったと。
そんな話し相手も居ない多吾作だども、朝夕の野良仕事の行き帰りには、お地蔵さんに、お早うでござりす、と言って手を合わせ、帰りしなには、只今でござりす、と手を合わせていたと。
その内、陽気の良い日には少し腰を下ろして一服つけるようになって、序でに独り言など語るようになったんだと。
ああ、んだんだ、何の楽しみも無い多吾作と言ったけれども、煙草だけは嗜んだんだねぇ。
ほれ、自分家の畑で葉煙草育てていたもんで、それば嗜んでいたんだね。
その内、多吾作は朝な夕なの行き帰り、お地蔵さんさ野良での出来事や畑の出来具合など語っては「お地蔵さん、今年の秋の田んぼの塩梅はなんとしたもんでがすかぁ~」などと問いかけるようになったんだと。
あれだすな・・・多吾作の独り語りが日課になって結構な月日が経った頃には村の人たちもそれを知る事となって、いつの間にかお地蔵さんのことを多吾作地蔵と呼ぶようになったんだと。
ある日の事だった、と。
多吾作は「お地蔵さん、山の木ば切ったげ、材木出たもんで小屋掛けてけるっす」と言って小さな祠ば拵えたと。
小屋が出来上がって一服つけてたら、眠ったように半眼だったはずのお地蔵さんが目ば開けて「多吾作どんやぁ、オラ道ばたの地蔵だで、そげにしてもらっても何もしてやらんねぞ」と語ったんだと。
するとドデンして腰抜かした多吾作では有ったけれども気を取り直して「いやいや地蔵さん、オラ話し相手もいねし、他に愉しみ無いもんではぁ、自分我のためにしてるのっす・・・気に留めねでくらい」と語った、と。
それからだったと、多吾作が祠に立ち寄っては地蔵さんとナンデカンデ話ばするようになったのは。
地蔵さんとソンナコンナば話してると、時たま、「多吾作、あと半月もすっと霜が降りっからよ、とか、今年の夏は日照りになっから溜め池掘ったら良かんべ」などと言う話をもらって手を打つもんだから多吾作の田畑はどんな年でも豊作で、村の衆は魂消たと。
豊作続きの多吾作はずんずんと豊かになって、小金も持つようになったんだと。
んだからって、多吾作の暮らし向きには何も変わった事は無く、日々地蔵さんに参っては山仕事や野良仕事に精を出していたんだと。
あれは、ほれ、里山にも桜の花が見られるようになった頃だったべか。
多吾作が野良仕事終えて家さ帰ったれば、若い娘が上がり框に座っていて「多吾作どん、お帰りなせぇまし」と三つ指着いた、と。
いや、ドデンしたのは多吾作で「あいやぁ~、あんたは神社の祢宜様の娘さんでないかぃ・・・なんとしてこげなあばら屋に、しかも三つ指なんぞ着かれてはぁ~」と、語ったと。
「あいや、ホントは父ちゃんが来なくちゃなんねぇ話なんだども、父ちゃんはアレでも神主だもんでお地蔵さんのお告げば教えてくれろとは言えねぇんでがす。んだもんで私が代わりに来たのっす」と、娘は語ったと。
「いや、話はそればかりではねぇのっす。父ちゃんからは多吾作どんの家さおいて貰えって・・・んだから、嫁に貰ってくらいん、と言うことでがんす」と、語ったと。
多吾作は何がなんだか飲み込めずに「まんず、話は落ち着いて聞くども、白湯ば一杯くんねぇべか? んだんだ、オラ、水ば汲んで来るっす」と言って水桶担いで駆けて行った、と。
水桶の天秤棒担いだまま多吾作はお地蔵さんの祠に来て「地蔵様ぁ、こげな話になってんだげっとオラなじょしたら良かんべ?」と問うた、と。
したけど、お地蔵様はなぁ~んにも答えねぇで、普段の石の地蔵様のままだったと。
多吾作は泣きべそかいて「あいやぁ~地蔵様・・・なんして黙っちまったんだべ。良い知恵授けてくれねぇべか?」と語った、と。
「多吾作・・・嫁さん貰うんだから、もう石の地蔵と話しをしなくても良いでしょう。私は天の国に帰ります」とおなごの声が聞こえたと思ったら、石の地蔵様が薄衣纏った天女の姿になって空に昇って行ったんだと。
そんでも、石の地蔵さんは祠の中に居たんでがすと。
そんで、多吾作の言う事にゃ、お地蔵様は弁天様の仮の姿であったが、祢宜様の娘が嫁にって事になったもんで焼きもち焼いて出て行っちまったんだ、と。
しかし、多吾作は地蔵さんからのご託宣を聞く事ができねぇもんで以前のように豊作は出来なくなってしまったと。
いや、話はここまでなんだなぁ~。
また元の貧乏暮らしに戻っちまった多吾作の家に祢宜様の娘が居着いたかドーかは、誰も語らねぇのっす。
昔し語りっつうのはそう言うもんでがすとぉ~。
多吾作はとても働き者で、毎日山や田んぼの仕事に精を出していたったと。
そして多吾作は信心深い人でもあって、暇を見つけてはお地蔵様の周りの草取りをしたり、祭りの頃には、貧しい暮らしの中から餅などお供えしていたんだと。
多吾作は遊ぶ事は何もしないで、村の衆に誘われても酒も飲まなければ博打もしなかったと。
そんでまた、多吾作の家は山の麓の一軒家だもんで隣近所も無く、んだから、知り合う娘っ子も無く、独り身だったと。
んだぁ~・・・可哀想っちゃ、そう言う身の上でなぁ・・・。
多吾作のお父もお母も前の飢饉の時に無理したのが祟って、早くに仏様になっちまってるもんで家には一人なんだなぁ。
お父の残した猫の額程の田畑を少しずつ広げたり、家とは呼べねぇあばら屋を切ったり貼ったりしてなんとか格好つけていたったんだと。
そんなもんで多吾作は夜明けとともに起きては、日暮れ間近まで働いて、粗末なおまんま食ったらせんべい布団に包まって寝るだけの毎日だったと。
そんな話し相手も居ない多吾作だども、朝夕の野良仕事の行き帰りには、お地蔵さんに、お早うでござりす、と言って手を合わせ、帰りしなには、只今でござりす、と手を合わせていたと。
その内、陽気の良い日には少し腰を下ろして一服つけるようになって、序でに独り言など語るようになったんだと。
ああ、んだんだ、何の楽しみも無い多吾作と言ったけれども、煙草だけは嗜んだんだねぇ。
ほれ、自分家の畑で葉煙草育てていたもんで、それば嗜んでいたんだね。
その内、多吾作は朝な夕なの行き帰り、お地蔵さんさ野良での出来事や畑の出来具合など語っては「お地蔵さん、今年の秋の田んぼの塩梅はなんとしたもんでがすかぁ~」などと問いかけるようになったんだと。
あれだすな・・・多吾作の独り語りが日課になって結構な月日が経った頃には村の人たちもそれを知る事となって、いつの間にかお地蔵さんのことを多吾作地蔵と呼ぶようになったんだと。
ある日の事だった、と。
多吾作は「お地蔵さん、山の木ば切ったげ、材木出たもんで小屋掛けてけるっす」と言って小さな祠ば拵えたと。
小屋が出来上がって一服つけてたら、眠ったように半眼だったはずのお地蔵さんが目ば開けて「多吾作どんやぁ、オラ道ばたの地蔵だで、そげにしてもらっても何もしてやらんねぞ」と語ったんだと。
するとドデンして腰抜かした多吾作では有ったけれども気を取り直して「いやいや地蔵さん、オラ話し相手もいねし、他に愉しみ無いもんではぁ、自分我のためにしてるのっす・・・気に留めねでくらい」と語った、と。
それからだったと、多吾作が祠に立ち寄っては地蔵さんとナンデカンデ話ばするようになったのは。
地蔵さんとソンナコンナば話してると、時たま、「多吾作、あと半月もすっと霜が降りっからよ、とか、今年の夏は日照りになっから溜め池掘ったら良かんべ」などと言う話をもらって手を打つもんだから多吾作の田畑はどんな年でも豊作で、村の衆は魂消たと。
豊作続きの多吾作はずんずんと豊かになって、小金も持つようになったんだと。
んだからって、多吾作の暮らし向きには何も変わった事は無く、日々地蔵さんに参っては山仕事や野良仕事に精を出していたんだと。
あれは、ほれ、里山にも桜の花が見られるようになった頃だったべか。
多吾作が野良仕事終えて家さ帰ったれば、若い娘が上がり框に座っていて「多吾作どん、お帰りなせぇまし」と三つ指着いた、と。
いや、ドデンしたのは多吾作で「あいやぁ~、あんたは神社の祢宜様の娘さんでないかぃ・・・なんとしてこげなあばら屋に、しかも三つ指なんぞ着かれてはぁ~」と、語ったと。
「あいや、ホントは父ちゃんが来なくちゃなんねぇ話なんだども、父ちゃんはアレでも神主だもんでお地蔵さんのお告げば教えてくれろとは言えねぇんでがす。んだもんで私が代わりに来たのっす」と、娘は語ったと。
「いや、話はそればかりではねぇのっす。父ちゃんからは多吾作どんの家さおいて貰えって・・・んだから、嫁に貰ってくらいん、と言うことでがんす」と、語ったと。
多吾作は何がなんだか飲み込めずに「まんず、話は落ち着いて聞くども、白湯ば一杯くんねぇべか? んだんだ、オラ、水ば汲んで来るっす」と言って水桶担いで駆けて行った、と。
水桶の天秤棒担いだまま多吾作はお地蔵さんの祠に来て「地蔵様ぁ、こげな話になってんだげっとオラなじょしたら良かんべ?」と問うた、と。
したけど、お地蔵様はなぁ~んにも答えねぇで、普段の石の地蔵様のままだったと。
多吾作は泣きべそかいて「あいやぁ~地蔵様・・・なんして黙っちまったんだべ。良い知恵授けてくれねぇべか?」と語った、と。
「多吾作・・・嫁さん貰うんだから、もう石の地蔵と話しをしなくても良いでしょう。私は天の国に帰ります」とおなごの声が聞こえたと思ったら、石の地蔵様が薄衣纏った天女の姿になって空に昇って行ったんだと。
そんでも、石の地蔵さんは祠の中に居たんでがすと。
そんで、多吾作の言う事にゃ、お地蔵様は弁天様の仮の姿であったが、祢宜様の娘が嫁にって事になったもんで焼きもち焼いて出て行っちまったんだ、と。
しかし、多吾作は地蔵さんからのご託宣を聞く事ができねぇもんで以前のように豊作は出来なくなってしまったと。
いや、話はここまでなんだなぁ~。
また元の貧乏暮らしに戻っちまった多吾作の家に祢宜様の娘が居着いたかドーかは、誰も語らねぇのっす。
昔し語りっつうのはそう言うもんでがすとぉ~。