晩飯には小瓶を三本飲む訳です。
サンミゲールのビルスン・・・街で買うと60円位のを、飯屋で150円で吞む訳です。
三本飲んで450円・・・安いよね。
異国の風に吹かれながら、小汚いテーブルに座り通りを歩く人を眺めて吞む。
ここ、モアルボアルには表立って如何わしい空気は無い・・・フィリピンなのに無いのである。
ナンなんですかね?
その昔、フィリピンの小さなビーチが白人によって開かれて行った頃、マリファナは有ったけれども、如何わしい商売は流行らなかった。
まっ、よく見れば無くは無いんですけれども、表向きは無いのであります。
何度も書いた事だけれども、アジアの大きな歓楽街というのはベトナム戦争の落とし物な訳で、バンコクのあの辺と、マニラのエルミタとアンヘレスが私の知る最右翼ナンだけれども、それ以外は大概地元民の御用達でこじんまりと、そして表に見えない感じでひっそりと続いていたモノのように思う。
なので、あんまし小さい街では風の噂が早すぎて、だからと言って他所からそう言う稼ぎが目的の人も入り難く芽が出なかったんでありましょう・・・ナンてね、勝手な推測ですが。
今夜の飯代は・・・チャーハン大皿・野菜と豚肉とエビのビーフン大皿・豚肉の野菜炒め大皿(大皿は日本で言うと4~5人前)に、サラミピザ・ビール全部で8本・・・で、日本円で2800円でした。
これが安いか高いのかは、立ち位置で大きく違う事でありましょう。
私には安い・・・もの凄く安い訳ですが、白人のバックパッカーは200円のトシローグに水で済ます訳であります。
ちなみにトシローグとは、トシーノ(豚肉の串焼き)にプレーンライスと、エトログ(卵)で、くっつけて省略するとトシーログな訳であります。
なので、トシーノをチキンにしたらチキンローグでありますし、チョリソーならチョリログであります。
まっ、こんな事を知ったからって何にもなりませんけどね。
金が無い・・・明日、ビーチから離れた街へ行ってATMにすがらなければダイビングショップの支払いが覚束ない・・・僅かに一万円程度なんですけれども、持ち合わせは無い訳でして、貧乏ですなぁ~。
この街で日本人が食道をやっていた・・・10年くらい前の地球の歩き方に載っていた筈・・・店の名前は「お◎し△」と言った。
店主のオヤジとは一時懇意で、何度か自分もお客を連れて来て儲からない店に金を落とした事が有った。
数年前・・・日本に居る自分に電話が来て、金貸してください、みたいなことを言われた記憶があるけれども、貸していないんで断ったのか?それとも、明確な話じゃなかったのか?
店主は◎都の有名な寿司屋の息子だと言っていたが、定かでは無かった・・・何と言っても寿司屋で修行した店主の得意料理がカツ丼とカツライスなのだからナンともカントもであります。
大概の日本人ならカツ丼は作れる・・・と、言うか、あの頃巷で流行りだした出汁入り醤油を使っていたんで味は悪く無いけれども、ナニを食ってもその味なのでありました。
まっ、食べ物の批評は人それぞれですけれども、この地で日本風の醤油味が食える事だけで価値が有った時代でありました。
でも、彼自身が知っていた事ですけれども、フィリピーナの女房と血のつながりの無い子供たちの生活の表裏・・・切ない事ですが、フィリピンに住みピーナを嫁にした大概の日本人はこの事で沈む訳であります。
今日のダイビングは大人数でありました・・・いつものボートに総勢ガイドも入れたら14人。
一人、とてもナーバスになっていたビギナーの白人が居てガイドからバディーを仰せつかった。
要するに面倒を見ろという事でしょう・・・と、思いそれとなく見ていたけれども、確かにダイビングスキルは今一だったが、マナーはとても良く、エキジットの時にも素直にアドバイスに従って上がってくれた。
ナンなんでしょうね・・・ボートの上で知らない間に動いたり道具の位置を決めたりしている自分は・・・まっ、そうしたい自分が居るんですね、きっと。
あの仕事は楽しかった・・・自分が手がけた商売で一番儲からなかった・・・いや、人に言えないくらいの持ち出しをして終わったダイビング屋だったけれども、毎日が楽しかった。
あと10歳若かったら・・・ってか、10年前は悪戦苦闘して止める方向に居た訳で、過ぎ去った日々への郷愁でありましょう。
ソーダよなぁ・・・最後は訴えられたり、財産巻き上げられたりと散々な思いをしている訳だから楽しいだけの筈は無いのに・・・能天気?
昨年・・・ダイビングのイントラの更新を止めた・・・なのでもう仕事はできない訳です。
いや、年会費と保険料で五万円弱・・・払ってステータスを維持するのは大した負担でもないんですけれども、でも、もう二度と仕事をする事も無いのにプロのライセンスって、持ってる事が過去にしがみつくようで情けない・・・ナンて思って止めた訳です。
あぁ、ナンだって時の流れは早いんでありましょうか?
未だ大した事もしていない我が人生は既に第三コーナーを回って最後の直線に掛かった感じであります。
そして、駄馬は、鞭をくれても脚は進まず、先行の上げる砂煙を浴びて前が見えず・・・最後の直線、飛ばしてみたいもんですけれどもねぇ。
サンミゲールのビルスン・・・街で買うと60円位のを、飯屋で150円で吞む訳です。
三本飲んで450円・・・安いよね。
異国の風に吹かれながら、小汚いテーブルに座り通りを歩く人を眺めて吞む。
ここ、モアルボアルには表立って如何わしい空気は無い・・・フィリピンなのに無いのである。
ナンなんですかね?
その昔、フィリピンの小さなビーチが白人によって開かれて行った頃、マリファナは有ったけれども、如何わしい商売は流行らなかった。
まっ、よく見れば無くは無いんですけれども、表向きは無いのであります。
何度も書いた事だけれども、アジアの大きな歓楽街というのはベトナム戦争の落とし物な訳で、バンコクのあの辺と、マニラのエルミタとアンヘレスが私の知る最右翼ナンだけれども、それ以外は大概地元民の御用達でこじんまりと、そして表に見えない感じでひっそりと続いていたモノのように思う。
なので、あんまし小さい街では風の噂が早すぎて、だからと言って他所からそう言う稼ぎが目的の人も入り難く芽が出なかったんでありましょう・・・ナンてね、勝手な推測ですが。
今夜の飯代は・・・チャーハン大皿・野菜と豚肉とエビのビーフン大皿・豚肉の野菜炒め大皿(大皿は日本で言うと4~5人前)に、サラミピザ・ビール全部で8本・・・で、日本円で2800円でした。
これが安いか高いのかは、立ち位置で大きく違う事でありましょう。
私には安い・・・もの凄く安い訳ですが、白人のバックパッカーは200円のトシローグに水で済ます訳であります。
ちなみにトシローグとは、トシーノ(豚肉の串焼き)にプレーンライスと、エトログ(卵)で、くっつけて省略するとトシーログな訳であります。
なので、トシーノをチキンにしたらチキンローグでありますし、チョリソーならチョリログであります。
まっ、こんな事を知ったからって何にもなりませんけどね。
金が無い・・・明日、ビーチから離れた街へ行ってATMにすがらなければダイビングショップの支払いが覚束ない・・・僅かに一万円程度なんですけれども、持ち合わせは無い訳でして、貧乏ですなぁ~。
この街で日本人が食道をやっていた・・・10年くらい前の地球の歩き方に載っていた筈・・・店の名前は「お◎し△」と言った。
店主のオヤジとは一時懇意で、何度か自分もお客を連れて来て儲からない店に金を落とした事が有った。
数年前・・・日本に居る自分に電話が来て、金貸してください、みたいなことを言われた記憶があるけれども、貸していないんで断ったのか?それとも、明確な話じゃなかったのか?
店主は◎都の有名な寿司屋の息子だと言っていたが、定かでは無かった・・・何と言っても寿司屋で修行した店主の得意料理がカツ丼とカツライスなのだからナンともカントもであります。
大概の日本人ならカツ丼は作れる・・・と、言うか、あの頃巷で流行りだした出汁入り醤油を使っていたんで味は悪く無いけれども、ナニを食ってもその味なのでありました。
まっ、食べ物の批評は人それぞれですけれども、この地で日本風の醤油味が食える事だけで価値が有った時代でありました。
でも、彼自身が知っていた事ですけれども、フィリピーナの女房と血のつながりの無い子供たちの生活の表裏・・・切ない事ですが、フィリピンに住みピーナを嫁にした大概の日本人はこの事で沈む訳であります。
今日のダイビングは大人数でありました・・・いつものボートに総勢ガイドも入れたら14人。
一人、とてもナーバスになっていたビギナーの白人が居てガイドからバディーを仰せつかった。
要するに面倒を見ろという事でしょう・・・と、思いそれとなく見ていたけれども、確かにダイビングスキルは今一だったが、マナーはとても良く、エキジットの時にも素直にアドバイスに従って上がってくれた。
ナンなんでしょうね・・・ボートの上で知らない間に動いたり道具の位置を決めたりしている自分は・・・まっ、そうしたい自分が居るんですね、きっと。
あの仕事は楽しかった・・・自分が手がけた商売で一番儲からなかった・・・いや、人に言えないくらいの持ち出しをして終わったダイビング屋だったけれども、毎日が楽しかった。
あと10歳若かったら・・・ってか、10年前は悪戦苦闘して止める方向に居た訳で、過ぎ去った日々への郷愁でありましょう。
ソーダよなぁ・・・最後は訴えられたり、財産巻き上げられたりと散々な思いをしている訳だから楽しいだけの筈は無いのに・・・能天気?
昨年・・・ダイビングのイントラの更新を止めた・・・なのでもう仕事はできない訳です。
いや、年会費と保険料で五万円弱・・・払ってステータスを維持するのは大した負担でもないんですけれども、でも、もう二度と仕事をする事も無いのにプロのライセンスって、持ってる事が過去にしがみつくようで情けない・・・ナンて思って止めた訳です。
あぁ、ナンだって時の流れは早いんでありましょうか?
未だ大した事もしていない我が人生は既に第三コーナーを回って最後の直線に掛かった感じであります。
そして、駄馬は、鞭をくれても脚は進まず、先行の上げる砂煙を浴びて前が見えず・・・最後の直線、飛ばしてみたいもんですけれどもねぇ。