吉田拓郎は歌いました・・・(無断引用)
祭りのあとの淋しさが
いやでもやってくるのなら
祭りのあとの淋しさは
たとえば女でまぎらわし
もう帰ろう、もう帰ってしまおう
寝静まった街を抜けて
拓郎が唄った「祭りのあと」のそれは学生運動なのでありましょう。
当時、そんな事が言われていたように記憶しています。
だから「祭り」はデモなんでありましょう、たぶん。
もう帰ろう、もう帰ってしまおう、の行が私は好きであります。
デモに加わっていても、集まっていても虚しく、帰ってしまっても淋しい、と私は受け取りました。
これ、「祭り」の解釈が若い頃と今では少し変わりました。
この時の拓郎・・・作詞は岡本おさみですが拓郎で良いでしょう。
この時代には「祭り」が有って良かったな、なんて思のであります。
「祭り」が起こり得るエネルギーが日本国に有ったと思うのです。
「祭り」世代の尻っぽに絡んだだけの年代の自分には本質は分からない。
でも、いつまで経ってもあの頃を懐かしむ祭り世代を見るにつけ、あれは一時代の生き様だったんだろうな、と思いつつ、「祭り」が日本で起きる事はもう無いだろう、と思うのであります。
と、まぁ、意味不明でありましょうけれども、ナンと無く書いてみたかった「祭りのあとの淋しさ」でありました。
祭りと言うと東北では「東北絆まつり2018盛岡」がつい最近終わったばかりでありました。
あの3.11からの復興を目指して、かな?
まっ、ナンであれ震災と津波の後、復興祭として始まったと記憶しています。
で、話題は「祭り」に冠された「絆」であります。
被災地とそうじゃない地域は互いの絆で結ばれ復興を助ける、とか、被災地のあなたは一人では無い、何処かの誰かと結ばれた絆で繋がっているのです・・・なんてのが「絆」であったと思うんですが、まっ、いいでしょう。
さて「絆」を検索すると「ほだし」と読むのが出て来ます。
「ほだし」にはあまり良い意味は無く、旧い表現で「ほだされる」なんてのも、斜めに傾いた意味だった訳です。
で、簡単に言うと「絆」の元々の意味は「束縛」と自分は解釈しているので「絆」は嫌いなのであります。
近頃は控えめな手助けよりもナンと無く絵になる・・・まっ、ハッキリ言えばテレビ映えする活動的な救援や援助が前面に押し出され、そこにはいつも「絆」が強調されていた、なんて思うので尚更違和感を強くするのです。
言葉尻を捉えて何が面白いのかと言われればそれまでなんですが、でも、時代とともに変化して当たり前、とは思えない言葉意味の変貌に今の日本国の変化を感じると言うのは大袈裟でありましょうか。
序でに言うと「絆」には牛馬を繋ぐ縄、なんて意味もあるようです。
あーやっぱり書きたかった事には程遠い・・・核心に持って来る筈だった「束縛」を書ける展開に出来なかった。
今夜は不調だな、止めて寝ましょう。
まっ、意味不明序でに「束縛」を手短に書きますと・・・。
人の思考の総ては思い込みで、それが「束縛」を生むのだ、と・・・。
まぁ、大した事じゃないんですけどね。
尻切れ蜻蛉ですんません。
では 皆様 おやすみなさい、と