いや、大した金額では無いんだけれどもまた自動車保険更新の時期が来て2台分の手続きをしたら栄一が10人ほど我が家から去って行った。
なんと言うか、諭吉の時よりも栄一になってからの方が彼らと疎遠になったと感じるのは自分の稼ぎが悪くなったからだろうか?
それとも、栄一が来訪してもすぐに出て行き滞在期間が短くなったからそう感じるのだろうか?
会ったと思うとすぐに後ろ姿を見送る渋沢栄一くんの足は早い。
一方で、メーカーの新車開発を見てみると、大型化や高価格化が進んでいるように感じられる。
軽自動車や5ナンバー枠の小型乗用車を扱っているメーカーは少数派となり、かつてこれらに強みを持っていたメーカーでさえ、その分野にはあまり力を入れていないようだ。
(中略)
かつて、日本の自動車メーカーは「適正サイズ」のクルマ作りに強みを持っていたはずだ。しかし、手軽サイズの車を求めるユーザーの声がこれほど大きいにもかかわらず、それに応えられない現状は、国内市場の縮小を加速させる一因となるかもしれない。
あれです、少子化で市場が縮小し続ける日本国内をターゲットにするよりもお金持ちの海外を狙った方が良いのは当然であり、特に関税等でアメリカで売る車はアメリカで製造するとなった時から北米サイズが標準になり狭い日本にもその規格が当てはめられ大型化したのでありましょう。
日本ではずっと小さい車が好まれていたのかと言うとそんな事はなく、他車が1000CCだった時にカローラ1100が出、CMが「隣の車が小さく見えます」だった事から自家用車の普及期から既に見栄と差別化の大型化が始まっていたのは確かです。
序でに言うと車の購買意欲支えていた一端が大きな車の見栄だったことの表れが「いつかはクラウン」と言うCMがそれを物語っていると思います。
と、屁理屈を色々考えてみましたが、車に限らず日本の場合は全力で走り続けた物質社会の終わりが見えてきたわけでして、無理して稼いで背伸びして暮らすのに疲れた民衆が消費構造を模索していると思うのであります。
この先の社会がどう変化していくのかなど定かではありませんが、贅沢したいからもっと稼ごう、てな社会は終わり、無理せず稼いだ金の範囲で充足する「身の丈満足」の社会になろうかと想像します。
テレビニュースなどを見ていると、バレンタインデーのチョコの購買で義理チョコは減少し、増えているのが自分へのご褒美チョコだと語っていました。
自分へのチョコは、頑張っている自分に対してプチ贅沢のご褒美と「身の丈満足」の表れかと思うのですがどーでしょうか?
さて、引用記事のスズキ・ジムニーノマドですが、小さい車が好まれ国内で使いやすいサイズなどの観点で売れているわけでは無いと思います。
言ってみれば車として差別化が確立され社会的認知度の高い割に「見栄」も満たせる安い車ってのが存在価値だと思うのですが、はい、そこの貴方の異議を認めます。
いや、ジムニーで高速道路を長距離走ろうなんて人はいないと思いますが、下手したら軽トラの方が快適ですし5ナンバーでも車室は軽規格ですから狭さは否めず普段使いの実用性は並以下です。
で、雪道に強いって評判ですが、ホイールベースが短いので簡単に横を向きますので凍結路やガタガタの圧雪路は要注意でありますが、まっ、ジジイの思いつきの雑談でした。
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