デイリー新潮
迷える大国の鬼子が、人々を熱狂の渦に巻き込んでいる。罵倒し、嘲笑い、挑発する過激な言動で聴衆の心を鷲掴みにしたドナルド・トランプ氏(69)は、ついに米大統領選の“本命”へと成り上がった。この男のドリームが叶う時、日本に何がもたらされるのか。
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ババ抜きでは忌み嫌われても、ポーカーでは勝敗を左右する切り札に――。カードゲームにおけるジョーカーの役割は、ルールに応じて様々に変化する。
だが、事実はゲームより奇なりと言うべきだろう。
米大統領選を巡り、当初はただの“道化師”と目されてきたジョーカーが、あろうことか“本命”候補へと躍り出たのだから。
2月20日に行われた、共和党の候補者指名争い“第3戦”は、トランプ氏の快進撃だけを印象づける結果となった。
サウスカロライナ州を舞台とする戦いで彼は32・5%の票を獲得。2位のマルコ・ルビオ上院議員に10ポイント差をつけて圧勝し、“ブッシュ前大統領の弟”を売り物にするジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事を撤退に追い込んだ。
ニューハンプシャー州に続いての連勝には、北米在住のライター・関陽子氏も驚きを隠せない。
「彼の考え方に共鳴しそうな保守層はテキサス州などの南部に多い。そのため、リベラルな土地柄で知られるニューハンプシャー州で勝利したことは衝撃的なニュースでした。今回の連勝で勢いに乗れば、共和党候補になる可能性も十分あります」
■泡沫候補から脱した銃乱射事件
政治経験ゼロの“不動産王”は、アメリカ大統領まであと一歩のところにたどり着いたわけだ。しかし、
〈イスラム教徒の入国は禁止すべきだ〉
〈メキシコ人は強姦魔。アメリカとの国境に万里の長城を築け〉
と、日本人でも眉を顰(ひそ)めるような暴言を吐いてきた“舌禍の王”が、なぜここまで支持を伸ばせたのか。
外交ジャーナリストの手嶋龍一氏はこう分析する。
「立候補を表明した昨年6月時点では、選挙のプロは“泡沫候補”だと思っていたはずです。ただ、11月にパリで同時多発テロが起き、12月にカリフォルニア州で銃乱射事件が発生したことで、トランプ旋風が吹き荒れることになりました。
彼の排外主義的な暴言の数々が、“強い米国よ再び”というアメリカの世論にマッチして勢いを増したのです。
優柔不断のオバマ大統領、富裕層を優遇する共和党主流派に“プアホワイト”は不満を募らせており、それが彼を有力候補に押し上げています」
国際政治学者の島田洋一・福井県立大学教授が言葉を継ぐには、
「トランプ氏を支持するのは貧困層やそれに準ずる中流層で、彼らはヒスパニック系を中心とした1200万人の不法移民に雇用を奪われたと考えている。しかし、伝統的に弱者に優しい民主党だけでなく、共和党の主流派もこの問題については及び腰です。というのも、共和党の支持基盤である商工会議所が、不法移民を安い労働力と認識しているからに他なりません。その点、1兆円に上る資産を持ち、企業から一切献金をもらわないトランプ氏は誰の顔色を窺う必要もなく、激しい発言に終始できる」
白人至上主義者のイメージがつきまとうトランプ氏だが、貧困層からの人気は絶大で、最近も黒人の有名ラッパーが支持を明言して話題になったという。
■外務省も方針を決定
一方、過熱するトランプフィーバーの余波は太平洋を隔てた日本にも押し寄せている。
「外務省はこれまで、ルビオ氏やブッシュ氏といった共和党主流派ばかりに注目していた。ただ、候補者の一本化が進まず、選挙戦に出遅れたのは明らか。そのため、“第3戦”の結果を受けて、トランプ氏が共和党候補になることを前提に情報収集を進める方針を固めました」(外務省関係者)
無論、彼が指名争いを勝ち抜いても、その先にはヒラリー・クリントン氏が有力視される民主党候補との一騎打ちが待ち受ける。
だが、すでに霞が関では、“トランプ大統領”を視野に入れた対策が講じられ始めているのだ。では、彼が晴れて“ホワイトハウスの主”に登りつめた時、日本は無事でいられるのか。
■強まる日本への要求
まず、最大の懸念としては、トランプ氏が槍玉に挙げる日米安保への影響だろう。曰く、
〈日本が攻撃されると、アメリカは助けに行かなければならない。だが、われわれが攻撃を受けても日本は助ける必要がない。日米安全保障条約は不公平だ〉
実は、彼は以前から同様のジャパンバッシングを繰り広げてきた。
たとえば、1990年5月号の米「PLAYBOY」誌でのインタビュー。当時43歳だった若き不動産王は、アメリカの軍事面の問題点について訊ねられ、
〈軍用システムを使って世界一裕福な国を守っていること。日本だよ。日本を守ることでわれわれは世界中の笑い者なんだ〉
と答えている。
「彼には外交に必要とされる繊細な感性がなく、とにかくアメリカの国益最優先を叫んでいる。大統領になれば、日本への要求が強まることは避けられません」
そう断言するのは在米ジャーナリストの古森義久氏である。
「日本の防衛費を増額せよ、米軍基地に対する思いやり予算を増やせ、といった主張を繰り出すでしょう。つまり、“今の状況はギブアンドテイクではなく、ギブアンドギブだ。日本は見返りを出せ”ということです」
■“タダ乗り”批判
日本が再軍備しないようにアメリカが圧力をかける“瓶の蓋論”が叫ばれたのも今は昔。最近はリベラル派の民主党の下院議員も日米安保は不公正だと主張するようになった。ここでもトランプ氏の主張は、アメリカ国民の内なる声を代弁しているのだ。
中西輝政・京都大学名誉教授が補足するには、
「トランプ氏は日本に対して必ず“タダ乗り”批判を仕掛けてきます。その上で、米軍がイスラム国を攻撃する際には、自衛隊の参加を求める。ただ、新たな安保法制が成立したとはいえ、あれだけの騒ぎになったわけですから安倍政権が参加に踏み切るのは難しい。そうなれば経済的な制裁を加えられる危険性も生じてしまう。彼が政権を握ると、日本はこれまで以上にアメリカに足元を見られることになります」
その結果、安倍政権は“従うも地獄、断るも地獄”という窮地に立たされるわけだ。
「特集 『トランプ大統領』誕生で日本は危機か? 安泰か?」より
「週刊新潮」2016年3月3日号 掲載