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my diary

70歳、思い込みにとらわれなく過ごしたい。

2024年02月06日 | 日記
 人の思いほど当てにならないものはない。記憶なども、単に、過去に刺激を受けたことにより、その人の神経細胞のネットワークを通じて脳に記録されたものに過ぎない。したがって、思い違いもあるし間違いもある。魂の存在とか、神の存在とかも、そうやって人の脳が描き出した想像にしか過ぎない。世の中の出来事は、この個人的な思い込みが重なったことによって左右されることが多い。日本が過去に経験した戦争もそうであっただろうし、ロシアのウクライナ侵攻もプーチンとその支持者の思い込みによって起こされたものかもしれないし、イスラエルとパレスチナの紛争もユダヤ教を信じる人達とパレスチナに元々住んでいた人達との思い込みがぶつかった結果であるのかもしれない。男女間トラブルなども、個々人の思い込みがぶつかった結果であろう。世間を騒がせている松本氏の問題も、芸人として大御所になったという彼の思い込みが、世の中の動きと合わなくなってきた中で起こっているのだろう。

 もっとも、人は社会的な影響を受けることによって、それぞれの人の考え方とか、性格とか、行動パターンというものが形作られている。しかし、その元について追及すれば、それは、ホモサピエンスという類人猿の個々が過去の経験によって獲得した記憶と、それによる思考パターンがなすものと言えるのだろう。年齢を経るということは、ある意味では、ホルモンバランスなどからくる情動(性欲や行動欲を含む)を抑制し、過去の経験や知識から自己を見つめ直すことが出来るのかもしれないし、年齢を経ることによって見えてくるものもある。私は、過去を思い返すと、集団に馴染めないで自分の殻の中に閉じこもりがちの社会的不適合者の一人であったかもしれないが、そういう意味で、社会性に欠けていて自分の殻の中に閉じこもってきたことで家族には迷惑をかけてきたかもしれないが、世間には大して迷惑をかけてきたという自覚は無い。
 今、70歳になって、健康寿命という大きな壁があるが、「 決して満足しない毎日が、年齢の壁を破る。」との言葉もある。「嫌な事は我慢せずに、好きな事をする。」ことで何とか乗り切っていきたいと思っている。
 家族関係や知人関係に縛られることを避けて来た生き方をしてきたせいもあり、自分が年寄りになってきたという自覚は未だに余り無い。確かに、身体は、若い時のようには行かないし、視力や判断力、機敏さが衰えているという自覚は持っているが、それだからといって何だというのだろう。

 
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