人気漫画家が自死したことが話題となっているが、原作漫画がTVドラマ化されるにあたって、TV局側に示した、原作に忠実に製作するという約束が守られず、結果として、9話、10話の脚本を自らが行うに至ったが、納得した結果とならず、また、その経緯について記した自らのSNSが、脚本家などを非難したことになったのでは等と悩み、心理的にも追い詰められて自死を選んだと推察されている。しかし、考えて欲しい。人間は失敗する動物であり、万全な人間などは、この世に存在しない。釈迦ですら、生老病死などに悩み、王子の立場や妻を捨ててまでして出家した。失敗を重ねることによって、人は成長してゆく動物だと言える。
そもそも、人間の記憶など、自らの五感が捉えた刺激が海馬の神経細胞のネットワークの中に信号として伝わって蓄えられて、その一部が大脳の記憶中枢に収納されているのであって、社会性なども、親などの親しい他者からの働きかけや、自らの社会生活の環境の中によって形成されているものに過ぎないのであり、そのように考えれば、偶々、自己の創造した漫画がTVドラマ化される過程でトラブルがあって、その過程の対応が失敗したとしても、必要以上に悩む必要も無い。今後、同様の失敗をしないための教訓にするだけのことであるし、それだけ悩むということは、或いは、心身が不調となっている可能性もあるので、何もかも放り出して休養を取るというのも選択肢の一つであっただろう。折角、女性の持つ生きにくさというテーマで漫画を描いて世間的に評価もされていたのであるから、その才能を生かすべきであった。
我々の大多数は、その才能も持ち合わせていないし、機会にも恵まれていない。それでも、理不尽さに満ちた、この社会でなんとか過ごしているのであり、他者からの批判などは過度に気にする必要は無い。彼らは、自らのことしか考えていない視野の狭い人間達に過ぎない。社会の評判や評価なども、その世代に生きている人間集団の都合によってなされているものにしか過ぎない。そもそも、他の動物や植物を捕食したり利用したりして生きている、このホモサピエンスという強欲な生き物によって地球環境は汚染され、他の生物種の多くは絶滅させられているのである。まして、SNSの中に飛び交う批判などは、雑音にしか過ぎないと見做すべきであり、何等、生産的なものでも、理知的なものでも無い。この世を生き抜く為には、脳や人間社会のシステムを俯瞰的に見て、その代わりに自らの限界と愚かさを知り、社会に対しては、敢えて鈍感力を発揮すべきだと考える。我々一人ひとりは、宇宙の神秘によって奇跡的に生を受け、様々な考えを持てる唯一無二の存在であるから。