リニア新幹線は、静岡県知事の反対によって開業時期が大幅に遅れる可能性があると言われている。静岡県知事が難癖をつけて、この準国家的なプロジェクトが遅延しているという批判もあるようだが、私は、本当にリニア新幹線の必要性があるのだろうかという疑問がある。まず、リニア新幹線の構想は、東京と大阪という大都市間を、現在の新幹線よりも短時間で結び、経済効率を上げることにあると思われるが、人口減少の進む我が国で、しかも、これ以上に大都市に人口を集中させるような政策が果たして本当に合理的なものだろうかという疑いを持たざるを得ない。首都直下型地震や東南海を震源とする大地震の危険性が指摘されているし、富士山の噴火などの危険性もあると言われている。リニア新幹線が、そのような災害に対しても安全と言えるのだろうか。
ひと昔前に言われていた首都移転構想は、これ以上の東京一極集中の弊害を避け、国土の均衡ある発展を目指していたと思っていたが、いつの間にか議論さえされなくなっている。確かに大都市に経済・政治などの資源を集中させることは一見して合理的なようにも思えるが、果たして、長期的に見た場合にどうなんだろうか。東京は、関東大震災を例に挙げるまでもなく、何度も災害に遭って来たし、防衛的にも、東京大空襲で焼け野が原にもなったという脆弱性がある。今、そのような災害があった場合、阪神淡路や東北の大震災の時のように復興など可能だろうか。それこそ、想像もできないような多数の被害者が発生するだろうし、被災者を、今更、疲弊した地方に疎開させることなど出来ようも無いだろう。それこそ、二十世紀に繁栄してきた我が日本の終わりの始まりとなりかねない。
東京を起点として、高速道路網や新幹線を整備するという日本列島改造論は、確かに我が国の高度経済成長に一定の役割を果たしてきたが、既に高度経済成長期は終わり、その後の経済停滞期が続いて国民の実質所得は減少してきた。この間、莫大な費用をかけた東京オリンピックは負の遺産を残して終わり、来年に迫った大阪・関西万博も、資材・人件費の高騰や人手不足もあって前途多難な状況に見える。疲弊する地方を切り捨て、東京などの大都市のみが栄えるということはあり得ないし、国家としての安全上からも一極集中は極めて脆弱性を有している。政治家については、裏金問題でも明らかなように、自らの利権のみを追求することには熱心でも、健全な我が国の発展という、俯瞰的で長期的な視野に立つ将来像を描いている者は誰もいないのではなかろうか。かといって、出世競争や省益に拘泥している官僚達にも期待出来ない。
長野県知事の、一見不可解にも思えるリニア新幹線工事への妨害工作に賛成するものではないが、リニア新幹線が本当に必要なのか、本当に将来的に経済合理性があるのかという視点も必要だと思うし、大土木工事などに頼るのではなく、地方の本当の意味での活性化を含めた新しい経済成長のロールモデルの創造が求められていると思う。