私は英会話の勉強を長年続けてきたが、未だに苦手であり、集中して学習しているとは言い難い。この原因について、ふと思い出したが、昔、富士山に登山していて、一緒に行ったグループの年長の人が、偶々、一人で登山に来ていたカナダ人に話しかけていて、下手な英語でありながら親しそうに会話を続けていたが、私は、その人達と一緒に歩いていたにも関わらず一言も喋ることは無く、気が付くと、そのカナダ人から、不思議そうな目で私は見られているのに気が付いたことがあった。
私は、そもそも、生来の内気で、知らない人と会話するのが苦手である。しかしラジオ英会話を毎日聞いていて、今になって改めて気づいたが、人と会話をするということは、その人に対する好奇心を持っているということを表す為でもあり、何も話しかけないということは、その人を無視しているという失礼な態度だったのではないかと思う。何故、私が極度に内向的になったかについては様々に思うこともあるが、人に対する好奇心をあからさまにすることを抑制するのが良い子だという、幼い時から植え付けられた、ある種の心理があるせいだったとも思う。知らない人には無暗に話しかけるなという、この抑制は、高齢となった現在まで、私の人生の全てにおいて悪影響をもたらしていたと思う。今になって思うと、人にもっと興味を抱くべきであったし、その際、自分と人とを見比べるようなことを考えるべきではなかった。どんな人であっても、それぞれに長所もあり、経てきた人生史を持っているのだから。
しかし、今になっても、人とお喋りをしようとすると強いストレスを感じる。そんな自分が、英会話の勉強をしても、ボケ防止効果にしかならないのではないかとも思うが、このブログに書き込みをしたり、すぐに忘れてしまうのにラジオ英会話のテキストを何度も読んだり暗唱したりしていると、一日中テレビを見てボーっと過ごしたりするのとは異なり、何かをしているという気になることは確かだ。今年の課題は、「好奇心を持つ」ということにしよう。