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my diary

好奇心の有無と内気な自分

2023年04月25日 | 日記
 私は英会話の勉強を長年続けてきたが、未だに苦手であり、集中して学習しているとは言い難い。この原因について、ふと思い出したが、昔、富士山に登山していて、一緒に行ったグループの年長の人が、偶々、一人で登山に来ていたカナダ人に話しかけていて、下手な英語でありながら親しそうに会話を続けていたが、私は、その人達と一緒に歩いていたにも関わらず一言も喋ることは無く、気が付くと、そのカナダ人から、不思議そうな目で私は見られているのに気が付いたことがあった。
 私は、そもそも、生来の内気で、知らない人と会話するのが苦手である。しかしラジオ英会話を毎日聞いていて、今になって改めて気づいたが、人と会話をするということは、その人に対する好奇心を持っているということを表す為でもあり、何も話しかけないということは、その人を無視しているという失礼な態度だったのではないかと思う。何故、私が極度に内向的になったかについては様々に思うこともあるが、人に対する好奇心をあからさまにすることを抑制するのが良い子だという、幼い時から植え付けられた、ある種の心理があるせいだったとも思う。知らない人には無暗に話しかけるなという、この抑制は、高齢となった現在まで、私の人生の全てにおいて悪影響をもたらしていたと思う。今になって思うと、人にもっと興味を抱くべきであったし、その際、自分と人とを見比べるようなことを考えるべきではなかった。どんな人であっても、それぞれに長所もあり、経てきた人生史を持っているのだから。
 しかし、今になっても、人とお喋りをしようとすると強いストレスを感じる。そんな自分が、英会話の勉強をしても、ボケ防止効果にしかならないのではないかとも思うが、このブログに書き込みをしたり、すぐに忘れてしまうのにラジオ英会話のテキストを何度も読んだり暗唱したりしていると、一日中テレビを見てボーっと過ごしたりするのとは異なり、何かをしているという気になることは確かだ。今年の課題は、「好奇心を持つ」ということにしよう。
 
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ゆっくりと

2023年04月24日 | 日記
 「ゆっくり」の格言には「Make haste slowly」(ゆっくりいそげ)という英語があるようだが、時間というものは限られているようでもあり、自分の意識次第ではないかとも思う。そこで、慌てずに何事にも余裕を持って行動していきたい。命に限りがあり、生きている限りは、次の一瞬に自分の命が無くなってしまってもおかしくは無い。永遠に生きるということが出来ない以上、ゆっくりと余裕を持って生きていたいものだ。

 統一地方選挙も終わったが、安倍後継とか、家系図を持ち出したりした候補が当選しており、そのような候補に投票した人は、ゆっくりと衰退していく日本を是認しているのかと言いたい。いつまでも昭和の時代の意識を持っている人が如何に多いことか。今までの生活を維持したいと願っている陰で子孫に負債を付け回しているということが分からないんだろうか。一方、徳島県の知事に当選した後藤田氏については、知事就任前にも関わらず、県下の各市町を訪問したり、東京の中央官庁や自民党本部、企業などに挨拶回りをするなど精力的に活動しているようだ。単なるイケメンで女好きの世襲議員だとばかり思っていたが、実態は少し違っていたのかもわからない。石破派で冷や飯を食っていたので、知事という一国一城の主となった今、様々な想いがあるんだろうが、私が思うに、肝心な所は、少子高齢化が他県よりも進みつつある徳島県にあっては、このままで人口減少が進むと、県内にある企業が撤退、県税の減少、社会インフラの縮減などの危機があり、その上、高い確率で予想されている東南海巨大地震でも発生しようものなら、県そのものが無くなってしまう可能性(例えば、明治の一時期には香川県と併合されていた時期もある。)もあるのではなかろうか。近い将来のことを考えると、今こそは、待ったなしの時代であろうし、凡庸な知事では乗り切っていけないとも考えられる。新知事の手腕の見せ所といったところだろうか。高齢の私にとっては「知らんけど」

 「だが情熱はある」というテレビドラマを毎週見ている。中堅芸人である山里と若林の若い時代からを描いたドラマで、見始めた頃は、ジャニーズの若手を山里や若林に似せて演じさせているといっても、いったい何を目的に作られているんだろうかと疑問に思ったこともあったが、見ているうちに、彼らは、芸人を目指しても全く売れない時代があり、山里の場合は、嫉妬や妬みを原動力として努力を重ねてきたのだろうとか考えると、何者にもなっていない若者であっても、芸人になりたいという夢を持って行動していた彼らが羨ましいと思うようになった。翻って考えると、私の場合、それほど深く考えずに就職して、以来40年近く勤めて退職したが、彼らほどの情熱は無かったように思う。今は、終身雇用が保証されているとか、若者の大半が将来結婚出来るとかの時代ではない。また、様々な理由から落ちこぼれている若者も多いだろうと思うと、このドラマの視聴率は今のところは低いということだが、他のドラマでは、漫画の原作の恋愛ドラマが多く、概して何も残らないことに比べて、やさぐれているような若者にとっては、何か感じるものがあるドラマだと思う。 

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ダメ人間でも希望が持てる社会であって欲しい。

2023年04月22日 | 日記
 近年の過度な競争社会においては多くの落ちこぼれ者が生じている。障害を持つ者、人間関係がうまくいかない者、受験競争や出世競争から落ちこぼれた者、失業した者、失恋した者、離婚した者、犯罪の加害者・被害者となってしまった者、ひきこもりとなった者、病気を抱えている者、介護すべき親族を抱えている者、生活苦にある者、孤独な高齢者など、様々な状況の下で我が身の不遇を感じている人々がいる。仕事や生活で忙しくしているときには、そんなことになるとは思いもしない。一般的に言って、落ちこぼれた者が再び元に戻ることは困難である。人々は、便利さや刺激を求めて都市に移り住む傾向があるが、都市砂漠という言葉があるように、お金や仕事に恵まれている人はともかく、それから落ちこぼれてしまった者にとっては住みにくいのが都会でもある。しかし、人口が減り、病院や学校、警察署などが統廃合されつつある地方からは、都会への転出は止まらない。稀に都会から田舎暮らしに憧れて地方へと移住してくる人もいるが、とかく人間関係が濃密で、一種の監視社会でもある田舎暮らしに窮屈さを感じて去ってしまう人もいる。
 でも、そんなに完璧な人間はいない。例えば、皇室であっても家庭内でのトラブルの種はあるし、ダメ人間がいてもおかしくはない。それが普通ではないのか。キャリア官僚でもセクハラをする人もいるし、犯罪行為に手を出す人もいる。まして、俳優や歌手、専門家などとしてマスコミに出ている人達などほど、不倫などのスキャンダルが暴かれるケースが多い。人である以上、誰しも欠点はあるし、他人には言えないことの一つや二つはあるだろう。それなのに、今の我が国は、落ちこぼれ者に不寛容な社会である。
 落ちこぼれ者でも復活することが出来る、少なくとも生活の楽しみと、将来への希望が持てる社会になって欲しいと願っている。

 話は変わるが、市議会議員候補といっても聞いたことのない人ばかりであったが、投票しないのも無責任のような気がしたので、選挙広報を読み返して、議員定数の削減等を主張している党の候補者に投票することに決めて、事前投票に行ってきた。市議会議員だけの選挙なので投票率も高くないだろうと思っていたが、案外、事前投票所に投票に来ている人が多かったのが意外であった。他の人は、何を根拠に投票する人を選んでいるのだろうか。私は、立派なデザインの音楽ホールなどは、今の時代に不必要だと思うし、まして、既存の駅から、それほどの距離もないのに新駅などは不要だと思う。埋立地に整備予定のゴミ処理場の問題も、津波が来て施設が使えなくなったらということを考えているのだろうかと疑問だし、近隣の市町村との協議を打ち切ってまで市単独で建設すべきものだろうかとも思う。徳島市でも高齢化や単身化が進んでいるのに、市議会では、そんな問題は議論されているのだろうかと疑問が多い。これを機会に、今後は、議会だよりでも読んでみようかと思っている。
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落ちこぼれや孤独者に目を向けない政治家達

2023年04月21日 | 日記
 路チューなどでかって名をはせたことのある細野議員は、「今回の和歌山での首相襲撃犯の背景やその主張には目を向けるな」と述べたと言う。確かに、テロや暴力行為で自らの主張を通そうという行動には反対だが、かといって、単独で社会に異を唱える孤独者の存在にまで目を向けるなということは、政治家としてはどうなのか。バブル崩壊後の格差社会にあって、落伍者の存在は増加しつつある。高齢者にあっても独り暮らしで社会との関わりを余り持っていない人達の数も増加の一方である。政府は、イギリスの真似をして孤独対策に取り組むと言っていたが、その後に、その具体的な対策を行っているのだろうか。在り来たりの方法で孤独対策に取り組んでいますというのは、「何もやっていません」というのに等しい。
 全国的な都市化の流れによって地域の関係が疎遠になりがちであり、世代間のギャップにより家族間ですら関わりが薄くなりつつある。かといって、収入の少なさから結婚を躊躇したり、複雑な人間関係を嫌って異性との交際に踏み切れない若者も増えている。今や、孤独者は、稀な存在ではなくなっている。成功者の一人である細野氏などの政治家には、到底、このような社会的に孤立している人々の声は聞こえないのだろう。
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市議会議員選挙に行こうかどうか迷っている。

2023年04月21日 | 日記
 投票は国民の義務であることは知っているが、市議会議員の選挙に投票しようかどうか迷っている。まず、議員は地域の代表と言っても、選挙の時に宣伝カーで連呼しているのを通してしか知らない。選挙公報はすべて読んで公約は判ったが、それでも、当選した後でその人が公約通りの行動をするという保証は無い。当選することのみを目的としているのかもわからないし、30万円の供託金と選挙にかかる様々な経費をかけてまで、何故、立候補をするのだろうか。そこに利権とか美味しい話とかを狙って議員になりたいのではないのかという疑念がある。
 市長の行っている行政が、独断専行のきらいがあるとは思うし、特にごみ処理場の問題などで他の市町村との関係が悪化しているのは困ったことだとも思う。しかし、そうかといって現在の市議全体の活動の在り方も問題だと思う。職員に圧力をかけた議員もいたと報道もされたっけ。本当に選挙に行くべきか迷う。
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