老子の言葉に、「知人者智、自知者明」とあり、人を知る者は智なり、自らを知る者は明なりと和訳され、その解説を読むと、『他者を理解することができるとは、「智」があるからこそ可能なのでしょう。 しかし「明」とは、「闇」に対する「明」なのであり、老子は「明」を、単なる「智」と比べて、より「本質的な智」と考えるのです。 彼は、自分を知ることこそが困難なことなのであり、しかし重要であると考えるのです。』とある。
長い人生を考えても、自分という人間を知るということは、他者と交わり、他人と比べることによってなされるが、若い時には、顕示欲や性欲などの自己欲が勝りがちであり、本当の意味での自分を知るということは困難だろう。そして、他人を知るということの前に自分を知るということが必要だろうし、自分を知るためには、自分の欠点や限界などのマイナス面と向き合う必要もあるだろう。
今、世の中、日本社会で起きていることは、SNSやAIなどの登場で、逆に、人が短絡的になって、ある意味では幼稚化し、自分や他人を知ろうとすることが少なくなっているのではないかと懸念される。例えば、SNSを通じて簡単に他人と知り合いになっても、その他人がどういう人なのかを理解できないままに表面的な関係を結んだりすることもあるだろうし、自分の欠点や限界を知らないまま競争社会で勝ち抜いて出世しても、他人や弱者が理解出来ないという欠陥人間になる人もいるだろう。それが、ある意味では社会の劣化となっているのかもしれない。AI化が進むということは、合理的で不要なものを切り捨てるという社会にもなりがちだと思うが、同時に自他の弱さということに対しても理解しなければならないのではなかろうか。