diversion

my diary

グリコロを食べた。

2023年12月12日 | 日記
 今年の漢字として「税」が選ばれたとのこと。消費税増税以降、ステルス値上げなどが繰り返され、サラリーや年金などの国民の収入が上がらない中で消費者物価が高騰を続けている。そんな中でも、減税は、財務省の強固な反対により実現しない。政治家においては、政治資金収支報告書への記載すら真面にせずにいるらしい。選挙に費用がかかるとか、政治活動(地元事務所や私設秘書など)の費用がかかるとかの言い訳をしているが、それは、自らが当選して政治家であり続ける為に過ぎない。実際には、国の為とか国民の為とかの目的ではない。政治資金パーティーの問題では安倍派が叩かれているが、与野党問わず、現在の政治システムそのものがおかしい。
 
 今日の昼食は、マクドナルドのグリコロをテレビCMを見て気になったので食べに行った。夕食は、200円の寿司である。

コメント

サンタクロース人形を取っていくような行為。

2023年12月11日 | 日記
 政府が、税金から、様々な名目で多額の予算の支出を計画している。ウクライナなどへの多額の支援、防衛費の増額、子どもが三人以上いる世帯の大学の学費無料etc。一方、我々庶民の消費支出は増えていて、多くの世帯で生活苦の状態となっている。特に、年金生活の高齢者にとっては、生活費が上昇しているのに年金は上がらなくて、若い年齢の時に想定したのとは異なる生活状況となりつつある。それにも関わらず、政治家の先生方は、歳費の他に多額の政党交付金などを貰っているのに、なお、政治資金パーティなどで非課税のお金を集め、それが本当に政治活動だけに使用されているのだろうか。政治家に寄附する企業・団体は、必ず見返りを期待していると思うが、寄附するお金もない庶民の声は大抵は無視されている。そんな政治家達に庶民の気持ちなど、わかりっこない。
 徳島市の商店街に飾られていたサンタクロース人形などを盗んでいった不届き者がいたが、我々庶民が、嫌々払っている消費税や所得税などから、自らの為に様々な名目でお金を掠め取っている政治家の先生方には失望してやまない。政治家は、泥棒よりも酷いと思う。少なくとも、二世・三世の政治家や、夢のような理想論ばかり言って人々を惑わす候補者には投票しないようにしよう。新たな阿南市の市長は、一所帯当たり十万円を給付するという公約で立候補して当選した。それで、聞くところによると、阿南市では急に世帯数が増えているそうだ。市の財政は大丈夫なんだろうかと他人事ながら心配している。将来世代につけ回ししていて、それで市民は本当に良いというのだろうか。


コメント

今日の読書と思い出

2023年12月10日 | 日記
 「警視庁01教場」(吉川英梨)を読んだ。警視庁の警察学校を題材にした小説であり、小説ならではのデェフォルメした描写ではあるが、警察学校の日常や警察組織の抱えている問題点について良く取材して描いていると思った。面白くて一日で読み終えた。別に何も関係は無いが、私も、昔、若い時に勤務先の関係で、東京で研修した日があったなあと、その時の記憶が思い起こされた。

 大谷のドジャーズ移籍が決まったとか、安倍派の政治資金パーティーの収支報告書記載漏れ問題の拡大とか、旧ジャニーズ事務所から移行した新会社名がSTATO ENTERTAINMENTと名付けられたとのニュースとかワイドショーなどは騒がしい。
コメント

4年ぶり

2023年12月09日 | 日記
 今年も、クリスマス・イルミネーションが、あちこちで見られる時期になってきたので、昨晩、アスタムランドに行ってきた。アスタムランドには、コロナ禍の前までは、数回、イルミネーションを見に来たり、秋に開かれていた阿讃ウォーキング大会に来たこともあるし、四国放送祭りにも来た事がある。しかし、コロナ禍があって、人の集まる場所について敬遠していたので、昨晩は4年ぶりということになる。イルミネーションの時期は、毎回、寒く、ある時などは、雪が降っていて、頭から凍えそうな感じがした時もあったが、昨晩は、暖冬で、それほど寒くもなく、年寄り夫婦でも、童心に帰ってイルミネーションを楽しめた。





コメント

己を知ること(知人者智、自知者明)

2023年12月08日 | 日記
 老子の言葉に、「知人者智、自知者明」とあり、人を知る者は智なり、自らを知る者は明なりと和訳され、その解説を読むと、『他者を理解することができるとは、「智」があるからこそ可能なのでしょう。 しかし「明」とは、「闇」に対する「明」なのであり、老子は「明」を、単なる「智」と比べて、より「本質的な智」と考えるのです。 彼は、自分を知ることこそが困難なことなのであり、しかし重要であると考えるのです。』とある。

 長い人生を考えても、自分という人間を知るということは、他者と交わり、他人と比べることによってなされるが、若い時には、顕示欲や性欲などの自己欲が勝りがちであり、本当の意味での自分を知るということは困難だろう。そして、他人を知るということの前に自分を知るということが必要だろうし、自分を知るためには、自分の欠点や限界などのマイナス面と向き合う必要もあるだろう。

 今、世の中、日本社会で起きていることは、SNSやAIなどの登場で、逆に、人が短絡的になって、ある意味では幼稚化し、自分や他人を知ろうとすることが少なくなっているのではないかと懸念される。例えば、SNSを通じて簡単に他人と知り合いになっても、その他人がどういう人なのかを理解できないままに表面的な関係を結んだりすることもあるだろうし、自分の欠点や限界を知らないまま競争社会で勝ち抜いて出世しても、他人や弱者が理解出来ないという欠陥人間になる人もいるだろう。それが、ある意味では社会の劣化となっているのかもしれない。AI化が進むということは、合理的で不要なものを切り捨てるという社会にもなりがちだと思うが、同時に自他の弱さということに対しても理解しなければならないのではなかろうか。
コメント