ひまわりさんより
前にも書きましたが、私は小さい時から教会に行っていました。わからないながらも大人
の人の話を聞いていました。その中で、「私は救われました」とか、「十字架の愛に感謝し
ます」、という言葉を聞いて、「自分が救われてうれしい」というだけで、信仰はいいのだ
ろうか、という気持ちがありました。デビット・カン先生の講演を聞いて、人が造られた
目的は、神様の義の擁護者として立つことだということが分かりました。十字架の愛は、
ただ自分が救われて感謝するだけでなく、神様の愛を全宇宙的に証明する、スケールの大
きな出来事でした。そのことを、セブンスデー・アドベンチスト教会は教えていたのです。
デビット・カン先生のメッセージは今日から、新しいテーマとなります。
なぜあなたは主に従うか 1 デビット・カン
「なぜあなたは神様に仕えるのですか」、という題でお話したいと思います。
今晩、私たちの心を再吟味したいと思います。神様に仕える私たちの動機は何でしょうか。
なぜ神様を信じているのでしょうか。なぜ神様に礼拝をささげるのでしょうか。
「なぜ神様に仕えるのか」、単純な質問ですけれど深い意味が含まれています。
副題として、「どんな動機で主に仕えるか」、ということを考えてみたいと思います
。この副題も私たちに考えさせるような題ですよね。
ある時、バプテスト派の女性と一緒に聖書を研究していました。
彼女は、大きな教会の、女性のあるグループの指導者でした。
死人の状態とか、地獄の死についての教理を彼女と一緒に学んだ後で、彼女は泣き出したのです。
「どうしたのですか」と尋ねました。
すると彼女は、「これまで私はずっと間違った理由でイエス様を信じてきました」と言うのです。
「私が神様を信じてきた理由は、地獄に行きたくなかったからでした。
地獄について考えたとき、本当に怖くなったので、そんな所へ行きたくなくて教会に行っていました」と言いました。
「地獄に行きたくないから教会に忠実に出席して、いろんなプログラムも忠実にこなしてきました・・・」。
では皆さんはどうして神様に仕えているのでしょう。何が皆さんを動機づけているのでしょうか
。神様を信じ、神様に仕える理由は、ただ単に救われたいからですか。
裁かれるのが嫌で神様を信じ、仕えているのですか。これは大事な質問ですよ。
まずしばらく、私たちの現在の状況について考えてみましょう。
今こそ真剣に心を探って心の動機を知るべき時であります。