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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

キリスト再臨の前兆  デビット・カン講演 第4回

2012年03月28日 | 日記




 ひまわりさんより(3月28日)

時々教会で、「なかなか世と切り離せないんですよね」という人がいます。
その人は、自分だけが信仰を先に進んで行ったら、家族をはじめ、世の人々に伝道できなくなるのではないか、
だから、その人たちと歩調を合わせることも必要なのではないかというのです。
しかし、ここで考えなければならないことは、伝道はどのようにしてなされるのかという事です。
伝道は、聖霊の御業であって、私たちがするものではありません。
私たちは自分をむなしくして、聖霊の神様の通りよき器になり、
人の心を変えてくださる聖霊様に働いていただくことが伝道なのです。
ですから、大切なのは、世と歩調を合わせることではなく、私たちが謙遜に徹することに心を注いで、
「へりくだる者と共に住」まれる神様の宮になっていくことだと思います。
「わたしは高く、聖なる所に住み、また心砕けて、へりくだる者と共に住み、へりくだる者の霊を生かし、
砕けたる者の心をいかす」(イザヤ57:15)

   誰でも真理を見いだせる(デビット・カン講演 4 )

 もし誰でも、真理を心から受け入れたいと求めていたならば、必ずその真理に出会って、
受け入れることができるようになります。
だれでも、誠実に真理を求めて聖書を学ぶなら、神様によって、
聖霊によって書かれたこの真理を認めることができるようになります。
もし本当に真理を知りたければ、心からそれを求めるならば、必ず真理を見いだすことでしょう。
これは理解困難なものではありません。
問題は理解したくないと思っているからなのです。
 もし、真理をそのまま受け入れるならば、自分が何をしなくてはいけないかということをはっきり知ります。
真理を受け入れるならば、真理に従わなければならないということを知ります。
真理を受け入れるならば、自分たちが今まで好んできた偶像を捨てなければいけないということがわかってきます。
そんなことはしたくないわけですね。ですから、彼らは真理を否定してしまうわけです。
 私たちが裁きの座に立った時、だれも「私は知らなかった」と、言い訳をすることはできません。
その時、神様はその人にこのように言われることでしょう。「それは問題ではない。
問題はあなたが真理を見いだすことを望まなかったことなのだ」と・・・。
神様は、その人が真理を求めないで、時間を別のことにむだに費やしてしまったことについて裁かれます。