4、救いは失うことがある!
別のキリストのたとえ話でも、信者たちに対する赦しは条件付きであるという事実が確認できます。それはマタイによる福音書18章21~35節の話です。この物語は、神様の赦しの性質について教えられたものです。ある王様が、自分の僕の哀願に応じて、莫大な借金を帳消しにしてあげました。ところがこの僕が、自分にわずかな借金のある同労者に会うと、自分から借りた金を返さないことを怒って、無慈悲にも彼を牢屋に閉じ込めてしまいました。このことを聞いた王様は怒りました。そして、以前その僕に対して行った巨額の借金の免除を取り消して、その僕がお金をすべて返すまで牢屋に閉じ込めたという話です。
誰であれ、このたとえ話が伝えようとしている明白な教えを否定することはできません。神様は赦しを求める全ての人をお赦しになりますが、その赦しは条件なしに与えられるものではありません。私たちが他人を無慈悲に扱うなら、すでに受けていた赦しを失うことがあるのです。これはエゼキエル書33章13節の言葉と一致する内容です。「わたしが義人に、彼は必ず生きると言っても、もし彼が自分の義をたのんで、罪を犯すなら、彼のすべての義は覚えられない。彼はみずから犯した罪のために死ぬ」。この原則は18節で再び繰り返されています。「義人がその義を離れて、罪を犯すならば、彼はこれがために死ぬ」。