見るものによって変えられる
今日のお話のテーマは、非常に重要でありながらも、多くのクリスチャンがそれに気づいていない事柄について話したいと思います。この主題を理解なさるなら、皆さんのクリスチャン経験の手助けとなることでしょう。
私は、多くのクリスチャンがイエス様との歩みにおいて、しばしば倒れてしまう、そういった経験をしてしまっていると考えています。では、何がそんなにたやすく皆さんを倒れさせるのでしょうか?そして、霊的な状態を低めてしまうのでしょうか?私たちの霊的クリスチャン経験というのは科学そのものなのです。神様は私たちの体である宮を通して働きかけられます。
聖書によりますと、私たちの額に印を受けるとあります。それはどういう意味でしょうか。なぜ、聖書は額という特定の場所について述べているのでしょうか。『エゼキエル書』9章を見てみますと、エルサレムで行われている様々な背教、堕落について、嘆き悲しむ人たちの額に、ヘブル語でいうと「タウ」というのを押しなさいと書いてあるんですね。この[タウ]と言う文字は、ヘブル語のアルファベットの最後の文字です。それは、一つの意味は、これら額に[タウ]を押される人々というのは、最後の時代の残りの民、最後まで神様に忠実な者であるということを表わしています。そしてこの[タウ]と言う文字ですが、それは後に簡素化されて、実は十字架そっくりの形になったんですね。
この「タウ」という文字について、印を押される経験について、深く掘り下げていく時間はここではないのですけれども、神様は私たちの額を通して、この場所を通って働きかけられます。なぜそうなんでしょうか。額のこの部分に私たちの理性とか判断力とか、善悪を見極める能力、品性を司る部分がここに位置しているんです。印する経験とは、一瞬ポンと印鑑を押すみたいなものではなくて、これはある一定の過程なのです。真理を信じて受け入れて、聖霊を受け入れて、私たちのうちに働いていただくならば、私たちの品性から聖徒となるのにふさわしくない部分を聖霊が取り除いて下さるのです。そして、宇宙で義人として永遠に生きるのにふさわしい者として、聖霊が私たちの品性を形作って下さるのです。
それはある像を私たちの内に形作るようなものです。神様のみ心、神様の律法に従う、そのような像です。私たちが自らを捧げて、自分自身の額の部分を神様にゆだねる時に、神様が私たちの品性を形作って下さいます。