ところで、「一度救われたら永遠に救われる」という立場を主張する人々が、よく親と子の関係をたとえにして、自分たちの立場を説明することがあります。「私の子供は私の家族として生まれて来たのだから、常に私の子供である。彼らは私の家に生まれてきた以上、親子の関係をなくすことは出来ない。子供が従順であっても、不従順であっても、それにかかわらず常に私の子供であることには変わりがない」。
この説明はもっともなものですが、重大な点を一つ見逃しています。問題は、子供が病気で死んだり、家出をしたあげく、家に帰ることもなく死んでしまうことがあるということです。その時には、親子の関係も断たれてしまいます。子供が死ぬことなく健康で生きられるようにするために、医者や親は様々な健康原則や生活上の注意をします。しかし、もし子供が病気になって食事を食べなくなったら、その子は死ぬことになります。同じようにイエス様は、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない」(ヨハネ6:53)と言われました。
今や私たちは、最終的な救いのためには、継続的な従順が必要であることについて、明確に理解することができました。パウロは「あなたがたは知らないのか。あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するなら、あなたがたは自分の服従するその者の僕であって、死に至る罪の僕ともなり、あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのである」(ローマ6:16)と言いました。人がキリストに従わないことを選び、自我の思いとサタンに従うようになる時、その人はサタンの僕に属することになります。「子たちよ。だれにも惑わされてはならない。彼が義人であると同様に、義を行う者は義人である。罪を犯す者は、悪魔から出た者である。悪魔は初めから罪を犯しているからである。神の子が現れたのは、悪魔のわざを滅ぼしてしまうためである」(Ⅰヨハネ3:7,8)。