神様の言葉を聞くこと
過去2年にわたって、私は色々な健康の問題が出てきました。ご存知のように昨年心臓の大手術を受けました。非常に困難な経験でした。私が生きてこうして皆さんにお話しが出来るというのは、神様の恵み以外の何ものでもないと思います。私の経験は皆さんには分からないかもしれませんが、私に言わせれば、今こうやって座って、このように皆さんに話をしているのは、神様の奇跡なんです。
心臓手術を受ける前には、右目の問題をかかえていました。右目がだんだんぼんやりして、はっきりと物が見えなくなっていました。家内には、私がこのミニストリーの働きにあまりにも打ち込んでしまっているために、自分の体を虐待してボロボロにしたと言われました。「それは不摂生ですよ、あなた」と言われました。それは私の認めるところです。
しかし、そういった経験を通して、私はもっともっとイエス様のおいでを待ち望む者となりました。出来ることなら、もう一度、20台、30代、40代のそういった肉体を持ちたいのですけれども、しかし私が肉体的にだんだん弱っていった時に、もっともっと、考えを巡らすようになりました。色々なことを冥想するようになりました。以前のように読書に打ち込むのも困難になってしまったので、もっと考える時間を持つようになりました。そしたら、あることを悟るようになったのです。「ああ、私たちの霊的経験というのは、私たちの考え方、冥想の仕方に密接に関係しているのだ」ということが分かってきました。
私たちは、どうやって、どのようにして真理を理解するのでしょう。見ることによってではなく、神様の言葉を聞くことによってなのです。み言葉を冥想し、考え、そして、よく噛みしめることによって理解するのです。