許されることのない罪とは 第3回
≪聖書と聖霊を汚す罪≫
皆さん、説教とは何でしょうか、イエス様にある教理を伝えていくこと、イエス様の愛を証明することなんですね。あるとき、いろんな教派の牧師たちのセミナーを開きました。牧師たちの前でみ言葉を伝えようとしたんです。説教というのは本当に論理的でなければなりません。誰が聞いても、だれが読んでも、ああ、この御言葉は正しいものだと思えるような、論理的なものがなければなりません。聖書自体を伝えなければなりません。
人がどんなに良い言葉を並べても、聖書から離れたり、聖書を正しく証ししていなければ、それは説教ではないんですね。それで私は、今日、皆さんに訴えたいんです。御言葉は、赦されることのない、聖霊を汚す罪についてどのように教えているか、しかし、今日このことを学ぶときに、本当に聖霊の恵みが私たちに必要なんですね。聖霊様がこの御言葉を伝えるときどれほど喜ばれるか、この御言葉を伝えようとするとき、私の言葉ではなく、聖書の真理そのものが、聞いておられる方に確信と力を与え、もう二度とそういった罪を犯すことのない状態に導いていってほしいと願っています。そのために聖霊様に働いていただく必要があります。
聖霊様は深い罪から私たちを救って下さり、救いから落ちてしまうことがないように、恵みの中へ導いて下さるのですね。聖霊様が御言葉を通して、皆さんの心に深く、深く、感動を与え、導いて下さることを信じています。