罪から逃れる道 第10回
私たちは礼拝していますね、私たちのささげる真の礼拝とは何でしょうか、それが肉における苦しみにあずかるということなんです。ですから使徒パウロは、イエス様の命を受けたのだから、私たちはイエス様の苦難をも受けるべきだと述べています(ローマ8:17、ピリピ3:10参照)。
私たちは生まれ変わり、救われ、恵みのうちに生かされるようになります。その結果生じるものが肉における苦しみなんです。肉おける苦しみ、苦難というのは、罪との戦いのとき、罪を放棄することによって生じるのです。それが肉における苦しみです。
ある人々は、一度救いを受ければ、悔い改める必要はなく、心は平安でそのまま行けば大丈夫だと信じています。イエス様が全ての自分の罪の代価を支払って下さったから、もう何もしなくても信じていれば大丈夫だと考えています。しかし、聖書はそのように教えていません。
そうではないことを、私たちはこの聖句から知ることが出来ます。「それがあなた方のなすべき霊的な礼拝である」。「あなた方はこの世と妥協してはならない、むしろ心を新たにすることによって」と明らかに述べられています。私たちは新たに聖化され、造り変えられて、何が神様のみ旨であり、何が善であり、神様に喜ばれ、かつ全きことであるかをわきまえ知るべきなのです。