昨年は個展のホームグランド,マルミツ画廊が閉店され、毎年行ってきた個展が途絶えた。私は彷徨い、充電を兼ねて新たな会場探しをした。見付かったのが小倉北区真鶴にできた「椿」という画廊。広さ、アクセス共に私の規格に合格した。作品は今からだが、9月下旬の個展会場として予約をした。
「霜月」
この絵は昨年の11月末の風情である。茎は折れて葉は水中に引きずり込まれ、実を育んだ果托も水中へ。何とも殺風景であるが、折れた茎のブリッジとその映りこみの織り成す文様はおもしろく、絵になる。
3月になって蓮池はどうなっているのか覗いてみた。水面に姿を残している折れた茎は少なく、水中に引きずり込まれた果托は茎から離れて浮かび上がり、吹き溜まっていた。
数日後3・11東日本大震災となった。
3月末、またもこの蓮池に来てスケッチを始めた。少し離れたところに若松の北海岸があり、潮騒の音が聞える。空はときどき日差しをもたらすが、まだまだ冬の雲でそれを遮る。3・11のTV映像が脳裏に顕われてくる。吹き溜まった果托は津波で流された物に見え、潮騒は津波の音、灰色の雲は荒廃した港町を演出する。狂い咲いたのか一輪のカキツバタは生命力の象徴に思えてくる。
「弥生」
毎年処を変えて行う高校の同期会、今年は北九州が当番になっている。そろそろ計画をアナウンスしなければならない時期となった。しかし、そんなことを考える時だろうか。この事態は西日本に住んでいるもの全員が力合わせて助ける時ではないのだろうか。私は決めた。今年は同期会を中止し、西日本の諸氏はそれぞれの持ち場立場で東日本を助けようと呼びかけた。
6月になった。蓮池の風情は新しい葉を顕し、生命力が漲り始めている。蓮根と言っているのは実は茎で、水面の葉を落とした後、栄養を貯えて太っていくそうだ。その潜在エネルギーが、こうして新しい葉をもたらすのだ。
東日本の人々が大きな危機に直面した時に魅せてくれる生き様には強い敬意を覚える。原発マネーに関わった人々は、これらの人々から大切なものを汲み取って今後に生かして欲しい。
「水無月」
7月になった。葉は水面を離れて立ち上がり、花も咲き始めた。震災の現地もこんな自然と営みと同調した復旧であって欲しいと思うが、もし原発が破壊されたらどう対処したらよいか分からないままに進んだ原発の利便と利益のつけがそうはさせていない。「トイレの無いマンション」とは悲しいかなよい譬えである。
「文月」
戦争を放棄しながら自衛隊という軍隊をつくる矛盾。
戦争を放棄しながら、経済発展にいそしんだその金で他国の軍隊に頼んで安全を外注する恥ずかしさ。
原爆と原発は違うといっていつのまにか50基あまりの原発を作り、過ちを繰り返して福島の人々を不幸に陥れる卑怯。
フェアーな国際取引だといって、これから次第に一次産業を放棄し、グローバりゼイションの名のもとに山河や海を荒廃させことになるかもしれない。
どうも日本国には庶民には都合の悪いことをはっきりと分からせず、理念が無く、黒船に押し切られるような政治が続く。私は、この絵を3・11の記憶としておきたい。そして、日本の進むべき道を示してくれるカリスマリーダーの出現を待つことにしよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/2e/dba5e13721f6fa2c2663f2e67ed2a5d1.jpg)
この絵は昨年の11月末の風情である。茎は折れて葉は水中に引きずり込まれ、実を育んだ果托も水中へ。何とも殺風景であるが、折れた茎のブリッジとその映りこみの織り成す文様はおもしろく、絵になる。
3月になって蓮池はどうなっているのか覗いてみた。水面に姿を残している折れた茎は少なく、水中に引きずり込まれた果托は茎から離れて浮かび上がり、吹き溜まっていた。
数日後3・11東日本大震災となった。
3月末、またもこの蓮池に来てスケッチを始めた。少し離れたところに若松の北海岸があり、潮騒の音が聞える。空はときどき日差しをもたらすが、まだまだ冬の雲でそれを遮る。3・11のTV映像が脳裏に顕われてくる。吹き溜まった果托は津波で流された物に見え、潮騒は津波の音、灰色の雲は荒廃した港町を演出する。狂い咲いたのか一輪のカキツバタは生命力の象徴に思えてくる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/65/709c594b22e874811cbcd46687c630a9.jpg)
毎年処を変えて行う高校の同期会、今年は北九州が当番になっている。そろそろ計画をアナウンスしなければならない時期となった。しかし、そんなことを考える時だろうか。この事態は西日本に住んでいるもの全員が力合わせて助ける時ではないのだろうか。私は決めた。今年は同期会を中止し、西日本の諸氏はそれぞれの持ち場立場で東日本を助けようと呼びかけた。
6月になった。蓮池の風情は新しい葉を顕し、生命力が漲り始めている。蓮根と言っているのは実は茎で、水面の葉を落とした後、栄養を貯えて太っていくそうだ。その潜在エネルギーが、こうして新しい葉をもたらすのだ。
東日本の人々が大きな危機に直面した時に魅せてくれる生き様には強い敬意を覚える。原発マネーに関わった人々は、これらの人々から大切なものを汲み取って今後に生かして欲しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/5a/63608342d13ca21f520cb6efa630d225.jpg)
7月になった。葉は水面を離れて立ち上がり、花も咲き始めた。震災の現地もこんな自然と営みと同調した復旧であって欲しいと思うが、もし原発が破壊されたらどう対処したらよいか分からないままに進んだ原発の利便と利益のつけがそうはさせていない。「トイレの無いマンション」とは悲しいかなよい譬えである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/ae/5c108f66553d2b7417570a931885e60e.jpg)
戦争を放棄しながら自衛隊という軍隊をつくる矛盾。
戦争を放棄しながら、経済発展にいそしんだその金で他国の軍隊に頼んで安全を外注する恥ずかしさ。
原爆と原発は違うといっていつのまにか50基あまりの原発を作り、過ちを繰り返して福島の人々を不幸に陥れる卑怯。
フェアーな国際取引だといって、これから次第に一次産業を放棄し、グローバりゼイションの名のもとに山河や海を荒廃させことになるかもしれない。
どうも日本国には庶民には都合の悪いことをはっきりと分からせず、理念が無く、黒船に押し切られるような政治が続く。私は、この絵を3・11の記憶としておきたい。そして、日本の進むべき道を示してくれるカリスマリーダーの出現を待つことにしよう。
佐々木郁代と申します。
実は、父が先月末に94歳で亡くなり、平成7年に79歳で2回マルミツ画廊さんで個展をしたことを、最近になって知りました。父は桑野勝治と申します。
子供のころに両親が離婚して神奈川県で暮らしていた私はそのことを知らず、もし、父の絵を持っていらっしゃる方がおられたら見せていただけないかと思い、遺品にあった案内状のマルミツ画廊さんに電話してみましたが、今は閉店されているのですね…
何か手がかりがないかと探していたら、このページにたどり着きました。
ハスの絵、きれいですね。はじめ写真かと思いました。私はハス自体が好きです。この水面の感じがとても好きです。
父の絵は素人でしたし、こんなに上手ではありません。よくも個展ができたものだと思います。
こんな形でコメントして申し訳ありませんが、なにか父の情報をお持ちでしたら、ご連絡いただければ幸いです。
父は、母が亡くなった4年前から、冬は神奈川の私の家で過ごしておりました。今年10月末に小倉で倒れ、1か月頑張りましたが、亡くなりました。
私は介護休職しておりましたが、博多にある事業所に来週から転勤します。メールは休みにしか見られませんが、ご一報いただければ幸いです。
コメントありがとうございます。
桑野さんが亡くなられたと知って、驚き、急に寂しい思いになりました。
私は桑野さんと交友がありました。桑野さんが師事していた姫野陸郎先生の教室に私も席を置いたことがあり、水彩画仲間として交友があります。特に私の個展には必ず来て下さいました。
3.4年前だったと思いますが、私の作品を数点購入して頂き、それを模写するのだと言っておられました。私が到津に教室を持ったとき、入会するお積りだったようですが、娘の家にいくようになったからと言って、入会を断念されました。その後、長行の自宅を何度か訪ねましたが、いつもお留守でお会いできませんでした。
桑野さんの作品は持っていませんが、ちょっと心当たりに当たってみようと思います。
マルミツ画廊は画廊主が6年前に体調を崩し、私が
復帰するまでの間、代行していましたが、復帰叶わず2010年末で閉廊しました。
先ずは桑野さんの冥福を祈ります。
新たな情報が得られたらお知らせします。