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東鳩会の開催概況

W杯西村審判員帰国第1戦ジャッジ!・・・フラタニティ杯山形

2010年07月25日 13時17分28秒 | Weblog
 フラタニティカップ2010イン山形の国際交流親善試合は平成22年7月24日(土)、炎暑のべにばなスポーツパークで繰り広げられました。
 フラタニティカップって?それはね、今を遡ること19年。‘べにばな国体’の開催を翌年に控え、大会を盛り上げようとキリンカップサッカーを1991年山形県へ招致します。その時に審判員として来県したのが香港のサミエル・チャン氏です。この時チャン氏と山形県サッカー協会との間でこれを契機にお互い審判員同士の交流しては如何でしょうという話になり、翌1992年に第1回大会を山形市で開催します。第3回の1994年からは東京都サッカー協会審判委員会も加わり、日本と香港が交互に開催することになります。国内唯一の審判員同士の国際交流大会となり、ここから、岡田、西村両氏のW杯審判員が輩出します。1993年開幕のJリーグよりも先輩なんだよ!

 W杯南アメリカ大会で4試合主審を務めた西村雄一氏が東京代表として猛暑の中、帰国第1戦のジャッジを古巣の大会で披歴します。審判員に比べ選手諸君は太目です。

 ゴールデンパンツの桂木会長を中央に山形県の先発メンバーの精鋭です。山形東高サッカー部OBの吉見祐悦君の雄姿も見られます。

 審判団のハーフタイムです。「イエローカードよりグリーンカードがお似合いの試合だね?」

 西村雄一国際審判員は試合を終えると、記者やフアンにW杯南アフリカ大会の模様を話し、質問も受けてくれます。「ブラジルのドゥンガ監督が日本語で野次ったとか聞きましたが・・・」「ブブゼラの高い音に何も聞こえませんでした!」 

 マニアックなフアンは試合の始まる前からこの時を待っています。吉見祐悦君も熱心に耳を傾けますが、笑顔の方が多いようです。

 西村雄一国際審判員のW杯南アフリカ大会関連グッズです。手にとって見せていただきます。

 国際交流試合を終わり、夜の部レセプションが始ります。桂木山形県会長が「皆さんのご理解でこれまで大会が継続しました。いよいよ来年は香港が第20回の記念の大会となります。多くの皆さんでお祝いしましょう」と幕を開けます。それにしても、我が会長は‘べにばな国体’を契機にキリン杯はフラタニ杯に、社会人チームはモンテディオ山形にしっかりと将来を見据えて遺しているのです。脱帽です。

 桂木会長は、山田正前東京都審判委員長に昨年退任した12年の労に謝し記念品を贈ります。

 新任なった牧野明久東京都審判委員長にも今後のフラタニティ杯のご理解をお願いします。

 そして、試合の結果東京都が優勝し松野委員長はフラタニ杯をも手にします。

 「山田前委員長同様今後ともよろしくお願いします。第20回記念大会には喜んで参加させていただきます」牧野新委員長が抱負を述べます。

 サミエル・チャン香港足球裁判會副会長がフラタニ杯のご厚誼と、W杯南アフリカ大会の審判のその後の動向を話してくださいます。そして、20回の節目の大会待ってますと結びます。

 いよいよ乾杯です。乾杯の御発声は花谷長任山形県審判委員長です。大杯をもてあまし気味です。「花笠じゃないぞ~」

 サミエル・チャン香港副会長と桂木聖彦山形県常務理事が話しています。来年の記念大会の構想を話し合っているのかな~聞き耳を立てたいのですが、近ごろ耳が遠くなってね~

 参会の女性の方に山形県から‘前掛け’が贈られます。これにはモンテディオ山形のロゴが入っていて「Jリーグは何処が贔屓?」と問われれば「モンテディオ山形を応援してます」という仕組みです。この後、西村雄一国際審判員から提供されたW杯南アフリカ大会グッズのジャンケン争奪戦で、盛り上がりも一気に最高潮に達します。

 会も終わりに近づき佳境に入ります。東京都の出し物です。牧野委員長を巻き込んで伝統ある日本体育大学の‘エッサッサ’を披露します。
 この後、会場の全員が肩に手をかけ、ステップを踏んでダンスをして別れを惜しみます。また来年会いましょう!!
 「あのね、犬飼日本サッカー協会長辞任するってホントなの?」「ホントらしいよ。まだ定年前なのに、日本の首相と同じように長続きしないんだね!」「平田専務の時もそうだったね。二度あることは三度あるって言うけれど?」「三度目は誰かな~」巷のスズメは賑やかです。