《岸和田だんじり彫り物・物語-4》
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今朝の最低気温は午前3時の17.4℃。 最高気温は午後3時の29.0℃。
午前中と午後の2回強い雨が降りました。 その前後は日差しが有り、蒸し暑い日でした。
《朝散歩… だんじり祭り見物 4.6㎞ 6,574歩 2時間》
今日と明日はこの地区(和泉市・岸和田)の 「だんじり祭り」 です。
9時過ぎから見に行って来ました。 9時の気温は25.6℃。
直前にザ~っと雨が降り、その後に青空が… 一層蒸し暑さが増しました。
NHK朝ドラの “カーネーション” で全国的に有名になった “岸和田(海辺)だんじり祭り”
の規模とは比べるべくもないのですが、それでもこの地区の一番大きなお祭りです。
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小さな子も走ります(笑)
「岸和田だんじり祭り」 は元禄16年(1703年)と云いますから300年以上も前、
岸和田藩主岡部長泰(おかべながやす)公が、京都伏見稲荷を岸和田城の三の丸に
勧請(神仏の来臨を願うこと)して、城下の五穀豊穣を祈願した事が始まりだそうです。
“だんじり祭り” と云えば、何と言っても数々の彫刻が施された “山車(だし)” ですね。
高さ約3.8m、長さ約4m、幅約2.5m、重さ約4トンも有り、総欅(けやき)造りで、
すべて釘を使わずに組み立てられているそうです。
ウィキペディアによると… 【欅には女神が宿るなどと言われ、
女性がだんじりに乗ることは出来ないが、女児はその限りではない。
成人女性も曳き手として参加することは可能だが、18歳程度で止めて、
後は男性をサポートする立場にまわる者が圧倒的に多い】 …だそうです。
今日は彫り物を中心に撮って来ました。 《岸和田だんじり彫り物・物語-4》 です。
《岸和田だんじり彫り物・物語-1》
《岸和田だんじり彫り物・物語-2》
《岸和田だんじり彫り物・物語-3》
今日はその続きですが、まだ撮って来たばかりで物語を整理していません(汗。
と云う事で、今日は彫り物の写真だけご覧ください(汗。
まず最初は… 「信長熱田神宮戦勝祈願」 です。
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戦国時代、織田信長が今川義元との決戦(桶狭間の戦い)を前に必勝を祈願した場面です。
2枚目は… 「多聞丸射術修行」 です。 多聞丸とは “楠正成” の幼名です。
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3枚目は… 「林軍太多聞丸に降参」
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多聞丸(後の楠正成)の父と敵対していた林軍太。
その息子多聞丸の武勇が優れている事を聞き、のちの災いになると思い、力量を試す場面です。
歯が立たなかったようですね(笑。 この時、多聞丸は弱冠11歳だったそうです。
4枚目は… 「桜井の驛」 父、楠木正成と子の正行(まさつら)の今生の別れの場面ですね。
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【建武3年(1335)5月21日、楠木正成公、湊川の決戦に向かうにあたり桜井の駅で、
長男楠正行と今生の別れを告げる。 正行は父に従わんと願ったが、正成曰く
「後に残り忠孝を励め」と短刀一振りを与えて河内へ帰す。 時に正行11才である。
ひげは歌で知っています ⇒
桜井の別れ
青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ 木の下陰に駒とめて
世の行く末をつくづくと 忍ぶ鎧の袖の上に 散るは涙かはた露か
5枚目は… 「楠正成、包近八幡宮へ戦勝祈願」 です。
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楠正成は包近にも来ていたんですね。 包近八幡宮は楠本神社のようです。
6枚目は… 「正行如意輪堂」 です。 正行は楠正成の嫡男です。
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四条畷の決戦へ出発に当たり、鏃を以って如意輪堂の扉に辞世の歌を残したそうです。
“かゑらじと かねておもえば梓弓 なき数に入る名をぞとゞむる”
(今度の戦いは生きて再びかえれぬ身。 故に、亡き人の仲間入りをする名前を残して
出発します… と言う意味だそうです) 23歳だったそうです。
7枚目は… 「義貞 龍神に宝剣を献ず」 これも歌で知っています ⇒
鎌倉
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七里ヶ浜のいそ伝い稲村ヶ崎 名将の剣 投ぜし古戦場
8枚目は… 「神武天皇東征」 です。
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日向(高千穂)を治めていた神武天皇(死後の命名)が東に進軍し、大和朝廷を建国。
八咫烏(やたがらす)が、神武天皇勢を大和へと道案内しました。
建国記念の日(2月11日)は、神武天皇の即位日である旧暦の紀元前660年1月1日にあたり、
明治に入って新暦に換算した日付だそうです。
神武天皇は紀元前711年2月13日生まれ、紀元前585年127歳で没。
今日の歩数 6,574歩 (だんじり見物)
今月の歩数 60,806歩= 42.6km(1歩を70cmに換算)
今年総歩数 2,444,100歩=1710.9km
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午前中と午後の2回強い雨が降りました。 その前後は日差しが有り、蒸し暑い日でした。
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今日と明日はこの地区(和泉市・岸和田)の 「だんじり祭り」 です。
9時過ぎから見に行って来ました。 9時の気温は25.6℃。
直前にザ~っと雨が降り、その後に青空が… 一層蒸し暑さが増しました。
NHK朝ドラの “カーネーション” で全国的に有名になった “岸和田(海辺)だんじり祭り”
の規模とは比べるべくもないのですが、それでもこの地区の一番大きなお祭りです。
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小さな子も走ります(笑)
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岸和田藩主岡部長泰(おかべながやす)公が、京都伏見稲荷を岸和田城の三の丸に
勧請(神仏の来臨を願うこと)して、城下の五穀豊穣を祈願した事が始まりだそうです。
“だんじり祭り” と云えば、何と言っても数々の彫刻が施された “山車(だし)” ですね。
高さ約3.8m、長さ約4m、幅約2.5m、重さ約4トンも有り、総欅(けやき)造りで、
すべて釘を使わずに組み立てられているそうです。
ウィキペディアによると… 【欅には女神が宿るなどと言われ、
女性がだんじりに乗ることは出来ないが、女児はその限りではない。
成人女性も曳き手として参加することは可能だが、18歳程度で止めて、
後は男性をサポートする立場にまわる者が圧倒的に多い】 …だそうです。
今日は彫り物を中心に撮って来ました。 《岸和田だんじり彫り物・物語-4》 です。
《岸和田だんじり彫り物・物語-1》
《岸和田だんじり彫り物・物語-2》
《岸和田だんじり彫り物・物語-3》
今日はその続きですが、まだ撮って来たばかりで物語を整理していません(汗。
と云う事で、今日は彫り物の写真だけご覧ください(汗。
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戦国時代、織田信長が今川義元との決戦(桶狭間の戦い)を前に必勝を祈願した場面です。
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多聞丸(後の楠正成)の父と敵対していた林軍太。
その息子多聞丸の武勇が優れている事を聞き、のちの災いになると思い、力量を試す場面です。
歯が立たなかったようですね(笑。 この時、多聞丸は弱冠11歳だったそうです。
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【建武3年(1335)5月21日、楠木正成公、湊川の決戦に向かうにあたり桜井の駅で、
長男楠正行と今生の別れを告げる。 正行は父に従わんと願ったが、正成曰く
「後に残り忠孝を励め」と短刀一振りを与えて河内へ帰す。 時に正行11才である。
ひげは歌で知っています ⇒
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世の行く末をつくづくと 忍ぶ鎧の袖の上に 散るは涙かはた露か
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楠正成は包近にも来ていたんですね。 包近八幡宮は楠本神社のようです。
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四条畷の決戦へ出発に当たり、鏃を以って如意輪堂の扉に辞世の歌を残したそうです。
“かゑらじと かねておもえば梓弓 なき数に入る名をぞとゞむる”
(今度の戦いは生きて再びかえれぬ身。 故に、亡き人の仲間入りをする名前を残して
出発します… と言う意味だそうです) 23歳だったそうです。
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日向(高千穂)を治めていた神武天皇(死後の命名)が東に進軍し、大和朝廷を建国。
八咫烏(やたがらす)が、神武天皇勢を大和へと道案内しました。
建国記念の日(2月11日)は、神武天皇の即位日である旧暦の紀元前660年1月1日にあたり、
明治に入って新暦に換算した日付だそうです。
神武天皇は紀元前711年2月13日生まれ、紀元前585年127歳で没。
今日の歩数 6,574歩 (だんじり見物)
今月の歩数 60,806歩= 42.6km(1歩を70cmに換算)
今年総歩数 2,444,100歩=1710.9km