日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

あばれ太鼓

2010-03-09 11:27:34 | Weblog
 平成22年3月8日(月)、余韻がずっと残る感じの感動の日だった。
 リムジンバスで11時38分にホテルを出た。とても感じのいいホテルだったなあ。図書室も良かったなあ。上から扇風機がゆっくりと回り、緑の観葉植物がホテルのあちこちにあり、インドネシア風に造られていたかな。
 (正午に始まる)結婚式の準備を、正面玄関でしていた。しばしば結婚式がここで行われるとのこと。ただ、思うに、外国の人の姿が少なかった。そこの職員に尋ねると、・・・以前は、台湾の人が結構多かったとのこと。
 この日は、時々小雨って感じの曇り空だった。いつもはとても暑いらしいのだが、ここに来た日以外は、むしろ、少し肌寒い感じだった。
 那覇のバスセンターで降り、「ゆいレール(2両のモノレール)」に乗ろうとしたが、登乗口が分からない。通りがかりの男の人に尋ねると、その階段口までわざわざ一緒に案内してくれた。沖縄尚学って、ユニホームに書かれていた。とても優しい高校生だった(感謝感激!)。
 1日乗車券(600円)を買って、「旭橋」から「県庁前」まで行った。そこを降りると、、目の前に、今から2泊するホテルがあった。つい最近できたホテルで、道路を隔てて県庁の隣で、部屋は広く、部屋にはテレビが2つもあって、大当たりだった。
 それから、「ゆいレール」で、「儀保」駅を下車して、世界遺産の「首里城跡」に行った。熊本城とは違った感じで、むしろ、ソウルの建物に似ている。
 その中に、(お客を招く)茶室があって、そこでお菓子とお茶を飲んだ(300円)。特別な味がしたかな。
 その後、首里城跡を出て、「県立博物館」の場所を探したが、探せない。で、通りがかりの若い女性に尋ねると、・・・「数年前、そこは閉鎖になって、他に移っている。今は、県立博物館・美術館になっている。」と言われた。 「ゆいレール」の「儀保」駅の方向に行く為に、途中まで一緒に歩いてくれた(それまで、全く別の方向に行っていた)。(とても親切な沖縄の眼のパッチリした若いきれいな女性だったなあ、・・・感謝感激!)
 有名な「国際通り」を通る目的で、「ゆいレール」で「牧志」駅を下車し、国際通りをずっと通って行った。で、ふと見ると、太鼓を打つ人の顔の貼った料理店が宣伝されていて、そこに入った。これが、大大正解だった。
 18:00~19:00まで、そこで沖縄料理を摂り、19:00から30分余、素晴らしい演奏があった。演奏者は、4人の家族で、三線(父親)、ギターと歌(兄)、カスタネットと歌(姉)、和太鼓(18歳の男)のメンバーで、最後に、三線に合わせて、和太鼓のソロがあった。これが凄かった!!基礎がプロとは全く違っているとまで思った。この人こそ、正に、(100年に一人出るかでないかの)野球のイチローみたいな人だと思った。
 5つの太鼓を凄いスピードで、その5つを常に打つ感じで、演奏する。ざわめいていた客室が急に静かになり、素晴らしい演奏が続いた。皆の眼が点になっている感じ。題は、「あばれ太鼓」で、1歳前から太鼓のバチを持ち、今、若干18歳、ずっと太鼓を打ち続けている「天才少年」として、沖縄県では超有名な太鼓打ち。NHKでも取り上げられ、子ども大会でも優勝し、今、北島三郎氏の方から声が掛っているとか。
 帰る時、CD(3000円)を買い(その中に、彼の小学校5年生の時の太鼓演奏が入っている)、その18歳の少年と握手をしっかりとし、写真まで一緒に撮らせてもらった。
 とてもいい思い出が出来た。偶然の出会いが、最高の思い出になった感じで、ホテルにいてもしばらく興奮が納まらなかった。
 沖縄、万歳!

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先入観

2010-03-09 11:18:45 | Weblog
 3月7日(日)、午前中、雨が降っていた。「美(ちゅ)ら海水族館」まで、タクシーで行った(帰りも、同じタクシーの運転手さんから来てもらった)。
 日曜の関係でか、とても人が多くて、なかなか列が動かなくて、よく見れなかった。アトランタの水族館やシドニーの水族館も見ている関係で、ついつい、そこと比較している自分に気が付いた。
 「美ら海水族館」の外でのイルカショー、とても良かった。神戸や天草で見たこともない様な芸をしていた。感激した。(個人タクシーの)運転手さんの話だと、美ら海水族館には、いるべき魚の中で、マンボーだけいないそうな。マンボーは、育てるのがとても難しいとのこと(佐伯市のマリンカルチャーセンターには、網にかかったマンボーが時にいますけど!)。
 敷地内にある「熱帯ドリームセンター」が、自分と家内にとっては、水族館以上にゆっくりとマイペースで回れてとても良かった。「ラン」に付いて、そこにある解説で詳しく知ることが出来たし、「マンゴー」の木や「ドリアン」の木、初めて知った。訪問者の中には、ここを素通りして帰ってしまう人も多いとか。(もったいない!)
 (私より1つ歳上で、往復お世話になった)タクシーの運転手さんの話、とても興味深かった。
 昨晩のディナー、中華料理がとても美味しかったので、今日も、そこで食べた。何故か、昨日ほどの感激がなかった。感激に慣れたのかなあ。同じ敷地内に、イタリア料理や日本料理もあるのに、初め、ここだと思ってしまうと、もう、ここがここでは最高と思い込んでしまうのだなあ。で、そう思っても、又、食べると、又、考え方が変わるんだなあ。人間って、いいかげんなものだなあ。
 昨日の朝食にしても、和食と洋食、どちらか選べるのに、食べる前は、1日目は洋食、2日目は日本食にしようと決めていたのに、あまりにも美味しいと感じてしまったものだから、昨日は、食べた後で、2日目も洋食にすることにしてしまったのに、中華料理の2回目の経験で、やはり、又、変えて、日本料理を摂ったが。
 人は、先入観を持ってしまうと、なかなかそれから逃れることができないが、それを又変えられるのも、人間たる由縁だなあ。


 運転手さんの話では、・・・
 沖縄県人の平均寿命が前はずっと日本一だったのは、豚肉を食べていたから(それに、塩分の多い漬物を食べる習慣がなく、海草を沢山摂り、冬でも体を動かし、性格的にのんびりしているからなどの理由から)と思っていたが、そうでなく、豚肉は、正月や盆の時しか摂ってないと言う。貧しいので、旬のものを摂るしかないが、それが大変よかったのではと言われた。(納得)今は、沖縄県人、塩辛いものでも何でも食べているとのことだが?!
 貧しいので、今も、若者に仕事がないが、家族皆が助けて上げるので、孤独死などはまずないとのこと。(那覇で時にあったが、極めて少ないとのこと)。
 つい最近あった様な大きな地震は、99年振りだったとのこと。
 名護市の選挙の結果は、そのまま、市民を反映している、いや、建設に反対している人は、あれ以上いるのではと言われた。普天間の基地を貸している地主さん、5000人近くいて、その人たちを無視して移るのは、難しいでしょうと言われた(時が過ぎれば可能だが)。一番いいのは、基地を作っても、軍事の時だけ利用して、普段は人がいなければいいと言われた(←ナルホド!)。
 沖縄県の島に移り住む件に関しては、・・・病気の時、いい医療機関にかかれない場合がある、特に、台風の時など。他の所から来てずっと最後までこの島で住むのは、実際は、どうでしょかねえ、・・・と言われていたが。(少し納得)


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