ウワバミということはないが、いくら飲んでも酔わないし、そもそもお酒をまったく美味しいと思わない私なので、日頃はアルコールを飲むことはない。
そんな私が唯一アルコールをおいしいと思うのは、山と旅先での一杯だ。
春の旅、夏の上高地はもう長い間 我が家の定番だが、年末の知恩院のお参りも家人と私の恒例行事となっていた。
本来なら今年も29日にお参りする予定だったが、それが叶わなかった。
家人も私も体調が悪く、今から寝正月を決め込んでいる。
お正月準備をする気力がないとはいえ寝てばかりもいられないので、微妙ながらもパソコンが動いてくれている間に写真の整理をしておこうと思う。
春の 三保の松原から富士山を拝そう!旅の写真は既に数枚upしているが、おいしかったホテルの食事を記録しないままとなっていた。
駿河湾といえばサクラエビが有名なので楽しみにしていたが、記録的不漁だったせいか、先付とサクラエビごはんでしかお目にかからなかった。↑これはその貴重な一品。
静岡の味付けがどのようなものかは知らないのだが、この料理の味付けが妙に気に入り皆で「美味しい」と話していると、給仕してくれていた仲居さんが「お客様の地方出身の料理長が味付けしています」とおっしゃった。
よほど癖の強いビールでない限り、私にはビールの味の良し悪しは分からないのだが、このホテルの生ビールは全く癖がないのに美味しいので何故かと訊ねると、ホテルのすぐ近くにビール工場があり、一番良い状態のものが届くのだということ。
私はマグロが嫌いで、寿司屋でマグロを注文することは、ほぼない。
だから、この旅の予定にマグロ館なるものが入っているのを見た時には、ウンザリしたものだが、夕食で頂いたマグロの刺身は実に美味しかった。本場のマグロは美味しいのか、それとも、このあたりでビールから切り替えた日本酒の冷酒に合ったのか、私がマグロの刺身を美味しく食するというのは、かなり珍しいこと。
この旅から9か月が過ぎ、献立表もないので記憶が曖昧だが、↑このなんの変哲もなさそうな枝豆が、美味しかったのはハッキリと覚えている。なんでも枝豆の燻製とかなんとか。
春に続き秋もサクラエビの成長は記録的に悪く、晩秋の頃、この秋の駿河湾のサクラエビ漁は全面禁止か?というニュースがあったので、このサクラエビ御飯の美味しさが殊更に懐かしく思い出される。
ところで、旅館の朝食でよく見かける小ぶりの梅干しにあまり美味しいものはないが、この梅干しは美味であった。何やら特別な説明書きがあったような気もするが、そんなウンチクはさておき美味であった。
こうして静岡を旅した三月末に、今のこの状態は到底想像もつかなかった。
今年の春、仕事上の変化があったのは私だけではなかった。
思いがけない方向に進んでいってしまうことへの抵抗と戸惑いで憂鬱な気分で旅にでた私と異なり、家人は異例の抜擢での春の移動でそれなりに希望に胸を膨らませていたはずだ。
が、本人は全く望んでいない若くしての昇進がやっかみを生んだのか、失われた10年世代がいないシワ寄せを受けているのか、見る間に痩せていき、心身ともに まいりきった年の瀬を迎えてしまった。
そして私も、頼り切っていた素晴らしい後輩が移動となり、片腕をもぎとられてしまう不安な年の瀬を迎えている。
かくして我が家は、お正月準備へ向けての動き手を欠いたまま、新年を迎えようとしている。
だが、こうして写真を振り返ったことで悲観的な気分は少し遠のいてきた。
それは、彼の地が神君家康公ゆかりの土地のため、「鳴くまで待とう」という言葉を思い出したからかもしれないし、あの日 偶然参列できた家康公の誕生を祝う月に一度の祀りの清々しさを思い出したからかもしれない。
「鳴くまで待とう」の時間軸を念頭におき、明るい気持ちで新年を迎えたいと思っている。
そんな私が唯一アルコールをおいしいと思うのは、山と旅先での一杯だ。
春の旅、夏の上高地はもう長い間 我が家の定番だが、年末の知恩院のお参りも家人と私の恒例行事となっていた。
本来なら今年も29日にお参りする予定だったが、それが叶わなかった。
家人も私も体調が悪く、今から寝正月を決め込んでいる。
お正月準備をする気力がないとはいえ寝てばかりもいられないので、微妙ながらもパソコンが動いてくれている間に写真の整理をしておこうと思う。
春の 三保の松原から富士山を拝そう!旅の写真は既に数枚upしているが、おいしかったホテルの食事を記録しないままとなっていた。
私はマグロが嫌いで、寿司屋でマグロを注文することは、ほぼない。
だから、この旅の予定にマグロ館なるものが入っているのを見た時には、ウンザリしたものだが、夕食で頂いたマグロの刺身は実に美味しかった。本場のマグロは美味しいのか、それとも、このあたりでビールから切り替えた日本酒の冷酒に合ったのか、私がマグロの刺身を美味しく食するというのは、かなり珍しいこと。
マグロのマリネ
ところで、旅館の朝食でよく見かける小ぶりの梅干しにあまり美味しいものはないが、この梅干しは美味であった。何やら特別な説明書きがあったような気もするが、そんなウンチクはさておき美味であった。
こうして静岡を旅した三月末に、今のこの状態は到底想像もつかなかった。
今年の春、仕事上の変化があったのは私だけではなかった。
思いがけない方向に進んでいってしまうことへの抵抗と戸惑いで憂鬱な気分で旅にでた私と異なり、家人は異例の抜擢での春の移動でそれなりに希望に胸を膨らませていたはずだ。
が、本人は全く望んでいない若くしての昇進がやっかみを生んだのか、失われた10年世代がいないシワ寄せを受けているのか、見る間に痩せていき、心身ともに まいりきった年の瀬を迎えてしまった。
そして私も、頼り切っていた素晴らしい後輩が移動となり、片腕をもぎとられてしまう不安な年の瀬を迎えている。
かくして我が家は、お正月準備へ向けての動き手を欠いたまま、新年を迎えようとしている。
だが、こうして写真を振り返ったことで悲観的な気分は少し遠のいてきた。
それは、彼の地が神君家康公ゆかりの土地のため、「鳴くまで待とう」という言葉を思い出したからかもしれないし、あの日 偶然参列できた家康公の誕生を祝う月に一度の祀りの清々しさを思い出したからかもしれない。
「鳴くまで待とう」の時間軸を念頭におき、明るい気持ちで新年を迎えたいと思っている。