何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

素敵な日本のくだらない人

2017-11-30 22:48:13 | 
これは、超上から下まで いかなる世界でも同様の傾向があるとは思うのだが、本の世界を例にとってみると、最近の新刊は、書店のポップや帯などの煽りが仰山なため、残念な結果を生じさせていると思っている。
一つには、前振りで異様に持ち上げハードルを上げているため、実体が伴っていないことが明らかになった時、却って失望感が強くなってしまうという事がある。が、これはまだマシで、より大きな問題は、空疎で空虚な煽りを そのまま受け入れる人が続出することで、真に賞賛すべきモノが理解できない、あるいはその基準が低下してしまう事にあると、思う。

その例として、新刊がでれば必ず読むことにしている作家さんの本をあげるのは、かなり心が痛むが、本作に限っていえばタイトルからして、作家さんご自身が かなり皮肉を込めておられる気がするので、仰山な宣伝文句の例としてあげる無礼をお許し願いたいと思っている。

「素敵な日本人」(東野圭吾)
~本の帯より~
『たとえば、毎日寝る前に一編。
 ゆっくり読んでください。
 豊饒で多彩な短編ミステリーが、日常の倦怠をほぐします。
 夢中になってイッキ読み。寝不足必至のサスペンス。
 それもいいけれど、読書は、もっと優雅なものでもあるのです。
 意外性と機知に富み、四季折々の風物を織り込んだ、極上の九編。』

東野氏の作品には他に、内容においては「豊饒で多彩」「意外性と機知に富み」とされるものも、読み方においても「寝不足必死」「優雅」と云わせるものがあると思うのだが、タイトルと内容がアンバランスな本書で、この帯をつけてしまうと、これからの作品は どう表現するのだろうかと、要らぬ心配をしていまう。

本書は、帯によると四季折々の風物を織り込んだ短編集とのことだが、タイトルに相応しく日本らしい風物が描かれているのは、第一章「正月の決意」と三章「今夜は一人で雛祭り」なので、今回はそのうちの一編を記しておきたい。

<正月の決意>
例年通り書初めをし、例年通り初詣に出かけた夫婦は、しかし心に常にはない決意を抱いていたのだが、訪れた神社で町長の死体を発見・通報しために、当初の決意を翻し、新たな決意をするという物語。

死体で発見された町長も町長なら、かけつけた警察官も警察官、関係者として現れる教育長に宮司さんまで死体に関わる皆が皆、自分勝手を押し通している。そんな現場で唯一真っ当だったのが、死体発見の夫婦だが、この夫婦は初詣から帰宅した後、お屠蘇に仕込んだ青酸カリで自殺する予定だった。

青酸カリは、夫の工場で保管していたものだ。
その工場は、仕事が激減し、従業員の給料は何か月も未払いで膨らんだ借金を返せる見込みもなく、倒産は時間の問題だった。
そのうえ、夫婦の家も抵当に入っていたので、倒産すれば忽ち住むところもなくなってしまう。

ひたすら誠実に真面目に生きてきた夫婦は、それでも上手くいかないことがあると思い知ったとき、他には道がないという結論に達した。
それは、二人が死ぬことで、生命保険を子供に残し、そのお金で迷惑をかけた人々に出来るだけお詫びしてほしいという事だった。
その趣旨の遺書はすでに認めてある。

夫婦には、迷いはなかった。
だからこそ、いつもと同じように正月の儀式をしようと決めたのだ。
最期の書初めで「誠意」としたためた夫は、初詣で、自分達の成仏と、後に残していく人々の幸福を祈るつもりだった。

ところが、その初詣で神様に御参りできなかった。

自分勝手な理由で死体となり転がったり、自分勝手な理由で死体の処置を押し付け合ったりする、町のお偉いさんたちの所為で、神様に御参りすることができないまま帰宅した真っ当な夫婦は、書初めの文字「誠意」を見つめて「死ぬのはやめましょう」という。

~引用始め~
「あんないい加減な人間たちが、威張って生きている。あんな馬鹿なくせに、町長だったり、教育者だったり、警察署長だったりー」
「宮司だったりする・・・・・」
「それなのに、どうして私たちのような真面目な人間が死ななきゃならないの?そんなの絶対に変よ。馬鹿馬鹿しい。
 あなた、頑張りましょう。私達も、これからは負けないでもっといい加減に、気楽に、厚かましく生きていきましょうっ」

これまでに聞いたことのない力強い声だった。
そうして二人は、誠意とかいた書初めを、びりびりと真っ二つに引き裂いた。
~引用終わり~

本作で、タイトル通りの「素敵な日本人」は?というと、生真面目に誠実に生きてきた結果 自殺を考えねばならぬほど追いつめられた夫婦だと思うのだが、この夫婦が死体発見を機に出会った おエライさん達の馬鹿馬鹿しさ身勝手さが延々書かれているため、タイトルとは程遠い印象を受けてしまう。
最終的に、真面目で誠実な夫婦が自殺を思いとどまるのは良かったが、その理由が、「あんな人でも恥ずかしげもなく生きているのだから頑張りましょう」までなら結構だが、「あの身勝手さに負けないで、自分達も もっといい加減に厚かましく生きましょう」となると、なんともはや。

世は、自分勝手で強欲な輩が、自分勝手で馬鹿馬鹿しい理屈を振りかざして、好き放題やっている。
神輿は軽い方が良いから、バカを祀り上げながら心の中で舌を出している方が面白いから、とオカシナ世論操作をしていると、軽い神輿をエライと勘違いし本物を見抜けない者が出てきたり、あれでも巧くやっているのだから自分もテキトーでいいではないか、と思う者ばかりが増えてしまう。

そうなってもいいのか日本、そう問いかけたい霜月晦日という日であった。


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夢虚しく 望み破れて 秋 

2017-11-30 00:02:42 | 自然
錦秋の候ともいうが、秋たけなわの時はアッという間に終わり、本格的な冬を前に篠突く雨に濡れそぼり踏みにじられた枯葉を見ると、終焉を強く感る。


そんな頃に毎年 思い出す歌が2曲ある。
「拓銀と北大に苦い思いをもつ父と息子が訥々と歌う歌なのだ」と息子である友人は言っていたが、「夢は虚しく消え、闇をさすろう」と歌いながら、どこか悲壮感のないこの一曲を思い出すのは、晩秋のまだ入り口。

「北帰行」(作詞作曲 宇田博)
窓は夜露に濡れて 都すでに遠のく
北へ帰る旅人ひとり
涙 流れてやまず 
♪夢は虚しく消えて 今日も闇をさすろう
遠き想いはかなき希望♪


だが、今日のように どんよりとした黒い雲に覆われた日は、友人の父の十八番だという歌が、殊更に思い出される。
『川は流れる』(作曲:桜田誠一、歌:仲宗根美樹)
病葉を今日も浮かべて
街の谷、川は流れる
ささやかな望み破れて

晩秋になり濡れ落ち葉を見る度この歌と友人を思い出していたが、今調べてみると、病葉というのは、病気や害虫に蝕まれて変色した葉をいい、特に夏の青葉に交じって赤や黄色に変色しているものを指すというのだから、落ちるべくして落ち 踏みしめられる秋の落ち葉よりも一層侘しいもののようだ。

そんなことを物思う・・・・・
実りの秋を過ぎ、凛とした清々しい冬を迎える前の、虚しさ寂寥感ただよう11月晦日である。

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父から娘へとつながれる絆

2017-11-27 23:15:55 | ニュース
<ルクセンブルク大公の歓迎行事=皇居>   時事通信2017/11/27-12:19配信より引用
国賓として来日したルクセンブルク元首アンリ大公の歓迎行事が27日午前、皇居・宮殿東庭で行われ、天皇、皇后両陛下と皇太子ご夫妻が出席された。
大公は当初夫妻で来日する予定だったが、マリア・テレザ妃が健康上の理由で同行を取りやめたため、長女のアレクサンドラ王女とともに来日している。
歓迎行事では両国の国歌が演奏され、大公が儀仗(ぎじょう)隊による栄誉礼を受けた。続いて両陛下と大公、王女は宮殿「竹の間」で会見。夜には宮中晩さん会が開かれる。
宮内庁によると、会見は約15分で、大公の来日歴やジャン前大公の近況などが話題に上った。アンリ大公は宮殿の廊下から庭を目にした際、天皇陛下に「紅葉がきれいですね。まるで額に入った絵のようです」と話したという。


ルクセンブルグというと、地理で習ったベネルクス三カ国のうちの一つ、という以外には、病でふせっておられた雅子妃殿下をお見舞いくださった心優しい大公ご夫妻がおられる御国という認識しか(恥ずかしながら)ない。
2006年、ご体調の優れない雅子妃殿下がおかれている酷い状況に心を寄せて下さったのは、オランダのベアトリックス女王陛下だった。雅子妃殿下と同じく外交官出身であられた、ベアトリックス女王陛下の王配クラウス・ファン・アムスベルフ殿下は、旧敵国人(ドイツ人)であるという問題や、御結婚まえに外交官としてやりがいある職業を持たれていたことが王室の生活への適応を難しくしたという事もあり、鬱病を長く患っておられたと伝えられている。
そのような苦しみを間近で御覧になってこられた女王陛下と皇太子殿下(ウィレム=アレクサンダー国王)は、2006年の夏、皇太子御一家を静養のためオランダに招待して下さったのだ。
そして、そこでご一緒に過ごされたのが、ベルギー皇太子ご夫妻(フィリップ国王ご夫妻)と、現在来日されているアンリ大公なのだ。

皇室と王室の交流というと、外交樹立〇周年という名目での形式ばった親善外交しか聞かれないなか、2006年のオランダによる皇太子御一家のご招待は、その交流に血(優しさ)が通っていることを教えてくれるものであったし、私にとっては、このような交流を持たれている皇太子ご夫妻への敬愛の念を深める切っ掛けとなった出来事でもあった。
あの夏 病の雅子妃殿下とお過ごし下さったアンリ大公は、11年の歳月を経て、歓迎式典や宮中晩餐会に御出席になられるほど雅子妃殿下が御回復されたことを喜んで下さっているに違いないと拝察するが、今回特に私が注目したのは、アンリ大公が体調が優れないマリア・テレザ大公妃にかわり、長女のアレクサンドラ王女を伴われて来日されたということだ。

勿論ご回復目覚ましい雅子妃殿下が、ご即位の日に向け益々お元気になられることを心よりお祈りしているが、この度の御来日のスタイルから拝察するに、そこに、「天皇陛下と御一緒に海外親善外交をされるのは、長女の敬宮様であっても良い」というヨーロッパ王室の一つのスタイル・答えが示されていると思えるのだ。

そこで、’’父と娘’’で思い出す本から、印象に残っている言葉を記しておきたい。
「ビジネスマンの父より娘への25通の手紙」(キングスレイ・ウォード 訳・城山三郎)

第24通 REACHING FOR THE TOP トップを目指せ
『挑戦は人生の一部である。人はやがてこの挑戦に敢然と立ち向かうことを覚える。
 たいていは勝ち、たまに負けるだろうが、
 いずれにせよ、試みることによって人間が大きくなることを知るからである』

『勝利も敗北もない灰色の薄闇に生きて、たいした喜びも悲しみも知らない意気地なしの同類になるよりは、
 失敗を厭わず、大胆な目的に挑み、輝かしい勝利を勝ち取る方がはるかに望ましい』
~セオドア・ルーズベェルト(1858-1919)~

『何よりも恐れなければならないものは恐怖心である』
おそらく ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1817-1862)

ここでソローの言葉について、’’おそらく’’H・Dソローと記したのは、「作者が娘によく語っているソローの言葉」とだけ紹介されているからだ。
だが、このソローが、あのソローだとすると、このソローはあの「森の生活」の作者である。

『私が森に往ったわけは、私が慎重に生きようと欲し、人生の根本的な事実にのみ対面し、
 それが教えようと持っているものを私が学ぶことが出来ないものかどうか知ろうと欲し、
 私がいよいよ死ぬ時に、自分は生きなかったということを発見することがないように欲したからである。
 私は人生でないものを生きるのを欲しなかった。
 生きることはそれほど大切だったから』「森の生活」(ソロー作 神吉三郎訳)より

来日された父 大公と長女 王女を拝見し、敬宮様が挑戦と勝利で御自分の人生を全うして下さるよう、国民の一人として心から応援し続けたいとの気持ちを強くしている。




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連作 夢をつなぐよ ワンコ

2017-11-26 19:11:25 | ひとりごと
「連作 夢の夢こそ ワンコ」より

ワンコ17歳とお空組2歳の誕生日の昨日は、例年通りワンコ実家両親にご挨拶に伺ったね
ワンコは車が実家の方へ向かうと、いつも「お泊りか?」と戦々恐々としていたけれど、
昨日は、安心してドライブを楽しんでいたんだろう?
ワンコ実家両親の家への道を、車で走りながら、
自動車専用道路で、隣の車に抜かされると、ワンコは いつも鼻を鳴らして怒っていた、とか
ワンコの車を抜かした車に追い付くと、窓に鼻をくっつけて、隣の車を睨め付けていた、とか
ワンコの視線を感じた隣の車の人が、ワンコの真意も知らず、ワンコに手を振ってくれた、とか
いろいろ楽しく話しながらの ワンコ実家両親の元へのお出かけだったね ワンコ
帰宅すると、
庭でワンコのバラが咲いているだけでなく、ワンコの大好物の松葉ガニまで届いて驚いたよ
男前で美男子で気品があって凛々しいけど、なぜかワンコは優しいピンクがピッタリだから、
庭のピンクのバラを、ワンコのバラと呼んでいるのだけれど、
そのバラが、寒風吹きすさぶなか、花を咲かせたんだよ
ワンコの仕業だな
そのうえ、自分で自分の誕生日を存分に祝おうと、大好物の松葉ガニまで届けさせたんだな ワンコ
毎年暮れに、お歳暮で届いていたカニが、去年からワンコの誕生日の前後に届くようになったのは、
ワンコの仕業なんだろう?

ワンコの花を愛でながら、ワンコがカニを「待ちぼ~け~」と歌いながら食べていたことを話しながら、
楽しい夕食となったのは、ワンコの誕生日だったのに、
ワンコからのプレゼントだね ワンコ ありがとうね ワンコ


いつもは、家庭科のフェルト細工で誕生させてくれたワンコと実家母さんが誕生させてくれた編みぐるみワンコで記念撮影するけれど、
今回、伊勢神宮の おかげ犬 もお仲間になってもらったのには、理由があるんだよ ワンコ
御大の手術の日、帰宅した私を迎えてくれたのが、ワンコからのメッセージだったんだよ
それは、春と秋の例大祭と御大の誕生日に祈念する神社からの、新年の福餅の御案内だったのだけど、
そこに わんこ のことが書かれていたんだよ ワンコ

と溢れんばかりの愛情をあわせもつ犬は、
 最も古くから人と生活を共にしてきました。
 「日本書紀」には山中道に迷った倭建命を導いた白犬や
 狢と果敢に戦いその腹中から勾玉を見つけ出した犬の話など
 人を危機から救い思わぬ富をもたらす霊獣として登場します』
戌の字はもとは
 「作物を刈ってひとまとめに締めくくる収穫すること」
 又「草木が老成し秋に至って熟す義」とあります』

神社からの手紙には、犬の愛情と賢さがピンク色の大文字で記されていて、
その一言一言に、ワンコの愛を感じたんだよ
だから、御大の手術中に読んだ「あきない世傳 金と銀4」(高田郁)の『何処かで見極めをつけなならん』『誰かがぽんぽん、と背中を叩いて差し上げなあきまへんのや』という言葉を、
ワンコからのメッセージと素直に受け留められたんだよ ワンコ
ありがとうね ワンコ

しかしワンコ、驚いたね
エジプトでは、犬は人を導くものとされている、というのは何かで読んで知っていたけれど、
日本では、伊勢神宮のおかげ犬は別格として、
人を導くものとしては、神武天皇を導いた八咫烏だと思っていたのだよ
でも、日本書紀に、道に迷った倭建命を導いた犬のことが記されていたりするというのだから、
犬と人の結びつきの深さ強さが歴史的にも確かなんだと、
嬉しい驚きだったよ ワンコ

そんなことを科学的に証明するデーターも次々明らかになっているんだよ
去年は、「犬は同族よりも人間の方が好き」という記事を読んで、
嬉しいような申し訳ないような気がしていたけれど、
今年は、その逆のデーター「人間は、人間よりも犬が好き」が提出されたんだよ
・・・あんまり大っぴらに人様に言えることではなけどね、
犬とともに暮らしたことがある人になら、共感でき共有できる気持ちだね
愛情ホルモン&「快」感覚
ワンコ 18歳の誕生日 おめでとうワンコは犬みしりが強かったから心配していたんだけれど、天上界に友達がたくさんできたのかな?最近、こっちはすっかり御見限りだなと寂しかったんだ......
ワンコのお告げを、心で受け留めながら頑張ってはいるけれど、 
ワンコの「戌年にはいいことがあるよ」というお告げを信じているから、
ねぇワンコ
戌年の来年には、かえってきておくれよ ワンコ

ワンコ 御誕生日おめでとう

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連作 夢の夢こそ ワンコ

2017-11-25 23:33:55 | 
「どこを歩こうか?ワンコ」 「どのように歩こうかワンコ」 「どんな道も楽しもうワンコ」
「連作 笑える夢だよ ワンコ」

ワンコ 17歳+お空組2歳のお誕生日おめでとう

11月は、ワンコの誕生月でもあるし、このところの我が家の大変さもワンコは知っているから
お告げの本やメッセージを幾つも送ってくれたんだね ありがとうね ワンコ
メッセージのお礼は、次のお手紙で書くとして、
誕生日の日の一通目は、ワンコお告げの本についてとするよ ワンコ

その本は、私が高田郁氏の作品が好きなことを知る、同じく高田郁氏を好きな本仲間から借りたものなのだけど、
このタイミングで読むことができたことに、ワンコの心を感じるんだよ
うたた寝しては自己嫌悪してしまう私の涙を、そっと舐めてくれたワンコにしか分からないことだもんね 

「あきない世傳 金と銀 貫流編」(高田郁)
裏表紙の説明書きより
江戸時代中期、長く続いた不況を脱し、景気にも明るい兆しが見え始めた。大坂天満の呉服商、五鈴屋でも、五代目店主の惣次とその女房幸が、力を合わせて順調に商いを広げていた。だが、徐々に幸の商才を疎むようになった惣次は、ある事件をきっかけに著しく誇りを傷つけられ、店主の地位を放り出して姿を消す。二度と戻らない、という惣次の決意を知ったお家さんの富久は、意外な決断を下す。果たしてその決断は五鈴屋を、そして幸を、どのような運命へと誘うのか。大人気シリーズ第四弾!

第三弾までのあらすじをザッと記しておく。
主人公・幸は、学者の父と その後継者として誉れ高かった兄の二人を次々と亡くし、9歳で大阪天満の呉服商・五鈴屋へ女衆として奉公にあがる。
すると、その聡明さと向学心は、五鈴屋の要石ともいわれる番頭の治兵衛に認められるところとなり、幸は、男の奉公人しか許されない手習いや商売のイロハを学ぶようになる。
めきめき商売の才覚を現した幸は、治兵衛が「あきない戦国時代の武将の器」というほどになり、その才覚が見込まれ、あほボンの長男の後妻に乞われ、長男と死別すると、次男に望まれ再婚し、商売も結婚生活も順調にいっていたのだが、ある時その次男が商いにしくじり姿を消してしまう、というところまでが第三弾。

第四弾は、次男が五鈴屋から姿を消したまま、隠居すると通達してくるところから、話が始まる。
幸の人柄と聡明さと商才を見込んでいる お家さんは、五鈴屋を任せる存在として幸を、養女にしようとするが、かりに五鈴屋の養女となったとしても、大阪には『女名前禁止』(女は家持ちにも店主にもなれへん、男はんの陰に隠れるしかない定めだす)という掟があった。
それでは、結局 幸の才覚は活かされない。

五十鈴屋の危機に、五鈴屋の血(三男・智蔵)と知恵(治兵衛)が、考えたのは、幸を三男・智蔵の妻とし、幸に思う存分商売に励んでもらうということだった。
それが、女衆に戻ってでも五鈴屋で商売をしたい幸にとっても、商売はからしきダメだと自認している智蔵にとっても一番だと考えた智蔵は、幸を人形浄瑠璃に誘い、幸に人形遣いになってもらいたいと説得する。
『何の才もない、木偶の坊の私だす。いっそ人形になりきって、幸の思うように動かしてもらいまひょ。遣い手の幸に思う存分、商いの知恵を絞ってもらえるように』という智蔵の説得を聞く幸の耳に、太夫の語りが長く尾を引いて届いてくる。

夢の夢こそあはれなれ
夢の夢こそあはれなれ



本シリーズを読むときは毎回ね ワンコ
幸ちゃんが、次々降りかかる災難を、どのように乗り越えていくのか、
女という理由で制約される 学問や商売の道を、幸ちゃんが、どのように修得していくのか、
ということに関心を持ちながら、幸ちゃんを応援しつつ読んできたのだけれど、
今回は、
女衆だった幸ちゃんへの思いを断ち切り、浮世草子の作家を目指して、9年修行に励み、
そして夢破れて、家へ帰る智蔵に・・・心が痛んだんだよ ワンコ

智蔵について治兵衛が語る言葉が、身に沁みて切なくて、痛い。
~引用はじまり~
『智ぼんの居てはる世界は、ただ精進を重ねたら花が咲く、というものと違います。
 生まれ持っての才、それに何より運が大事だすのや』
『そのどっちも持ってへんのに、夢にしがみつくんは、本人にとっては地獄だすで』

何の情熱もなく、ただだらだらと過ごす九年は、おそらくあっと言う間だろう。けれども夢を形にしようともがく九年は過酷で、決して短くはない。むしろ、人を疲弊させるのには充分過ぎるほど、重い歳月に違いないのだ。

『何処かで見極めをつけなならん。智ぼんにはええ折やと思いますで』

『赤の他人の店の、冷たい板の間で寝た九年。あかんたれで甘えたのぼんぼんが、よう踏ん張ら張ったと思います。智ぼんにしたら、十分に精進を尽くした九年やったはずだす。そろそろ五鈴屋の温い布団で休んだかて罰なんぞ当たりまへん。誰かがぽんぽん、と背中を叩いて差し上げなあきまへんのや』
~引用おわり~

ここに、作者の人生の一部が詰まっていると、私は感じるんだよ
そして、それは私に重なる部分があるから、心が痛いんだよ ワンコ
その痛みを、ワンコ君は、一番よく知ってくれているかもしれないね
だから、この部分を、御大の手術の待ち時間というタイミングで、
そして、自分自身新しい一歩を踏み出し始めているタイミングで、
読むことになったことに、ワンコの心を感じたんだよ ワンコ

何処かで見極めをつけて、誰かが背中を叩かなければならない時がある
・・・・・。

ねぇワンコ 夢は、それを叶えようと努力する者にとっても、叶えようと努力する人を応援する人にとっても、
時として残酷だね
ねぇワンコ 夢破れた者が、夢を実現させようとする者の、駒になるのは、あはれなのかな?

だからってね ワンコ
夢の夢こそあはれなれ、とばかり思っているわけではないんだよ
本書を通じて、ワンコが前向きに背中を押してくれたと思えるから、
頑張ってみようと、前向きな気持ちになっているんだよ ワンコ
そう確信できた色々なことは、又つづくとするね ワンコ

17歳+お空組2歳 おめでとう






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