何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

一人でできること 笑顔のために

2020-04-22 23:00:00 | ニュース
日本山岳会や北アルプスの山小屋の対応を紹介する記事を読み、下記の文を書いていたのだが、たった今、18日付で 「上高地のすべての宿泊施設が休業する」決意を知らせていたことに気づき、胸を痛めている。
「上高地はこれからも、ずっとそこにあり続けます」の文字が、滲んだ。
 
令和元年 5月4日 
御即位をお祝いする一般参賀をホテルのテレビで拝した後、
残雪きらめく穂高のもと、徳澤まで散策
 
<上高地休業の知らせを知る前の、文>
数日前、涸沢の写真とともに北アルプスの山小屋がGWの営業中止とテント泊の自粛要請を出しているという記事を読んだ。それでなくとも逼迫している医療現場を、遭難などで混乱させてはならないという考えだという。
遭難までしなくとも、基本雑魚寝の山小屋は、見事なまでに3密であることを考えれば致し方ないが、それはあくまでGW期間中のことだと思いたい自分がいたことを、今日のニュースで思い知った。
 
<山岳団体、登山自粛を読制「出先の方々に感染拡大」> 4/22(水)5:43 共同通信配信より
新型コロナウィルスの感染が広がる中、日本山岳・スポーツクライミング協会や日本勤労山岳連盟など山岳関係の4団体は、「事態の収束まで山岳スポーツ行為を厳に自粛してほしい」と呼びかける声明を21日までに公表した。他の2団体は日本山岳会、日本山岳ガイド協会。
声明は「都市を離れ、清浄な空気と自然を求めての登山やクライミング行為は、出先の方々への感染を広め、山岳スポーツ愛好者自身が感染するリスクを高める」と指摘。日本勤労者山岳連盟の川嶋高志事務局長は「新型ウイルス対応で、ただでさえ医療体制が厳しい状況にあるのに、遭難事故が起きてはいけない」と理解を求めた。
 
 
 
「事態の収束まで山岳スポーツ行為を厳に自粛してほしい」
夏、事態は収束しているのだろうか?
年に一度の魂の洗濯が今年は叶わないかもしれない、そう思っただけで、ギリギリまでたまっている心の澱があふれ出しそうな気がして、山の写真を検索していたら、励まされるものを見つけた。
 
時事通信配信のニュースより
スイス・アルプスの名峰マッターホルン(4478メートル)の山頂に15日、日本の国旗が映し出された。新型コロナウイルスと戦う世界の人々と絆を強めるプロジェクトの一環で、麓の村ツェルマットの観光局は公式サイトに「日本の友人たちに、この困難を乗り切る希望と強さの印を送る」とメッセージを掲載した。
 
少し励まされた心に、山小屋で愛読している「岳 みんなの山」(石塚真一)の言葉が降ってきた。
一 困難は自分一人で乗り越える
一 誰かの困難は自分一人でも全力で助ける
一 山では笑う
 
体をはって患者の治療にあたってくださる医療従事者の方々
体をはって日々の生活を守るため勤務を続けてくださる方々
そのような方々に心から感謝しながら、「国破れて山河あり」とならぬことを願いながら、連休中は家にとどまろうと思う。

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iだよ愛 ③

2020-04-20 09:51:25 | 
ワンコが天上界の住犬になって4年と2カ月
緊急事態宣言なるものが全国に発令されて、もうとんでもない事態になっているよ ワンコ
3月からのリモート在宅勤務で良かったことといえば、
ワンコの日が平日でも、ワンコ聖地にお参りできることだな
ほんと、大変なことになっているよ
年明け早々ワンコがお告げしてくれていた本から察するに、
ワンコはこうなることを予測していたんだね
 
今月の本は、これまた強烈に予言的なものだから、
陰謀論やら検査体制の不備やらに思いを巡らせながら、ゆっくり読んでみるね
だから、感想は少し先になるかもしれないよ
せっかくタイムリーな本をお告げしてくれているのに、ゴメンねワンコ
 
でさ、今月のワンコの日は、先月の「iだよ愛」の締めくくりをしておくね
 
「ムゲンのi」(知念実希人)
 

今年の本屋さん大賞にもノミネートされている発売から間もないミステリー小説なので、詳細に内容を書くのは控え、あらすじを一言でいうと、若き女性医師が奇病の治療をする過程で世間を騒がす事件を解決するというミステリー、といったところか。
もう少しだけ詳しく書くと、主人公は、眠り続ける奇病(突発性嗜眠症候群 イレス)の患者を抱える若き神経内科医の愛依(あい)。原因不明で一月以上も眠り続ける患者の治療に行き詰った愛依は、霊媒師であった祖母の「患者の夢に入り込み、魂の救済をすれば目覚める」というアドバイスに従い、患者のムゲンの世界に入っていくのだが、そこで知ったのは、世間を賑わせていた幾つかの事件の断片だった。
そんな愛依を助けるのが、愛依の魂の分身であるククル(うさぎ猫)・・・・・ファンタジーが苦手な私は、この手の本が苦手であるし、ご多分に漏れず本書の帯も「予測不可能な超大作ミステリー」だの「魂を揺さぶるどんでん返し」だのと誇大表示なので辟易としたのだが、一気読み間違いなし、という点には大いに賛成しながら読み終えた。

予測不可能といいつつ途中でなんとなく結末が分かってしまう本書の魅力は、
私にとってはククルなんだな 
そしてククルの存在から思い出したのが、「デミアン」(ヘルマン・ヘッセ)だったんだな 
患者の夢に入り込んで、ククルと相談しながら事件を解決していくなかで、愛依は自分を見つめなおすことを覚えていくんだよ 
その過程と結末は、「デミアン」に似ているように思えたんだよ 
デミアンは物語の最後ジンクレエルの前から姿を消す前に、こう言うね

『君はたぶん、いつかまた、僕を必要とすることがあるだろうね ー中略ー  
   そうなって僕を呼んでも、僕はそんなとき、そう手軽に、来はしないよ。
   そんな時はね、君自身の心に耳をかたむけなければいけない。
   そうすれば僕が君の心のなかにいるのに、気が付くよ』(『 』「デミアン」より)

「デミアン」のデミアンと「ムゲンのi」のククルは、果たす役割が似ているし、
自分自身が心を声に向き合う大切さを説いて物語を終えるという結末も似ているね

ねぇワンコ 
結末の予測がつくミステリー(しかもファンタジー)を一気に興味深く読めたのは、
おそらくククルにワンコを重ねていたからだよ 
ワンコが天上界の住犬になってから、自問自答するとき思い浮かべるのは、ワンコだよ 
重要な問題に対峙するとき、答えを見つけてくれるのは、自分の深いところにある自分であり、
それはデミアンだという「デミアン」 
私にとってのデミアンはワンコだと思ってきたから、
「ムゲンのi」でデミアンと同じ役割を果たしているククルが、ワンコ同様とってもキュートなことが嬉しく、一気読みしたんだよ 
ねぇワンコ 
本書でワンコは、姿は見えなくても、心に耳を傾ければ心のなかのワンコとお話しできるよ、と教えてくれているんだろう 
ありがとうね ワンコ

今年は年明け早々予言めいた本ばかりお告げしてくれたワンコ
来月はぜひ、明るい未来を(嘘でも)見せてくれるような本をお願いするよ ワンコ
だって、もうこの国はかなり切羽詰まってるだろう
そんなことはもう百も承知だから、
お告げの本の中だけでも、美しい夢幻の世界を見させておくれ ワンコ

追伸
しかし、本書は一つ恐ろしいことをさりげなく示しているね 
能力のない精神科医は害悪だということ 
もっと恐ろしいのは、精神科医が患者を意のままに操つり患者を破滅させること
そのことを疑い考えてきたことをワンコは知っているから、
本書で、その恐ろしさを示してくれたんだろう ワンコ 
これからも考えるヒントをおくれよ ワンコ

 

🐾ワンコからのお返事🐾
バカだな君は
夢幻の世界の本なんて・・・夢幻とは儚いんだよ
君の好きな敦盛も言ってるだろう、
「人間50年、下天のうちを比ぶれば、夢幻のごとくなり」
50だよ50
終わっちまうよ


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バカすぎて 清明の夜

2020-04-12 23:53:05 | ひとりごと
ついにやってしまった。
 
緊急事態宣言を受け、一層リモート勤務が進むことが分かっていたので、とりあえず我慢してやり過ごそうと思っていたが、金曜夜のミーティングでブチ切れてしまった。
 
「バカすぎてpart2」で、自戒を込め「判断力」の重要性を書いていたが、ブチ切れてしまった時の自分に、冷静な判断力があったかどうかは、正確なところ分からない。だが、「判断力」の必要性を書いていた本は、もう一つなるほどと思うことを書いていた。
 
『大切なことと、目くじらを立てるほどでもないことを区別しているだけだ』
 
「隠密捜査8 清明」(今野敏) (『 』「隠密捜査8 清明」より)
 
神奈川県警刑事部長に着任した異色の警察官僚・竜崎伸也。着任早々、県境で死体遺棄事件が発生、警視庁の面々と再会するが、どこかやりにくさを感じる。さらに被害者は中国人と判明、公安と中国という巨大な壁が立ちはだかる。一方、妻の冴子が交通事故を起こしたという一報が入り……。リスタートで益々スケールアップの第八弾!
 
 
「隠蔽シリーズ」が初めて世に出たのが2005年。
最新刊の「隠蔽捜査8 清明」を含め、15年の間に10冊出版されているので、今更 個々の事件や特徴を記すことは難しいが、本書の見どころは、誰もが大なり小なり身に覚えのある出世欲・俗物感が満載のヒラメ刑事部長と、原理原則に基づいた徹底した合理主義者の主人公・竜崎の掛け合いだ。
 
根っこのところはお人好しでお調子者で憎めないが、とにかく自分の行動が人の目にどう映るのか、自分が出世するにはどう動くのが得なのか、それがヒラメ刑事部長の一番重要な行動指針だ。
そんな伊丹ヒラメ刑事部長は、今回の事件が公安と外務省の管轄に関わると知ると、早速政治力を働かせようとする。
 
「組織があるところには必ず政治があり、それをコントロールするのが官僚の務めだ」という伊丹に、『そうじゃない。そんなものは官僚の務めでも何でもない。官僚の務めは、国家の仕組みをできるだけ合理的に運用することだ』と言い張る原理原則主義者の竜崎。
それに対し、「お前が合理的だと考えることを、そう思わないやつもいる。それを従わせるには、政治が必要だ」という伊丹。
そこで出てくるのが竜崎の『必要なのは政治力ではなく、判断力だ』という言葉だ。
 
・・・私は人からどう思われるかを然程気にしないし、もとより出世欲もないので、何か事をなす時、伊丹ヒラメ刑事部長のように政治力を働かせようとは思わない。
そうかといって、竜崎のような徹底した原理原則に基づいた合理主義にも徹しきれないのは、自分の原理原則や自分が考える合理的が他の人と一致していると思うほどに、自分の「判断力」を信用していないからだ。
 
だから、私から見れば宇宙人の如く理解不能な後任二人の振る舞いも、頭ごなしに拒絶するのではなく、とりあえず保留という対応を長く取り続けてきた。
 
しかし、直接顔を合わせてのミーティングの機会が減るであろうタイミングでの金曜日夜は、我慢ならなくなってしまった。
 
あの私からすれば根拠がないとしかいえない自信は一体全体どこからくるのだろうか。
あの自分の権利を主張するにはよく回る頭をなぜ仕事を効率よく回すことに使えないのだろうか。
 
おそらく私が彼らを受け入れがたいのは、能力の問題ではなく  ばかりではなく、仕事振りから透けて見える価値観や行動原理なのだと思う。
それ故、この拒否感はもうどうしようもないところまで来てしまっているように思える。
 
金曜日夜のそれは、私の、「目くじらを立てるほどでもない」という臨界点を超えてしまった。
後任くんのうちの(能力的には)優秀くんの言動は、職務とその遂行の仕方において私が「大切」と「判断」している最後の一線を越えてしまった。
 
結果ブチ切れてしまった。
私のブチ切れは、静かで冷ややかで、ほぼ修復はない。
 
理解できない幾つかの点を糺し、相変わらず理解不能なことを残念に思い、静かに下を向き、再び上げた顔に笑顔を張り付け、「良い週末を」と言いその場を離れた。
 
これで、終わりだ。
 
本書では、『大切なことと、目くじらを立てるほどでもないことを区別しているだけだ』という竜崎を、「脇が甘い」と妻は心配する。
どこに竜崎の足を引っ張ろうと手ぐすね引いて待っている者がいるか分からないというのだ。
 
ややこしいことになるかもしれない。
 
子供の頃からの記憶をたどれば、幼稚臭い揉め事に巻き込まれることはあったが、自らが渦中に嵌ったことはないし、まして仕事を始めてこれほどまでに理解不能な対応を見せる人間に出会ったこともない。
 
理解不能だけにややこしいことになるかもしれない。
 
週末は、タイトルにもなった漢詩に導かれるかのように、お酒を飲んだ。
 
清明時節雨紛紛
路上行人欲絶魂
借問酒家何處有
牧童遥指杏花村
 
『清明の時節、雨紛紛。路上の行人、魂を絶たんと欲す。借問す、酒家いずれの処にかある。牧童、遥かに指す、杏花の村。清明の時節、つまり春ですね。雨がしとしと降っていて、道行く私はひどく落ち込んでいた・・・・・。牛飼いの牧童にちょっと尋ねる。どこか酒が飲めるところはないだろうか、と。牧童は、はるか向こうの杏の咲く村を指す・・・・・・。』
 
花散らしの冷たい雨が降る、春の夜
頼みもしないのに、御大が夕食のテーブルに置いたのは、日本酒の「酔心」
 
どんなアルコールもあまり美味しいとは思わないくせに、めっぽう強く、いくらでもイケてしまう私は、どんなに飲んでも酔心にはなれない。
 
また夜明け前に目が覚め、本書の言葉が浮かんでくる。
 
『警察官僚は侍だ。
 腹を切る覚悟はできている』

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バカすぎて Part2

2020-04-06 09:24:05 | ニュース
「やる気のないスタッフにホスピタリティを植え付ける、できるリーダーの心得 77選」というのが、ワンコお告げ本タイトルが自信をもって「バカ」という店長の愛読書だ。
 
「店長がバカすぎて」(早見和真)
 
本が好きという一念で書店員となった女性から見た、バカ上司やバカ社長や、バカ作家やバカ営業や、果てはバカ神様のことが、時に辛辣に時に面白おかしく書かれている。
読み進めている時は、30直前の女性書店員になり切って、バカ店長やバカ社長やバカ神様のバカぶりを、「いるいる、こういう人」と笑っていたのだが、物語の最後の最後に、バカ店長の愛読書「やる気のないスタッフにホスピタリティを植え付ける、できるリーダーの心得 77選」のアンダーラインが引かれていた項目を目にし、ワンコのお告げは何なのかと考えてしまったのだ。
 
第19選 スタッフの不満を毒抜きする心得
第38選 スタッフに帰属意識を植え付ける心得
第50選 それでもやる気の出ないスタッフを本気にさせる心得
第66選 諦めがちなスタッフを諦めさせない心得
第77選 そして誰よりも孤独なあなたを癒す心得
「店長がバカすぎて」より抜粋)
 
リーダーの心得箇条書きを読むまでは、店長のバカっぷりを笑っていたくせに、これを読むなり、どこでも困ったスタッフはいるものだな、この心得はワンコからのお告げなのかもしれない、などと思わず思ってしまうくらいに、私は参っている。
だが、そもそも本書は若い書店員が店長のバカっぷりを笑うもので、この心得もスタッフからすれば、「お前(店長)にだけは言われたくないよ」と思っているようなもの。
してみると、本書の主人公に我がスタッフを置き換えてみると、向こうが私を「バカすぎて」と思っているのかもしれない。
 
一般常識に照らし、私からすれば理解不能な若者たちだが、歩み寄ることも必要かもしれない、かもしれない、と思い先日、ちょっと言ってみた。
「君の意見も一理あるかもしれない」
「でも」、と続けようとした言葉は、自信たっぷりな言葉とともに、遮られた。
「そうでしょう。やっと分かってくれましたか」
 
いやいやいや、「結局、お互いバカすぎて」、言葉もない。
 
だが、新年度二週目、いよいよ非常事態宣言かという事態に、バカすぎる上司とバカすぎる部下が反目していたのでは他のメンバーもまとまらない。
 
反省すべきところは反省し、頑張ろうと思っている。
 
ところで、コロナ禍で激震の走る現在の日本で、バカすぎて!と言いたいところは五万とある。
二枚のマスクを何百億もかけて送るという「判断」もそうだし、姪っ子の人気が更に高まるのを恐れてコロナ禍の対策本部長を務める知事を呼びつけ我こそは次の世を嗣ぐと宣明してやる(その際は、どれほど患者や亡くなる人が増えていても、半旗ではなく、国旗掲揚して祝え)という「判断」もそうだ。
 
ここで「判断」に「 」を付けたのは、先月のワンコお告げ本に「判断」の重要性が書かれていたからだ。
 
それについては又つづく、かもしれない。
 
追伸
実際もう宣言するしかないし、医療崩壊という点では遅すぎる「判断」という気もするが、あの法案の問題点や成立過程の諸々はきれいサッパリ忘れて、まるで猛暑の夕刻夕立を待つような感覚で(ヘルマンヘッセは、第二次世界大戦前の空気をこう表現していた)、今か今かと宣言が下されるのを待っている空気にも違和感を覚えている。
ともかく、そうなってしまえば、又ちがうくそ忙しさが押し寄せてくるので、久しぶりに二日とも休むことができた4・5(土・日)に書きかけたものは掲載しておく。
もしかすると当分、書くどころか、自分のブログに近づくことができないかもしれない、くそ忙しい。
コロナでなく、過労で倒れるぞよ。
 

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バカすぎて Part1

2020-04-05 22:44:54 | 
現在のくそ忙しい理由の一つは、間違いなくコロナ禍にあるのだが、昨年春先に右腕くんが移動になってから溜め込んできた不満鬱憤が決壊してしまったことも、大きな原因だ。
 
年明けからワンコがお告げしてくれた医師兼作家さんの本は「iだよ愛 ②」に書いた「勿忘草の咲く町で」(夏川草介)「泣くな研修医」(中山祐二郎)以外にもあり、そこには、私を含め同世代が問題視していることについて書かれていた。
 
「新章 神様のカルテ」(夏川草介)
魔弾の射手 天久鷹央の事件カルテ」(知念実希人)
 
この二冊はシリーズもので、目新しいことはないけれど安定しているので安心して読めるのだが、ブルータスお前もか、と言いながら読んでいた。
それは、働き方改革の運用のあり方だ。
この改革というか制度は、恩恵を受ける世代に偏りがある。
本書でも、働き方改革のせいで(おかげで)研修医の研修時間(労働時間)が減らされた煽りをくらい、中堅医師に負担がのしかかってくる場面がある。
この手の怨嗟はあちこちで耳にする。
確かに改革せねばならない所は多々あるが、一部を守るために他の一部に大いなるしわ寄せが生じるのでは組織として問題だし、専門性が高い仕事であれば必要とされるスキルが多いのは当然にも拘らず、それを(若者の離職をさけるためという理由で)緩めてしまったのでは、先々苦労するのは本人ではないだろうか。
ましてそれが医師なら尚更だ。
本書のテーマはもちろん医療現場における働き方改革の実態などというものではないが  それだけに、二人の医師が日常の一コマとして敢えて書いていることに興味をもったのだ。
 
ブルータスお前もか
 
右腕くんが昨年春に移動してしまってから、新たに配属された二人は、私にとってはまさに新人類だった。
頭脳明晰温厚誠実な右腕くんの能力が格別に高かったのかは今更云うべきことではないので、後任たちの問題が能力だけなら、私もそれほどイライラさせられないかもしれない。
あのこちらから見れば根拠がないとしかいえない自信は一体全体どこからくるのだろう。
あの権利を主張するのにはよく回る頭をなぜ仕事を効率よく回すことに使えないのだろう。
もう何から何まで感性が違い、これがさとりだかゆとりだかの世代なのかと嘆いていたが、二人が二人ともさとりでゆとりで堂々としているのを見ていると、こちらの方が頑固で頑迷で偏屈で狭量なのかと自信を失いかけていた。
それが、先日ぶらりと右腕くんが訪ねてきて久しぶりに少し仕事を手伝ってくれおかげで分かってしまったのだ。
考えてみれば(考えるまでもなく)、右腕くんの後任たちは、右腕くんよりも一つ二つ年上だけなのだ。
問題は、働き方改革の弊害やさとりやゆとり世代の特徴だけではないのだと。
 
本書に話を戻すと、本書の研修医たちは、先輩医師たちよりは優遇されているとはいえ、日々懸命に努力しているし、新人らしい感性の重要性も描かれている。また先輩医師たちも、治療に真摯に向き合う姿勢を見せることで医師たるものの何たるかを示しているから、私も「今どきの若者」などと十把一絡げに嘆き諦めるのではなく、自らも反省しつつ育てねばならないのかもしれない、、、のかもしれない。
 
そんな時ふと手に取った本が面白かった。
面白いだけで終わるかと思ったが、大切な視点に気付かせてくれたような気もする、かもしれない。
 
それについては又続くとする
 
いやはや、その本のタイトルのように言いたい輩は五万といる!

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