ワンコがいる私① - 何を見ても何かを思い出す で記したように、もともと村上春樹氏は私にとって鬼門で、
本書「女のいない男たち」もあらすじだけでいうと、鬼門たる所以のジャンルなんだけど、
不思議なことに、
本書は、長年ほんとうに長年大切にしてきた本の根幹を思い出させる何かがあるんだよ
pensée
第一編「ドライブ・マイ・カー」は、亡くなった妻を寝取っていた男に復讐するため(素知らぬ顔をして)酒飲み友達になりバーで語り合うという話なのだけど、そこで間男は、こんな言葉を夫に言うんだよ。
『どれだけ愛している相手であれ、他人の心をそっくり覗き込むなんて、それはできない相談です。
そんなことを求めても、自分がつらくなるだけです。
しかしそれが自分自身の心であれば、
努力さえすれば、努力しただけしっかり覗き込むことはできるはずです。
ですから結局のところ僕らがやらなくちゃならないのは、
自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか。
本当に他人を見たいと望むのなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです。』
(『 』「女のいない男」より)
ねぇワンコ
妻を寝取っておきながら、その夫にこんなことを言う間男も間抜けだけど、
復讐のために近づきながら、この言葉を聞き入ってしまう夫も、間抜けに思えるのだけれど、
上記の言葉は、あの本の底に流れる思想を思い出させるだろう? ワンコ
第3編「独立器官」は、後腐れなく不特定多数の女性とスマートに遊ぶことに長けた医師が、身も心も焦がすほど一人の人妻に恋焦がれ、結果盛大な裏切りに遭い、餓死を望む話なのだけど、その医師は、深く人妻を愛し死に至るまで、ずっと自分に問い続けるんだよ
『自分とはいったいなにものなんだろう』 って
第5編「木野」もこれまた妻が、自分の部下と関係をもっていたことを知った男の話なんだよ
妻の密通を知った木野は、それほど愛していなかったのか斜に構えたのか、簡単に離婚し 妻が不倫相手のもとに走ることを認めるのだよ
そうして自分は会社も辞めてしまうのだけど、後になって思うんだ
『おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかったんだ、と木野は認めた。
本物の痛みを感じるべきときに、おれは肝心の感覚を押し殺してしまった。
痛切なものを引き受けたくなかったから、
真実と真正面から向かい合うことを回避し、
その結果こうして中身のないうつろな心を抱き続けることになった。』
本書はね
悩むべき時に悩むべきことにしっかり対峙しないことの問題と弱さを読者に突きつけていると思うんだよ
ではどうやって悩み乗り越えていくのかというと、
自分の心の奥底にあるものに自分自身で真書面から向かい合うしかないというんだよ
そう感じさせる本書を読んで、
本書というか私が持っている村上春樹像と対極にある本と作者を思い出したんだよ
「デミアン」(ヘルマン・ヘッセ)
「自分とはいったいなにものなんだろう」と悩む 思春期から大人にさしかかる青年に、
いつも有効な手立てやアドバイスをする先輩デミアン
本書「女のいない男たち」の何かがね、
デミアンが主人公ジンクレエルの元を去る時に残す言葉を思い出させてくれたんだよ
『君はたぶん、いつかまた、僕を必要とすることがあるだろうね ー中略ー
そうなって僕を呼んでも、僕はそんなとき、そう手軽に、来はしないよ。
そんな時はね、君自身の心に耳をかたむけなければいけない。
そうすれば僕が君の心のなかにいるのに、気が付くよ』(『 』「デミアン」より)
ワンコが本書をお告げしてくれた意図が、
まさか今更 不愉快なあれこれを思い出させるためだとは思えないので、
忙し過ぎて表面的にサクサクと処理して物事を考えなくなっている私への警告として、
「デミアン」を思い出させる本書をお告げしてくれたのだと、思うことにするよ
ワンコ
といってもさ、
秋に日本を襲うとかいう第五波は猛烈に酷いというので、
その準備もかね又また忙しくなりそうだよ
だからデミアンの教えにしっかり従うことができるかは微妙だけど、
本書にでてくるピノ・ノワールは、私も好きなので、
ピノ・ノワールを味わいながら少しでも心の声に耳を傾けるよう努めるよ
少なくともワンコの声にはしっかり耳を傾けるので、
来月のお告げ本もよろしく頼むよ ワンコ