何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

久しからず、苦悩

2018-07-31 12:00:00 | ひとりごと
祇園精舎の鐘の声とまではいかないが、何やら無常観に絡め取られている。
と書いて改めて考えるに、今私を絡め取っているのは、無常観ではなく無情感なのかもしれないと感じている。

西日本豪雨災害は、あれほどの被害をだし、まだ復旧すらままならないにもかかわらず、この国の真ん中あたりを占めている空気は何だろう?と感じていた。
確かに、被災地の酷い映像には胸が塞がれるような思いがして苦しくなるし、災害の復興を待たずして次の災害が起こってしまう平成では、災害への取り組みも災害報道の在り方も難しいのだろうが、最近のお上や報道はあんまりではないか。

そんな情けない世情にもかかわらず、被災地の方ご自身が「崩れかけの崖に向かって言うことなし」の思いを胸にしまい「明日からは、(ブログの内容を、災害とは)違う話題にします、ね」と、こちら側を慮ってくださるのを感じると、自分が読書備忘録なんぞを記しているのは、何か違うような気がしてきて、このところ何も書けないでいた。

勿論このところ書くことができなかった理由はそれだけではなく、なんだかなぁという人となんだかなぁという仕事ぶりの調整という私が苦手とする類のことに忙殺されていたということもあるが、あれやこれや総じて考えるに、世の中ますます悪化の一途を辿っているという結論に達し、言葉を失っていた。

そんな時に、観測史上例をみない進路をとる迷走台風に襲われた。
あわや関東直撃という進路で北上してきた台風12号は、なぜか西に進路を変え、関東から西を縦断した。
一時間に100ミリを超す雨は、’’バケツを引っくり返した’’ という表現では生易しく、まるでダムの放水をぶつけられているかのような水圧だったが、台風のスピードが速かったため被害はなく夜が明けた。

そうして、先日の豪雨被害の被災地を思った。
崖が崩れるほどの豪雨の恐怖は如何ばかりだったろうかと、未だ断水が続く生活はどれほど不自由なものだろうか、と。

そのような状況にもかかわらず、言葉を紡ぎ続けてくれるブログを拝読していると、嘆いてばかりいる自分が情けなくなってきた。

異常な世を、できる限り尋常な心持で過すために、変わらない日常を丁寧に送ろう
というわけで、明日から8月、また読書備忘録を綴りたいと思っている。




追伸
美魔女チェロちゃんへ 
泣けとごとくに海岸に舞うのは砂塵かもしれしれないので、
お口は閉じておかなければならないけれど、
愚痴を溜め込むのは体に良くないので、
いっぱいいっぱいワンワンと吐き出してくださいね








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大っぴらに愛に溺れた、二、

2018-07-24 12:00:00 | 
「大っぴらに愛に溺れた、2、」より

ワンコの日に、ワンコお告げの本について書けなかったのに、
最近グズグズと悩むことが多い私に、
ワンコは、ワンコの日に直接メッセージを届けてくれたね
ビックリしたよ
仕事関係で少し知っているだけの人を通じてのメッセージ
ワンコ なかなか考えたよね

その人が、昨年の秋、柴犬ちゃんを家族として迎えたことは知っていたし、
その人は、私がワンコを愛してることを、知っている?とは思うのだけど、

その程度の(仕事がらみの)知人が、書類に貼ってくれていた付箋に思いがけないメッセージがあったんだよ

『僕は元気にやってます
 〇〇さん(私の名前)も、楽しい夏を過ごして下さい』
というメッセージとともに、柴犬の絵が描かれていたのだけれど、
その柴犬が、ワンコそっくりだったから、
思わず涙が出そうになったんだよ

ちょっと仕事でも煮詰まった気分になっていた矢先のことだから、
その知人の気遣いも有難かったのだけど、
それがワンコそっくりな わんこからのものだったから、
本当に嬉しかったんだよ

ワンコの仕業だろう?

それで、一度は諦めていたワンコお告げの本を読んだんだよ

「ライプツィヒの犬」(乾緑郎)

申し訳ないが、乾緑郎という作家さんを知らなかったし、
本書の主人公の職業である劇作家にも縁がないし、
何より、帯に赤い太文字でデカデカと書かれている、「男と女の・・」云々に興味がなかったのだけど、
ワンコのお告げだと思って読んでみたんだよ 

本書の帯より
『かつて許されぬ愛に溺れた二人。
シェークスピアの翻案で名を成した世界的劇作家が、三十年ぶりの新作『R/J』とともに姿を消した。戯曲に隠されたものは、愛ゆえの絶叫か、憎しみの慟哭か?
「女」は今も愛を求め、「男」は破滅を恐れた。』

『輝かしい経歴から消された、冷戦と演劇に翻弄された過去とは?
気鋭の劇作家内藤岳は、知己を得た世界的劇作家ヘルムート・ギジに師事するため、ドイツに渡った。ギジは冷戦時代、旧東ドイツで体制を批判するシェイクスピアの翻案作品で名を馳せていた。その彼が、三十年ぶりに「ロミオとジュリエット」の翻案「R/J」を執筆中というニュースは世界を驚かせ、原作と翻案が同時上演されることに。だが、新作の完成を待つ中で進む原作舞台の稽古中、女優が重傷を負う事故が発生。直後、ギジが新作原稿とともに姿を消した。岳はルームメイトで演劇研究家の桐山準と協力、ギジの足跡を辿り、やがて彼の経歴から消された闇を知ることに...。』

本書はね、ミステリーには違いないのだろうけれど、
そのネタが、
国際謀略もの風味を醸しだしたい & 劇作家と劇団の内情を曝け出したい
という二刀流で、少しばかり中途半端なんだよ
でも、最後まで読むと、
わんこ好きな私としては腹立たしいものではあるけど、
タイトルの意味もよく分かるし、
その中途半端さが却っていい味を出しているのかもしれないと思えるのだけど、
発売から日が経ってないミステリーだから、
ネタ明かしは、止めておくね

だけど、すごく印象に残る一文があって、
実はそれが、ミステリーを解く際に伏線になってもいる気がするので、
記しておくね

『彼はストレートではなく、まして同性愛者でもない。
 あれは自己愛主義者だ。
 男でも女でもなく、自分しか愛せないタイプの人間だよ。 
 そして、そういうことに、まったく無自覚なところが面白い』(『 』「ライプツィヒの犬」より)

この自己愛主義者という言葉がね、
今の私には、ちょっと突き刺ったんだよ

家族や友人を応援するのは当然だけど、
仕事を含む諸々の関係性の人々を、一生懸命 応援するのも、好きだと思っていたんだよ
だけど最近さ、それって一方通行でしかないのかな?と思うことがあってさ・・・
こちらが、ふつうより配慮や気遣いをしても、
あっという間に、それが当たり前になってしまい、
少しでも不足すると、不満を抱かれかねないのを見ていると、
なんだか侘しくなってしまってね
少しムシャクシャと腐っていたんだよ

だけどさ、
誰かを応援している自分を、
応援している人が上手くいくように、配慮や気遣いがをする自分を、
自己愛主義者だと捉えれば、
まぁ、腹も立たないね
自分が楽しくって、お節介を焼いてるだけ、と思えばさ

ここを読んで、そんな風に思えたから、
今週はかなり開き直って、同僚の顔を見ることもできそうだよ

ねぇ ワンコ
そう考えると、本書のこの件は今の私にとって一番大切な言葉だったんだよ

ありがとうね ワンコ

読みが浅い私だから、ワンコのお告げがすぐには分からないこともあるけれど、
これからも、ワンコは私にとって必要なことを届けてくれると信じて、
また、ワンコお告げの本を読ませてもらうよ ワンコ

また来月もヨロシクね ワンコ







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大っぴらに愛に溺れた、2、

2018-07-20 09:51:25 | ひとりごと
ワンコが天上界の住犬になってから、2年と6カ月
ワンコに触れることができないことを寂しく思わない日は一日としてないのだけれど、
今月はついに、ワンコの日のワンコの時間に、ワンコお告げの本を読み解くことができなかったよ ワンコ

猛烈に忙しいということもあるし、何だかムシャクシャするというものもあるけれど、
何より、あれだけの被害がでて、
この酷暑のなか不自由な日々を送っておられる方が大勢いらっしゃるというのに、
この国の真ん中あたりにある空気も、そこを中心に広がっている空気も、
これから進んでいこうとしている方向も、
なんだか違う気がするんだな 何もかも
その違う!と感じるなかには、
違う!オカシイと感じていながら何も出来ないという、一番タチの悪い自分が入っているから、
なお気分が滅入るんだな ワンコ

そんな時に、ワンコがお告げしてくれた本は、
帯に記された太文字を見る限り、おおよそ私の趣味ではないものだったので、
ワンコもこの暑さでボケてしまったかな?
なんて思ってしまい、なかなか読めなかったんだよ

だって、本の帯には一際目をひく真っ赤な太文字で、
『かつて許されぬ愛に溺れた二人』『「女」は今も愛を求め、「男」は破滅を恐れた』なんて書いてあるんだよ
ねっ、私向きの本ではない、と私が思ったとしても不思議じゃないだろう?ワンコ

だから、ワンコの日のワンコの時間にワンコへのお手紙を書くことができず、
今これを書いているのは、ワンコの日の二日後(22日 23時)なのだけど、
時間マジックをつかって、ワンコの日のワンコの時間にこれを刻印することを許しておくれよ ワンコ

でさ、そのお詫びといっては何だけど、
今年はもう諦めていた睡蓮が今朝 咲いてくれたから、
見ておくれよ ワンコ


ワンコお告げの本については、又つづくとするよ ワンコ

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若人に栄冠を ③

2018-07-19 23:50:05 | ニュース
「君の夏、新しい明日①」 「巨大なお祭り 甲子園②」

今年は、夏の甲子園が100回記念大会ということで盛り上がっているのだが、自分としては今年の夏は終わったも同然だった。

それは、もちろん故障により早々に戦線から離れた J君の気持ちを思ってということもあるが、昨年読んだ「球道恋々」(木内昇)で夏の甲子園が誕生した経緯を知り、主催する新聞社の商魂たくましい二枚舌ぶりに呆れ果てたということもある。(「番外編 aufheben 釣り球②」)そして、その度し難い厚かましさは、この大会の開会式に臆面もなく皇太子ご夫妻のご臨席を仰いだことで、まだまだ続いていることが露呈したが、ここは素直に野球を愛される皇太子ご夫妻が記念すべき100回大会の開会式にご臨席されるというニュースを喜びたいと思っている。

<皇太子ご夫妻、「夏の甲子園」開会式出席へ> TBS News7/14(土) 1:46配信より一部引用
皇太子ご夫妻が、高校球児の夢の舞台、夏の甲子園の開会式に出席されます。
宮内庁によりますと、皇太子さまは、雅子さまの体調に支障がなければ、お二人で、来月4日から1泊2日の日程で兵庫県を訪問されます。
今年、阪神甲子園球場で行われる全国高等学校野球選手権記念大会が100回目を迎えるためで、ご夫妻は、5日に行われる開会式に出席し、第一試合も観戦されます。また、開会式に携わった高校生とも交流されるということです。
皇太子さまが、甲子園に行かれるのは、9年ぶりで3回目です。



皇太子様にとっては3回目となる甲子園開会式だそうだが、初めてご臨席された30年前の70回大会の時には、始球式でマウンドにもあがられている。
また、雅子妃殿下は野球ではないがソフトボールがお得意で、中学生時代には自らソフトボール部を創設され地区大会で大活躍されたという。
そんな御両親のもとに誕生された敬宮様はスポーツ万能で、初等科の運動会でリレーの代表選手に選ばれたり大ピラミッドの最下段を任される御姿が頼もしかったが、初めて野球観戦されたときの可愛らしい御姿も懐かしい。
2009年7月12日、ヤクルト-横浜戦(神宮球場)


御両親とともにWBCの応援をされていた敬宮様は、そこで活躍した内川選手(当時ヤクルト)をたいそう気に入られ、神宮での初めてのご観戦へとつながったというのだが、その時の後日談が、今年5月9日NPB史上51人目の通算2000安打を達成した内川選手の記事で紹介されていた。

<ソフトB内川 愛子さまにもきっと届いた偉業 サイン入りバットの逸話>
スポニチ2018年5月10日 08:11配信より一部引用
内川家には秘蔵の写真がある。皇太子さま、雅子さま、愛子さまとソフトバンク・内川が一緒に写った貴重な一枚である。
09年に世界一連覇を果たしたWBCで活躍した内川を愛子さまが気に入り、同年7月に神宮球場で行われた横浜—ヤクルト戦を観戦した。試合前には「自分でいいのかと思ったけど、愛犬の話をさせていただいた」と共通の話題で盛り上がり、緊張が和らいだことを回想している。
この話には後日談がある。内川は野球に興味を持っていた愛子さまへサイン入りのバットをプレゼントした。どこかに飾ってもらえればという思いだったが、喜んだ愛子さまは下校すると、毎日のようにそのバットを握っては、まさかの「ティー打撃」をしていると聞いた。内川はその姿を思い浮かべ、恐縮するとともに喜びの感情があふれ出た。



内川選手のバットで「ティー打撃」をされるほどの敬宮様は、ソフトボールも得意で球技大会では大活躍されているというので、記念すべき100回大会でお父上と同じく始球式をしてくだされば大変有難いことだが、この夏は英国の名門イートン校へ夏季留学されるので、その雄姿を拝することはできないのが残念でならない。
が、甲子園に関わるすべての高校生に、それぞれの栄冠が輝いて欲しいと願うと同様に、敬宮様におかれても、今年の夏 最高の栄冠を手に入れられることを心から祈っている。

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巨大なお祭り 甲子園②

2018-07-18 12:00:00 | 
「君の夏、新しい明日①」

終わったはずの夏を、暑さとともに引き連れてきたものが二つあるのだが、そのうちの一つに本がある。

「夏の祈りは」(須賀しのぶ)

このところ「祈り」という言葉に拘っていたので、図書館でふと見かけた「祈り」のタイトルが目に留まったのだが、それは甲子園を目指す熱血漢たちの物語だった。

本の帯より
文武両道の県立北園高校にとって、甲子園への道は遠かった。格下の相手に負けた主将香山が立ち尽くした昭和最後の夏。その十年後は、エース葛巻と豪腕宝迫を擁して戦った。女子マネの仕事ぶりが光った年もあった。そして今年、期待されていないハズレ世代がグラウンドに立つ。果たして長年の悲願は叶うのか。先輩から後輩へ託されてきた夢と、それぞれの夏を鮮やかに切り取る青春小説の傑作。

五つの短編集からなる本書は、その一つ一つが、ある高校の野球部の十年ごとの物語だ。
そう、おそらく多分に今年の記念すべき第100回全国高等学校野球選手権大会を意識して書かれたであろう本書は、70回記念大会の出場を目指す北園高校の熱血漢たちの第一話から始まり、第五話は100回大会出場に大手をかけた選手の新たな出発という期待と余韻のなかで完結している。

事ほど左様に作為的な構成をとっている その思惑に乗せられるのは癪ではあるし、私にとっては今年の甲子園は終わったはずにもかかわらず、 のっけから引き込まれたのは、本書の舞台となる北園高校野球部とそのOBの関わりが、母校と非常に似通っていたからだ。
昭和63年 70回大会の時に、北園高校は学校創立60周年だったため、多くの野球部OBが「悲願を達成せよ」の言葉とともに、練習方法にまで嘴を挟むのだが、母校はそれよりもまだ30年も歴史が古かった。
そして、北園高校と同じく、甲子園には出場したことがなかった。
だから、歴代部員の「悲願」の重圧も、『悲願悲願うっせーんだよ。そんなにヒガン好きなら彼岸にでも行ってろ』(p15)の現役部員の嘆きにも見覚え聞き覚えがある。
 
更には、『夏、ベスト4ぐらいまででいいなら、なんとか両立もできると思う。でもさ、今年の四強はマジでやばいって身にしみて知ってるだろ。あいつらに勝ちたいなら、正直両立とか言ってる場合じゃない』(p109)というセリフは、同じく文武両道を目指す校風にあって、「野球が強いときの部員は、偏差値も高い」という、半ば脅しのような先生の言葉に苦笑いする部員の顔を思い出させた。

そして、『走る、捕る、投げる。ひたすらその繰り返し。だが毎日見ていても見飽きることはない。一連の動きの中に見える意図、それがボールを通して伝わっていく様を見るのが美音は好きだった。グラウンド中に瞬く間に張り巡らされていく見えざる糸の美しさ。それを生み出す彼らを見るのが、なにより好きだ。』(p143)の件は、応援団としてベンチ上のスタンドから応援していたあの頃や、今でもふらりと地方大会を見に行ってしまう自分の気持ちが描かれているような気がした。

だが、一番印象に残ったのは、野球の才能にも体格にも恵まれ期待された選手が、選手としてではなくマネージャーとして野球に関わりたいと願う場面での、野球部OB香山(第一話の主人公・主将にして、後に母校の監督となる)の言葉だ。

『ただ泥まみれになってプレーするだけが野球じゃない。
 とくに高校野球は、日本をあげての巨大な祭りみたいなものだ。
 参加する方法や、好きである形は、いくつもあっていいんだよ。
 君が今の形で、野球を愛しているように』(p151)


ねぇJ君
肘を痛め、大学では野球はできないと知ってからも、
リトルリーグの後輩に会えば、
「部活が終われば、たまに練習をつけてやるぞ」なんて先輩風を吹かせていたのに、
今は、野球から背を向けてしまっているようだね

たった18年の人生の大部分を占めていたものが、思いがけない形で幕を閉じたのだから、
今は、心の整理がつかないかもしれないけれど、
そう遠くない時期に、巨大なお祭りを君なりに楽しむ形を見つけてくれると信じているよ
それが、本書で云うところの
『夢を継ぐ者たちに叶えて欲しい』『悲願と口にしながら、夢を託すのだ』という思いに繋がってくれれば嬉しいけれど、
そうでなくても、自分なりの関わり方もあるね
だってさ、OB香山もこう言ってるから
『気負うことはないぞ。今まで通り、楽しんで遊んでこい。
 夏の祈りってのは、基本お祭りだからな。』(p276)

この経験をすべて活かし、新たな道を歩んでいってくれることを、
真っ青なマルコメ頭に向け、祈っているよ J君

でさ、一足先に私は、巨大なお祭りを心待ちにするニュースに出会ったよ
そのニュースについては又つづく

追記
今はまだ心の整理がつかないかもしれないけれど、
文武両道の「文」も、そろそろ宜しく頼むよ J君

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