何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

神が祝福する夢

2015-07-31 12:46:05 | ひとりごと
この夏はお得で良いことがあると思いたい。
そうとでも思わなければ連日の、この暑さ、やってられない。

今年の土用の丑の日が、7月24日と8月5日と2日あるのは、2度も景気づけに鰻を食べねばならぬほど暑いのだと思うとウンザリだが、今日31日の2度目のものは幸せを運んでくれるらしい。

ブルームーン Blue Moon
一月に2回満月がある場合の2度目をブルームーンといい、ブルームーンを見ると幸せになれるというそうだ。

天気にも恵まれそうなので、今夜はブルームーンを仰いで、幸せを祈りたい。

月といえば、夏であろうが浮かぶ詩がある。
『寒月ガカカレバ
 君ヲシヌブカナ
 アシタカヤマノ
 フモトニ住モウ』

大好きな井上靖氏の「あすなろ物語」の主人公鮎太がつくった詩だ。
寒月とは冬の冴えわたった光の月をいうのだとは知っているが、煌々と輝く月が美しく感じられる時は、夏であろうと私には空気が澄んで感じられるので、美しい月を見ると、凛とした気持ちになり「寒月がかかれば」が心に浮かぶ。と同時に、この詩が収録されている「あすなろ物語」の一節が思い出される。
庭の翌檜の老木について
『あすは檜になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。』
このあと『「でも、永久に檜にはなれないんだって!それであすなろうというのよ。」と、多少の軽蔑をこめて説明してくれた』という文が続くが、私は冴えわたる月を見るといつも「あすは檜になろう」と凛と引き締まった気持ちになるので、今夜は大切な人や命の幸せを祈りながら、暑さでボケがまわった気持ちを引き締めようと思っている。

ところで、月といえば敬宮愛子様をご出産されるため宮内庁病院へ向かわれる雅子妃殿下を、美しい真ん丸の月が煌々と照らしていた光景が鮮明に記憶に残っているが、敬宮様ご誕生の日の夜も、美しい月は母と子を照らしていたようだ。

『十一年前 吾子の生れたる師走の夜 立待ち月は あかく照りたり』
宮内庁ホームページより
愛子内親王殿下は平成十三年十二月一日午後にお生まれになり ました。 その日の夜、空に月が明るく照っていたことを皇太子妃殿下には大 変印象深くお思いになりました。 後に、妃殿下にはこの月が十五夜から二日後にあたる十七夜の立待 ち月であったことをお知りになりました。 このお歌は、内親王殿下がお生まれになられた日の夜の光景を懐か しくお思いになりながらお詠みになられたものでございます。

月にも祝福され誕生された敬宮様が「あすは檜になろう」と真面目に努力する少女になられたことが拝察できる文がある。

大きな力を与えてくれた沼津の海   敬宮愛子

 不安な気持ちを抱きつつも、きっと楽しい思い出が作れると言われて出かけた沼津でしたが、初日から練習は厳しく、海に入りたくないと思う時も少なくありませんでした。ただ楽しかったのは、友達との生活と食事、お風呂でした。
 しかし、足の着かない海で泳いで、初めて気持ち良いと感じる日が来ました。三日目に行ったプレ距離泳の時でした。プレの日は、波もなく、太陽が照りつける中での距離泳となりました。海に入るまでは、五百メートルも泳げる訳がないと諦めていましたが、泳いでいるうちに、体の力が抜け、楽しく泳げるようになりました。五百メートルを泳ぎ切ると、海が好きになり、海に入るのが楽しみになっていました。
 迎えた本番の五日目は、潮の流れが少しあり、泳ぎにくいと感じましたが、前日に一キロ泳や二キロ泳を終えた人たちの「頑張れー」という応援の声が聞こえる度に、不思議と力が湧いてきました。無事に泳ぎ切り、みんなと喜びながら頂いた氷砂糖の甘い味は格別でした。
 沼津での生活は、私に諦めないことの大切さを教えてくれ、大きな自信を与えてくれました。沼津の海は、私にとって忘れられない記念の海。六年間の中で、私がいちばん成長できたと感じられる素晴らしい思い出になっています。



学業やスポーツは身分の区別を持ち込むべきではない分野であり、子供時代のそれは後の人格形成という点からも特に厳格に公平であるべきだと考えるので、プールにはいる機会が限られるため水泳が苦手な敬宮様が、小6夏の学校行事の海での遠泳に向け、何年も前から須崎の御用邸で猛特訓を受け、6年生の遠泳に臨まれたのは立派なご姿勢だと思う。

苦手なものから逃げずに努力し諦めないことの大切さを体得された敬宮様が檜になられるよう、幸せを運ぶブルームーンと奇跡を運ぶブルームーンに祈る。

ブルームーン 神の祝福 夢かなう


ブルームーンという薔薇がある。
青いバラの作出は難しく当初は「不可能、かなわぬ望み」という花言葉であったのだが、青い薔薇が誕生したことから現在では「神の祝福、奇跡、夢かなう」となったそうだ。

「あすは檜になろう」と努力を続ける全ての幸せを二つのブルームーンに祈る、文月ブルームーンの夕べ。

無限大の愛情を注ぐ

2015-07-29 12:58:52 | ひとりごと
<巻き添え女性、愛犬助け逃げ遅れか…調布小型機墜落事故> スポーツ報知7月28日(火)7時2分配信より一部引用
東京都調布市の住宅街に小型機が墜落、炎上し8人が死傷した事故で、墜落した住宅で巻き添えになって死亡したとみられる鈴木希望(のぞみ)さん(34)は、炎の中から愛犬を助け出し、自らは力尽きた可能性がある。近隣住民によると、飼っていた9匹のうち、助かった犬は回復後、鈴木さんの母親が引き取るという。
「助かった犬は、(鈴木さんが)上から投げ出したのだと思う」。鈴木さんが住んでいた墜落現場の近くに住む男性は、当時の様子を振り返った。
地区の自治会長らによると、鈴木さんは母親と1週間ほど前に引っ越してきたばかりだった。犬が好きで、仕事はトリマーやブリーダーをしており、自宅でも9匹の犬を飼っていたという。
事故直後の模様を見た近所の女性によると、鈴木さんは小型機の後部が落ちた駐車場の上の住宅2階にいた。炎が燃えさかる中、大窓のところで、ピンク色の服を着て、トイプードルのような犬を抱いていたという。炎は鈴木さんのすぐ近くまで迫っていた。
近くからは「飛び降りろ!」と逃げるよう促す声も飛んでいたという。鈴木さんが、窓から下に向かって犬を投げようとしていたという証言もある。家の前で、鈴木さんの母親と思われる女性が、助け出されたとみられる犬を抱き、「娘が中にいる!」などと叫んでいる姿も見られていた。
鈴木さんは、その後、力尽きたとみられる。



ワンコ好きとしては我が身に置き換えて考え、胸が苦しくなる話である。
「人を導くもの」「犬と人の愛情物語」「岐路に立ち向かう叡智」「命をつなぐ夢」などで人と犬の愛情を書いてきたが、災害・山岳救助犬を例にとることが多く、ワンコが人を助けてくれる本についてを記してきた。が、この事故は逆のケース。
迫りくる火の手を物ともせず犬の命を救おうとした勇敢さと優しさに畏敬の念を覚えているところに、考えさせられる番組を見た。

プロフェッショナル仕事の流儀~7月27日NHK放送
「小さき命に、無限大の力を注ぐ~獣医師・蓮岡元一」

「くまなく見て、じっくり触り、鋭く察する」
日本では今、全世帯の3割がペットを家族として生活している。
人の側で暮らし医療の高度化によりペットの寿命も格段に伸びているが、それに伴う諸々のアレコレも生じてくる。
ペットに医療保険がないことによる金銭的負担も大きな問題だが、それ以上にペットロスの問題も大きいと感じている。

番組では、老化あるいは脳腫瘍を原因としてペットを看取る二組の家族と、家族の心のケアまで心がける蓮岡動物病院の医療関係者を追っていた。
それは、今まさに老犬の(準)介護をしている我が家にも通じる大きな問題だった。

我がワンコは、夜泣きや多少の体重減少という老犬特有の症状はあるものの、疾患という点では悪い所はないので、ひたすら長生きしておくれと祈りつつ世話をする日々だが、ペット仲間が口々にいう「ペットロス」のキツさを考えると、到底その覚悟はできていない。
番組のなかで、ペットを喪う家族のペットロスを少しでも和らげるのは、
「十分に愛した。出来るうる限りのことは精一杯注いだという気持ちが、(※出会えて)ありがとう、に繋がり(※納得した)さようなら、に繋がるようにすることだ」(※は話の筋から私が受け取ったニュアンス)と
蓮岡医師は語っておられた。

ペット仲間からすら、ペットロスのキツさを心配される我が家なので、
「十分に愛した」
「出来うる限りのことは精一杯した」
の二つは肝に銘じたが、ここで気になることを思い出した。

知り合いの医療関係者が考え込んでいた、末期がん患者の介護をする家族の話。
仮に一人をAさんとする。
Aさんは、Aさん自身が倒れかねないと思うほど熱心に誠心誠意看護に務め、周囲の人間は頭が下がる思いだったという。
Aさんの夫も、気持ちが通じたのか(医療者からみれば)穏やかな最期を迎えられたのだが、夫亡き後もAさんを病院で見かける、何故か?
「もっと何かしてあげることがあったのではないか」と思うと夜も眠れないと、心を病んでしまわれた。

仮にもう一人をBさんとする。
Bさんは完全看護を額面通り(以上に)受け留め、周囲の人間からすれば必要最低限の看護しかしなかった。
完全看護を基本とする現在のシステムでは、家族に出来ることは多くはないが、優しさ労わりが感じられない必要最低限の看護のまま、夫は逝った。
それから時を置かずして、知人はBさんと偶然出会う。
「あれが片付くまでは、旅行もお預けだったけれど、これからは楽しむわ」と元気なBさんと出くわしたのは、旅行案内所。

愛情の尺度も、これで十分という感覚も人それぞれ。
極端な例を同時に見た知人は憤慨したり悩んだりしていて、それは当然だと思うが、一般に家庭のなかのことは分からない。むしろ語られないところにこそ真実や重いものがあったりするものだ。Bさんは単に情の薄い人だったのかもそれないが、それぞれの長い時間のなかでの関係性は傍からは分からないので、目の前に見えていることだけで判断することは出来はしない。

だから、本を読む。

まだまだ私は修行不足だ。
語られない思いを汲むことも、精一杯尽くすことの''精一杯''の尺度を測ることも難しい。
まして、愛情だけを溢れんばかりに与えてくれるワンコに精一杯尽くす、の''精一杯''など分からない。
だから、私なりの精一杯を日々頑張り、この精一杯は全き''精一杯''なのかと反省するため、本を読む。

蓮岡医師の番組の最後の言葉
「プロフェッショナルとは、一日一日Maxで仕事をし、また次の日もMaxで仕事をする。その繰り返し」

航空機事故で犠牲となられた女性は愛犬家であっただけでなく、犬に関わる仕事に就いておられたという。
最後の最期までMaxで仕事をし、愛情を注ぎ、精一杯出来うる限りのことをしてくれたことに、
犬たちは「ありがとう、さようなら」とお礼を言っているはず。
そして、愛情あふれる虹の橋の向こうで皆が再開されるよう祈っている。

沈まぬ太陽を心に 其の弐

2015-07-28 17:21:05 | 
「沈まぬ太陽を心に 其の壱」のつづき

「沈まぬ太陽」「白い巨塔」も、絶対的善人・正義派(恩地・里見)と悪者(ワロモノ行天・戝前)がことごとく対峙するという設定でストーリーが進められる。

「白い巨頭」は戝前の人脈と金脈の前に、正義派の里見が敗れ去るところで本来の話は完結していた。
しかし、多くの読者から「小説といえども、社会的絵反響を考えて、作者はもっと社会的責任をもって結末にすべきであった」という声が山崎氏に寄せられ、山崎氏は悩む。
『作家としては既に完結した小説の続きを書くことは、考えられないことであった。しかし、生々しく、強い読者の方々の声に直面し、社会的素材を扱った場合の社会的責任と小説的生命の在り方について、深く考えさせられ』続編を書くに至ったと、「続・白い巨塔」のあとがきで山崎氏自身が書いておられる。

その続編で、胃癌手術の権威であるワロモノ戝前は、自らの胃癌にインオペの状態になるまで気付かず、痛みにもがき苦しみながら死んでいくのだ。
それが勧善懲悪を望む読者の納得のいく結末であったかどうかは分からないが、大学時代に小耳に挟んだところによると、戝前五郎のモデルとなったと云われている神前何某氏は、「白い巨頭」出版も何のその、以後も意気軒昂に活躍されていたのだ。
そして、山崎氏ご自身も、好むと好まざるとに関わらず、それが現実なのだと考えておられであろうことは、「沈まぬ太陽」の結末からもよく分かる。
「白い巨頭」から30年以上たって書かれた「沈まぬ太陽」の正義派の恩地は、日航機事故では遺族に心から誠実に対応し、労使交渉では正義感に燃えて行動するが、超長編の最後にやはり又アフリカに左遷されてしまうのだ。
それは現実社会の、変わらざる現実。
しかし、「白い巨頭」と少し違うのは、左遷された里見が「なんと酷薄な人事」と嘆いているのに対して、同じく左遷された「沈まぬ太陽」の恩地は心に残る一文を残している。

『何一つ遮るもののないサバンナの地平線へ黄金の矢を放つアフリカの大きな夕陽は、荘厳な光に満ちている。
 それは不毛の日々にあった人間の心を慈しみ、明日を約束する沈まぬ太陽であった。』

自分が踏みつぶした人の苦しみも悲しみも我関せずと人を踏み台にして伸し上ろうとするアクの強い者ばかりが跋扈するのが現実で、それは変えられないとしても、「白い巨塔」で読者の惻隠の情にふれた作者は、苦しみを抱えた恩地の心に、「沈まぬ太陽」を燦然と輝かせる。
他者からの価値観の強要に遭っても変わることのない「沈まぬ太陽」~希望~を心に抱く者こそが、真に強い人間なのだと思う。
そして、「沈まぬ太陽」を胸に秘める人々を心から応援したいと思っている。


ところで先頃ある雑誌で行われた「女性が好きな女性」という世論調査で女性皇族としてはただお一人
雅子妃殿下がトップ10にランクインされたという。
10年以上にも及ぶマスコミの大バッシングや、工作員の暗躍さえ疑わせるネットの世論誘導が横行していることに鑑みると信じられない嬉しい結果である。
雅子妃殿下を好きな理由というのが温かい。
「病気と闘いながらご公務をこなされる姿に、胸を打たれます」(57歳・主婦)
「皇族となって病気になっても健気に頑張っていらっしゃる」(64歳・主婦)

空蝉もまだまだ捨てたものではない。
遣りたい放題・言いたい放題が大手を振るっている世界で、男児を産めなかったことを心が病むまで悩まれ、
挙句追い出しにかかられている1人の女性の逆境に、心を痛め応援する人が多くいる。
心に病を抱えながらも懸命にこちら側に踏みとどまられる雅子妃殿下のお心のうちにあるであろう「沈まぬ太陽」に、思いを寄せて応援している人が多くいる。

その人としての優しさこそが、この国の「沈まぬ太陽」ではないかと考えている。

沈まぬ太陽を心に 其の壱

2015-07-27 18:53:54 | ニュース
<住宅街に小型機墜落、3人死亡5人負傷 住民巻き添え10棟延焼 調布>
産経新聞 7月27日(月)7時55分配信より一部引用
26日午前11時ごろ、東京都調布市富士見町の民家に、近くの調布飛行場を離陸した小型飛行機が墜落して炎上、住宅10棟計約230平方メートルが焼けた。小型機に乗っていた男性5人のうち2人と、民家にいた女性の計3人が死亡。小型機の残りの3人と別の住民女性2人が骨折などのけがを負い、病院に搬送された。命に別条はないとみられる。


<住宅街「火の海」、住民ら救助奔走…小型機事故> 読売新聞 7月27日(月)10時18分配信より一部引用
 東京都調布市で26日、3人が死亡、5人が負傷した墜落事故。年1万6000回もの離着陸が繰り返される飛行場のそばで暮らしてきた住民たちは、救助や消火活動に追われ、巻き添えによる犠牲を防げなかったことに悔しさをにじませた。
「ゴゴゴゴというエンジン音が、すごく大きく聞こえた。数十メートルくらい上を飛行機が飛んでいた」
川崎市多摩区の中学3年男子(15)は、調布飛行場の南端に隣接するサッカー場でサッカーの試合をしていて、小型機を見た。「とんでもない低空飛行で、おかしいと思っ た」とも言う。
東京都世田谷区の中学2年男子(13)も、「離陸した飛行機が左に大きくそれて、屋根とぶつかるぎりぎりの高さで、住宅街に突っ込んでいった」と話す。小型機が突っ込んだ住宅街。近くに住むパート従業員の女性(43)によると、 「ガシャガシャ、バリバリ、という音がして、外を見ると真っ赤な火柱が上がり、女性の悲鳴が聞こえた」という。
「まるで火の海だった」。近くの男性(77)は、墜落直後、すぐに現場に駆けつけた。尾翼の残骸が突き出た家から火が上がって「助けてー」と叫ぶ女性の声が何度も聞こえ、「家の中に娘がいるんです」と、助けを求める女性の姿も見た。「火や煙が立ちこめ、助けられなかった」と悔やしがった。



航空機が住宅に墜落して犠牲者がでる国内事故は記憶になく、真っ先に思い出しのが御巣鷹山の日航機墜落事故だったので調べてみると、あの大惨事から今年はちょうど20年の年であった。

航空機関係者にとって、あの大惨事は忘れることの出来ない(忘れてはならない)事故であったはずだが、「災害は忘れた頃にやってくる」の言葉通り最近(愛知で北海道で)小型機墜落の事故は続いているので、安全対策の徹底を願いつつ、8月12日に向け「沈まぬ太陽」(山崎豊子)を読み直そうかと思っている。
ところで、この「沈まぬ太陽」は日航機事故を書いていると思われがちだが、自分としては労使間の抗争の場面ばかりが印象に残っている。
もちろん、御巣鷹山の凄惨な事故現場の描写は生々しく、真夏のご遺体の検視は過酷を究め(普通の)医師では務まらず軍医として修羅場を超えてきた老医師が駆り出されたという場面や、機上死を覚悟した父の遺書などは涙なしでは読めなかったし、遺族が受け取るであろう賠償金を目当てに群がる人間の醜さも余すことなく書かれていて、それらは強烈に印象に残ってはいるが、全体としては人事抗争の話という印象が強い。

そして、山崎作品で多く見られるように、この話も絶対的な正義派(恩地)と悪者(行天)が対峙する形式でストーリは展開するのだが、この展開が顕著な「白い巨塔」のアレコレを思い出すと、私としては何やら複雑なものがある。
「白い巨塔」の主人公、里見と戝前。
ひたすら患者のために身を粉にして尽くす絶対的正義派の内科の里見医師に対して、自らの手術の手技に驕り高ぶる権力欲の塊の悪者(ワロモノ)の外科の戝前五郎。
100%の悪人も100%の善人もいないと私は信じたいので、山崎作品がこれほど善悪を対照的に設定することに多少の違和感はあるのだが、山崎氏ご自身も、悪の定義はともかくアクが強い人間が伸し上っていってしまう世の中を嘆きつつも、それが現実だと受け留め、だから一層のこと里見(恩地)的正義が際立つような筆致をとってこられたのではないかと考えている。

しかし、これでは納得しない読者もいる。
里見が恩地が真摯で立派であればあるほど、左遷され悲嘆にくれたまま話が終わることが納得できない読者もいるのだ。
善と悪の対比と勧善懲悪については、また
つづく。

土曜の頂き物の日

2015-07-25 23:56:02 | ひとりごと
見事な白焼きが届いた

鰻を扱った本を読んだかと考えていたが、和田はつ子氏の料理人季蔵捕物控シリーズの「旅うなぎ」しか思い浮かばない。
この料理人シリーズでは、先付から煮物・焼き物・ご飯までを全て同じ具材で仕立てる「~尽くし」という会席(和食コース)の献立を考える過程と捕物の推理を絡ませるという手法をとっていて面白いが、「旅うなぎ」は図書館で借りて読んだため、どのような料理(鰻づくし)にどのような捕物が絡んだのかは覚えていないので、見事な白焼きを前に、私なりの「鰻づくし」を考えてみた。

うなきゅう
うまき
白焼きの蒸し物(この時期蒸し器を使うのは嫌なので、白焼きにたっぷりお酒をふりかけ、電子レンジでチン)
        これを、おろし山葵で頂くと乙な味。
仕上げは錦糸卵たっぷりの鰻丼

・・・・・と私的「鰻づくし」を考えていたが、説明書きをふと見ると、なんと冷凍保存がきく。
却下、却下、却下。
鰻づくし、却下。
せっかくの特上鰻、パーッと一気に頂くのも良いが、「しぶちん」(by山崎豊子)の私は、冷凍保存してチビチビ大事に頂くことにする。

今日の鰻は、白焼きの蒸し物と鰻丼。
あとは、これまたご近所さんの庭で収穫された立派なオクラを頂き、もずくと合せて酢の物に。

二度あることは三度ある。
上用生菓子作りを習い始めたご近所さんから試作品(とは思えない上品な出来)を頂いたので、土用饅頭のかわりに美味しく頂いた。

今日は「鰻づくし」ならぬ「頂き物づくし」の美味しい一日で大満足のうちに過ぎたが、今夜はワンコのナイトサービスの夜なので、このあたりで失礼する・・・・・鳴きはじめた。

ちなみに、お裾分けを届けて下さるご近所さんは皆さんプチトマト愛子様のファンなので、カゴ一杯の愛子様をお礼にお渡しして、喜こばれている。
今年はイエロートマト愛子様の甘みが特にgood!