何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

ワンコの小夜曲 その弐

2019-01-28 23:51:25 | 
「ワンコの小夜曲 その壱」より

今月のワンコの日は、ワンコが「我が主様」の住犬になってちょうど三年目だったから特別だったのに、
ワンコの日にお手紙を書いたきり、尻切れトンボになっていてゴメンね ワンコ

晩秋以降、忙しいだけでなく、後輩の移動や豹変に心細くなったり落ち込んだりしていたし、
目指すべき方向性も見失いかけていたけれど、
ワンコが読書を強制してくれたおかげで、心が一息ついたのかな
関係が悪化していた後輩と話し合い、一致点が見出せたし、
長いスパンで応援することも思い出すことができ、本当に有難かったよ
ありがとうね ワンコ


仏壇の横に、ワンコの飴と共に鎮座させておくという手段をとってまで勧めてくれた本は、
ワンコお勧めの本としては、意外な題名だったよ

「黒猫の小夜曲 セレナーデ」(知念実希人)

「黒猫の小夜曲」背表紙のあらすじ紹介文より
黒毛艶やかな猫として、死神クロは地上に降り立った。町に漂う地縛霊らを救うのだ。記憶喪失の魂、遺した妻に寄り添う夫の魂、殺人犯を追いながら死んだ刑事の魂。クロは地縛霊となった彼らの生前の未練を解消すべく奮闘するが、数々の死の背景に、とある製薬会社が影を落としていることに気づいて――。迷える人間たちを癒し導く、感動のハートフル・ミステリー。

本書は、「優しい死神の飼い方」(知念実希人)で大活躍したレオ君シリーズの続編だね 
(参照、「我が主様 ワンコ」

本書は発売から日が経っていないミステリーなので、詳細を書くことは控えるけれど、
「優しい死神の飼い方」のレオ君 同様、本書の黒猫のクロは、「我が主様」の御遣いなんだよ
本書でクロが救おうとするのは、殺人事件の関係者の魂だから、強烈にこの世に未練を残しているのだけれど、
地縛霊としてしつこく現世を彷徨うのは、恨みという感情よりも、未練や後悔だというのだよ

仕事を全うできなかった者の、意味のある人生だったのだろうか、という思いや、
自分が存在する(した)理由が分からない、という不安に、
クロは答えていくんだよ (『 』「黒猫の小夜曲」より)


『誰もが人生で、満足した結果を得られるってわけじゃない。
 ただそれでも、何かを遺せればいいんじゃないかな?』
『自分の代で花が咲かなかったとしても、種を植えることが大切なんだよ。
 そうしたら、次の世代が水をやり、芽を育て、そしていつかは花をつけることができる。
 人間っていう生物は、そうやって命をつないできたんだよ。』

『人間は最初からなにかのために存在しているわけではない。
 与えられた短い一生の中で、自らの存在理由を必死に探していかなければならないのだ。』

ねぇ ワンコ
人間は何かの役割をもって生まれてくるわけではないし、
これだと思い定めて頑張ったとしても、満足した結果を得られることばかりでもない、
そんな人間が、
最期の時に「意味のない人生だった」「無為に過ごした」と後悔せずに「我が主様」のところへ旅立つには、
必死で生きるしかないのだと、クロは言うのだよ

『君たち個人個人がすべきことは、与えられた時間を必死に悔いなく生きることなんだと思うよ。
 そして次のジェネレーションの誰かが、その想いを繋いでいってくれる。
 そうなれば、その人生にはきっと意味があったことになるんだろうね』
『肉体は朽ちる。いつかは命を失う。それは君だけでなく、すべての人間の運命だ。
 そしていつ「最後の刻」が来るのかは、人間には分からない。』
『だからこそ、人間はその限られた時間の中を必死に生きるべきなんだよ。
 いつ「その刻」を迎えてもいいいように』


ねぇワンコ
「優しい死神の飼い方」のゴールデンレトリバーのレオ君や、本書の黒猫クロは、
言霊を飛ばして、人の魂と直接会話するだろう
その会話を読んでいると、ワンコを感じるんだよ
うまく言えないんだけどね、
最近ほんとうにワンコを身近に感じるんだよ 
ワンコが言霊を飛ばして話しかけてくれていると確信できるんだよ
その叱咤激励に、どれほど救われていることか 
・・・来月は、心から信頼し頼っていた右腕とも云える後輩が移動してしまうから、
またまた愚痴っぽくなるし、忙しさに心を失くしてしまうと思うので、
強制読書ビタミンをお願いするね ワンコ
またね ワンコ

ワンコの小夜曲 その壱

2019-01-20 09:51:25 | ひとりごと
ワンコが天上界の住犬になった日からちょうど三年
今年の1月20日も、氷雨が降ってきそうな鉛色の空の一日だったよ
まるで今の私の心模様のような空を見上げながら、ワンコの時間を迎えたのだけれど、
お仏壇に手を合わせ、ふと隣の床の間を見ると、ワンコからの贈り物があったから、
救われたよ ワンコ
それは、昨年春旅に使った旅行鞄から家人が取り出し忘れていたもので、
賞味期限が、あと一月に迫った べっこう飴なのだけど、
その飴の名から察するに、これはワンコからのメッセージなんだと思うんだよ
神社の飴
ねっ、ほったんの ’’穂’’ を戴く神社の品なのだから、
これはもうワンコの仕業としか思えないだろう
でさ、その飴は、長く読めないままになっていた本の上にあったから、
もう、その本を読むしかないだろう
ワンコのメッセージだと思って、一語一語噛みしめながら読むしかないだろう
だからさ、他の何もする気力もわかないほど忙しい日を送っているけれど、
え~いままよ と思い、何もかも放り出して、午後からずっとワンコお告げの本を読んでいたんだよ
ありがとうねワンコ

まず、忙しくって心を失くしかけていた私に、本を読む時間を取らせてくれたことに感謝するよ
忙しさに心を失くした状態で、あれこれ頑張るよりも、
本を読むことで、時間的には更に追い詰められても、
心に読書ビタミンを送ってから頑張る方が、建設的な考えが浮かぶような気がしたよ
ありがとうね ワンコ
でさ、その読書の時間も幸せだったのだけど、
そこにあった、ワンコからのメッセージも本当に有難かったんだよ
このところ、
裏切りとは云えないけれど、心底失望することがあって、
自分の方向性にも迷いが出てきて落ち込んでいたんだけれど、
ワンコお告げの本のおかげで、自分の原点と限界を再確認できたから、
かなり救われたんだよ

そんな本については、またつづくとして今日は、
御穂神社からつづく三保の松原から拝した富士山を記しておくよ ワンコ

ワンコのお山とは一味違う富士山を楽しんでおくれよ ワンコ
つづく

写真出典https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BF%9D%E3%81%AE%E6%9D%BE%E5%8E%9F#/media/File:Mt_Fuji_at_Mihonomatsubara.jpg

追記
またまた時間マジックを使ってしまったよ
21日23時 記す

新しい光に導かれる時代

2019-01-19 23:22:57 | ひとりごと
ニュースを聞いた時、自分が何をしていたかを明確に覚えているニュースは、その人にとって重要な、あるいは社会にとって非常に大きなニュースだ、と何かで読んだことがある。
26年前の1月6日の夜 第一報が伝えたニュースは、日本国民の多くが待ちわびていた、大きな嬉しいニュースだった。
もちろん私は、この時 自分が何をしていて、どんなに喜んだかを今もハッキリと覚えている。

その興奮冷めやらぬ1月19日、皇太子ご夫妻のご婚約が決定したのだ。

<皇太子さまと小和田雅子さんの婚約が決定/今日は?> 日刊スポーツ2019年1月19日0時2分配信より一部引用
1月19日=今日はどんな日
皇太子さまと小和田雅子さんの婚約が皇室会議で正式決定(1993)
◆出来事
▼登山家の田部井淳子さんが南極最高峰に登頂。女性初の6大陸最高峰制覇(1991)


御婚約から半年 6月9日の御成婚の日の奇跡的な’’光’’は、強く印象に残っている。
あの日は朝からしとしと雨が降っていたのだが、パレードを前に奇跡的に上がった。
雨で清められた道を、柔らかな’’光’’がさすなか、晴れやかに沿道の観衆に手を振られる皇太子ご夫妻の笑顔も’’光’’輝いておられた。

’’光’’に包まれた あの日に、一体誰が、皇太子御夫妻がこれほどまでの辛酸を舐められることになると想像しただろうか。

週末ようやっとできた時間に、今年の歌会始の御歌を拝見し、「1月19日何の日?」の記事を読み、複雑な思いで いる。
今年のお題「光」を詠まれた皇太子御夫妻のお歌は、これまでの御苦労と優しさと、誠実に歩んだ者だけが見ることができる’’光’’に溢れているように、私には感じられる。

雲間よりさしたる光に導かれわれ登りゆく金峰の峰に 皇太子殿下

大君と母宮の愛でし御園生の白樺冴ゆる朝の光に 皇太子妃殿下

光に導かれ登られたことを詠まれた御歌に、自分の写真を合わせるのは烏滸がましいが、昨年の夏山で暴風雨がやんだ後にあらわれた’’光’’は、忘れることができない幻想的な美しさだったので、どうしても記しておきたくなったのだ。

これまた大変烏滸がましいことではあるが、毎年歌会始のお歌を拝見しては、かってに好きなお歌を決めて楽しんでいる。

朝光(あさかげ)にかがやく御苑の雪景色一人と一匹足跡つづく  承子女王殿下

朝光を、あさかげと読むことを知らなかったのだが、朝の光で「あさかげ」というのは考えれば考えるほど深い味わいがある。


被災者の苦労話を聴きにける七歳が光れる一語を放つ  寬仁親王妃信子殿下

らふそくの光が頼りと友の言ふ北の大地を思ひ夜更けぬ 彬子女王殿下

いろいろ複雑な問題はおありだとしても、二つ並んだお歌は、二つで一つ 何より重要なことを教えてくれている。
大災害が続いた平成の幕が閉じる年の歌会始で、このお歌に出逢えたおかげで、被災地と被災された方々に思いを寄せることができたことは有難かった。

明神岳の向こうからさす朝の光

来年のお題は、御即位された皇太子様がお決めになるという。

いちごを応援 いちごが応援

2019-01-13 23:00:30 | ひとりごと
三年前のちょうど今頃、ワンコはほとんど何も食べられなくなっていたけれど、
最期の一週間、イチゴとカスタードクリームだけは、美味しそうに食べてくれたね
家族は皆 もともとイチゴが好きだったけれど、
あれ以来、我が家にとってイチゴは、救い のような、最後の砦 のような思い入れのある食べ物なんだよ
そんなイチゴが、また私を救ってくれたよ ワンコ


今年最初となるイチゴ
そのイチゴを丹精込めて作って下さる生産者の方は、わんこ にも山・穂高にも御縁があるそうなので、
ワンコの日を前に届いたイチゴに、ワンコの導きを感じるのだけれど、
この、見ているだけで幸せになりそうなイチゴを贈って下さったのが、
’’応援’’の流儀を教えて下さる人生の大先輩だから尚更、
真っ赤で瑞々しいイチゴからエールが届けられたような気がして、
元気をもらい救われたんだよ ワンコ

このところ忙しいだけでなく、久しぶりに嫌な気分に覆われていたことは知っているだろう ワンコ
思いがけない方向に進んでしまっていることに戸惑い抗いながらも、
周囲の人材には恵まれ、これもアリかな?と思いはじめていた矢先の豹変だったから、
本当にショックだったんだよ ワンコ
ねぇ ワンコ 
もしかすると、嫌われるよりも、
大切に想っていた人に、心底失望することの方が辛いことかもしれないね ワンコ

そんなモヤモヤを抱え体調不良のなかバタバタしていた年末年始だったから、
このタイミングで贈っていただいたイチゴのおかげで、
もう一度、’’応援’’の原点を見直す切っ掛けを頂いたような気がするんだよ ワンコ
ありがたいね 

二月いっぱいで、片腕とも云える心から信頼していた後輩が移動してしまうので、
当分の間は私自身に、心身ともに’’応援’’が必要な状態なのだけど、
新しい年度を迎える頃には、少なくとも新しい元号をお祝いする頃には、
尊敬 敬愛する方々や、頑張る人々を心から’’応援’’していける自分になりたいな、と、
真っ赤で瑞々しいイチゴを頬張り、前向きに考えているよ ワンコ

追記
ねぇワンコ
イチゴを見ていると元気が出てきて、’’応援’’を感じたから、
当てずっぽに、「イチゴ」「応援」と検索したら、
なんと「イチゴの日は、15歳の受験生を’’応援’’する日」なのだそうだよ
15の語呂合わせから、イチゴ世代と云われる高校受験を控えた生徒たちにエールを送る日なのだそうだよ
ねぇ ワンコ
やっぱりイチゴと’’応援 エール’’は縁があるね ワンコ

れもん を捧ぐ

2019-01-07 18:00:00 | ひとりごと
今年も、少なくとも当分の間は、本を読む時間がとれない嫌な予感があるのだが、お正月 ある本を再読したのは、数年ぶりに見た紅白歌合戦のおかげである。

その歌を主題歌にしたドラマは毎週楽しみに見ていたし、毎回ドラマの最後の場面 絶妙なタイミングで挿入される♪夢ならば どれほど良かったでしょう 未だにあなたのことを夢にみる♪という歌詞にとても惹かれていたのだが、歌のタイトルは知らなかった。

それを、数年ぶりに見た紅白で聞いたことから、同じタイトルの本を手に取った。

「檸檬」(梶井基次郎)

はじめて「檸檬」を読んだ高校生の頃は、「レモン哀歌」(高村光太郎)といい、あの時代の人達は’’そんなにもレモンを想っていたのだろうか’’ と思ったものだが、「Lemon」(米津玄師)を聞く限りそれは現代も同じ・・・というより寧ろ、名だたる表現者は何故か死と隣り合わせの不安と一瞬の煌めきの象徴として’’檸檬 レモン Lemon’’ を使いたがるようだ。

梶井基次郎は結核や貧困などからくる憂鬱を抱えていたし、高村孝太郎の妻智恵子は死の床にあったし、米津玄師が主題歌を歌うドラマは非業の死をとげたご遺体を解剖する法医学者たちの話だ。

だが、檸檬 レモン Lemon は、死や絶望と隣り合わせにいながら何故か煌めきを持っている。

梶井基次郎は、『檸檬が好きだ』と書いている。
死に至る病や生活への不安を抱え街を彷徨っていた梶井は、一つ檸檬を手にすることで、『不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んで来た』と書いている。

高村孝太郎は、妻智恵子は死の床で『そんなにもあなたはレモンを待っていた』と書いている。
レモンを待っていた死の床は、かなしいけれど白くあかるく、『トパアズいろの香気』さえ立っている。
そして、あなたの遺影の前に『すずしく光るレモンを今日も置かう』と誓う。

今の人 米津玄師もLemonに’’光’’を見ている。


「Lemon」(米津)を聴き、「檸檬」(梶井)を読んだことから「檸檬 レモン Lemon」が持つ死や絶望に思いを巡らせた、が、だからと云え新年早々昏くなっていたわけでは、ない。
勿論 名だたる表現者の感性には遠く及ばないので、死に光を見出すことまではできないが、門松も半分を数えようかという年齢になったので、向かうべき其処をただ昏いところにしたくない、という思いは持っている。

今月は阪神淡路大震災から24年を迎えるし、今日は昨年の西日本七夕豪雨から半年の日でもある。
災害ばかりの平成という時代が終わるにあたり、この時代の禍に遭った人々に れもん を捧げたいと思っている。