何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

zero 0ではない

2020-12-31 20:33:53 | 

今月のワンコの日に、先月のワンコお告げ本の続きを書き、そして大晦日の夜
今月のお告げ本の意味を考えているなどという申し訳ない状態だけど、
ワンコはすべてお見通しだから許してくれるよね
まさか年末押し迫ったここにきて、ここまで酷くコロナ禍の影響を受けるとは思いもしなかったよ
先週はもう自分の方がぶっ倒れるんではないかと思ったけれど、
なんとか乗り切れたのは全て、ワンコのおかげだと思っているよ

だから今日は、
ワンコ聖地をお参りし、仏壇の掃除と正月飾りを心をこめてしたんだよ
そして今、ワンコお告げ本の意味を考えているんだよ

奥穂より常念岳を眺む

「神様のカルテ 0zero」(夏川草介)

本書は読んだことがあるし、
正直なところ、「神様のカルテシリーズ」のなかでは凡庸な作品という印象が強かったから、
ワンコのお告げも、何かの間違いじゃないかと思ったんだよ

さいしょ読み返した時も、ワンコの意図が分からなかったのだけど、
今はこわいような気がしているよ

本書は、このシリーズの所以が記されている「神様のカルテ」を含む四編の短編集からなるのだが、その一つ「冬山記」にある言葉に、ワンコの意図を感じている。

帰る場所がないからこのまま山で死んでもいい、と言う冬の常念岳で滑落した男。
そんな男を、自らの命を危険に晒しながら、救おうとする写真家の言葉が、先月のお告げ本とリンクする。

『帰る場所なんて、自分で作るものですよ』(『 』「神様のカルテ0zero」より)

先月のワンコ生誕祭でお告げしてくれた「犬がいた季節」(伊吹有喜)にあった『迷った時に戻る場所』という言葉。
そういう場所や自分になりたいと強く思うのだが、本書がいう『帰る場所なんて、自分で作るものですよ』も確かな真実だと思う。

上手く言えないけどさ、
『迷った時に戻る場所』と思ってもらえる自分であり続けたいとは思うけれど、そういう自分であるためには、自分の『帰る場所』をきちんと自分で作っておかなければならないな、そんなことを強く考えさせられた、コロナ禍非常事態の大晦日の夜だよ

ワンコ


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くるくる物語 君がいる季節

2020-12-30 12:45:11 | 
もう完全に周回遅れにはなっているのだけれど、
せめて今年のお告げ本は今年のうちに、という立派かつ最低限の目標をたて、認めているんだよ
 
先月のワンコお告げ本「きたきた捕物帖」(宮部みゆき)には、
ワンコの再臨を待つ私には非情な「生まれ変わりなんてない」という言葉があったのだけど、
その直後の生誕祭のお告げ本には、少し希望がもてる言葉もあり、揺れているんだよ
 
生誕祭お告げ本はタイトルもズバリ
「犬がいた季節」(伊吹有喜)
 
昭和の終盤ある高校に紛れ込んだ一匹の白い犬「コーシロー」が、昭和 平成そして令和と、進路や家族関係などに揺れる高校生と彼らのその後の生き方を見守る物語。
本書は、高校で犬を飼えるように学校に働きかけたメンバーである女生徒を中心に、三年ごとに、その年の高3生と犬との関りを短編で繋いでいく連作集なのだが、昭和から平成への時代の移り変わり、阪神淡路大震災、金融恐慌という大きな時代背景と、その当時流行ったもの例えば、「マディソン郡の橋」(ロバート・ジェームズ ウォラー)やルーズソックスに援助交際、たまごっちにノストラダムなどが記されているので、短編のどこか自分の時代を見つけることができ、誰でもそこに自分がいるように感じるかもしれない。
 
そんな本に、ワンコからのメッセージを見つけたんだよ
 
それは、コーシローが、大好きな元女生徒に抱かれながら天上界へ旅立つ場面なのだけど、
その描写がまるで、にこにこ笑いながら眠っていったワンコを思い出させるものだったのだよ
(『 』「犬がいた季節」より)
『なあに、コーシロー。眠いの?笑っているみたい』
という女生徒の頬をコーシローはひと舐めし、目を閉じ、
そうして、思う
『ありがとう、大好きなあなた。次の一生もその次も』
『ずっとあなたたちと、いたいです』
 
ねぇワンコ
笑いながら眠っていったワンコの姿は、私の人生観を大きく変えるものだったんだよ
あのワンコの笑顔を思い出させる場面にある『大好きなあなた、次の一生もその次も』『ずっとあなたたちと、いたいです』の言葉
ワンコからのメッセージだと信じて、
ワンコに会える日を待ち続けているね
 
Mr.Children 「Tomorrow never knows」 MUSIC VIDEO
 
ところでさ、本書では何曲かの歌が効果的に用いられてるのだけど、
そのうちの一つのタイトルが、印象に残ったんだ
「Tomorrow never knows」(作詞作曲・桜井和寿 唄Mr・Children)
要領よく効率よく生きることを第一に志望校を定めた生徒が、
センター試験直後に起こった阪神淡路大震災で何もかも失った祖母と暮らすことになる
孫が聴く曲のタイトルの意味『明日のことは分からない』に意気消沈する祖母を見て、
ただ要領よく生きるだけでいいのか迷い始める
そして、
せっかく合格した大学に進学せずに、医師を目指すために学びなおすことを、コーシローに報告する
 
『真っ白な犬の背を撫ぜ、奈津子はその手を朝日にかざす。
 明日がどうなるか、誰にもわからない。だから必死に学んで、これからこの手を変える。
 生きている者のぬくもりを守る手に。
 明日の行方は、この手でつかむのだ』
 
若者は、こうでなくっちゃね
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
で、独り言なんだけどね
本書にはワンコからのメッセージもあるし、
どこかに私自身も潜んでいそうで、懐かしさもあるのだけれど、
本書の登場人物たちと同世代の君のことが少し気になるよ
 
11月に帰省した時、一回り小さく見えるほど痩せ、表情も暗かったから、
隔週でしかない対面授業のために、一人下宿生活を続けることを心配したのだけれど、
今回帰ってくると、トレードマークの眼鏡をコンタクトに変え、爪にはマニュキュアをしているから、
進振りならぬ一大転換を遂げたのかと、ちょっと心配になり尋ねた私に、
君は笑いながら「コンタクトは、野球のときにサングラスをかけるから。マニュキュアは投球の時に爪に圧力が加わりひび割れるのを避けるため」と答えたね
それはそれでいいのだけれど、
明るい表情が戻っていることも、
受験勉強で落ちていた筋力が傍目にも分かるほど戻りつつあることも、
安心し嬉しいのだけれど、
なんだろうな
自信に満ち溢れた姿に、不安を感じるんだな
 
全方向弱点がない、それがいつか君の弱点にならないかと
 
そんな不安を抱えながら本書を再び手に取ると、目に飛び込んできた一文があるんだよ
 
『迷った時に戻る場所』
 
本書の生徒にとっての『迷った時に戻る場所』は、コーシローと過ごした高校なのだけど、
君にとっては・・・
 
迷い立ち止まることがないよう祈っているけれど、
もし君が迷った時には、戻りたいと思える場所でありたい(あらねば)と思わせる
絶対的安定感が不安定な、君なんだよ

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きてきて物語からの・・・

2020-12-20 05:11:25 | 
ワンコはきっと呆れてるんだろうな
先月のお告げ本の報告と生誕祭りのお告げ本の報告が翌月になってしまっていることを
いや、ワンコは天上界から私たちのことを見守ってくれているから、
このトンデモない事態も知っていて、許してくれているかな?
 
じゃあ何でこのくそ忙しい今、これを書いているかって?
ヤケクソとしか言えないな
すべきことが多すぎて、神経が参ってしまって・・・
何か他のことをしないと、バランスがとれないよ
そんな時に真っ先に浮かぶのが、ワンコの顔だよ ワンコ
 
先月のワンコお告げ本
「きたきた捕物帖」(宮部みゆき)
 
本書では、
宮部みゆき氏の時代物の原点にして?(私的には)最高傑作の「初ものがたり」で謎のままだった稲荷寿司屋の正体が明らかになるというので、
楽しく読んでいたんだよ
べつに人生を考えさせられるような格言が書かれているわけではないけれど、
読み進めるのが純粋に楽しいから、
これは、リラックスするようにとのワンコからの贈り物だと思っていたのに、
物語の最後の最後で、寂しい言葉が書かれていて、
これがワンコからのお告げかと思うと、何かを記す元気がなくなってしまったんだよ
 
それは、
捕物の過程でいろんな生き死にに出くわしてきた親分の、生まれ変わりについての考えの部分なんだよ
(『 』「きたきた捕物帖」より)
『親分自身も、いろいろ調べているうちに、この生まれ変わり話が真実ならいいんだが、と思うことがあったんだって。
 それなら、生き残った者と死に別れた者とがまた会って、もういっぺん幸せになれるんだから』
『しかし残念ながら、真実の生まれ変わりにぶつかることはなかったし、そんな例を耳にすることもなかった。
『人の死だけは、どうやったって取り返しがつかないし、埋め合わせもできない。』
『ーだから地獄や極楽があるんだ。
 現世うつし世の者と、逝っちまった者とをきっちり隔てるためにな。
 諦めきれねぇ現世の者を、諦めさせる知恵だよ』
 
先月のワンコの日を前に、生まれ変わりはない、と書かれた本書を読み、
ワンコに再び会えることを待ち望んでいる私は落ち込んでいたんだけれど、
ワンコは、
そんな私に、ワンコ生誕祭のお告げ本で、少し希望をくれたね
それについては、また記すね
 
って、何もかもが周回遅れになってしまっていること
許しておくれ ワンコ

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あいこが 勝つ②

2020-12-20 00:12:01 | 

もう何が何やら分からなくらなってきた。

異常な忙しさも一段落したかと思いきや、新型コロナの感染拡大の影響が明確に出てきて、綱渡りの毎日のうえ、先日御大が倒れた。
重度の徐脈ということで、今の状態が続くようならペースメーカーを検討しなければならないとのことだが、このコロナ禍、そういった判断や治療にも様々影響がでているようで、懸念は続く。

・・・・・もう、完全に私のキャパを越えてきつつある。

よって、先月のワンコお告げ本の報告続報も 「あいこが勝つ」のつづきも書けないまま、収拾がつかないブログになっている。
ただ、中途半端なままになっていることも、いわゆる一つのストレスなので、簡潔に記録だけしておく。

「あいこが 勝つ②」で記録しておきたかった文書は、敬宮愛子内親王殿下の学習院中等科の卒業文集だ。
敬宮さまのお誕生日に際し、再度それを記しておきたいと思ったのは、「震雷の人」(千葉ともこ)にあった、「一字、震雷の如し」という言葉が印象的だったからだ。
それは、武力で敵を屈服させる時代に、文字(文・法)で世を治めることを目指した人の言葉だった。

(『 』「震雷の人」より)
『なぜ人は字を書くのか。そして、字を言葉として口にするのか。 
 筆鋒日月を巡らし、字勢乾坤を動かすと聞く。要は、書生が俺に言った言葉と同じであろう。
 一字は、天地を揺るがすほどの力を持つと』
『相手の心を動かさねば、真の意味で、人の身体は動かぬ。書生が言った言葉が、ようやく分かった。 
 俺が帝位に就けば、麾下の者は離れていくだろう。これまで、力で屈服させてきたからだ。
 長安で、つくづく痛感した。このやり方では、駄目だと』

敬宮さまの平和を祈る作文、いや平和は人任せにするべきではないという作文は、国連次長の心を動かした。
今年の終戦記念日を前に御所を訪問した国連次長は、敬宮さまの卒業文集に感動し、面会翌日に敬宮さまの作文から二つのフレーズを自身のツイッターで紹介された。

《「平和」は人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築き上げていくもの》
《そう遠くない将来に、核兵器のない世の中が実現し、広島の「平和の灯」が消されることを心から願っている》

相手の心を動かすのは、Y染色体でもなければ、張りぼての学歴でもない。
15歳の少女が書いた文集に、国連次長の心を動かす力がある。

「勝ちでも負けでもなく 愛子」
「あいこが 勝つ」

世界の平和を願って 敬宮 愛子
 卒業をひかえた冬の朝、急ぎ足で学校の門をくぐり、ふと空を見上げた。雲一つない澄み渡った空がそこにあった。家族に見守られ、毎日学校で学べること、友達が待っていてくれること…なんて幸せなのだろう。なんて平和なのだろう。青い空を見て、そんなことを心の中でつぶやいた。このように私の意識が大きく変わったのは、中三の五月に修学旅行で広島を訪れてからである。

 原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった。まるで、七十一年前の八月六日、その日その場に自分がいるように思えた。ドーム型の鉄骨と外壁の一部だけが今も残っている原爆ドーム。写真で見たことはあったが、ここまで悲惨な状態であることに衝撃を受けた。平和記念資料館には、焼け焦げた姿で亡くなっている子供が抱えていたお弁当箱、熱線や放射能による人体への被害、後遺症など様々な展示があった。これが実際に起きたことなのか、と私は目を疑った。平常心で見ることはできなかった。そして、何よりも、原爆が何十万人という人の命を奪ったことに、怒りと悲しみを覚えた。命が助かっても、家族を失い、支えてくれる人も失い、生きていく希望も失い、人々はどのような気持ちで毎日を過ごしていたのだろうか。私には想像もつかなかった。

 最初に七十一年前の八月六日に自分がいるように思えたのは、被害にあった人々の苦しみ、無念さが伝わってきたからに違いない。これは、本当に原爆が落ちた場所を実際に見なければ感じることのできない貴重な体験であった。

 その二週間後、アメリカのオバマ大統領も広島を訪問され、「共に、平和を広め、核兵器のない世界を追求する勇気を持とう」と説いた。オバマ大統領は、自らの手で折った二羽の折り鶴に、その思いを込めて、平和記念資料館にそっと置いていかれたそうだ。私たちも皆で折ってつなげた千羽鶴を手向けた。私たちの千羽鶴の他、この地を訪れた多くの人々が捧げた千羽鶴、世界中から届けられた千羽鶴、沢山の折り鶴を見たときに、皆の思いは一つであることに改めて気づかされた。

 平和記念公園の中で、ずっと燃え続けている「平和の灯」。これには、核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けようという願いが込められている。この灯は、平和のシンボルとして様々な行事で採火されている。原爆死没者慰霊碑の前に立ったとき、平和の灯の向こうに原爆ドームが見えた。間近で見た悲惨な原爆ドームとは違って、皆の深い願いや思いがアーチの中に包まれ、原爆ドームが守られているように思われた。「平和とは何か」ということを考える原点がここにあった。

 平和を願わない人はいない。だから、私たちは度々「平和」「平和」と口に出して言う。しかし、世界の平和の実現は容易ではない。今でも世界の各地で紛争に苦しむ人々が大勢いる。では、どうやって平和を実現したらよいのだろうか。

 何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか。

 そして、唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから。

 「平和」についてさらに考えを深めたいときには、また広島を訪れたい。きっと答えの手がかりが何か見つかるだろう。そして、いつか、そう遠くない将来に、核兵器のない世の中が実現し、広島の「平和の灯」の灯が消されることを心から願っている。 




「あいこが勝つ」という思いでいると、「あいこが勝つ①」で記録していた「あきない世傳 金と銀」(高田郁子)の最新刊にあった古典の件が思い浮かんだ。

遊び人と非人情と優男、揃いもそろって才覚のない三兄弟が潰しかかったお店を立て直す元女衆の幸が、「女名前禁止」の陋習を前に、ナニワを去らねばならない「あきない世傳シリーズ」には、ヤキモキさせられるのだが、本書でもそれは変わらない。
ただ、ならぬものに真正面から挑まず、しなやかに応対して実を取るという手法があることを、じれったさとともに教えてはくれる。
そんな本書シリーズの最新刊に、長年愛読してきた古典の一節があった。

そこにあったのは、菜根譚前集118項
『衰颯的景象、就在盛満中。
 発生的機緘、即在零落内。』

『衰える兆しは最も盛んなときに生まれ、新たな盛運の芽生えは何もかも失った時、既に在る。「菜根譚」ではこのあと「だからこそ、君子たる者は、安らかな時には油断せずに一心を堅く守って次に来る災難に備え、また、異変に際した時にはあらゆる忍耐をして、物事が成るように図るべきである。」という内容に続くのです。』(『 』「あきない世傳金と銀」より)

ご成婚からしばらく経ち、ご懐妊について心無いバッシングに遭われていた頃、雅子妃殿下が「物事はなるようになる」と御会見でお話しされたのが印象的だった。
その時は、「なるようになる」というお言葉が、少し投げやりなものを含んでいるのではないかと心配したのだが、この年になってようやく、「なるようになる」というのは別に諦めたり投げやりになったりするのではなく、あらゆる準備と忍耐でもって「成るように」図ったうえで心静かに結果を受け入れる、ということなのだと思いつつある、と云いつつ、まだジタバタしてもいる。

そのようなことも、この一節で思い出したのだが、これを契機に読み返した「菜根譚」には、「あいこが勝つ」を思わせる一節もあった。

『休与小人仇讐。
 小人自有対頭。
 休向君子諂媚。
 君子原無私恵。』


あいこが勝つ!


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聖母が祈る命の輝きと幸せ

2020-12-10 10:25:00 | ひとりごと
昨日は地久節
皇后陛下のお誕生日

 おめでとうございます

お誕生日のお祝いメッセージなどは、その日にお伝えしてこそなのだが、昨日はいや先週からずっと忙しさと、それに伴う精神的しんどさで身動きがとれず、ついに日を越えての、お祝いメッセージとなってしまった。そんな私の目に飛び込んできたのは、皇后さまの温かいお言葉だった。

<皇后さま57歳、コロナを憂慮  国民「かけがえない存在」> 2020/12/9  00:19 共同通信より引用
皇后さまは9日、57歳の誕生日を迎えられた。宮内庁を通じて発表した文書で、新型コロナウイルス禍で苦境に立たされた国民を案じた上で、「(国民お一人お一人が)幸せであっていただきたいかけがえのない存在であるということを身にしみて感じます」と記した。危険にさらされながら献身的に働く医療従事者を「敬意と感謝の意を表したい」とねぎらった。
天皇陛下と一緒に、生活困窮者の支援団体や障害者施設関係者からコロナが及ぼす影響などについて聞いたことに触れ、「社会的に弱い立場に置かれている人々を支える努力をしている方々の尽力にも、大きなものがある」とした。



国母という言葉には、前時代的な響きもあるし、男児がおられないといことやご病気を理由に「国母に相応しくない」というバッシングに遭われていたこともあり、これまで私は国母という表現が好きではなかったが、今年のお誕生日のお言葉で、国民について「幸せであっていただきたいかけがえのない存在である」と記されていると知り、「国母」という言葉が浮かんだ。

シンクロニシティろいうわけではないが・・・
今日は少し時間ができたので、ワンコの指令(どんな時でも、たとえ少しでも本を読め!)に基づき読んでいると出会った「聖母」という言葉。
 
「常設展示室」(原田マハ)
 
6編の短編集からなる本書は、世界の名画に関わるキュレーターや大手ギャラリーのディレクターにとっての大切な絵とエピソードが連作でつづられているのだが、その三編「マドンナ Madonna」で紹介されていたのが、ラファエロの「大公の聖母」だった。
聖母マリアがイエスキリストを抱く絵なので、「生母」ではなく「聖母」は当然なのだが、母と娘の絆を描いた本編で紹介されていたのが「大公の聖母」だったため、女児であるという理由で,女児しか産めなかったという理由で幾多の困難に遭われてきた皇后さまと敬宮様のこれまでの道のりに、思いを馳せた。
 
大バッシングの最中、長期外国訪問に出発される皇太子さまをお見送りされるお姿に、母と娘の絆の強さと何かとても清らかなものを感じるのだが、この度の「国民お一人お一人が幸せであっていただきたい存在」というお言葉に、物々しい国母でも、血の繋がりだけを重んじた生母でもない、「聖母」を感じた。
 
そんな今日、玄関で咲き誇るシャコバサボテン
 
花言葉 命の輝き
伊勢神宮のおかげ犬のぷりけつはワンコを思わせるよね
先月のワンコお告げ本についても、中途半端なままだし、少し時間ができたら、報告するね、たぶん
 
「今年は,特に命の大切さ,尊さについて改めて深く思いを寄せる年になりました。」というお言葉で始まる 皇后陛下の御誕生日のご感想を改めて拝読し、良い国になるためには、国民一人一人が幸せでなければならないのだと、そのためには命が輝いていなければならないのだと、深く思っている。
 
おめでとうございます

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