「命からがら、間一髪」 「ぜんぶ、山①」 「ぜんぶ、ワンコ 山 ②」より
今年も穂高神社奥宮には、皇太子御一家のお写真が飾られていた。
二年前の2016年8月11日、皇太子御一家は上高地で行われた「山の日」制定記念式典に御臨席された後、(明神池と報道は言うが、正確には)穂高神社奥宮の明神池を訪問された。(上記の写真は、その折のお写真だ)
あの日、偶然にも上高地にいた私達は当初の予定(穂高登山)を変更し、皇太子御一家を奉迎場所で待っていた。
どれぐらい待つことになるかは、規制線を張っている警察関係者にも正確なところは分からないという。
勿論それは、警備上の秘密保持もあるのだろうが、皇太子御一家が式典後に河童橋を御覧になるか否かが決定していないからだという。だが、そんな事など気にすることなく、この式典のご臨席が敬宮様の初めての地方公務だということもあり、居合わせた人々は皆期待に胸を膨らませて待っていた。
そこへ、皇太子御一家は河童橋を御覧にならず、式典後すぐに、白樺荘の横の穂高連峰が望めるポイント(奉迎場所)へ来られる、と連絡が入った。
規制線の前に立つ警備関係者は、「観光シーズン真っ盛りのため、皇太子ご夫妻が、観光客が河童橋を楽しむことを優先して下さり、御自分達はご遠慮されたそうだ」と教えて下さった。
この話で思い出したことがある。
たしか常念小屋に泊まられた折の皇太子様のお言葉だ。(山を歩いていると、山小屋関係者や山の案内人や登山者から様々な話を聞く機会があるのだが、これも、そんなお話の一つだ)
「日本百名山」(深田久弥)を愛読されている皇太子様は、そこに記されている「常念を見よ」という言葉を心に刻みながら常念岳に登られたそうだが、皇太子様が常念岳に登られた日は天気もよく、穂高連峰と槍ヶ岳がそれは美しく見えたそうだ。
いつまでも飽くことなく槍穂を御覧になっている皇太子様に、山の案内人が「いつか槍にも穂高にも登りましょう」と声を掛けると、思いがけないお返事が返ってきたという。
皇太子様は、「槍ヶ岳や穂高は、人ひとりが通るのが精一杯の登山道や岩場がある。自分がそこを歩くと、警備上の問題もあり、どうしても一般の方を足止めにしての一方通行のような形態をとることになるので、一般登山者の方に迷惑をかけることになる。だから、自分は槍にも穂高にも登ることはない」という趣旨のことを仰ったというのだ。
事実、皇太子様はこの常念岳登山の折も、常念岳から蝶が岳へ縦走されているが、蝶が岳から上高地へは下山されず、三股へ下山されている。
これも、観光客が多い上高地へ大勢の伴を引き連れて下山することをご遠慮されたからだと云われている。
日本山学会の会員であり、日本百名山の半数を登られている皇太子様は健脚で、地味ではあってもかなり険しい山に多く登られている。
そんな皇太子様であれば、槍ケ岳も穂高連峰も登ることは容易だと拝察されるが、登山者の安全を優先し、飽かず眺めるほどに憧れておられる槍ヶ岳にも穂高連峰にも登られてはいないのだ。
だが、そんな皇太子様を、穂高の神様はお守りしていると、私は信じている。
奥穂高のてっぺんに鎮座まします穂高神社嶺宮には、安曇野と穂高を守る穂高見神がいらっしゃるが、その奥宮には二年前の山の日の皇太子御一家のお写真が、大切そうに今も飾られているからだ。
あの日、多くの観光客や登山者が喜びのあまり皇太子御一家へカメラを向けた。
それぞれが思い出深い一枚をカメラに収めて今も大切にしていることと思うが、そんな中でも最高の一枚、敬宮様がとびきりの笑顔を向けて下さっているのが、嘉門次小屋の方が撮られた一枚だ。
明神池の側にある嘉門次小屋は、山の宮様と云われた秩父宮殿下と御縁がある。
北アルプスの神々と山の宮様に守られておられる皇太子御一家の、新たな時代への準備となる平成最後の夏であったと思う。
今年も穂高神社奥宮には、皇太子御一家のお写真が飾られていた。
平成30年 8月14日 穂高神社奥宮
二年前の2016年8月11日、皇太子御一家は上高地で行われた「山の日」制定記念式典に御臨席された後、(明神池と報道は言うが、正確には)穂高神社奥宮の明神池を訪問された。(上記の写真は、その折のお写真だ)
四方山祭・四方山話 その壱「山の日制定記念式典」の会場には、当然のことながら招待者しか入れないので、会場のそばに設置されたテレビ中継を見守る人も多くいた。テレビ前には多くの人だかりができており、じっくり見......
あの日、偶然にも上高地にいた私達は当初の予定(穂高登山)を変更し、皇太子御一家を奉迎場所で待っていた。
どれぐらい待つことになるかは、規制線を張っている警察関係者にも正確なところは分からないという。
勿論それは、警備上の秘密保持もあるのだろうが、皇太子御一家が式典後に河童橋を御覧になるか否かが決定していないからだという。だが、そんな事など気にすることなく、この式典のご臨席が敬宮様の初めての地方公務だということもあり、居合わせた人々は皆期待に胸を膨らませて待っていた。
そこへ、皇太子御一家は河童橋を御覧にならず、式典後すぐに、白樺荘の横の穂高連峰が望めるポイント(奉迎場所)へ来られる、と連絡が入った。
規制線の前に立つ警備関係者は、「観光シーズン真っ盛りのため、皇太子ご夫妻が、観光客が河童橋を楽しむことを優先して下さり、御自分達はご遠慮されたそうだ」と教えて下さった。
この話で思い出したことがある。
たしか常念小屋に泊まられた折の皇太子様のお言葉だ。(山を歩いていると、山小屋関係者や山の案内人や登山者から様々な話を聞く機会があるのだが、これも、そんなお話の一つだ)
「日本百名山」(深田久弥)を愛読されている皇太子様は、そこに記されている「常念を見よ」という言葉を心に刻みながら常念岳に登られたそうだが、皇太子様が常念岳に登られた日は天気もよく、穂高連峰と槍ヶ岳がそれは美しく見えたそうだ。
いつまでも飽くことなく槍穂を御覧になっている皇太子様に、山の案内人が「いつか槍にも穂高にも登りましょう」と声を掛けると、思いがけないお返事が返ってきたという。
皇太子様は、「槍ヶ岳や穂高は、人ひとりが通るのが精一杯の登山道や岩場がある。自分がそこを歩くと、警備上の問題もあり、どうしても一般の方を足止めにしての一方通行のような形態をとることになるので、一般登山者の方に迷惑をかけることになる。だから、自分は槍にも穂高にも登ることはない」という趣旨のことを仰ったというのだ。
事実、皇太子様はこの常念岳登山の折も、常念岳から蝶が岳へ縦走されているが、蝶が岳から上高地へは下山されず、三股へ下山されている。
これも、観光客が多い上高地へ大勢の伴を引き連れて下山することをご遠慮されたからだと云われている。
日本山学会の会員であり、日本百名山の半数を登られている皇太子様は健脚で、地味ではあってもかなり険しい山に多く登られている。
そんな皇太子様であれば、槍ケ岳も穂高連峰も登ることは容易だと拝察されるが、登山者の安全を優先し、飽かず眺めるほどに憧れておられる槍ヶ岳にも穂高連峰にも登られてはいないのだ。
だが、そんな皇太子様を、穂高の神様はお守りしていると、私は信じている。
奥穂高のてっぺんに鎮座まします穂高神社嶺宮には、安曇野と穂高を守る穂高見神がいらっしゃるが、その奥宮には二年前の山の日の皇太子御一家のお写真が、大切そうに今も飾られているからだ。
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あの日、多くの観光客や登山者が喜びのあまり皇太子御一家へカメラを向けた。
それぞれが思い出深い一枚をカメラに収めて今も大切にしていることと思うが、そんな中でも最高の一枚、敬宮様がとびきりの笑顔を向けて下さっているのが、嘉門次小屋の方が撮られた一枚だ。
明神池の側にある嘉門次小屋は、山の宮様と云われた秩父宮殿下と御縁がある。
北アルプスの神々と山の宮様に守られておられる皇太子御一家の、新たな時代への準備となる平成最後の夏であったと思う。