何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

最良のものは 先にある

2019-02-23 19:02:23 | ニュース
今日2月23日は、皇太子様のお誕生日でもあり富士山の日でもあることから、日本一の日と云われている。

そんな今日の日から ちょうど一月前の1月23日、皇太子様が最後の講義を行われた。

<皇太子さま、最後の講義=研究生活振り返る-学習院女子大> 時事通信2019年01月23日17時34分配信より一部引用
皇太子さまは23日午後、東京都新宿区の学習院女子大で、「史料と向き合う-40年の研究生活を振り返って-」と題し、学生を相手に講義を行われた。
皇太子さまは同大で、2003年からほぼ年1回のペースで講義を続け、今回で14回目。冒頭、「今回でこの講義も最後になると思います」と述べた上で、大学時代以降続けてきた水運史や古文書に関する自身の研究内容や、史料を読み込む重要性について約1時間20分にわたり説明した。
講義の終わりには、「赤毛のアン」の主人公の「曲がり角を曲がった先に何があるかは分からない。でもきっと一番良いものに違いない」という言葉を引用。「皆さんも希望を持って学生生活やその後の人生を歩んでいただきたいと思います」とエールを送った。


皇太子様は以前 読書感想文の表彰式に御臨席された時にも、「曲がり角を曲がった先に何があるかは分からない。でもきっと一番良いものに違いない」を引用し受賞した子供たちを励まされたことがあるが、新しい時代を迎えようとしている現在、この言葉は我々大人にも勇気を与えてくれるように思える。
そんな「赤毛のアン」だが、「赤毛のアン」といえば思い出す言葉が、二つある。
それらは皇太子ご一家を応援するうえで、あるいは 時に後ろ向きな考えに浸りがちな自分を励ますうえで、大切な言葉だったので、これまでも何度か記してきたが、時代の節目を生きている今、その先の『世はすべてよし』(「赤毛のアン」(モンゴメリ 訳・村岡花子)となるよう願いを込めて、再度記しておきたい。

「赤毛のアン」(モンゴメリ)の訳者として有名な村岡花子氏の大恩師ブラックバーン校長が卒業生へ贈る言葉
Life must improve as it takes its course.
人生は進歩です
Your youth you spend in preparation
若い時代は準備の時であり
because the best things are never in the past,
最上のものは過去にあるものではなく
but in the future.
将来にあります
I hope that you pursue life,and hold onto your hope and your dream until the very end of the journey.
旅路の最後まで、希望と理想を持ち続け進んでいくものでありますように

最上のものは過去にあるのではなく将来にある、という言葉は、アンの「曲がり角を曲がった先に何があるかは分からない。でもきっと一番良いものに違いない」という思いに繋がっている。
そして、このアンの言葉は物語の最後に記されている詩(の一部)に繋がっている。

「赤毛のアン」(モンゴメリ 訳・村岡花子)は、『神は天にあり、世はすべてよし』で物語を終えるが、この詩こそが私が皇太子ご一家を応援するとき何度も胸に刻んだものなのだ。

「春の朝(あした)」(ロバート・ブラウニング 上田敏訳・「海潮音」
時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時(ななとき)、
片岡に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。


時は春 5月1日 皇太子様は即位される

その御世が平穏なことを心から祈っている

皇太子様 御誕生日おめでとうございます

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あした吹く風 吹かす風

2019-02-20 09:51:25 | ひとりごと
ワンコが天上界の住犬になってしまってから3年と1月たってしまったね
ようやく、何を見てもワンコを想い滂沱する、ということはなくなってきたけれど、
その頃から、ワンコが側で見守ってくれていると強く感じるようになっているんだよ
それはきっとワンコお告げの本を読むことで、
魂の会話をしているからだね ワンコ

今月のお告げの本はさ、なんて云うか、驚いてしまったよ
名古屋のお土産 両口屋是清の干支羊羹
お味は兎も角、細工の細かさに感動して写真を撮っていたのだけれど、
それをここに記す理由は、ワンコと私の秘密だね


私・・・をよく知る人が勧めてくれた ある本が、タイミング的には「お告げ」っぽかったのだけど、
右腕だと信頼していた後輩の移動が早まり、忙しいのと寂しいのとで、読めないままになっていたんだよ
あんまり忙しく憂鬱で遣りきれないから、ワンコ聖地にお参りして、
その帰りに立ち寄った図書館で、本当のワンコお告げの本に出会ったんだな

「あした吹く風」(あさのあつこ)

あさのあつこ氏の代表作「バッテリー」は、野球小僧の「なんか違うんだな」の言葉に従い読んでいないので、
果たして、あさのあつこ氏の野球もので、ワンコは何を伝えようとしてくれるんだろう?と思ったのだけど、
このタイトルを、ワンコは伝えようとしてくれてるんだな、と手に取ったんだよ
だけど、
野球モノではなかったね ワンコ
まさかの恋愛モノだよ
しかも、34歳の歯科医と17歳の高校生の恋愛だよ
しかも、一ページ目の一行目、
のっけから、『殺しちゃえば。』で始まるんだよ
なんなんだよ ワンコ

まっ ワンコからの強烈なメッセージは受け取ったよ ワンコ
でも、そのメッセージはきっとうまく消化できないし、
それはワンコと私だけの秘密だから、
ここには、作中面白いなと思った言葉を記しておくよ(『 』「あした吹く風」より)

『悩みごとなんて次から次へ、ぽこぽこ湧いてくる、残飯にたかる蠅より始末が悪い』

『世の中なんて、残飯にたかる蠅より始末が悪いちゃっちな悩みだらけだ。
 まともに相手してたら身がもたないって、だから、おれは本当に悩まなきゃいけないことしか悩まないんだ』

『悩みにちゃっちとか偉大とか、差異があるのだろうか。極めて個人的なものであっても国家、世界に関するものであっても、悩みは悩み。残飯にたかる蠅より始末が悪い。蠅は駆除すればすむけれど、自分に纏わりつく悩みを殺すころはできない。
決断するしかないのだ。
断ち切る。あるいは諦める。一方を選び、一方を捨てる。一歩踏み出す、一歩さがる。
どこかで決断するしかないのだ。人である証のように悩みはぽこぽこと湧いてくる。どこにいても、どのように生きてみても同じだと思う。
だから、逃げるわけにはいかないのだ。』

ねぇワンコ
ぽこぽこ湧いてくる悩みの種を、きちんと悩まず決断もせず、
流れにまかせて、一歩進んだり退いたりする一年だったけど、
どのように生きてみても同じなのだということは、
この年になり、ようやく分かってきたよ
言い訳だけどね ワンコ
流れに任せる、という選択をして、逃げずに頑張ってみるよ ワンコ
来月もヨロシクね


追記
本筋とはまったく無関係な感想しか記さないのは何なので、
少しだけ気になった表現も記しておくよ・・これとて本筋とは無関係だけどね

その1
『媚茶』
『だれかに媚びるような艶めかしい色やろ』

15歳の主人公には、媚茶の艶めかしさが分からなかったけれど、
この年で初めて媚茶という言葉を知り検索した私にも、
媚びるような艶めかしさは、分からなかったよ

その2
「朝、起きぬけにコップ一杯の水を飲むと病気にかかりにくくなる」
と信じている主人公の母
果たしてこの健康法は正しいのかな?
簡単だから試してみようかな

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春 遠からじ 

2019-02-16 21:59:47 | ひとりごと
毎年お正月にあわせて御大が仕立てる、松竹梅の盆栽。
その梅が、そろそろ冬の終わりを告げている。


母の実家の家紋が梅鉢のせいか、あの高貴な香りが好きなせいか、子供の頃から梅には思い入れがあったのだが、十数年前から梅というと物悲しさが ついて回るようになった。

梅咲けど 鶯鳴けど 一人かな 

ライオン丸総理が、「党議拘束をかける」とトレードマークの髪を振り乱し、その成立に向け粘った法案が、本丸の裏切りに遭い頓挫した。
8割を超える国民の賛意や有識者の答申を受けた総理の意気込みが打ち砕かれた夜、ぶら下がり記者の質問に答え、総理がひっそりと引用したのが、小林一茶の「梅咲けど 鶯鳴けど 一人かな」だ。

あの時、八割を超える国民の声を信じておれば、各界各層から選ばれた有識者が出した答申に従っておれば、おそらく今の混乱はなかったと思う。

21世紀になるなり、いと高き処が掲げた「日本は女性蔑視でいく」は、近い将来 出産可能年齢の女性が激減するため地方自治体が半減するという未来図を示されても、変わることはなく、やったもの勝ち言ったもの勝ちが大手を振って歩いている。

兄の一世一代の儀式には倹約を迫り プレハブでの神事とあいなるが、自らは10億の仮住まいに33億の本宅改修が「身の丈に合」っていると嘯いている。

「廻る♪め~ぐる~よ因果は」で記した「昨日がなければ明日もない」(宮部みゆき)には、姉が長年に亘り仕出かす不祥事のせいで苦しみ続けた妹の慟哭が記されている。(『 』「昨日がなければ明日もない」より)

『「もう無理です、もうできない」
もうたくさんだ。うんざりだ。力尽きてしまった。
「私を追い詰めている<昨日>は、すべて姉がやらかしたことなのに。私は一度だって自分の昨日を選べなかったのに」』

そんな妹の嘆きに掛けられる言葉は、真実ではあっても、辛く切ない。

『どれほど辛い過去だろうと、それはあなたの歴史です。
 昨日のあなたがあってこそ今のあなたはあり、あなたの明日があるのです。
 受け入れて前向きに進まなければ、幸福な未来への道は開けません。』

かのキャプテンハーロックは「人が人として最も醜いのは、他人を踏みつけにして、自分を立てようとする時」と云っているが、身内にそれをされるほど、物心ともに辛く堪えることはない。
それを、いと高き処が見せつけることほど、民の道徳心に悪影響を与えるものはない。

一旦受け入れることは重要かもしれない。
受け入れたものを熟成させる時間も必要かもしれない。
だが、不適切な状態で放置しておけば、時間をかけて根こそぎ腐ってしまうということを、様々な国の言葉や宗教は教えているのではないだろうか。(「廻る♪め~ぐる~よ因果は」

新しい時代を前に、幸福な未来への道のために前向きに進まなければならない時が迫っていると思っている。

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元気出していきましょう

2019-02-12 19:56:55 | ニュース
昨日の夕方、NHKのドキュメント番組に見入ってしまった。

最近では腹立たしい偏向報道ばかりするので見ないことにしているNHKなのだが、こういった分野に特化してみれば、NHKにはやはり、伝える力というものがある。

白血病から生還し、ピッチに戻ってこられた早川史哉選手を追ったドキュメントだ。
「ひとモノガタリ「それでも、挑み続ける~白血病と闘うJリーガー~」
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92820/2820012/index.html

早川選手を、もう一度選手としてピッチへと向かわせたのは、「(自分が)病気を克服し復帰した姿を示すことができれば、同じ病に苦しむ人たちを勇気づけることができるのではないか」という熱い想い。

昨日は、その想いに打たれ目頭が熱くなったのだが、この早川選手の背中を追わなければならない稀代の選手が、こんなに早くでてしまうとは。

2020東京オリンピックで競泳女子の金メダル候補として期待されている、池江璃花子選手だ。

<競泳・池江璃花子選手、白血病を公表「未だに信じられず、混乱している状況」>
2019年02月12日 14時08分 ORICON NEW一部引用
競泳女子の池江璃花子選手(18)が12日、自身のツイッターを更新し、白血病と診断されたことを公表した。「未だに信じられず、混乱している状況」と心境をつづっている。
池江選手は先月18日からオーストラリアで合宿を行い、今月10日に帰国予定だったが、体調不良のために切り上げて帰国することを7日に発表していた。
ツイッターでは「オーストラリアから緊急帰国し検査を受けた結果、『白血病』という診断が出ました」と公表。「未だに信じられず、混乱している状況」と胸の内を明かしながら、「しっかり治療をすれば完治する病気でもあります」と説明した。
今後の予定について「日本選手権の出場を断念せざるを得ません」とし、「今は少し休養を取り、治療に専念し、1日でも早く、また、さらに強くなった池江璃花子の姿を見せられるよう頑張っていきたいと思います」とつづり、「これからも温かく見守っていただけると嬉しいです」と呼びかけた。


ドキュメントの中で、今の自分が恥ずかしくなるような言葉があった。
早川選手が治療のさなかに綴られているブログの言葉だ。

ブログ 「ただひたむきに」 
タイトル「元気出して行きましょう^_^」
https://ameblo.jp/fumiya-hayakawa0112/entry-12276979455.html

「うまくいかない時に、イライラする気持ちを恥じつつも、イライラしたり焦ったりするのは、目標を持っているからなのだから、目標に向け頑張るという素敵なことを笑顔でやってやるぞ!」と前向きに決意表明する早川選手の言葉は、石橋を渡ろうともせず ただ叩いているだけで焦ったりイラついたりしてしまう私には、突き刺さった。
まして、早川選手の云う「うまくいなかい」が白血病の治療であることを思えば、この言葉にどれほどの重みがあることか。

番組の後ブログを検索し、尊敬の念を新たにしたところでの池江選手のニュースだったので、ショックが大きかったのだが、病を克服し、人として何倍も大きくなって競技に戻った先輩がいることは、池江選手をはじめ多くの同じ病の人の力になると信じている。

早川選手が再びピッチに戻られたように、池江選手もその言葉どおり「さらに強くなった」姿を見せて下さることを願い、心から応援している。

「元気出して行きましょう^_^」
・・・この言葉を贈りたい

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廻る♪め~ぐる~よ因果は

2019-02-07 23:04:02 | 
「善因善果・悪因悪果、勧善懲悪」ときくと、ちょうどいい時間帯にワロモノが退治され、スッキリした気分で番組が終わる時代劇を思い出す。

正直者が損ばかりしているような世の中なので、勧善懲悪がハッキリとした時代劇を見ると溜飲が下がるが、これはあくまで、自分を「正直者」に位置付けているからこその感情だと思う。

だが、こんな言葉を思い出すと、事情は少し違ってくる。

積善之家必有餘慶
積不善之家必有餘殃(「易経」より)

三世因果

「易経」は中国の古典で、「三世因果」は仏教のお言葉。
似たような考えは他の国、他の宗教にもあると思う。
私はクリスチャンではないので正確なことは分からないし覚えていないが、クリスチャンの上司が話される教義?に、上記と似たようなお話があった。
旧約聖書の登場人物(このような表現が正しいはずはないが)の誰かが、不適切な行いをしたとする。
すると、神様がお出ましになり、「お前の罪の罰は、何代か後の子孫に下される」「お前の罪のために、後の世の民が流浪することになる」とお告げになり、実際にその子孫や民族に天罰が下ったのだそうだ。

これがどうにも納得できなかった。
「因果応報というものは、あってしかるべきだと思うが、それは間違ったことをした本人が受けるべきで、その子孫や民族が巻き込まれるべきではないのではないか」、私がそんな反論をする度、上司は少し困った顔をしながら、「神様は公平な方なので、そこは見ておられる。子孫が、先祖と同じ過ちを繰り返さず立派に生きていけば、先の預言は取り消される(はず)だが、実際には、この親にしてこの子あり、で家風が正されることはめったに無いので、天罰が下るという預言は実行されてきた」・・・のだそうだ。
では、子孫は仕方がないとしても、それに巻き込まれる民族はどうすれば良いのだ、その疑問というか反発は、残されていた。

昨年 クリスチャンの上司は退職され、聖書の話を伺う機会もなくなったので、この「積不善之家必有餘殃」「三世因果」も忘れていたのだが、最近世を騒がせているニュースと最近読んだ本が、久々にこれらの格言を思い出させた。

「昨日がなければ明日もない」(宮部みゆき)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163909301「文藝春秋books」

杉村三郎シリーズも本書で五作目となるので、今更登場人物を記す必要はないかもしれないが、大財閥の娘婿にして その会社の広報室で編集をしていた杉村が、事件や家庭の事情から離婚に至り、その後 探偵として出会った出来事を描いているのが、本作である。
下町の一角で細々と探偵をする杉村に、驚天動地の事件が持ち込まれるはずもなく、どこにでもありそうな出来事が持ち込まれるのだが、設定がありがちな出来事だけに、細やかに描かれる登場人物の心理描写に、妙にリアリティがあるのが本書の面白味の一つだと思う。

例えば、本書の第一編では大学の体育会系の上意下達の人間関係が問題視されているが、それは幾つかのニュース(レスリングや体操やアメフトなど)を思い出させるし、第三編のあまりに身勝手な離婚・再婚悲劇は、虐待や家族間での殺人事件のニュースの背景の一端を垣間見させているようでもある。

だが今、いや今日私が、因果応報という言葉とともに思うのは、第二編「華燭」についてだ。
今まさに華燭の典を迎えんとしていた花嫁が、思いがけぬ事態のせいで赤っ恥をかき、大勢の披露宴招待客を前にして破談となる話だ。
だが、花嫁はその破談を、『止むを得ない「因果応報」であり、これで親の罪を断つことができた』と受け留めているという、少し切ないながらも、結果的にはなかなか強かな計算が働いているとも思わせる話である。
この花嫁は、今まさに披露宴が始まらんとする時に新郎の裏切りに遭い破談になるのだが、この花嫁の母は、娘の披露宴を遡ること数十年前に、似たような遣り口で姉の結婚を潰しているのだ。
花嫁は自身の破談を、「母が伯母(母の姉)の結婚を潰した罪の報いであり、因果応報だ」と 考えているので、少し切ないのだが、そこは流石に姉の結婚をぶっ潰す人の娘であり、この娘もそれなりに強かな計算をしていると、私は思っている。
そしてそれ故に、まだまだ因果は廻るのでは?と思っている。

我が青春のアルカディア キャプテンハーロックも云っている。
「人が人として、最も醜いのは、他人を踏みつけにして、自分を立てようとする時」

十数年前の今日という日の衝撃を思う時、家という単位で因果は廻る、ことはあって然るべきことなのかもしれない、と考え始めている。








どうでもよい追記
明治以降 父方祖母家系の長子(男子であれ女子であれ)で、ストレートに大学生になった者がいないのは、幕末 佐幕倒幕で主家の命に背き、浪々の身になった御先祖様の因縁なのだろうか。

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