何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

我が家のドクター・ワンコ

2019-06-20 09:51:25 | ひとりごと
ワンコ 
ワンコが天上界の住犬になって三年と5か月
ワンコと過ごした最後の6月も肌寒い日が多く、何度か片付け忘れたストーブをつけたのを思いだす
梅雨寒の6月だよ
 

少し前から庭仕事が億劫になっていた御大がついに菖蒲の世話を放棄してしまったから、
今年は、ワンコにお知らせできるような菖蒲は咲かなかったよ
私も忙しく、ほとんど庭仕事ができない日々だから、寂しい庭なのだけど、
今日ワンコ・ピンクの花が咲いて、少し華やいだ雰囲気だよ
男前で凛々しいワンコなのに、なぜか優しいピンクをまとっていたワンコ
そんなピンクが今日咲いたから、ワンコを強く感じたよ ワンコ

忙しくても本を読め!という指令に基づき、少しずつ読んではいるのだけど、
それを記録しておく時間がないさ
でもって、今月のお告げの本はまだ全部は読めてないんだよ
だから読み終わった時には、また違う感想を持つかもしれないけれど、
ワンコの日なので、ワンコつながりの感想をまず記しておくね ワンコ

「ドクター・デスの遺産」(中山七里)

ドクター・キリコならぬドクター・デスと称する安楽死請負人と、それを追う刑事の推理モノだよ
医療系の本は好きだけど、作者が医療従事者でないものは、逆に避けているのは、ワンコも知っているだろう
著者の中山七里氏の本を読んだことはないし、医療従事者でもないから、迷ったのだけど、
帯に、大文字で「死ぬ権利を与えてくれ」とあり、
続けて「安らかな死をもたらす白衣の訪問者は、聖人か悪魔か」とあったから、
いろいろ思い出してさ 読み始めたんだよ

ワンコがお空にゆく前の半年ほど、
夜中になると、切ないような夜鳴きをするようになったね
どこか痛いところがあるのじゃないか、とワンコ先生に相談したけれど、
「それは認知症の犬特有の鳴き方なんですよ」
「介護する側がまいってしまっては、犬がかわいそうだから、心配しないで寝て下さい」と。
それから始まったワンコの丑三つ時散歩
夜中や明け方にワンコと見る月や星の神々しさは格別で、
私にとっては愛おしい時間でもあったけれど、
連日の寝不足で体はフラフラになっていた、
ちょうどその頃、19歳のわんこを看取った上司がおっしゃったんだよ
「ワンコは偉いね
 人はポックリ逝きたいなんて言うけれど、それは本人の勝手で、残された者はたまったものじゃない。
 ワンコは少しづつ、家族が心の準備をする時間をくれてるんだ」と。

それから数か月、
いよいよ軽くなってしまったワンコに点滴を、とお願いする私に、
ワンコお気に入りの美人先生はおっしゃったね
「人間でいうところの胃瘻のようなことも出来なくはないです。
 あらゆる技術を使えば、心臓を動かし続けることは、可能かもしれません。
 でも、それは わんこが苦しむ時間を長くするだけですよ。
 温かくなれば、どんなに丁寧に介護しても床ずれが起りかねない、
 そうすれば、そこにウジだって湧きかねない。
 そんな思いをわんこにさせたいですか?
 自然の流れに任せましょう」と。

それでも私は、何も決めることができなかった
すっかり軽くなってしまったワンコを抱いて、点滴に通うことしかできなかった

だからワンコはあの日、家族皆で寝ようと誘って、
そうしてお空に旅立ったんだね
それまでの暖冬が嘘のように急激に冷え込んだから、
「今日は皆で枕を並べて寝よう」と言って、ワンコを囲んで眠ったね
あの夜は、ワンコは気持ちよさそうな寝息をたててスヤスヤ眠っていたね
それに安心して皆、久しぶりに熟睡して、
朝目覚めると、ワンコはお空へ旅立つところだったんだね
私の腕のなかで、
眠りながら笑いながら、眠っていったワンコの笑顔は、今も瞼に焼き付いているよ ワンコ

ワンコがさ
私たちに決断させないよう、出発の時を自分で決めてくれたから、
悲しみに暮れるだけの三年と5か月だったけど、
このところ立て続けに届く訃報に思うところはありながら、
忙しさにかまけて、きちんと向き合っていなかったから、
ワンコは本書をお告げしてくれたんだね

皆で笑顔で見送る、100歳を前にした大往生もあれば、
長患いの末に食事を拒否しての最期もあったよ
・・・その亡骸に孫三人が「いじめてゴメンね」と手紙を添えているのを見た時には、胸がつぶれたよ

本書はさ、帯によると、
「警視庁vs闇の医師」「どんでん返しの帝王が放つ、息もつかせぬ警察医療ミステリー」らしいから、
読み終えた時には、今とは違う感想を持っているかもしれないけれど、
「死ぬ権利を与えてくれ」というインパクトのある言葉は、
人生も後半戦に入ろうとしている今、
命にキチンと向き合えという、ワンコのメッセージにも思えたよ

読み終えて報告書を書けるのが何時になるか分からないけれど、
キチンと考えてみるよ ワンコ
その切っ掛けをくれてありがとう ワンコ

ところでさ、上の日本酒の写真が気になっているだろう
父の日に、久しぶりに皆で日本酒を呑もうと選んだお酒なんだよ
なんだか、たくさん神様がいるお酒を飲むとイイことがありそうな気がして選んだのだけど、
あれほどお酒が好きだった父が、私たちに頻繁に注いでくれるから、
ちょっと寂しいような気がしたよ
でも、たくさんの神様に守ってもらって、それぞれ元気に頑張るよ ワンコ
またの報告を楽しみにしててね ワンコ

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それぞれの、君 ②

2019-06-16 17:00:00 | 
「それぞれの、君 ①」より
竹ではないが、たとえば夏野菜を育てない庭は夏にはあらじ 今年の初収穫


「この君なくば」(葉室麟)

本の帯より
勤皇佐幕で揺れ動く九州・日向の伍代藩―。軽格の家に生まれた楠瀬譲は、恩師・桧垣鉄斎の娘・栞と互いに惹かれあう仲であった。蘭学に秀でた譲は、藩主・忠継の密命で京の政情を探ることとなる。やがて栞の前には譲に想いを寄せる気丈な娘・五十鈴が現れるが―。激動の幕末維新を背景に、懸命に生きる男女の清冽な想いを描く傑作長篇時代小説。

本書は、登場する歴史上の人物や実在の藩の記述が史実に合致するのかについて曖昧さがあるし、その曖昧さを利用してえげつない剣権謀術数を書くのかといえば そうでもないので、生意気を云うのを許して頂けるなら、幕末時代物としては少々物足りない。また本書は、一見時代に翻弄される恋愛モノのようだが、めくるめくスペクタクルがあるわけでもなく、予定調和のなかで物語が進むので、恋愛モノとしても少々物足りない。
だが、そこは流石に「我々には葉室麟がいる」というキャッチフレーズが生まれるだけのことはあり、どれほどの激動の時代であっても人々の営みや大切なものは普遍であると教える葉室麟氏の物語は、一服のお茶のように人心地つかせてくれる。

幕末時代物というと、有名どころの多くが佐幕派ゆえの苦しみや倒幕派らしい猛りをキッパリと描いているように感じるが、本書のように 実はどちらに付くのが有利かと様子見をしていた勤王佐幕派も多い。
本書は、そんな藩主に取り立てられた、軽格ではあるが国学・蘭学・和歌を学んだ楠瀬譲が主人公で、彼を通して読者は、治世と尊王について考えることになる。
藩お抱えの儒学者は、「天下は天朝の天下にして、ひとりの天下なり」としたのに対し、国学者(譲の恩師)は「天下はひとりの天下に非ず、天下の天下なり」とする。
だが、こう書いたからといえ、本書「この君なくば」の「君」は天皇でも徳川でもない。

「この君なくば」は「晋書」王羲之伝にある「何ぞ一日も此の君無かるべけんや」 からとったもので、「此君」とは竹の異称である。

主人公・譲が国学を学んだ此君堂の茶室の床の間には、竹をこよなく愛した恩師の手による掛け軸「竹葉々(ようよう)清風を起こす  清風脩竹(しゅうちく)を動かす」 が掛けられていた。
そんな恩師の口癖「この君なくば、一日もあらじ」が本書のタイトルとなっている。
あくまで、「この君なくば、一日もあらじ」の君は「竹」であり、主人公にとっては愛する人(恩師の娘、後に妻とする)なのだ。

もちろん、譲が倒幕佐幕の情報収集に関わる過程で、「この君なくば」の言葉が効果的に用いられるので、「君」に色々ものを見ながら読むこともできるが、そんな一辺倒な見方にもっていかない処に、「我々には葉室麟がいる」と言わしめるものがあるのだと思う。

こうしてみると、「君が代」も(歴史的経緯は様々あれど)、それを人々が口ずさむとき思い浮べるのは、愛するものなのではないだろうか。

自分のこの26年を思い出すと、そこにはいつも心をこめて応援してきた方がいる。
そんな思いも、本書のタイトルはやはり再確認させてくれたが、それと同時にワンコの日に本書をお告げしてくれたワンコの大きな存在もある。

ねぇワンコ
ワンコが天上界の住犬になって三年と五ヶ月が過ぎようとしているけれど、今も私にとっては、
ワンコ 君なくば一日もあらじ だよ ワンコ
季節は移ってしまったけれど、
ワンコが楽しんだ庭のシャクヤクが今年は綺麗に咲いたんだよ

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それぞれの、君 ①

2019-06-16 11:17:35 | 
注、6月9日に書き始めたが今週もバタバタしており、今日に至る。

ワンコが、令和を迎えて初めてのワンコの日のためにお告げしてくれた本。
タイトルからして、まさにワンコのことだと思い一気読みしたのだが、この一月を振り返り6月9日やっとその本について書くことができることを思うと、ワンコがそこに色々な想いをこめてくれたのだと信じることができる。

「この君なくば」(葉室麟)
梅花空木 花言葉 気品

大きな盛り上がりをみせている令和へのお代替わりから一月たった今日6月9日は、
天皇皇后両陛下の26回目の御成婚記念日だ。

男児を産む機械のみ評価される世界で「弟が天皇になる日」だの「皇太子様 御退位なさいませ」だの「笑わない愛子様」だのとバッシングされ続けた両陛下と敬宮様を応援し続けた26年を思う時、お代替わりから一月 多くの国民の大歓迎の声は、自分のことのように嬉しい。
初めて皇太子妃候補として雅子様のお名前を知ったのは、まだ小学生か中学生の頃だったと思うが、あの時はその能力に尊敬の念を抱き、このような方にこそ皇太子妃になって頂きたい、と子供心に思ったものだった。
御成婚は、大学生の時だったが、新しい時代の新しい夫婦像と雅子妃殿下の美しさに憧れを抱いたものだった。
だが、その能力は全く活かされることなく、新しい家庭像は陋習に絡め取られ、ひたすら男児を産むことだけを期待され苦しまれる日々が始まった。
苦しい日々も、知性に裏打ちされた愛情で支え合ってこられたご夫妻に待望のお子様が誕生されても、それが男児でないと云う理由だけで蔑にされ、ついに心を病んでしまわれた。
病んで尚降りかかる、見ているだけの者すら心折れさせるようなバッシングの数々を思い出すとき、御即位の盛り上がりとともに御成婚記念日を迎えられたことは奇跡のようで、嬉しい。

我が家はもともと皇室を大切に想う家風ではあったが、そこは現代っ子でもあり、子供時代にさほど関心を持っていたわけではなかったが、それでも徳仁親王殿下に常ならぬ特別なものを感じていたところに、美しさと能力という分かりやすい点において比ぶべき者なき女性を迎えられたことで、皇室への憧憬の念は高まった。
だが、それが人としての品格やお人柄への敬愛の念に変わったのは、ご自身がどれほど苦しい時であっても決して他者を責めず一切を引き受け、静かに研鑽を積んでおられることが、知的で穏やかな佇まいから伝わってきたからだ。

そしてお代替わりを迎え、ようやっと多くの人がそれに気づき(いや、もしかするとほとんどの人々はそれと分かりながら、声を上げるのが憚られてきたのかもしれない、そうさせる恐ろしい空気が平成の世には渦巻いていた)大歓迎の声を上げ始めた。

両陛下と敬宮様を応援し続けてきた26年以上の日々を思い出すとき、ワンコがお告げしてくれた本のタイトルは、私に格別な意味を持ってくる。

「この君なくば」(葉室麟)

こう書くと、おそらく「君が代」を好ましからざるものとする人々から反発を喰らうであろうが、幕末時代ものの本書においてであっても、「君」は天皇でも徳川でもない。
それについては又つづく

・・・こう書きつつ、令和の八つ橋。
京都に行くと必ず買う聖護院の八つ橋。先月末土産売り場に鎮座していたのは令和パッケージだった。
 
修学旅行と思われる中学生たちが「英語がペラペラのハーバード大卒の皇后ってカッコイイ!自分も、地味に英語頑張ろうって思ったわ」と言いながら、お土産に令和八つ橋を買っていたのが微笑ましく、私も。
次代を担う子供たちが両陛下に憧れる理由が知性であることが、嬉しい。

つづく

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美しいハーモニーを奏でる時代に

2019-06-09 23:11:01 | ひとりごと
『雅子さま「すみません、母親になって涙もろくなって」ご成婚からの26年を振り返る』
6月9日 天皇皇后両陛下ご成婚26周年 「文春オンライン」編集部 https://bunshun.jp/articles/-/12283

「あの文藝春秋が、このような記事を御成婚の日に掲載するとは!」とは、長年両陛下と敬宮様を応援してきた者なら誰しも思うことだろう。
だが、この記事を伝える写真と そこで特に引用されている雅子皇后陛下の御言葉が、私が両陛下と敬宮様を応援し続けてきた大きな理由の一つなのだから、案外 文芸春秋も長年意に沿わぬ記事を書かされていたのかもしれない。

そのお写真とお言葉の引用を、まずは掲載させて頂きたい。


両陛下の真ん中で幸せそうにしているのが、最近あちこちで話題となっている保護犬の由莉ちゃんだ。
(参照、「ロイヤル・ワンコゆりちゃんは雑種」
 https://www.nippon.com/ja/japan-data/h00453/?cx_recs_click=true)

これまでも両陛下と敬宮様の家族である わんことにゃんこについては何度も書いてきた(「愛子様の深い愛」 「命を守る少女の命を守れ」
先代のピッピとまりは赤坂御用地に迷い込んだ犬が産んだわんこだったが、由莉ちゃんは動物病院から紹介された保護犬で、もし皇太子ご一家に引き取られなければ殺処分されていたかもしれない。その 由莉ちゃんは御一家の家族として大切にされているだけでなく、今や訓練を修了し長期入院している子供たちと過ごすアニマルセラピーとして活動しているというところに、ご一家の命に対する愛の深さを感じている。


両陛下の愛がすべての命に注がれていると感じるのは、何も保護された わんこやにゃんこが幸せそうに寛いでいるからばかりではない。
その立場を守らんが為、最高の技術を利用すれば、男児を選別して作ることは或いはできたかもしれない。
だが、両陛下は命を選別することはなさらなかった。
それにより、どのような苦境に立たされることになるかは理解されていたに違いないが、命を選別することはなさらなかった。
命を選別されない雅子妃殿下だからこそ、御成婚25周年の次の言葉にも真実なものを私は感じる。

~引用始まり
 この25年の間、殿下と愛子と過ごしてきた日々を振り返りますと、私にとりまして家族とは、日々の楽しみを分かち合うことは元より、大変なことがある時には支え合い、また、うれしいことがある時には喜びを分かち合える、かけがえのない存在であると思います。そして、このような家族に恵まれましたことを、心から幸せなことと感謝しております。
 また、家族皆で犬、猫などの保護された動物を可愛がって育てたり、世話してまいりましたが、この動物たちも、家族の一員として安らぎと潤いを与えてくれる大切な存在となっています。
 最近の世の中では、時代の変化に伴って、家族のあり方も多様化してきているように見受けられますが、その中にあって、それぞれの家庭が幸せであり、中でも子ども達が、それぞれ自らの可能性を信じて、幸せに成長していくことができる社会でありますようにと、いつも願っております。
~引用終わり


両陛下はもちろんお子様を望まれていたに違いないが、もしかするとこのままお子様を授かることはないかもしれない、という時期も仲睦まじく過ごされていた。
最高の技術を利用すれば男児をつくることはできたかもしれないが、そうはされず、命を選別することなく「生まれてきてくれてありがとう」と感謝の涙とともに女の子を受け入れられた。
雅子妃殿下が心病まれたのは、お子様が男児でなかったからではなく、男児の命しか認められない世界に倦み疲れてしまわれたからだと思う。

そのような両陛下だからこそ、ステレオタイプな家族像を国民に押し付けることはされないと信じることができるし、その御言葉の『時代の変化に伴って、家族のあり方も多様化してきているように見受けられますが、その中にあって、それぞれの家庭が幸せであり、中でも子ども達が、それぞれ自らの可能性を信じて、幸せに成長していくことができる社会でありますようにと、いつも願っております。』の「それぞれ」の言葉に深い重みがあると、私は思うのだ。

例えば、家族の重要性を説きながら その多様性を認め且つ個も尊重されるバランス感覚とご姿勢が、私には、固定化された価値観に風穴を開けると同時に、多様化の行き過ぎに歯止めをかけるようにも感じられるのだ。

誰にとっても、大切なものや価値観はある。
だが、大切なものや価値観は一つではない。
令和は、それぞれを認め尊重しながら、広く緩くまとまり美しいハーモニーを奏でる時代であって欲しいと願っている。
6月9日は、
そのような時代の象徴にふさわしい両陛下の26回目の御成婚記念日である。

そんな日に記録しておくに相応しいタイトルの本については、又つづく


写真出展 宮内庁HP 皇太子同妃両殿下ご結婚満25年に際しての文書回答より
http://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/19

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夢幻のごとくなり

2019-06-02 18:49:19 | ニュース
子供の頃は、無類の信長好きだった。

<教科書に登場の「信長像」画、修復作業終え公開> 読売新聞 6/2(日) 11:51配信より一部引用
日本史の教科書などで知られる国の重要文化財「紙本著色(しほんちゃくしょく)織田信長像」が1日、所蔵する長興寺の地元、愛知県豊田市の市美術館で修復後初めて公開された。
信長像は1583年(天正11年)、信長の一周忌に同寺に奉納された。生前の信長をよく知る狩野派の絵師が描き、本人に近い作品とされ、掛け軸で保管されている。
2016年度に絵の具の剥落(はくらく)やしわなどが修復され、水墨画に使用される竹紙が使われていることなども分かった。同寺の山岡英山住職は「この機会にきれいになった信長像を見てほしい」と話している。

昨年訪れた名古屋城に鎮座していた信長さま


小6の誕生日に、友人が「織田信長」(山岡荘八)五巻セットをプレゼントしてくれるほど、信長が好きだった。
だが今、信長のニュースを聞き、当時の自分を思い出し複雑な気持ちになるのは、26歳の信長が桶狭間の合戦の直前に舞った「敦盛」の50歳を意識する年になっているからかもしれない。
あの頃は、自分が50歳になることも、ましてその齢になって尚「馬齢を重ねておりまして」などと言わねばならぬことも、想像もしていなかった。

今なら、自分自身には「鳴かせてみよう」を課しながら、「鳴くまで待とう、で御頼申します」といったところか。

そんなことを久しぶりに考えさせてくれた、このニュース。
修復後の初公開が6月2日とは、気の利いたことを、と思ったのだが、初公開が1日と知り、少々興ざめしている。




無粋な追記
信長の命日は、旧暦6月2日

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