「しつこく、’’うんこ’’週間」 「’’うんこ’’週間なので、続く」 「終わりの始まり、’’うんこ’’」
「再びの’’うんこ’’マドリング・スルー」より
昨年の流行語大賞の''神ってる''は、 それが選ばれるまで世間でさほど知られていなかったことを思えば、流行語大賞には選考の基準や時期に問題があるのかもしれない。
そんな流行語大賞の予想を5月からしても仕方がないのだが、今年度前半だけで選ぶなら、大賞を受賞するのは''忖度''ではないだろうか。
この数か月ですっかり悪いイメージがついてしまった''忖度''だが、''忖度''することは、それほど悪いことなのか?
一連の’’うんこ’’シリーズの締めくくりとして、
「小さいおうち」(中島京子)から考えておきたい。
昭和五年に山形から東京へ出てきた主人公のタキさんが、最初に女中さんとして勤めたのは、小中先生と云う作家の家であった。
小中先生は、仕えるようになったばかりのタキさんに、「大切な原稿を失くされては困るので、書斎の掃除はしなくともよい」と云いながら優秀な女中の心得を説くのだが、その内容が’’忖度’’について考えさせるものである。(『 』
「小さいおうち」より引用)
『ごみだと思ってね、うっかり原稿を焼かれてしまっては困るんだ。昔、イギリスにそういう女中さんが居て、ご主人が友人から預かったたいへん大切な論文を、暖炉にくべて焼いてしまったんだそうですよ』
『その女中さんのご主人様は学者さんで、原稿を預けた友人も学者、二人は 言わば、仕事上のカタキ同士みたいなもんだったんだ。~略~
もし、この友人の論文が、一瞬にして灰になってしまったら、どうだろう。友人はもう一度、その膨大な原稿を書き直さなければならない。あるいは、その著作を世に問うことをあきらめるかもしれない。その間に自分は、友人に一歩先んじることもできよう。そんな想像が、一瞬でも、ご主人の頭をよぎらなかっただろうか』
これを女中の心得として聞いたタキさんは、「イギリスの女中は、何もわからず大切な原稿を火にくべたのではなくて、ご主人様の立身出世を願う心から、寧ろ率先して、カタキにあたる友人の原稿を焼き、自らその罪をかぶったのだ」と理解する。
この話は、
「小さいおうち」にとって、つまり作者にとって重要だったのだろう、物語の冒頭に出てくるだけでなく、終盤にも再度語られる。
『いいかね。いちばん頭の悪い女中は、くべてはいけないものを火にくべる女中。
並の女中は、くべておきなさいと言われたものを火にくべる女中。
そして優れた女中は、主人の心の弱さから火にくべかねているものを、何も言われなくても自分の判断で火にくべて、そして叱られたら、わたくしが悪うございました、と言う女中なんだ。』
高名な作家である小中先生は、「お仕えするご主人様の心のうちを’’忖度’’し、ご主人様が本心のところで望んでいる違法な行為・良心に悖る行為を(御主人のために)する女中が一番良い女中で、しかもその罪を女中は一人でかぶるべきだ」という。
この言葉が心に残っているタキさんは、彼女が慕ってやまない時子奥様の一大事に、どうしたか?
’’忖度’’とは、今手元にある集英社の国語辞典(第三版)によると、「他人の心の中を推し量ること。推察。」とあり、用例として「彼女の気持ちを忖度しかねる」とある。
最近ではすっかり悪者となってしまった’’忖度’’だが、元来’’忖度’’という言葉自身は、悪いニュアンスを含んでいるわけではない。
現在の状況を見るに、ワルイ人が、悪い人弱い人に、ワルイ心のうちを’’忖度’’させようとし、また悪い人弱い人が、ワルイ人が願うがままのことを行う為、結果として’’忖度’’に間違ったイメージが着いてしまっただけのことである。
’’忖度させる側’’がどうしようもなく悪くとも、’’忖度する側’’が、ワルイ人の思うがままに動かないという選択肢も、本来ならば当然あるはずなのだ。
その証拠に本書でタキさんは、夫の会社の若い社員と割りない仲になっている時子奥様のお気持ちを’’忖度’’したうえで、「およしになったほうがよろしゅうございます」と言い放ち、奥様を思いとどまらせている。
その結果、勿論 戦時下という事情もあったが、タキさんは暇を出されて、実家に帰らざるをえなくなる。
それでもタキさんは、慕ってやまない奥様の不貞をとめたことを悔んではいないし、冷静になった奥様も最後にはタキさんの思いを理解し感謝する。
現在の流行語大賞最有力候補としての’’忖度’’を語る時、’’忖度させる側’’と’’忖度’’という言葉だけが悪者になっているのは、少し違うのではないか、要は’’忖度させる側’’と’’忖度する側’’の度量が一番問われるのではないかと、私は思っている。
だが、昨年の夏からの諸々を見ていると、間に’’忖度する側’’という仲介者がいるのは未だしもましではないだろうかと思われる。
なぜなら、’’忖度する側’’が タキさんのように’’主人を諌める’’という可能性もあるからだ。
一番恐ろしいことは、’’忖度’’の余地すらなく、畏きあたりから直接に要望が降ってくることではないだろうか。
毎度リーク元となる所が、結果的に、より高い地位とより高額な予算を得た結果を見るにつけ、タキさんのように’’忖度’’したうえで正しい行動をとることが出来る人が、権力構造にも権威構造にも必要だと強く感じさせた、’’うんこ’’週間であった。