何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

学び努力し磨いて出す答え

2015-09-29 19:08:00 | 
<VW違法ソフト05~06年決定 苦境打開の焦り背景か>毎日新聞 9月29日(火)11時26分配信より一部引用
VWは当時、米国市場対策として主力製品のディーゼル車の製造コストを抑制しながら排ガス基準を守ろうとした。だが、追加の排ガス除去装置を装着するとコストを押し上げるため、装着が見送られたという。代わりに検査時に排ガス量を操作するソフトを導入したとみられる。
ソフトは独大手自動車部品メーカーのボッシュが供給したが、同社は07年の段階でVWに対し実験用に開発したソフトを市販車に搭載した場合、違法になると警告したという。



現在進行形のニュースであるため、日ごとに明らかになる新たな事実に私の理解は追いつかず、また他国の一私企業の話をえんえんと続けているのは本意ではないため、現時点での私の文章における不正確な箇所を記すことで、この件については終わりにする。

「若者の時代&ワンコの季節」の、『vwの技術をそれなりに信用してきた自分としては、4年前に技術者自身が「基準を満たしていない」と指摘していたことに多少の安堵を覚えるが、違法なプログラムを開発し組み込んだのも又セクションは違えど技術者であるので、「技術者の良心・良識」について考えさせられた。』という私の文では、不正を指摘したのも違法ソフトを開発したのも共にvw社内の技術者であるかのように受け止められるが、違法ソフトを開発したは異なるメーカー(ボッシュ)であり、このボッシューは「メーカー(vw)指定の部品を供給しただけ」と声明を発表しているので、この点を訂正しておく。
排ガス規制試験を不正に逃れるソフトが、試験を不正に逃れる以外にどのような利用価値があると考えて開発供給したのか全く理解できないが、メーカー相互の力学はどの国にも、どの業界にもあることでもあり、他国のことでもあるので、これ以上は言及しない。
が、世界一厳しい排ガス基準をクリアするだけの技術を低コストで開発することを諦め安易に不正ソフトに走り、自らの能力に限界を設けたのも人間なら、銭金を優先させるという判断をしたのも人間。
一連の問題を見て思うのは、結局、このところ引用している「真夏の方程式」(東野圭吾)の湯川博士の言葉どおり、科学の限界を生み出すのは人間だということだ。
『この世界には』
『現代科学では解けない謎がいくつもある。しかし科学の発展と共に、いずれはそれらも解かれていくだろう。
 では科学に限界はあるのだろうか。あるとすれば、何がそれを生み出すのだろうか』
『それは人間だ』

ところで、「真夏の方程式」を私に勧めてくれた子供とほぼ同年代の小5の少年が、事件で重要なカギを握ることになるが、この少年と湯川博士の会話は、強く印象に残った。
親の仕事の都合で夏休みの最後を親戚の旅館で過すことになった少年は、そこで宿泊客が死亡するという事件に遭遇するが、大人は事件について口を閉ざす。
詳細を知らされない少年は、同じ旅館に泊まっている湯川博士に不満を漏らすが、これに対しての湯川の答えは最終場面に繋がっているように、私には感じられた。
『くだらないことで拗ねるな。大人が隠していること知ったって、君の人生にとって大してプラスにならない』
『大人が隠していること』とは?
それは、事件が事故か殺人か、事故であれ殺人であれ実行行為は何で、そこに因果関係が認められるのか。

少年は事件を引き起こす不確定要素に無自覚のまま関与してしまうのだが、夏休みの宿題の自由研究を湯川博士に手助けしてもらう過程で、自分の行動が果たした意味に気づいてしまう。物語の最終場面で、苦しむ少年に対して湯川がかける言葉は、子供にも、子供と接する大人にも読んでほしいものだと感じた。
『どんな問題にも答えは必ずある』
『だけれどそれをすぐに導き出せるとはかぎらない。人生においてもそうだ。
 今すぐには答えを出せない問題なんて、これから先、いくつも現れるだろう。
 そのたびに悩むことには価値がある。
 しかし焦る必要はない。答えを出すためには、自分自身の成長が求められている場合も少なくない。
 だから人間は学び、努力し、自分を磨かなけりゃいけないんだ』
『今回のことで君がなんらかの答えを出せる日まで、私は君と一緒に同じ問題を抱え、悩み続けよう。
 忘れないでほしい。君は一人ぼっちじゃない』

『君は一人ぼっちじゃない』
もちろん厳しい時代は過去にもあったが、「一億総中流」の残り香と「先進国で最悪レベルの日本の子供の貧困」の現実が混在する現在を、生きにくいと感じる子供は多いと思われる。
現在はあらゆる物事の端境の時期にある。
東宮の一粒種のお姫様として誕生した敬宮様も、ご自身の関知しないところで、女性天皇が検討され、廃案にされ、廃案になると同時に御存在を否定するためのバッシングの嵐が起こされているが、それは21世紀を如何なる日本にするかという価値観の端境の直中におられるからであり、今すぐに答えが出るというものでもなければ、お一人で解決できるものでもない。大人の頑迷な思い込みや欲得が絡む法整備が俎上にあがるたびにバッシングがおこり翻弄され傷つかれるのを拝見するのは辛いが、悩みながら学びながら磨きながら成長され、一歩ずつ答えに近づいておられると感じている。
法整備ゆえに御自身のお考えとは異なる条件が提示されることもありうるが、その中で最上の答えを見つけられると信じている。
敬宮様が答えを出されるまで、この国の大人の国民として一緒に悩み考え、心から応援していきたいと思っている。

若者の時代&ワンコの季節

2015-09-28 02:18:02 | ニュース
<VW技術者「排ガス基準満たさず」11年頃指摘> 読売新聞 9月27日(日)20時54分配信より一部引用
独フォルクスワーゲン(VW)の排ガス不正問題を巡り、ドイツの有力紙フランクフルター・アルゲマイネなどは27日、VWで2011年頃に社内の技術者らが、一部のディーゼル車について、排ガス基準を満たしていないと指摘していたと報じた。
報道によると、技術者らの指摘は、VWが今回の不正発覚後に行った調査で判明した。25日に行われた調査メンバーらの会議でも報告されたという。この指摘が当時、社内でどの程度、共有されていたかは不明だ。


<試験を検知、浄化装置フル稼働…VW不正ソフト> 読売新聞 9月26日(土)9時52分配信より一部引用
独フォルクスワーゲン(VW)の排ガス不正について、米環境保護局(EPA)は同社のディーゼル車に搭載されたソフトウェアに、「ディフィート・デバイス(無効化機能)」と呼ばれる違法なプログラムが組み込まれていたと指摘した。
このプログラムによって、排ガス試験が行われていることを検知し、有害物質を取り除く浄化装置をフル稼働させるという悪質な手口だった。
EPAなどによると、排ガス試験では車体を固定し、通常走行のように加速や減速を繰り返し、排ガスに含まれる窒素酸化物(NOx)や粒子状物質(PM)などの有害物質の量を調べる。
エンジンの回転数を調整するなどシステムを制御するソフトウェアは、どの車にも搭載されている。VWはこうしたソフトウェアの中に、違法なプログラムを組み込んでいた。このプログラムの働きで、ハンドルの動きやホイールの位置、アクセルの踏み込み具合などから、試験が行われていることを検知していた。



vwの技術をそれなりに信用してきた自分としては、4年前に技術者自身が「基準を満たしていない」と指摘していたことに多少の安堵を覚えるが、違法なプログラムを開発し組み込んだのも又セクションは違えど技術者であるので、「技術者の良心・良識」について考えさせられた。
日本でも、営利を追求するvwなどの企業とは一線を画しているという建前になっている独立行政法人・研究機関の科学者のモラルが問題になったのは記憶に新しいが、最近では研究開発費や特許権などの問題も絡み、真理を探究するはずの科学技術の分野であっても、銭金とは切っても切れないものとなっている。

これについて「真夏の方程式」(東野圭吾)で湯川博士は理想論を語っているが、自身が大学で電気工学を学び、技術者としてメーカー勤務した経験もある東野氏の言葉だけに重みがある。
『儲かるか儲からないかだけで、科学者は自分の立場を変えたりしない。
 科学者がまず一番最初に考えるべきなのは、どの道が人類にとってより有益かということだ。
 有益だと判明すれば、たとえ自分には利益がなくても、その道を選ばなくてはならない。
 無論、有益であり尚且つ自分も儲かるというのが理想ではあるが』

世の中の酸いも甘いもある程度知る年になった私には青臭い理想論と思えないわけではないが、若い世代にはまず理想を模索してほしいと願っているので、この本に感動し勧めてくれたのが、普段本を読まない熱血スポーツっ子であったのが嬉しい。
実際のところ、「どの道が人類にとってより有益か」というのも大上段に構えた視点ではない。
グローバル社会となった現代では、環境問題でも疫病問題でも金融市場でも(vwの市場への影響は世界中に及んでいる)即座に世界に影響を及ぼす事態となるので、私企業の技術者や一経営陣の判断が他国の見ず知らずの人の人生に影響を与えかねない。
そんな世界を生きる若者が流行りのミステリーの中で『まず一番最初に考えるべきなのは、どの道が人類にとってより有益かということだ。有益だと判明すれば、たとえ自分には利益がなくても、その道を選ばなくてはならない』という言葉に出会っていることを「嬉しい」と感じる年になったのだと感じている丑三つ時であった。

只今、丑三つ時まっただなか。ワンコのチッチと夜鳴きの時間である。

秋は、ワンコの季節でもある。
我が家はあまり牛肉を好んでは食べないのだが、おでんの具の牛すじには拘りがあり、かなり高級な牛すじを買う(笑い)。
これがワンコの長年の憧れだった。
スーパーのパック詰めのすじには無反応のワンコだが、上等すじを湯通していると何処にいてても飛んできて、姿勢を正しておねだりしていた。が、高脂血症やコレストロール過多を指摘されていた若い頃には、心を鬼にしてワンコのキメポーズを無視していた。
しかし、何故か高脂血症などが完全に改善したのと、齢80、好きなものを食べさせてあげたいという思いもあって、この秋最初のおでんの牛すじを食べさせてあげた。
長年の憧れの牛すじに有り付いたワンコの喜びようといったら、見ているこちらも嬉しくなるほどだった。

世の中には美味しいものがまだまだあるよ、ワンコ。
これから少しずつ一緒に食べよう、鼻先のにんじんを楽しみに長生きしておくれ、ワンコ。

そして、今日もまたワンコのチッチのおかげで美しい中秋の名月を見ることができたよ、ありがとう。

日本丸の安全運航を祈って

2015-09-26 00:55:00 | 
人生や歴史の必然性に思いを馳せるため「蒲生邸事件」(宮部みゆき)を再読したいとか、宝永富士山大噴火の民の奮闘を書いた「起返の記」(嶋津義忠)を読む予定と書いておきながら、どちらも読んでいない。
ワンコの夜毎のあれこれが堪える日々、毛色の違う本が読みたくなり、連休中は「真夏の方程式」(東野圭吾)を読んでいた。
この本は昨年の夏、およそ本など読まない熱血スポーツっ子が「面白い。おすすめ」と言いながら読んでいたので気にはなっていたのだが、ガリレオシリーズは湯川のセリフに福山雅治の声色を被せて読んでしまうので、映像化された本を避ける傾向がある私は、読んでいなかったのだ。

「真夏の方程式」
「実に面白い」とまで言えるかはともかく、面白かった。
福山ガリレオシリーズが定番となった今では、作者自身が福山雅治の声やしぐさを想像しながら書いているのではないかと思えるほど、作中の湯川博士のセリフと行動の一つ一つが、福山雅治に重なり、映像を見ているような錯覚のうちに本を読み終わった。

昨日「国民車から世界の環境車へ」で書いたように車が世間を騒がしているので、「真夏の方程式」に書かれている「車」酔いの場面を書いてみる。
子供の頃の私は、車に乗る度に車酔いに悩まされていた。
父の運転で酔っては、父は運転が下手なんだろうと諦め、タクシーで酔っては、タクシー独特のあの匂いが悪いのだろうと怒っていた。
遠足でバスに乗るようになると、遠足は憂鬱以外の何ものでもなくなり、座席の位置の交渉から前日に食するものまで、入念な準備をして悲壮な覚悟で遠足に参加していた。
そんな私なので運転免許は無理だろうと思っていたが、「自分の運転する車では酔わない」と説得され渋々教習所に通ったのが嘘のように、今ではドライブが気分転換の一つというほどに、運転することが好きでもあるし、分かりもしないが車のメカ解説本を読むのも好きだ。
そして、密かに、自分の運転がなかなかのものなので酔わないのだろう、と自画自賛していた。
が、そこに、細いメタルフレームの眼鏡を指でもち上げながら「実にくだらない」と言う湯川博士の声が聞こえてきた。

車酔いにおける湯川博士のご高説
『前の席に座るだけでなく、視線も重要だ。例えばカーブの多い道を走っている時なんか、身体が遠心力で外側に振られるだろう?その時、視線も一緒に振られると、三半規管の情報と視覚情報が一致しなくなり、脳が混乱する。その結果、乗り物酔いになる。視線を乗り物の進行方向に固定しておけば、その症状は出にくい。車酔いしやすい人でも自分で運転している時には大丈夫なのは、運転中は常に前方を見ているからだ』

湯川博士の理屈や私の運転技術の良し悪しはともかく、自分が運転するようになりカーライフを楽しんでいると書いていて、ふと思い出したことがある。

確か、幼少の頃に酷い車酔いを経験された敬宮様は、長時間の車移動が苦手になられたと読んだ記憶がある。
バス遠足へのお付添いがバッシングされた時、敬宮様が車酔いに対して不安を持たれているという報道を目にした記憶もあるが、ナイロン袋を握りしめながらのバス遠足に恐怖感を持っていた自分には、そのお気持ちがよく分かる。「吐しゃ物で迷惑をかけたらどうしよう」という不安は、大人が考えるよりも子供にとっては重大問題なのだ。まして、それが翌週の誌面でバッシングされかねない敬宮様はどれほど不安を抱えておられたか。
しかし、バスによる宿泊遠足を乗り越えられた頃から、目に見えて学校生活を楽しみ始められたのは、車酔いだけでない何かを克服され、一つ大人の階段を登られたからに違いない。

湯川博士によると、視線を真っ直ぐ前方で固定しておけば、脳が混乱することはない。

伊勢神宮で真っ直ぐ前方を見つめて歩みを進められる凛とした敬宮様の御姿は印象的だった。
その眼差しの先の未来が揺るぎないものとなるよう、日本丸の安全な航海を望んでいる。

おそらく、つづく。

国民車から世界の環境車へ

2015-09-24 20:20:01 | ニュース
<VW規制逃れ>傷ついた「メード・イン・ジャーマニー」>毎日新聞 9月24日(木)12時22分配信より一部引用
ドイツ自動車大手フォルクスワーゲン(VW)が米国で排ガス規制を不正に逃れていた問題は、トップの辞任へと発展し、高い競争力で欧州経済をけん引する「メード・イン・ジャーマニー(ドイツ製)」ブランドは大きく傷付いた。独産業界を代表するVWの過去最大規模のスキャンダルは、国内の産業界だけでなく、政界にも波紋を広げている。


<VW排ガス規制不正、米下院が公聴会開催へ 集団訴訟も>朝日新聞デジタル 9月24日(木)12時45分配信より一部引用
独自動車大手フォルクスワーゲン(VW)が排ガス規制を不正に逃れるソフトウェアを使っていた問題で、米下院エネルギー・商業委員会が公聴会を開くことを決めた。数週間以内に開催し、VWの経営幹部を呼んで不正に手を染めた経緯や、組織的な不正だったかどうかなどを厳しく追及する見通しだ。
米国では、VWの不正の発覚が波紋を広げている。米メディアによると、不正なソフトウェアを使っていた車の所有者が、VWを相手取り損害賠償を求めて訴訟を起こす準備を進めている。全米規模の大規模な集団訴訟に発展する可能性もあるという。
米司法省はVWの刑事責任を問うことも含め不正の調査を進めていくとみられており、司法当局の動きも活発化する可能性がある。


トヨタの豊田社長が公聴会に召喚された悪夢の映像がまた再来しようとしている。
2010年のトヨタの大規模リコールは結局、米運輸省高速道路交通安全局(NASA)自身が「トヨタ車に器械的な不具合はあったものの、電子制御装置に欠陥はなく、急発進事故のほとんどが運転手のミス」と報告しているように、ほぼ言い掛かりであったと現在では判明しているとはいえ、当時豊田社長自らが公聴会で声を震わせ証言した姿には強い衝撃を受けた。
が、今回のフォルクスワーゲンの問題は刑事訴追にも及びかねない深刻なもので、アメリカ議会による公聴会はもちろん集団訴訟も相次ぎ、vwの屋台骨を揺るがしかねない大問題に発展しそうだ。

フォルクスワーゲンの不正
何重もの驚きをもって、このニュースを見ている。
ドイツあるいは「ドイツ製」に対して明確な理由はないが、絶対的な信頼を置いていた。
それはドイツ文学が好きな母の影響もあるかもしれないし、共に経済大国になろうとも敗戦国であるため常任理事国となることを許されない歴史的経緯を共有しているという心理が働いているのかもしれないし、身近なところではドイツ消しゴムSTAEDTLERの使い始めから終わりまで変わらない消し心地を気に入っているからかもしれない。
過美なデザイン性も大衆への媚もなく、無骨だが性能一本槍の質実剛健な製品を誇るのがドイツだと思っていたが、それは何処か日本人と共通点があると感じさせるドイツ人への信頼と共感が根底にあるからだと思われる。
このような印象を持った理由に、「深代惇郎の天声人語」がある。
最近では天声人語は読まないことにしているのだが、学生の頃に読んだ単行本の「深代惇郎の天声人語」から受けた影響は大きい。
「深代惇郎の天声人語」の「日本と日本人」より引用
草取りの話をしよう。同じ人数のイタリア人、ドイツ人、日本人に、時間を決めて草取りをやってもらうことになった。イタリア人たちは時間前に早々に切り上げてスパゲティを食べに帰ってしまった。ドイツ人は整然と隊列を組んで仕事をしたが、イタリアの半分ぐらいの広さしかできなかった。
日本人はすぐ出身大学、会社ごとのグループを作った。イタリアより広く、しかもきれいに雑草をとった。
半月たった。その土地を見に行くと、イタリア人の場所はぼうぼうとした雑草に戻っていた。ドイツのは半分の広さだったが、根こそぎ抜いてあったので一本の雑草も見えなかった。日本は?なんと、日本人たちは休日を返上してその後も草とりを続け、広大な土地にサクをめぐらしてあった。
ヨーロッパ人にとって、ドイツの徹底した合理主義も恐ろしいが、日本人の真面目さの方がその何倍も恐い。
~引用終わり~

ドイツ人ドイツ製品というと、愚直なまでの質実剛健ぶりをイメージしてきたが、もう一面の合理主義を徹底すると、今回の不正(環境問題における理想と製品の耐久性との現実的な算盤勘定)となり、行くつく果てはアウシュビッツになるのかもしれない。
そうだとしても、VWのGolfのあのステアリングの確かな感触と、メカが動いていると実感させるエンジン音と振動を、私は強く好んでいる。

トヨタが苦難を脱し2014年には過去最高益を更新したように、VWも技術経営方針ともに原点に立ち返り、是非とも復活してほしいと願っている。

ところで、皇室でもVWの黄色のビートルが見られたが、御料車は先代の日産「プリンスロイヤル」から引き継ぎ、現在はトヨタの「センチュリーロイヤル」だ。
2007年10月には、納入から間もない車が、電気系統のトラブルで公務の途中で停止してしまうという事態もあったが、ともかく皇太子御一家が公的に乗られる車は(確認できる限り)トヨタだと思われる。

私用車としては雅子妃殿下が御成婚時にトヨタの「カローラⅡ」に乗られていたのが話題となり、後には「カローラⅡにのって~」という歌も流行ったが、ご成婚から何年もたった御静養先でも楽しそうに「カローラⅡ」を運転される御姿が報じられている。
物理が得意科目だったという雅子妃殿下は、車の運転が好きなだけでなく、車の構造や車と環境問題にも強い関心を持っておられるようだ。

御病気の公表から日が浅く公務によるお出ましが少なかった時期でも、環境問題の公務には取り組んでおられ、平成18年6月19日には東宮御所で、慶應義塾大学政策メディア研究科教授、同環境情報学部教授によるご進講を受けておられる。これは、慶應と民間企業が共同開発した電気自動車「Eliica(エリーカ)」に御夫妻で試乗されるというものだったが、温暖化の問題から電気自動車にご関心を持たれているものと思われる。

出典:宮内庁ホームページ
URL http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/02/h18/gonittei-2-2006-4.html
   http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/02/photo2/photo-200606-538.html


最近では、皇太子様がご研究されている水問題の一環で東京・港区にある芝浦水再生センターを訪問された折に、下水の汚泥をエネルギーとして活用する水素自動車の技術についての説明を、御夫妻そろって受けておられる。

vwが不正に手を染めてしまったように、環境問題をクリアする為には非常に高い技術を要する。
地球規模での環境問題にご関心を寄せておられる皇太子ご夫妻が、自国の技術が産学ともに高められるようにと現場を直接ご覧になれば、現場の士気も上がり技術革新にも弾みがつくというもの。そして、その技術が世界の環境に寄与することになれば、これほど意義深い皇室の公務はないと考える。

皇太子ご夫妻が望まれる未来を信じ、皇太子御一家を応援している。



(参照 「勇者よ進め」

星は、朝づつ、犬星

2015-09-23 05:27:17 | ひとりごと
この連休中はワンコのナイトサービスに勤しんでおり、夜中と明け方、チッチを知らせるワンコと一緒に庭にでる。
シルバーウィーク中は天気も気温も安定していて夜中のチッチも苦にならないどころか、22日明け方には、生まれて初めてというほどの素晴らしい星を見ることができた。
ワンコを抱えて玄関を開けた途端、寝ぼけ眼に飛び込んできたオリオン座とシリウスの煌々とした神々しいまでの輝き。
ふと東に目を転じると、超新星が誕生したのかと思うほどの金星の輝き。

西洋では「光をもたらすもの」「ヴィーナス」とも云われる「明けの明星」金星は、日本でもさまざまに表現されており、私としては国語で習った『星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。』「枕草子(清少納言)」が印象に残っているが、宵の明星であれ明けの明星であれ、「星はゆふづつ」と云われるほどの金星を見たことがなかったので、実感ないままであった。
それが、22日明け方の金星は、一等星のシリウスを遙かに凌ぐ明るさで、そこから光が溢れ出んばかりの輝きに感動し、しばしワンコと一緒に呆けたように見とれてしまった。
「星は金星、朝づつ」

しかし、ワンコと見ただけに、犬星こそ猶めでたき物はあれ。
シリウス、和名を犬星という。
古来エジプトでは、犬は人を導くものと云ったそうだが、それはナイル川の氾濫を知らせる星として重要視されていたこの星に、dog starと名付けていることからも伺えるというものだ。(参照、「導きの神」
明けの明星がそこから溢れんばかりの光をもたらす輝きだとすれば、シリウスの青白き輝きはその一点に想いを収斂させていくような輝きだ。
一点の輝きが人の心の寄る辺となるシリウス、その名をとって相応しいとものとして記憶に残るのが人命探査機シリウスだ。
新潟中越地震の時、土砂に埋もれたまま90時間以上たった少年を見つけ出し救ったことでその名を知られた人命探査機シリウスだが、これは地中に埋もれている人の心臓の鼓動を捉えることで、生存を確認するというものである。
シリウスの一点の輝き、体の一点の鼓動を感じ取る人命探査機シリウス、ワンコ好きの自分としては犬星が人を救ったニュースとして記憶に残っていたのだ。
「犬星こそいみじうあはれにをかしけれ」

ワンコのチッチに付き合い明け方の庭に立たなければ決して見ることのなかった、澄みきった秋空の朝づつと
犬星。
犬星が真夜中に南天に位置する頃に生まれたワンコ、今年も元気に誕生日を祝えるようにと犬星に願いを込めて祈った22日明け方であった。

そして、一点唯一の輝きの御存在の幸いと、そこから光あふれる幸いに国民が浴することができるようにとの
祈りを、「星は、朝づつ、犬星」に捧げている。


今朝も又チッチに付き合い、寝ぼけ眼でこれを書いている。
今朝の金星は昨日の金星とは違うと思い調べると、9月22日の金星は最大光度であったそうだ。
貴重な金星を見せてくれたワンコに感謝。