何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

「かのように」を超えた処

2016-01-30 11:00:35 | 
ニュース写真を見てはワンコを感じ、偶然手にとった本を読んではワンコを感じる私は、傍からは、甚だ非科学的で迷信や幻想にとらわれた人間に見えるのかもしれないと考えていて、思い出した本がある。

「かのように」(森鴎外)

皇室が国家(神道)の中心として現在とは異なる重みをもっていた明治という時代に、学問としての歴史と(精神的支柱たる)神話との折り合いについて悩む、子爵の親子の葛藤を描いた小説である。
この小説などをもってして、森鴎外を穏健な保守と見做す向きもあれば、危険思想と紙一重だと見做す向きもある。
それは、「現在の教育を受ければ、神話を事実と受け留めることは出来ず、神話(当時としては天孫降臨伝説など)は史実たる歴史とは分けざるをえない」と書きながら、処世術として「(神話がある)かのように」振る舞うことを是とする二面性に起因していると思われる。

皇室の藩屏たらんと息子・秀麿を学習院からドイツ留学に送り出す子爵家の父は、歴史学者の息子の逡巡を深く理解し悩んでいる。
『今の教育を受けて神話と歴史とを一つにして考えていることは出来まい。世界がどうして出来て、どうして発展したか、人類がどうして出来て、どうして発展したかと云うことを、学問に手を出せば、どんな浅い学問の為方をしても、何かの端々で考えさせられる。そしてその考える事は、神話を事実として見させては置かない。神話と歴史とをはっきり考え分けると同時に、先祖その外の神霊の存在は疑問になって来るのである。そうなった前途には恐ろしい危険が横よこたわっていはすまいか。』

だが、学習院で学びドイツに留学した息子は、科学的視点として神話と歴史を分けることを当然のこととすると同時に、科学的例をあげて「かのように」考える効用を説く。
『そこで人間のあらゆる智識、あらゆる学問の根本を調べてみるのだね。一番正確だとしてある数学方面で、点だの線だのと云うものがある。どんなに細かくぽつんと打ったって点にはならない。どんなに細くすうっと引いたって線にはならない。どんなに好く削った板の縁ふちも線にはなっていない。角かども点にはなっていない。点と線は存在しない。例の意識した嘘だ。しかし点と線があるかのように考えなくては、幾何学は成り立たない。あるかのようにだね。コム・シィだね。自然科学はどうだ。物質と云うものでからが存在はしない。物質が元子から組み立てられていると云う。その元子も存在はしない。しかし物質があって、元子から組み立ててあるかのように考えなくては、元子量の勘定が出来ないから、化学は成り立たない。』

更には、客観的事実が極めて明確に示されるはずの数学や自然科学の分野ですら、「かのように」のうえに成立しているのだから、精神学は尚更だと説く。
『精神学の方面はどうだ。自由だの、霊魂不滅だの、義務だのは存在しない。その無いものを有るかのように考えなくては、倫理は成り立たない。理想と云っているものはそれだ。法律の自由意志と云うものの存在しないのも、疾っくに分かっている。しかし自由意志があるかのように考えなくては、刑法が全部無意味になる。』

歴史学者の秀麿は、正確に歴史を書くとすれば神話を別にせざるをえないが、「かように」という思考(怪物)を便宜としてではなく、全面的に受け入れることで、心に葛藤はなく世間からも危険視されないと考えているのだ。

かのようにがなくては、学問もなければ、芸術もない、宗教もない。
 人生のあらゆる価値のあるものは、かのようにを中心にしている。
 昔の人が人格のある単数の神や、複数の神の存在を信じて、その前に頭を屈めたように、
 僕はかのようにの前に敬虔に頭を屈める。
 その尊敬の情は熱烈ではないが、澄み切った、純潔な感情なのだ。』

『道徳だってそうだ。義務が事実として証拠立てられるものでないと云うことだけ分かって、怪物扱い、幽霊扱いにするイブセンの芝居なんぞを見る度に、僕は憤懣に堪えない。破壊は免るべからざる破壊かも知れない。しかしその跡には果してなんにもないのか。手に取られない、微かなような外観のものではあるが、底にはかのようにが儼乎として存立している。人間は飽くまでも義務があるかのように行わなくてはならない。僕はそう行って行く積りだ。人間が猿から出来たと云うのは、あれは事実問題で、事実として証明しようと掛かっているのだから、ヒポテジスであって、かのようにではないが、進化の根本思想はやはりかのようにだ。生類は進化するかのようにしか考えられない。』

『僕は人間の前途に光明を見て進んで行く。祖先の霊があるかのように背後を顧みて、祖先崇拝をして、
 義務があるかのように、徳義の道を踏んで、前途に光明を見て進んで行く。』
と主人公は高らかに宣言しながら続く言葉で、冷徹な現実を吐く。
『神が事実でない。義務が事実でない。これはどうしても今日になって認めずにはいられないが、それを認めたのを手柄にして、神を涜けがす。義務を蹂躙する。そこに危険は始て生じる。』と。

「かのように」は著作権が失効しているため、盛大に引用させて頂いたが、明治の国家を理想とする体制が力を増している現在において、皇室の弥栄と皇太子御一家のお幸せを祈る私には、本書は何度でも読み返したい本であり、そのなかでも特に心に留めたい箇所を記しておいた。

ニュース写真を見てはワンコを感じ、偶然手に取った本を読んではワンコの意思が働いていると感じる私は、「ない」ものを「(ある)かのように」信じ込ませて精神の葛藤をなだめるというよりは、元より人智を超えた存在や物語を(神話ともいう)信じてもいる。
西行法師も詠っておられるではないか
何事のおわしますをば知らねども  かたじけなさに涙こぼるる

神代の物語や神話を学問的にみて「事実ではない」との認識のもと「(ある)かのように」振る舞い、そのうえに「光明をみて進んでいく」というよりは、お伊勢さんに参れば、学問や神話はどうであれ「かたじけなさに」頭を垂れる自分がいる。

このような私であっても、いやこのような私だからこそ、「かのように」が行き過ぎる危険を感じずにはおれない、そのあたりについては、つづく

庭の草木の契り

2016-01-28 12:30:00 | ひとりごと
図書館に予約していた本を受け取った。

まだ新しい本を読む気力が湧かないとは思ったが、順番を待つ人もいる人気の作家さんなので、とりあえずザッと読み、早く返却しようと思い、手に取り驚いた。

ワンコだな。

「蓮花の契り」(高田郁)の背表紙には、主人公は三枚聖だとある。
背表紙より
『下落合で弔いを専門とする墓寺、青泉寺。
お縁は「三味聖」としてその湯灌場に立ち、死者の無念や心残りを取り除くように、優しい手で亡骸を洗い清める。
そんな三昧聖の湯潅を望む者は多く、夢中で働くうちに、お縁は二十二歳になっていた。
だが、文化三年から翌年にかけて、江戸の街は大きな不幸に見舞われ、それに伴い、お縁にまつわるひとびと、そしてお縁自身の運命の歯車が狂い始める。
実母お香との真の和解はあるのか、そして正念との関係に新たな展開はあるのか。
お縁にとっての真の幸せとは何か。
生きることの意味を問う物語、堂々の完結。』

「出世花」(高田郁)を知らなかった私は、その続編だという「蓮花の契り」の内容を知って予約したわけではない。

高田郁氏の「みをつくし料理帖シリーズ」や「愛 永遠にあり」を読んでいたので、何となく新刊を予約していたのだが、このタイミングで、この作品に出会えたのは、やはりワンコの仕業だとしか思えない。

映画「おくりびと」のためか納棺師という仕事が注目されるようになったが、主人公・お縁(正縁)は江戸時代の納棺師ともいえる三昧聖。

もとは武家の娘だったお縁が、父亡き後に身を寄せたのは墓寺だった。
武家の娘だったからこそ、大名家の正妻の境地を理解できるのかもしれないし、武家の娘でありながら理由あって三昧聖となったからこそ、苦界に身を沈めた女の痛みも分かったのかもしれない。
生きている間は、その立場や境遇に苦しみ、自身ではどうにもならぬ感情に翻弄された人間が、お縁に湯灌してもらうことで清められ、お浄土への旅支度が整っていく場面は、静謐で厳かで、今の私には心に沁みてくるものがあった。

又、幾通りもの道が目の前に開けていくお縁が選ぶ道とその理由に心打たれた。

『現世での契りには限りがある~略~御仏の弟子として同じ道を歩む存在でありたい』
その道とは、『大切な人の死の衝撃を和らげるのは、もう何も思い残すことはない、という新仏の安らかな死に顔に他ならない。亡き人の未練や苦しみを蓮の花に変えて浄土へ見送り、残された人の悔いや悲しみを和らげ』続けること、そう決めたお縁の目には『純白に柔らかな紅を差した美しい蓮の花』が広がり、お縁の耳には『極楽浄土に棲む迦陵頻伽という鳥のものか、涼やかで華やかな鳴き声が』届く。

静謐な余韻に包まれながら最後のページを閉じ、つづく作者のあとがきを読み、驚いた。

ワンコの仕業だな ワンコの願いだな。

あとがきより
『この世に生を受けた者は、いずれ必ず死を迎えます。自分の命がある限りは、先に死にゆく誰かを見送らねばならず、大切な人の数だけその苦しいまでの喪失感を味わうことになります。そうだとすれば、死別の悲しみや悔いからは生涯、逃れられないようにも思われます。
けれども、ゆるやかな時の経過とともに、悲しみは薄紙を剥がすように少しずつ削がれていき、やがて、懐かしさへと姿を変えてくれます。気がつけば、涙ではなく微笑みで思い出を語る日も巡ってきます。
限りある命だからこそ、先に旅立ったひとに心配をかけないよう、毎日を丁寧に生きていこう、と思える日が訪れます。
~略~
いつかその悲しみの癒える日が巡ってくることを心から祈っています。
あなたの悲しみに、この物語が届きますように。

祈りとともに  高田郁拝 』


高田郁拝の文字が、私にはワンコ拝と見えて仕方なかった。

笑うように眠ったワンコ
家族それぞれが、それぞれ時間を紡ぎ、夜を徹して夜伽でワンコと語り明かした
ワンコがたわむれた庭の草木で身を包まれ、笑顔を浮かべて旅立ったワンコ
ワンコが私たちに、「心配をかけるな、毎日を丁寧に生きてゆけ」と命じている。

ワンコの仕業(ご縁)だとしか思えないタイミングで届いた、この物語(にあるワンコの願い)、しかと受け留めたぞ ワンコ

ワンコに心配をかけぬよう、毎日を丁寧に生きていくよう頑張るよ ワンコ



追記1月29日記す
予約待ちの人がいる本なので、返却を急がねばならないが、名残惜しくもう一度読み返していると、またワンコを感じた。
ワンコは庭が好きだった。
季節ごとの花と野菜を植え替える作業の横で、若い頃は、トカゲを追い、老いては日向ぼっこをして過した、ワンコ。
これからもワンコが庭で遊べるようにと、ワンコ馴染みの庭草で囲んで見送った。
ワンコが、あの草木や花を目印にして、帰ってこれるようにと。
その想いに通じる文章を「蓮花の契り」の最後に見付けたので記しておく。
ワンコからのメッセージと受け留め
『(主人公お縁が、これから住まう庵の庭について)
 絶えたはずの命、失われた命も、季節の巡りとともに新しい命となって、この庭に帰ってくる』

犬星に御挨拶をして、知恩院さんとお伊勢さんを詣でたら、ワンコ
必ず、我が家に帰ってくるのだよ ワンコ

ワンコとともに

2016-01-28 12:01:25 | ひとりごと
誰かを応援するためのブログに、悲しい別れを書くべきか、いや心棒をもぎ取られた哀しみを記すべき言葉が見つからない、と思っていた。
だが、あれから一週間触れることのなかった、このページの検索ワードを見ると、ワンコ・老犬・介護・余命などの言葉がある。

ワンコの夜鳴きが始まり介護が必要になったとき、咀嚼がうまくいかないワンコの食事を調べたいとき、祈るような気持ちでネットを彷徨い、老犬介護の体験を綴っておられるブログを貪るように読んだ、夜。
一日でも一分でも一秒でもワンコが気持ちよく過ごしてくれるようにと、祈るような気持ちで夜毎ネットを彷徨った日々を思うと、「ワンコ、老犬、介護、夜鳴き」などで検索してこられる方の気持ちは、痛いほど分かる。

最近ではワンコも長寿社会となっており、かなり長寿のワンコ話を耳にすることもあるので、我がワンコの17歳2か月の経験を書き記すことが、お役にたつかどうか心もとないが、そもそも個体差があること、医師の指導を信じることを前提に、素人家族が感じたことを書いてみる。

我がワンコは、その痛みだけで命が危険という場所に神経痛をもっていたし、かなり若い段階で僧房弁に問題があることも分かっていた。
ただ、ワンコ獣医さんと相性がよく、丁寧に診て下さったおかげで、痛みの緩和も心拍の安定も得られていたように思っているので、医師との付き合い方として、信頼できる医師の指導には素直に従うべきだと思う。
家族が獣医師を信頼しているか否かはワンコにも伝わり、ワンコが診察台で素直に診察を受けるか否かに影響を与えうるらしく、やはり落ち着いて診察できれば、診断の正確さも上がるのだと思われる。

医師の治療に委ねるしか術がないことは、別にして、検索ワードに多い「老犬介護・夜鳴き」について、素人の気付きを書いておく。

我がワンコは最後まで自力で立とうとしており寝たきり生活は4か月半だったが、寝たきりとなって二年目というワンコも知っているので、一概には言えないのは重々承知しているが。

我がワンコが、認知症と思しき鳴き方を初めてしたのは、一年半前、15歳と半年の頃。
その頃から、少し膀胱関係で医師に相談することが増えてきた。
それ以前は朝夕の散歩で、用をたしていたワンコが、昼と夜中にもチッチを知らせるようになり、何度か膀胱炎を患うようになったのが、16歳を過ぎた頃。
膀胱炎そのものは医師の治療に委ねるしかないが、我がワンコには、尿路健康維持サポートをうたう大塚グループペットスエットゼリーが良かったと思われる。

サプリメントという点では、
医師から処方されるものも試したが、価格的に購入しやすく効果があったと思われるのは、DHC「きびきび散歩」「(瞳)ぱっちり」
高齢犬特有の白内障も関節痛も、年相応よりも良い状態だと言われていた。

<ワンコ食事>
ワンコはサイエンスダイエットのドライフードだけを食べていたおかげで、歯には問題なかったが、16歳を超えた頃から固いドライフードを咀嚼しにくくなってきた。
ワンコ仲間からは「湯でふやかしたら良い」とアドバイスをもらったが、湯でふやかすと、ドライフード特有の不味そうな匂いが強調されるせいか、食欲がすっかり減退してしまった。
そんな時、老犬介護本で「ササミの茹で汁で作った御粥が良い」と読み、試したら、美味しそうに食べるので喜んでいたが、これが結果的には良くなかったと思っている。三日でないという便秘になった。
医師によると、正確には便秘ではないそうだ。「便秘とは、出したいのに出ない状態をいう。しかしワンコの場合、御粥では栄養がなく、全て吸収されてしまっているので、出るものがない、という状態」・・・・・美味しそうに御粥は食べていたが、栄養がなく体重も減ってしまうのでは意味がない。

再度、ふやかしフードを試す
ササミの茹で汁でふやかしたものと、カボチャを形がなくなるまで煮た茹で汁でフードをふやかしたものが、大好きだった。
とくに、カボチャの茹で汁は水分としても摂っていた。

注意点
フードをふやかすと、食べかすが口内に残りやすい。
ワンコの口内炎も、そのせいだと思われるので、口内の衛生面には気をつけること。


<夜鳴き>
これが実際には一番悩ましいところとなるのだと思われる。
一年半前(15歳と半年)に初めて認知症由来の鳴き方をしたが、その後は落ち着いており、本格的に夜鳴きを始めたのは、半年前のことだった。
ワンコ仲間には、「安定剤が効いた」という人もいるが、我が獣医さんは「正確には安定剤というものはなく、抗うつ剤と鎮静剤であり、それも痴呆には効果が少ない」とおっしゃったこともあり、我がワンコは使用しなかった。
薬でない方法を模索している我が家に、ワンコ実家から「サイエンスダイエット・プロ・健康ガード脳」が新発売されたという情報が入った。
これがよく効いたという声もあるそうだし、我がワンコも多少の改善はあったかもしれないが、正確な効果のほどは分かない。というのも、これは7歳からの療養食であり、夜鳴きの症状が出てしまってからでは遅いのではないかと思われるからだ。
ともかく、哀切を帯びた鳴き声が認知症特有の鳴き方だそうで、その声の物悲しさが、家族の心を居た堪れないものにするが、より実際的にはご近所に御迷惑をかけることを心配しての心労の方が大きかったと感じている。
夜鳴きを抑える方法も、良い対処の仕方も、未だに分からない。
獣医さんは「この鳴き声を聞くと辛いでしょうが、ワンコとしては遣りたいようにやっている。もしかすると若い頃のように走っている気分で気持ち良く鳴いているのかもしれないので、あまり気疲れしないように」と常々話されていた。
このアドバイスが今も、胸にささっている。
ご近所には、多頭飼いで鳴くがままに鳴かせている御宅があり、回覧板的に問題となっているが、遣りたいようにやっているワンコにはストレスがないのかもしれない、今も元気に、鳴いている。
我が家は、ご近所迷惑を気にしすぎて、ワンコが鳴き始めると必ず抱っこをして宥めていたが、これがワンコのストレスになったのではないかという思いが拭えない。
おそらく、「ワンコ・夜鳴き」で検索される方も、ご近所への迷惑が気がかりなのだと思うのだが、答えも方法も分からない。
分からないが、我がワンコのひどい夜鳴きは、半年ほどのことだった。

「ウンチとチッチと食事、これがデキていて、それでも鳴く分には、しょうがないなぁ と鷹揚に構えていることが大事」
この言葉が、今も後悔とともに蘇ってくる。

ワンコ介護は体力的にキツイときもあるし、現実問題としてご近所迷惑という問題が頭を悩ませるが、悲しいけれど実際には(そう)長い期間となるものではないので、ワンコと出逢えた「仕合せ」を噛みしめ一瞬一瞬を大切にと心から願い、ワンコ介護されている方を応援している。




老衰

年末年始、夜鳴きはあるもののそれなりに落ち着いていたはずだが、七日から食欲が極端に落ち、粗相をするようになった。
九日に口内炎の診断を得て、塗り薬と点滴でいったんは体力が回復し、自力で立ち上がりチッチも知らせるようにまでなっていたが、食べることを拒否することが、ワンコの意思だったのかもしれない。

うまく咀嚼できないながらも、好物のチーズとプリンといちごを食べた、ワンコ。
大寒を直前にひかえ明け方の冷え込みが厳しいからと、ワンコを囲み、皆で枕を寄せ合い温かくして寝た、その日。
いつもより大きなイビキが気にはなったが、イビキの合間に気持ちよさそうな寝息ももれるので、久しぶりに安心して熟睡できた、その夜。
朝一に目を覚ました家人は、ワンコのかわいい寝顔と気持ち良い寝息に安堵していたはずなのに。
いざ、いつものワンコ起床の時間に、ワンコを抱き上げると、実体の感じられない柔らかな体から体温が奪われている。
ワンコタオルケットにはチッチとウンチが付着している。
ただ事でない事態に動転しながら、ストーブの前に横たえ、教えられていた通り、胸のあたりをマッサージすると、温かみが戻ってきたが、荒い呼吸は、やはりただならぬ事態が続いていることを示している。

やがて、荒い呼吸から下顎呼吸にかわり
ワンコの大好きな抱っこをした。

ワンコは初めて我が家に来た瞬間から、抱っこが大好きだった。
あの角度でワンコを抱くと、あのつぶらで優しい眼差しが家族を見つめてくれる。
あの抱っこが私に与えてくれるのは至福の時間以外の何ものでもなかったが、ワンコもあの抱っこが大好きだった。
その瞬間も、あの抱っこで、
私を見つめるワンコの眼差しは温かく優しく、またワンコ独特のパラボナアンテナの耳は、私の言葉を全て聞き入れてくれた。

犬星だよ ワンコ

夜鳴きチッチの度に、深夜に二人で見た美しい星たち
犬星だよ ワンコ  「星は、朝づつ、犬星」

見守っていて ワンコ

私との約束を聴きながら、眠るように笑うように、眠ったワンコ




ワンコ復活
ヤフーのニュース写真で、ワンコを見た。
京都線に無賃乗車した柴ワンコが、一駅だけ電車に乗り、忽然と姿を消したというのだ。
たった一駅で忽然と姿を消したのに、それがニュースとなり写真まで大きく載せられている。
我がワンコだ。
よく見れば、姿形は違うのだが、人を見上げる時の優しい眼差しが、我がワンコそっくりだ。
我がワンコが、泣いてばかりの我が家に元気と喝を入れるため、迷子ワンコの御体を拝借して、姿を見せてくれたのだと信じている。

我がワンコは、我が家が知恩院さんに縁があり、年に何度か家族皆でお参りすることを知っている。
ワンコも、きっと知恩院さんにお参りする途中だったに違いない。

御体を貸して下さった迷子ワンコさんが家族のもとに戻れていることを願っているが、こんな形で時々とワンコが還って来てくれることを信じて祈って待っている。

ワンコは、我が家がお伊勢さんをお参りすることも知っている。
お伊勢さんと云えば、おかげ犬だよ、ワンコ  「きらきら輝く日本と犬」
大手を振って、待っていておくれよ、ワンコ

ワンコは、神様と仏様の御遣いとなって私達の側にいてくれるし、犬星となって見守ってくれている

我が春風の王

2016-01-27 09:51:25 | ひとりごと
この状況を知る本仲間が、「颶風の王」(河崎秋子)を勧めてくれていた。

その意図や心遣いを斟酌するほどの心境には到底なれないので、本書の主題からはズレているかもしれないが、今の自分の心にかかる場面を記しておきたい。

「颶風の王」は、日本の純血種の馬と宿縁ある一族と馬との数代にわたる物語である。

物語は、明治期、北海道開拓団へと出立する主人公・捨造が母の手紙を読み、泣いている場面から始まる。
『顔は天を向いていたが空を見てはおらず、目蓋を閉ざしている。
 その合わせ目から、とめどなく涙が零れては頬を、首筋を、襟元を汚していた。
 傍らで、馬だけがそれを見ていた。黒く澄んだ両の目に、主の姿を映していた。
 馬は少しばかり耳を立て、泣き続ける捨造に近づいた。
 その動きに気づいた捨造が手を伸ばすと、応じるように頭を寄せた。
 そのまま鼻先を男に近づけ、唇を器用に動かして濡れた顎に吸いつく。』

捨造の涙を吸う馬は、捨造の産みの親の血を引くものでもあった。

庄屋の娘であった捨造の母は、庄屋(父)の認めぬ男の子供を身籠ったまま村から逃亡し雪山で遭難する。冷たい雪洞で、愛馬のアオを食べ命を繋ぎ、臓腑を失った愛馬の腹に包まれることで命ながらえ、捨造を産むことができたのだ。
事の顛末を書き記す母の手紙を読み、滂沱と流す涙を吸う馬(自身の産みの親ともいえる愛馬アオの血をひく馬)と共に根室で新しい人生を切り開く、捨造。
太平洋戦争で一人息子を喪うが、その子(孫娘)和子は馬飼いの才があり、扱う馬はアオの血を引き強靭であり、貧しいながらも穏やかに過ごしていた捨造一家。
そんな捨造が度々口にする言葉があった。
『及ばねぇ。及ばねぇモンなんだ。』
それは、捨造の出生の経緯や育った環境から自ずと身に着いてしまった実感でもあるだろうが、最北の厳しい自然環境に生きる人間の自然を畏怖しての実感でもあると思う。
捨造の孫・和子も、群れから離れた馬を夜半に森に探しに入り実感する、「オヨバヌトコロ」。
『祖父が繰り返していた言葉が脳裏に蘇る。及ばぬ所。
 空と海と、そして不可侵の大地。いかに人口の光で照らそうと、鉄の機械で行き来し蹂躙しても、
 人の智と営みなどとても及びもつかない、粗野で広大なオヨバヌトコロ。』

この「オヨバヌトコロ」は、捨て造一家と馬との生活を根底から覆してしまう。
昭和三十年のある夜、巨大台風が崖崩れを引き起こし、馬を放牧していた孤島から馬を救出する術が絶たれてしまうのだ。

救出できない馬を孤島に残したまま根室を去らざるをえない捨造一家、孤島に残された13頭の馬。

半世紀近くの年月が過ぎ、馬と縁のない暮らしを送ってきた和子の孫ひかりが再び馬と出会う平成が、物語の最終章となる。
和子もやはり「オヨバヌトコロ」を孫娘ひかりに語っていた。
『及ばぬ。
 人の意思が、願いが、及ばぬ。』
『地も海も空も、人の計画に沿って動いてはくれない。祈りなど通じず、時に手酷く裏切ったりもする。
 それは人がここで生き、山海から食物を得るうえで、致し方がないことなのだと。』

脳卒中で倒れ生死の狭間を彷徨った和子が意識が戻るなり馬のことばかり話すことから、ひかりは孤島に一頭生き延びているという馬の救出を考えるようになる。
『及ばせたいよ』と。
今では特別自然保護区となり立ち入りを厳しく制限されているうえ、天候が荒れれば船を着けることすら困難な孤島へ行くことも、そこから馬を救出することも、大学生のひかりには難題だったが、ようやっと孤島に馬に辿り着いたひかりは、そこで一族と縁ある最後の一頭と出逢い、悟るのだ。

『この子は。この馬は。島に独り残されて出られないのではない』
『生き続けることによって、自らここにいることを選択し続けている。そうしてこの島に君臨している。』
『この海に囲まれ、風に削られ、そうしていつか地に伏し倒れても、それは意思及ばず朽ち果てたことにはならない。
 ここで最後まで、死ぬまで懸命に生きたということが、意思が及んだという証明であり答えだった。』

『なんも。及んでるよ』ひかりは呟く。

馬から命を授かった一族の末裔が、恩ある馬の末裔を孤島から救出し、馬と一族との新たな絆が結ばれました、という如何にもハッピーエンドな終わり方をこの物語はとらない。
人は「オヨバヌトコロ」に翻弄されるしかないのかもしれないが、「オヨバヌトコロ」である自然の一部である馬は、生きる場所も生きる時も自らの意思で選んでいる、それこそが「及んでる」ことである、と現代に生きる孫娘に悟らせることで、我々読者に自然のなかにある命について考えさせる。





この状況で、何かを読む気力はなかったが、この状況を知る本仲間が、敢えて勧めてくれたその意図と心持を少しでも理解しようと思い、少しずつ読んでみた。
本書の冒頭で、滂沱と涙を流す捨造をじっと見つめ涙を吸う馬の場面を読んだだけで、涙で文字が読めなくなった。

17年と2か月前、「僕を選べ」と眦に力をこめて私達を見つめた ワンコ
家族の笑顔の真ん中にいつもワンコがいた
けれど、それぞれがひっそり溜息をつき涙を流すとき、傍らにワンコだけがいてくれた
皆で共有する喜びの真ん中で はしゃいで喜びを倍増させてくれたワンコ
けれど、一人で嘆くしかない哀しみは ワンコだけと共有したかった

ワンコが大好きだった抱っこで、笑うように眠った ワンコ
どんなに私たちが祈っても願っても、人間には「オヨバヌトコロ」をどうすることもできないのかもしれないが、ワンコには意思があり「及んでいる」とするならば、その意思を大切に受け留め生きていかねばならないと思っている。

ワンコの愛と善意と優しさは、いつもいつも、これからもずっと、私たちに及んでいるよ。
ワンコよ 永遠に

命につながる道

2016-01-18 18:13:15 | 
本仲間から「わが心のジェニファー」(新田次郎)を勧められたが、ワンコ問題もあり新しい本を読む気力が湧かないでいると、「ならば『颶風の王』(河崎秋子)はどうだ」と手渡された。ある馬と人間との数代にわたる縁を描いた物語のようで、これを勧めてくれた心持は有難いが、なかなか新しい本を読む気力が湧かない。

我がワンコ、水分はゴクゴク摂るがフードはペースト状であれ拒否するので、理科の教材だとかいう水鉄砲と注射器で少しづつ口に運んでいると、「生きる」「命」について考えざるをえない。
そんなとき、お題が「人」の「歌会始の儀」で人生の文字をを織り込んでいる歌を見つけたので、人生さんが主人公の本を思い出した。
その名もズバリ、「生きるぼくら」(原田マハ)

今、「生きるぼくら」という題名は眩しい、眩しすぎる。
が、本書の主人公が、「生きるぼくら」と胸をはって言えるようになるまでの過程を思い出すことには、意味があるような気がしている。

本書の主人公・人生は、両親の離婚をきっかけに、住みなれた土地を離れ母親と二人暮らしとなる。
転居先の中学校でいじめに遭い、高校でも虐められ、遂に中退、引きこもりとなるが、引きこもり生活も数年に及んだ頃、そんな息子を見ておれなくなった母親は、一通の手紙を残して、家を出ていってしまう。
母が残した手紙に添えられた年賀状には、別れた父方の祖母からのものがあり、その葉書には「私(祖母)は余命数か月です。」とあった。
この年賀状に隠された真実は、物語の最後に明かされるが、両親の離婚以降、大好きだった(父方)ばあちゃんに一度も会っていないことに思い至った人生は、祖母に会うため数年ぶりにアパートのドアを開ける。

やっと辿り着いた茅野のばあちゃんは認知症で、人生が誰だか分からなくなっているだけでなく、ばあちゃんの傍らに見たことのない少女が居座っている。
この物語は、認知症のばあちゃんと、イジメで引きこもりになった(ばあちゃんと血縁関係にある)孫・人生と、イジメや親族間のゴタゴタで対人恐怖症になった(血縁関係の無い)孫・つぼみ、この三人の不思議な共同生活と、三人が周囲の助けを得ながら「自然の田んぼ」を守る姿を描いている。

「生きるぼくら」は、茅野・奥蓼科で昔ながらの「自然の田んぼ(無農薬)」に挑戦することで若者が生きる道を見つけるものだが、これは穂高村で人生の自給自足を見出す「幸せの条件」(誉田哲也)に繋がる感がある。

何故、人は信州にゆくと生きる元気がもらえるのだろうか。

東西に延びる中央自動車道を、北にハンドルを切ると、出迎えてくれる雄大な八ヶ岳。
あの景色を目の端に入れながら車を走らせているだけで、体の細胞が活性化し始めるのを感じるのは、私だけではないのだろう。


誰が云ったのか何で読んだか聞いたか、今となっては忘れてしまったが、「どんなに辛いことがあっても、懐かしくて胸が締め付けられそうになるような、景色(心の原風景)を持っている人は大丈夫」という言葉が、心に残っている。

安曇野からの北アルプスは、私にとっての心の原風景だが、その玄関に八ヶ岳がある。
茅野・蓼科は二度ほどしか訪れたことがないが、泊まった旅館に(車山へ向かわれる)皇太子ご夫妻の写真が飾られていたことや、車山のコロボックルヒュッテに皇太子ご夫妻のエピソードが溢れていたことは嬉しく懐かしい思い出だ。

そんな茅野・蓼科が、この物語の舞台であり、この舞台が登場人物すべての心の原風景だからこそ、この物語はどこまでも温かく清々しい。

信州の地で、山と自然に包まれながら、生きる道と命の輝きを模索する物語については、またつづく

参照、「幸せの条件 お天道様」 「幸せの条件 知足者富」 「幸せの条件 共生と独歩」 「幸せの条件」