何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

チェスト行け!朝がくる

2015-10-31 00:35:07 | ひとりごと

桜島噴火のニュースから「二つの祖国」(山崎豊子)を思いだし、「チェスト行け」シリーズ(「ペンと法でチェスト行け」 「正義と法でチェスト行け」 )を書いていたが、今日から鹿児島で開催される国民文化祭の開会式に皇太子ご夫妻が揃ってご出席になるとニュースで知り検索していると、さまざまな行事の掛け声に「チェスト行け」と記されているので気を良くし、鹿児島つながりで思いつくことを書いてみる。

鹿児島というと現在の朝ドラでも元薩摩藩士が活躍している。
もう長い間朝ドラを見る習慣はなかった我が家が録画してまで見た「花子とアン」。
あれ以来朝ドラから遠ざかっていたのだが、今の「あさが来た」は又また録画してまで見ている。 朝8時から見ている家人が、夜家族と録画を見る時は、次のシーンの解説がしたくてたまらないようだが、何度見ても面白いと言っている「あさが来た」。
まさに朝が待ち遠しいと思わせる、「あさが来た」だそうだ。
その「あさが来た」に、薩摩藩士伍代友厚が登場している。
薩摩(鹿児島)の幕末の志士では「おいの命おはんらに預け申した」の上野の西郷どんと大久保利通が有名だが、伍代友厚は「大阪にビッグなカンパニーを作りましょう」と大阪商人に発破をかけている。
薩摩というと、「二つの祖国」でも男女の洗濯ものを別けて洗わねばならないほどに男尊女卑が厳しい土地柄と書かれており、それは過日の現知事の「女は三角関数を勉強する必要がない」(参照「洗濯ものの向こうに透けて見える偏見」)という言葉にも現れているのかもしれないが、薩摩藩士伍代友厚は少なくともドラマのなかでは男尊女卑に凝り固まった薩摩隼人ではない。 主人公あさが、男女の別なく一目置かせるほど格別に利発だったのかもしれないが、伍代はあさを一人の自立した人間として認め意見を交わしている。これは伍代が幕末藩命によりヨーロッパを視察した経験をもつ開明派であることもあるのだろうが、時代を切り開く才覚ある人間は、藩だの男だの女だのにこだわる狭量な人間ではないということかもしれない。

「あさが来た」は始まったばかりだが、印象に残る言葉は既にいくつかある。
借りたお金を返さない大名家に連日取り立てに行き、ついに幾ばくかの借金を返済させた主人公あさを見守っていた舅の正吉の言葉は印象的だ。
『泳ぎ続けるもんだけが時代の波に乗っていける、そういうことかもしれませんなぁ』
一見すると、絶えず活発に動き回っているあさを指しての言葉に思えるが、これは実は正吉の度量を表す言葉でもあるかもしれない。
時代が大きく変わろうとしている激動の直中で、正吉は男だ女だ使用人だと云わず相手の意見を聞き取り入れる、その柔軟な姿勢こそが「泳ぎ続けるもん」かもしれず、それは次の言葉にも表れている。
あさの商人としての才覚を見込んだ正吉は、店の者には「あさちゃんの言うとおりにせぇ」と命令し、息子新次郎(あさの夫)には「あさは金の卵だ」『卵というのは、誰ぞが温っためてくれる者がないとかえらしまへんねやで』と言う。
そう言われるあさの夫も又「泳ぎ続けるもん」かもしれない。 当時としても破天荒なあさを認め、あさの考えを尊重する夫新次郎の言葉もまた印象に残っている。
『あさちゃんの好きにしたええ よう考えてみい、よぉよぉ考えて進んだ道には必ず新しい朝が来る 』
男女関係なく能力のある者を認め、それを内にも外にも公言する柔軟な姿勢をもつ正吉と、新しい朝のために卵を温める新次郎。
激動期の今、泳ぎ続けて時代を作る者と、そこを泳ぎ続けて時代の波に乗る者を描く「あさが来た」から目が離せない。

ところで、泳ぎ続ける者というと、薩摩藩士大久保利通を義祖父にもつ吉田茂は「呑舟之魚不游支流(呑舟の魚支流に泳がず)」という言葉を好んでいたという。
時代を牽引するような人物は、ただ「泳ぎ続ける」だけでなく、何処でどのように泳ぐのかも重要であり、それでこそ時代を作り時代の波に乗っていけるのかもしれない。

「チェスト行け」を掛け声にした国民文化祭鹿児島の開会式に御臨席される皇太子様は早くから「時代に即した公務の在り方」を提唱されている。
次の時代を見据える視点は、過去と現在を最良と考え守りたい者どもから疎まれる。だが、正しい波に乗り損なえば時代もろとも藻屑と消えるしかないほど厳しい世が、そこまで忍び寄ってきているのではないだろうか。
災害や民の暮らしを歴史から深く学ばれる皇太子様と、現代最高の経済学を修めておられる雅子妃殿下。
皇太子ご夫妻が考えておられる「時代に即した在り方で、チェスト行け!!!」


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良心に恥じぬということ

2015-10-28 12:35:15 | ニュース
<米艦南沙派遣>数時間の「航行の自由作戦」緊張高まる 毎日新聞 10月28日(水)0時9分配信より一部配信
米海軍のイージス駆逐艦が南シナ海の南沙(英語名スプラトリー)諸島で、中国が埋め立てた人工島から12カイリ(約22キロ)の海域内を航行したことに対し、中国政府は27日、軍艦2隻で追跡・警告したことを明らかにした。中国は「主権を脅かすものだ」と強く反発しているが、米国は同様の作戦を数週間から数カ月続ける方針を示し、米中間の軍事的緊張が高まっている。


この件に関して私見を書くつもりはない、というよりは書くだけの情報も知識もない。
人も国も命をかけても守らねばならないものがあるかもしれないし、それはその時々に応じて名誉だったり人命だったり財産であったりするのかもしれない。しかし、そのための掛け声はいつも「自由と平和のための行動」ということになるのだとしたら、肝に銘じておかねばならない言葉があると、ある本の一節を思い出した。

「神様のカルテ2」(夏川草介)
信濃大学医学部出身の主人公栗原一止は、地域医療の一端を担いたいと地域の中核病院で寝食を犠牲にし身を粉にして働いている。そこに大学時代に「医学部の良心」とまで云われた友人がUターン就職するのだが、かつての「医学部の良心」は目に冷めたものを光らせルーチンワーク以外一切の診療に関わろうとしようとしない。
かつての「医学部の良心」は『僕らは医者であるというだけで、まともな食事も睡眠も保障されていないんだ。狂っていると思わないか、栗原(一止)』と問う。
『今さら何を卒業したての研修医のようなことを言っている。そんな理不尽など百も承知で我々は医者をやっている。』と答える一止自身、その日も当直明けにもかかわらず通常通りの診察をこなしているという過酷さだ。
双方それを十分に分かったうえで、今更ながらの禅問答をしているのだが、その締めくくりに一止がかつての「医学部の良心」に投げかける言葉を、「航行の自由作戦」に届けたい。

『良心に恥じぬということだけが、我々の確かな報酬である』
二人は学生時代、この言葉を語り合っていた。
『ケネディは戦争のためにこの演説をふるったが、我々は医療の為にこの言葉を用いようとよく言っていた。
 百人を殺す英雄ではなく、一人を救う凡人であろうとな』

しばらく続くと宣言されている緊張状態に、再度この言葉を届けたい。
「良心に恥じぬということだけが、我々の確かな報酬である』

ところで、主人公一止は夏目漱石「草枕」の愛読者であるが、私はどうにも夏目漱石に苦手意識があるというのは以前も書いた通りだ。その理由を国語の授業で習った「こころ」にあると自分なりに分析していたが、それがあながち間違いでないことに、この本を再読して気が付いた。
浪人中も酒を飲んでいたという新入生に一止が言う。
『ろくでもない浪人生だな。物事には順序というものがある。未成年が酒を飲むなど、漱石の数ある名著を読むのに、「こころ」から始めるのと同じくらい愚昧なことだ』
『~「こころ」だけ読むからダメなのだ。過程をすっ飛ばして結論だけ読んだ若者たちがこぞって''感動した''などとのたまうからバカバカしい。「こころ」にあるのは感動ではない、絶望だ』

「こころ」にあるのが絶望だとは分かったが、漱石に本格的に出会ったのが国語の授業の「こころ」であったのが、やはりいけなかったのかもしれない。そういえば、大人になり大の井上靖好きになれたのは、子供の頃に授業で習った「しろばんば」の洪ちゃの素朴さが根っこにあったからかもしれない。
何事でも順序は重要なのだろうが、読書の喜びは一生の宝だとすれば、そのきっかけとなる国語教科書で取り上げる教材の順序には、もう少し配慮が必要ではないかと思ったりしている、読書週間である。

ところで以前も書いたが、雅子妃殿下の母上の従兄に夏目漱石の研究家としても知られる江藤淳氏がおられる。
「神様のカルテ2」冒頭で紹介される漱石の『運命は神の与えるものだ。人間は人間らしく働けば結構だ』の言葉に、雅子妃殿下のお言葉を思い出した。
ご婚姻に関する皇室会議終了後の記者会見から1年が経ったことにあたってのご会見でのお言葉であったが、当時は風邪をひかれて公務を休まれていたこともあり、すわ御懐妊かと大騒ぎとなっていた頃でもある。記者の「妃殿下にお伺いいたしますが,ご懐妊の期待というのはかなり高まっていると思うのでございますが,逆にご本人としてそれに対してプレッシャーみたいなものはお感じになることはございますでしょうか。」という質問に対し、雅子妃殿下は「どうでしょう。特にそういうこともございませんけれども,物事はなるようになるのではないかという感じです。」とお答えになっている。

このお言葉については正直なところ、不躾な質問に対し少し不快感を持っておられるのかと感じたが、その後自分自身年を重ねるにつけ「物事はなるようになる」という言葉が決して投げやりなものではないと深く感じるようになっていた。

雅子妃殿下が、漱石の研究家でもある江頭氏から『運命は神の与えるものだ。人間は人間らしく働けば結構だ』という言葉を聞いておられたかどうかは分からないが、私自身「運命は神が与えるものだ。物事はなるようになる」と思い、なるべく心穏やかに為すべきことを為していきたいと思っている。

参照、「拙を守って偉くなれ」

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再びのナンバーワンを目指して!其の弐

2015-10-27 22:43:05 | ひとりごと
「再びのナンバーワンを目指して」で<新入社員の63%、海外勤務望まず 過去最多と民間調査>というニュースについて書いたが、その調査を行った産業能率大が調査報告書の全文を「第6回新入社員のグローバル意識調査」PDFファイルで提供している。
この調査は調査開始は2001年だが、'04年から急激に海外勤務を敬遠する傾向が顕著になる。'04に何があったかを念頭に入れて、文科省の「日本人の海外留学状況」というデータを重ねると、興味深い考察ができるのではないかと考えている。

日本人の海外留学数はバブル経済を背景に増加の一途をたどっているが、'93には過去最高の伸び率を示している。
この'93年に皇太子ご夫妻のご成婚があり、颯爽とした外交官出身の皇太子妃誕生に日本中が湧きかえった。
ハーバード大学をマグナ・クム・ラウデで卒業し、東大とオックスフォードで学んだ外交官という経歴だけでも華々しいが、その実力を裏付けるように、ベーカー元国務長官来日時に中曽根・竹下元首相や渡辺元外務大臣の通訳を務めた姿や、日米半導体協議に日本側代表メンバーとして活躍する姿が日ごとに報道され、圧倒的な学力に驚かされるとともに、しかし女性らしい立ち居振る舞いと洗練された姿は憧れの的にもなっていった。
類まれな才能と容姿を備えた皇太子妃の誕生は当時の若者の目を世界に向けさせたが、何より海外でこれだけの学問を修めた人間が、「根無し草になりたくない。日本のために仕事がしたい」と数々の海外企業の申し出を断り日本の公務員の道を選んだことが、当時の学生に与えた影響は大きかったのではないだろうか、と当時の大学を知る人間としては感じている。
「海外で学び、海外で十分通用する能力を身に着けた上で、日本のために働く。」

訪日する海外要人に帯同する通訳は雅子さんの語学力だけでなくコミュニケーション能力に舌を巻いたというし、激烈な日米半導体協議を戦った相手国は雅子さんの結婚を知り「タフネゴシエーター雅子が日米交渉から消える」と喜んだともいう。
また雅子妃殿下は単に学力が秀でていただけでなく外国人が重要視するユーモアとウイットに富んだ表現力も有していたというエピソードを産経新聞客員編集委員でもあった花岡信明氏は紹介されている。

☆竹下首相を驚かせた演説草稿の書き手 (皇太子妃雅子さまの首相演説草稿 花岡信昭より一部引用)
もっとも官僚が作成した首相演説でも、出色の内容となった例がないわけではない。竹下登氏が首相時代、環境関係の国際会議に出て演説することになった。外務省と官邸の間で演説草稿がまとめられていった。
何度目かの原稿で新たに加えられた部分があり、竹下氏を驚かせた。「ハス池のナゾ」というくだりである。こんな内容であった。
「ある池がありました。そこのハスは1日で倍に増えるのです。ある日、池の全面がハスで覆われ、小魚などは死滅してしまいました。それでは、この池の半分がハスに覆われていたのはいつごろだったでしょうか」
この答えは「前日」である。環境問題は放置しておくと取り返しのつかない事態になる、ということを象徴的に示したものだ。
竹下氏はだれがこの部分を付け加えたのか、調べさせた。「小和田事務官でございます」という回答があった。
いまの皇太子妃、雅子さまである。


これだけの能力のある女性が現実生身の外交の場から離れたのはある種の国益に反したのではないかと思われるが、100人の大使にも勝るといわれる皇室の親善外交の場でその能力を活かす場を与えられ御活躍になれば、日本を取り巻くものは変わっていたかもしれないし、これほど若者が内向きにもならなかったかもしれない。

しかし、子供を男児を授かることが最優先事項となり、その能力に見合う活躍の場は与えられないままに雅子妃殿下は心を病んでしまわれた。
もちろん9・11が世界に与えた影響や長引く不況のせいもあるだろうが、雅子妃殿下が御病気を公表された2004年から海外留学をする人は減り海外勤務を敬遠する人は増加し始めたという傾向は、男子出産こそが存在価値と云わんばかりの価値観と相俟って世間を席巻した「祖国とは国語(母語)」の風潮により拍車がかかり、以後の若者の内向き姿勢は今も改まることはない。

「祖国とは母語」は真実だとは思うが、母語や母国を誇るあまり他国の言語や文化を排斥するのは間違いだと思うし、鎖国時代に戻らぬ限り自国に閉じこもっているわけにはいかない。であれば、素晴らしい母国を他国に理解してもらうための道具として外国語を使いこなせるよう努力するのも又母国の為になるのではないか。
素晴らしい日本文化を世界に発信する素晴らしい能力を有した皇太子妃を、世界とは相いれない旧弊な価値観で病に追い込み、その価値観の広まりにより内々に凝り固まっていってしまう現在の社会、
これで良いのか、ニッポン。

雅子妃殿下が卒業論文を書くにあたり指導を仰いだ「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の著者エズラ・F・ヴォ―ゲル氏はその著作の中で、日本人が高い経済成長を成し遂げた原動力として高い学習意欲と勤勉性を挙げているが、氏はまさにハーバード時代の雅子さんにその姿を見ているのだ。

雅子妃殿下がハーバードを卒業された年の卒業生は1681人。
マグナクムラウデを受賞したのは55人で、雅子妃殿下が在籍した経済学部では三人だった。
この点につきエズラ・F・ヴォ―ゲル教授をはじめ経済学部の教授陣は「彼女は非常にプロフェッショナルな意識が強い女性で、よく勉強しました」 「言葉の問題もあり、外国出身者がこの賞をとるのはまず不可能。そのハンディを考慮すると、マサコは事実上の最優秀だったといえる。たいへんな価値です」 と語っている。
日本人の真面目さと勤勉さの象徴のような女性を、男児が産めなかったという理由で病むままに捨て置くのか。

遅きに失した感がないではないが、まだ間に合うと信じたい。
それまでの閉鎖性を打ち破り多様性を認めた布陣を敷いたラグビー日本代表が歴史的勝利を得て、それが日本に喜びをもたらしたのを教訓にし、旧弊な価値観に絡め取られて内向き志向に縮こまるのを改める時期だと思っている。
2020年の東京オリンピックを前に、国もようやっと若者の内向き志向に危機感をもち、日本の伝統文化を守る教育とともに広く海外へも目を向ける体制を整えつつある。
男児を産むことができなかった女性を病むままに放置する日本でいくのか、海外を向こうに張り活躍できる能力を持つ皇太子妃の能力をあるがままに認め活かす体制を整えていく日本でいくのか。
今まさに、日本の行くべき道の選択が迫られている。
日本は岐路にある。

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再びのナンバーワンを目指して!

2015-10-26 21:17:07 | ひとりごと
この秋は忙しい。
家族の忙しなさを感じるのもワンコが体調をくずす原因なのかもしれない。
朝日を浴びる生活が定着し夜鳴きが落ち着きつつあったのだが、このところは猛烈に忙しい人間どもが夜中までバタバタしているため、どうしてもワンコ生活も不規則になってしまう。
血液検査とエコーとレントゲンの結果、取り立てて悪いところはないと分かったのは有難いが、赤血球が尿に交じるという症状は以前として続いているし、チッチが出にくいという症状もぶり返してしまった。
今日は診察により、チッチを出して頂き、点滴と薬の変更となった。

猛烈に忙しい理由はいくつもあるが、家人が長期間イギリスに出張するための手筈に時間をくったというのもある。
ドル・ユーロと同じ調子でいつもの銀行にポンドの両替に行くと、「ポンドの利用率が悪いため扱わなくなった」と言われ止む無くショムニに手配を頼むと、「だから最初から頼んでくれればよいのだ」と小言の一つも頂戴する羽目になるし、少しばかり長期なのでカードの限度額を変える手続きをとったはいいが、忙しさに紛れてカードを何所に仕舞ったのか分からなくなっていることに気付いたのが出発前日の夜中という情けなさ。
家族皆で夜中に家中を探し回り、泥棒に家探しされた後のような状態の我が家を後に、家人は英国に旅立った。
その余韻をまだ引きずっており、ワンコは夜型夜鳴き生活に戻ってしまった。

英国との関係性というほど大仰なものではないが、ポンドの両替ができない銀行にぶち当たった時期と、エリザベス女王の「両国のきずなを祝福し、そのきずなをかつてない高みに導きます」のお言葉とともに英国で「ジャーヨ」国旗がはためいているのを見せつけられた時期が重なったため、かなり複雑な気持ちでいたところに、日経(共同通信配信)がショッキングなニュースを伝えている。

<新入社員の63%、海外勤務望まず 過去最多と民間調査> 2015/10/25 19:57日経新聞より一部引用
「海外で働きたいとは思わない」と考える新入社員が63.7%に達し、過去最多だったとする調査結果を産業能率大(東京)がまとめた。
前回の2013年度調査より5.4ポイント増え、調査を始めた01年度(29.2%)と比べると2倍以上になった。語学力に自信がないため海外勤務を敬遠する人が多く、若者の内向き志向が強まっている。
海外で働きたいかという質問に対し、2番目に多かった回答は「国・地域によっては働きたい」で27.2%。「どんな国・地域でも働きたい」は9.1%だった。
海外勤務を望まない人に理由を複数回答で問うと、「語学力に自信がない」が65.6%で最多。「生活面で不安」が46.9%、「仕事の能力に自信がない」が31.2%と続いた。
同大グローバルマネジメント研究所の内藤英俊主幹研究員は「海外に行けば意識が変わる人が多い。経営のグローバル化が進む中、企業は若い社員を積極的に海外に派遣すべきだ」と話した。〔共同〕


海外で働くどころか海外旅行に出かけなくてもよいという子供が増えている、その理由が「英語を勉強したくないからだ」と小耳に挟み暗澹たる思いをした時から、さほど時間が経っていないが、それを裏付ける調査を見てさらに暗澹たる思いでいる。
「日本は美しい国で日本語は美しいから、何も世界に出る必要も外国語を勉強する必要もない」と大真面目に言う子供が最近いるそうだ。
日本と日本語が美しいことは確かだが、それで内向き志向でやっていて美しい日本が保てるのか、ニッポン。

ある大手電器メーカーの技術者の話であり、それが技術者側だけの言い分だということを差し引いたとしても、この調査と照らし合わせると一面の真実はあると思われる話を耳にしたことがある。
「日本(自社)の技術は決して負けてはいないが、一つ明確に後れを取っているものがあり、その為に、いくら良いものを製造しても販売に結びつかない原因となっている。
それが、英語力」

最近意外なところでも英語力の必要性は話題となった。
ワールドカップで南アフリカを破ったことと五郎丸選手のポーズで日本に元気を与えてくれたラグビーだが、勝利の立役者となったリーチ主将は、時期キャプテンの必須条件として英会話力能力をあげている。
それまでの閉鎖性を打ち破った布陣で見事に勝利を勝ち取った日本チームの外国人主将は、帰国後の会見で「英語をしゃべれないと苦労する。勝った要因でもある」と言い切っている。(「リーチ「英語力が勝因」 新主将は主審と良好な関係を築ける人材を」スポニチの記事より)


いくら良い製品をつくっても良いプレーをしても、それ以外の理由で負けるというのでは悔しいではないか。
しかし、何時からこれほどまでの内向き志向になり、それ故に負けが込むような状態になったのか。
「勇者は語らず」(城山三郎)でも描かれた車をはじめとした日米貿易摩擦が激しかった頃、その先頭で戦っていた企業戦士たちは語学習得に適した環境を与えられた学生生活を送った世代ではなかったが、世界から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(エズラ・ヴォーゲル)と言わしめる日本を作り上げた。
(参照、「勇者よ進め」
それが何時の間に、英語が苦手だからと海外勤務を敬遠するようになったのか。

ところで、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の著者エズラ・ヴォ―ゲル氏は雅子妃殿下がハーバード大学の卒業論文『External Adjustment to Import Price Shocks :Oil in Japanese Trade』を書くにあたり相談された教授でもある。


そのあたりの我田引水考察は、つづく

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ボンボン魔法で元気になれ

2015-10-23 12:45:18 | 
見慣れない本がある。

カラフルな表紙にコーギーと思しき笑顔のワンコ、飾り文字で「魔女犬ボンボン」 (廣嶋玲子・作 KeG・絵)とある。
ボンボン??

学校でワンコの介護について話したところ、「犬好きが読む本だ」といって手渡されたそうだ、ボンボン。
ボンボンに限らずあまり本を読まない筋肉頭ではあるが、心配してわざわざ貸してくれたものを読まずに返してはいけないと思い、就寝前に読むことにしたようだ。
が、眠り薬より効くのか速攻寝付いてしまい、枕の肥やしボンボン。

ボンボンの表紙にはコーギーの絵があるが、ワンコ病院の待ち時間に愛くるしい目をしたコーギーに出会った。
「かわいいね」と声をかけると、大きな耳をパラボナアンテナのように動かす仕草がまた何ともかわいらしい。
飼い主さんいわく、「この犬は、自分のミドルネームを<かわいい>だと思ってる」
「むむっ、我が家と同じ。だが、我がワンコは宇宙一」などと思っていると、続けて「このコーギー、実は脳腫瘍で余命500日の宣告を受けていたのですが、それを超えて頑張ってくれているのです。今日は、現状での薬の量を調整するための検査なのです」という衝撃の言葉。
もう13歳でもあるが家族からすればまだ13歳の犬も人間年齢に換算すれば・・・・・。
家族の愛情にたっぷり包まれていることが伝わる愛くるしい目をしたコーギーに、心からのエールを贈る。
頑張れコーギー!


ボンボンまで登場するほどに、家族皆が心配してアチコチで話をしている我がワンコの現在。
体調を崩す前の朝昼夕深夜の四回のチッチサイクルに戻ったが、チッチの量が少なめで色が濃いのは、薬のせいかまだ鮮血が混じっているせいなのかは、分からない。
便秘生活も三日目になり本人も気にしているようだが、これが薬の影響なのかも、分からない。
処方されている六日分の薬を終え、再度の診察で全快の言葉を待つのみだが、それまでにボンボンを読み終えることを出来るのか?

今時のボンボンに匹敵するものが自分の時代にあったかと振り返り、思い出したのが
「クレヨン王国の12か月」(福永礼三)
ある日クレヨン王国の王様が失踪してしまい、王国の閣僚たちは慌てふためく。
『王様は太陽じゃ。光じゃ。
 王様を失えば我々はだんだん色を失って、つまり、世界は白黒の写真のように、形と影だけになってしまう』
王様は、「王妃の12の悪い癖が直れば王国に戻る」と書置きに残していたので、閣僚たちは王様を連れ戻す旅に出るよう王妃に頼み、人間の子供のユカはその伴をすることになる。
これは、12の町を旅するなかで王妃自身が悪い癖に気付き反省し改めていく過程を描く物語である。

1月の町では散らかし癖、2月の町ではお寝坊、3月の町では嘘つき、4月の町では自慢や
5月の町では欲しがり癖、6月の町では偏食、7月の町では意地っ張り、8月の町ではげらげら笑いのすぐ怒り。
9月の町ではけちんぼ、10月の町では人のせいにする、11月の町では疑い癖、12月の町ではお化粧3時間。

どの癖も、子供ながらドキリとするものであり、気づいていながら注意を受けながら直せないものばかりではないか。
クレヨン王国の閣僚は、その悪い癖をもった王妃を追い出してしまおうとはしない。悪い癖をもつ王妃を娶った王様を追い出してしまおうともしていない。
『王様は太陽じゃ。光じゃ。
 王様を失えば我々はだんだん色を失って、つまり、世界は白黒の写真のように、形と影だけになってしまう』
閣僚たちは慌てふためき、王様を連れ戻す旅のなかで癖を直すように、王妃にお願いしている。

これが児童書としては重要なことなのだと感じながら読み返していた。
誰しも悪い癖はあるし、分かっていても直せない習慣もある。その弱いところをもって排除にかかるのではなく、自ら間違いに気づかせ、直すのに十分な時間を与え「待つ」という姿勢を描き、しかも月々の町ごとに美しい詩まで紹介されている。

児童書としてだけでなく、薹が立ってしまった今読んでも考えさせられるところがあったが、子供の頃あれほど繰り返し読んだはずであるのに、7月の癖だけは今もって直っていない。
私の世界は少なくとも12分の1分だけ光を失っているのかもしれない。

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