何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

手を携えて叡智を結集

2015-04-30 21:22:07 | ひとりごと
<安倍首相、米議会上下両院の合同会議で歴代首相初となる演説へ>Fnn04/29 23:53より一部引用
ワシントンを公式訪問している安倍首相は、まもなくアメリカ議会の上下両院の合同会議で、歴代首相として初となる演説に臨む。
日本の首相が、アメリカ議会で演説をするのは、池田勇人首相の下院での演説以来、54年ぶりとなる。
しかも今回は、アメリカ国民を代表する全ての議員を前にする演説で、まさに、歴史的なものになる。



日本の首相が米議会上下両院で初演説ときいて、ケネディ大統領の就任演説について書くのもおかしな話だが、
「岐路に立ち向かう叡智(4/29)」で書いた「人間が一致団結して立ち向かわなければ、巨大な自然災害にも、猛威を振るう感染症にも立ち向かえない。」とかけて、「上下両院全ての議員を前にしての演説」ととく、
その心は、
ケネディ大統領の就任演説と相成った。

ask not what your country can do for you-- ask what you can do for your country.
ケネディ大統領の就任演説というと、この部分ばかりが有名だが、人類が一致団結して闘わねばならないものとして疫病をあげている。

Now the trumpet summons us again -- not as a call to bear arms, though arms we need -- not as a call to battle, though embattled we are -- but a call to bear the burden of a long twilight struggle, year in and year out, "rejoicing in hope, patient in tribulation" -- a struggle against the common enemies of man: tyranny, poverty, disease, and war itself.
そして今また、トランペットは私たちを召集しています。武装せよとの呼びかけではなく、-武器は私たちに必要ではありますが-戦いへの呼びかけではなく-臨戦態勢にいることは必要ですが-しかし、夜明け前の長い暗闇の中での闘争-、年月を経て、「希望を抱いて喜び、艱難に耐え」つつ-人類共通の敵である圧制、貧困、疫病、そして戦争それ自体への闘争の中で、重荷を背負え、という呼びかけです。


ケネディ大統領は、人類共通の敵として疫病をあげているが、「希望を抱いて喜び、艱難に耐えつつ」重荷を背負って立ち向かわねばならないのは、地震や噴火などの自然災害も同じだと思う。

それはともかく、エボラの流行が世界を震撼させていた昨年、ケネディ大統領が敵としてあげている疫病について書かれた2冊の本を読んだ。
「ウイルスハンターCDCの疫学者たちと謎の伝染病を追う」(エドレジス)
「ホットゾーンー恐怖!致死性ウイルスを追え(リチャード・プレストン)
題名のとおり、致死性ウイルスと闘う疫病学者を描いたノンフィクション。
エボラの収束の目途が立たないニュースと並行して読んだので、ホラーやミステリーとは比較にならない恐怖を感じたが、その一方で我々の知らないところで、世界の命を守るために昼夜をわかたず活動している組織があることに驚き感動した。

「ウイルスハンターCDCの疫学者たちと謎の伝染病を追う」より感銘を受けた箇所の要旨
CDC(米疾病対策センター)
病原体と人間との戦いを統括する作戦本部。
世界中どこであろうと地元の公衆衛生当局が手におえない病原体に出くわしたら、最後にはCDCに連絡をとる。
CDCは最後の拠り所だから。
病原体のサンプルを送れば、その正体の答えと対処の答えがすぐに返ってくる。
現場の援助が必要な場合は、即座に救援隊が派遣される。CDCの派遣部隊は数時間以内おそくとも数日以内に到着することで有名。
生物試薬や検査道具、実験用のウイルスなどが必要な場合もCDCが提供してくれる。
それがCDCの存在意義であり活動内容なのだ。
なにしろCDCは最後の頼みの研究所(ラボ)であり、世界のあらゆるウイルスと最近の収容施設であり、地球上の対疫病戦部隊の中枢なのである。

CDCは第二次世界大戦の直後に設立された組織で、(本文にある通り)自らを疫病との戦いの最期の砦「対疫病戦部隊の中枢」と自負しているが、世界中が現在も依存しきっている組織の維持にアメリカの膨大な国家予算がつぎ込まれている。
それはケネディ大統領就任演説の「人類共通の敵である疫病との闘争のなかで重荷を背負え」という精神あってのことかもしれない、などと「上下両院での首相初演説」のニュースを読みながら感じていた。

「ナニワ・モンスター」(海堂尊)の医療陰謀論を読むと、何事も盲信は厳禁だと思わざるをえないが、「疫病が人類共通の敵であり人類が一致団結して闘わなければ打ち勝てない」のは間違いないだろう。ネットに溢れている陰謀論を云々する術はないが、CDCの活動を読めば陰謀論を安易に信じるのはバカらしいと分かると同時に、命にかかわる疫病対策を一国に依存する危険性も感じている。それは、ある意味で殺生与奪を握られるに等しいからだ。
人類共通の敵に対して人類が一致団結して戦いを挑みながら、それぞれ個々に自覚的に立ち向かう必要がある。
日本は日本として危機に対処しながら、世界と一致団結してことにあたる必要がある。

そこで、昨日の「岐路に立ち向かう叡智(4/29)」の題の意味。
「人間が一致団結して立ち向かわなければ、巨大な自然災害にも、猛威を振るう感染症にも立ち向かえない。そのあたりのことを雅子妃殿下はお誕生日のお言葉で何度か述べておられる。」と書いた。

東日本大震災翌年のお言葉では、まず「日本社会は岐路に立っている」という日本の危機と、それに対し「手を携えて進んでいく」ことの大切さを述べておられるが、世界規模の災害をの頻発を懸念された25年には、世界の危機とそれへの対応を述べておられる。

御病気のためお言葉を伺う機会は限られているが、地殻変動や感染症の問題が世界規模で生じている現在を、
世界の大学で学ばれた雅子妃殿下は広く正確に捉えておられる。
雅子妃殿下が皇太子妃であり、次代の皇后になられること有難いと思っている。


平成24年お誕生日のお言葉より
昨年の震災は,被災地以外の地域に暮らす人々にも非常に大きな衝撃を与え,日々の生活や意識を変えることになるような大きな出来事でした。今,日本の社会は色々な意味で岐路に立っているように感じます。今後,将来への希望と自信を持って,望ましい社会の姿を見出していくために,皆で知恵を出しあい,痛みを分かちあいながら,しっかりと手を携えて進んでいくことが大切なのではないかと感じております。


平成25年お誕生日のお言葉より
自然は,私たちに恵みを与えると同時に災害を引き起こすこともあります。地球温暖化が進むとともに異常気象や災害が頻発し,災害の規模も大きくなっていくと言われています。世界において地球温暖化や生物多様性の減少が現実の問題として進行して行く中,自然への畏敬の念を忘れずに,自然とうまく共存していくことが,今後ますます大切になってくるのではないでしょうか。地球環境の恵みを将来にわたって享受できるよう,自然環境を守り,地球上の限りある資源を大切にして,持続可能な形での発展を達成していくために,私たち人類は,叡智を結集し,力を合わせて取り組んでいかなければならないのではないかと感じています。

岐路に立ち向かう叡智

2015-04-29 12:49:04 | ひとりごと
<ネパール地震死者5000人超 72時間経過、救助進まず>産経新聞 4月29日(水)7時55分配信より一部引用
AP通信などによると、ネパール国内に加え、近隣のインド、中国などを含めた犠牲者数は5千人を超えた。28日昼(日本時間同日午後3時11分ごろ)には、生き埋めになるなどして水や食料を摂取できない場合、生存率が急激に下がるとされる災害発生から72時間が過ぎ、犠牲者数が増大する恐れがある。

刻々と被害が拡大していく辛さは痛い程知っている。

ビンディ
一人でも多くの救出を、少しでも多くの救援を

日本からも続々と救援隊が向かっている。

<日本の緊急援助隊が現地入り 救助犬使い捜索>テレビ朝日系4月29日(水)5時58分配信より一部引用
大地震で甚大な被害が出ているネパールに日本の国際緊急援助隊が到着し、早速、捜索活動に取り掛かりました。
国際緊急援助隊・萩森義男中隊長:「崩れたものが覆いかぶさっているので、それを排除するまで頑張りたい」
70人態勢で28日に現地入りした緊急援助隊は、ヒンズー教の寺院が多く倒壊した市の中心部で、救助犬を使った捜索活動を始めました。

以前「人を導くもの(3/9)」でも書いた「天空の犬」「ハルカの空」(樋口明雄)は、東日本大震災のとき南相馬で救助犬として活動した犬とハンドラーが山岳救助に舞台を移して活躍する話だが、犬が災害救助で活躍する歴史は長い。古くはヨーロッパアルプスで遭難者を救助する役目を犬がおっており、そのコンセプトを受けた鞄屋さんが日本にもあるほどだ(参考、犬印鞄製作所のHPより 昭和28(1953)年、戦後間もない物資のない時代に犬印鞄製作所は商標登録されました。アルプスの救助犬が人命を救うためその首に付けている小さな樽を大事に運んでいたように、私たちの作った鞄が“お客様の大切な荷物をしっかり守れるように”という思いを込めて、鞄に寄り添う犬のマークを現在まで使っています。)

人に寄り添い人の命を守ってきたワンコ、ネパールでも頑張ってくれ!

もちろん活動しているのはワンコだけではない。

<ネパール地震>自衛隊第1陣の医官ら21人が出発 毎日新聞 4月29日(水)1時21分配信より一部引用
国際緊急援助隊の自衛隊約110人のうち、第1陣の医官ら21人が29日未明、東京・羽田空港から出発した。ネパールで医療援助活動を行う。医療活動に必要な物資などを航空自衛隊の輸送機で運ぶ任務も始める予定。

ビンディ
一人でも多くの救出を、少しでも多くの救援を

四川省地震のとき、助けられなかった遺体に黙祷を捧げる日本人救援隊の姿を見て、日本人の死者を悼む心を知り、日本人への認識を新たにした中国人もいる、とニュースでいっていた。
古くはトルコ船が難破して日本にたどりつきたとき、日本人の対応が親切であったことから、トルコは今でも親日国家だという例もある。

我が国も、東日本大震災で多くの国の支援を受けた恩義を忘れてはいない。

「我が軍」とかいう意見もあり、それを世界規模で展開させる案が進んでいるようだが、世界規模で迫っている危険は人的なものより自然災害であり、「我が軍」が世界規模で活動するのは実際のところ、災害救助という場面かもしれない。
21世紀にはいり、スマトラ沖地震、四川省地震、ハイチ地震、東日本大震災とM8を超える巨大地震は次々と起こっている。

世界では、この一週間だけでもチリやコスタリカで大規模な噴火があり、日本では桜島の噴火が史上3番目のペース(今年だけで噴火400回)だという。
そして、ネパールの大地震。

当事国だけでは対応できない規模の自然災害が、これだけ頻発しているにもかかわらず、人間同士が揉めている時代ではないのではないか。
それは、地球規模で活動期に入った地殻変動の問題だけでなく、感染症の問題でもいえる。
昨年はエボラの猛威に世界中が恐れ戦いた一年だったが、つい最近ではナイジェリアで24時間以内に死亡するという「謎の病」の発生がニュースになっていた。

国vs国、国民vs国民、民族vs民族、宗教vs宗教 という時代ではもはやないのではないか。

人間が一致団結して立ち向かわなければ、巨大な自然災害にも、猛威を振るう感染症にも立ち向かえない。

そのあたりのことを雅子妃殿下はお誕生日のお言葉で何度か述べておられる。

雅子妃殿下のお言葉の重みを胸に、お天道様のご機嫌を伺いつつ夏野菜の準備を進めたり、噴火や感染症の本を読んだりして過ごす連休になりそうだ。

時空をかける夢

2015-04-28 19:38:55 | ひとりごと
ネパール大地震の救援を祈った「ビンディ祈り(4/27)」をはさんだが、「生きた夢と知恵を継ぐ(4/27)」
つづき

本田氏の「いつか本田が空を飛ぶ」という夢が、「ホンダマンの夢」として受け継がれ、本田氏の没後24年後目にして実現した。
ホンダジェットの成功を見ていると、夢と理想の共有こそが、老葉と若葉、前の時代と次の時代を継ぐものだと思われる。
老葉と若葉の相違点を探し、今と次を比較ばかりしていては、老若相食んで弱体化するばかりではないか。

もっとも、夢と理想の共有も匙加減が難しい。

「官僚たちの夏」の通産省事務次官風見は自らの後継者として鮎川を重用する。
期待の応えようと鮎川は寝る間も食べる間も惜しんで「男なら、男なら」と自らに言い聞かせ激務に邁進する。
上司風見と部下鮎川には、「国のため、国民のため」という共通の思いがあった。
しかし、激務に体を壊した鮎川は「離れること、忘れることの難しさ」という言葉を残して急逝する。
同じ思いを共有しても、そこにお仕着せがあっては、「夢」の共有ではないのかもしれない。

また、風見は自らと同じ思いを同じスタイルで実行する者だけを重用するが、思いを実現する手法は時代によって変わってくる。
時代に合わなくなった風見スタイルを守った鮎川は、風見スタイルを良しとしなかった者による新スタイルに合わせられないままに急逝してしまう。

時代や世代を超えて普遍的な夢を共有しながらも、それを実現するためのスタイルや手法は「時代に即して」変化していかなければ、肝心の夢の実現は叶わない。

ホンダジェットの成功のニュースで「官僚たちの夏」を思い出し、そんなことを考えていた。



それは皇室も同じだと思う。

今年皇太子様は今上陛下が即位された御年になられた。
その点についての皇太子様のお言葉に対し、「明確でなく、首をひねりたくなる」とする批判が一部あがった。

皇太子様は以前「時代に即した公務」との問題提起をされているので、それも併せて具体論を迫る向きもあるのだろうが、今は’今’の時代であり、次の時代に即した方向性を’次’が明確に語るには、’時’が違うのではないだろうか。
相違点を論ね、比較に終始するよりは、世代を超えて共有される夢と理想をお伺いした方が、皇室にとっても我々にとっても意義深いが、その理想を実現する手法は「時代に即して」変化するものだから、’次’の手法を現在問い質すのも筋違いというものではないか。

では、共有される理想と夢とは?

時を超えて共有にされているお言葉に「忠恕」がある。
「忠恕」を体現する手法は時代により異なるだろうが、その精神は受け継がれていく。
皇太子様が会見で述べられた、「『忠恕』と『天命を知る』という教えに基づいて、他人への思いやりの心を持ちながら、世の中のため、あるいは人のために私としてできることをやっていきたい」という御言葉を信じている。


皇太子様 平成22年お誕生日会見より
ご質問の冒頭にあった「天命を知る」という孔子の言葉は、自分がこの世に生まれた使命を知るという意味ですが、単に知るだけではなく、この世のために生かす、つまり、人のために尽くすという意味を含んでいるように思います。孔子の言葉といいますと、確か天皇陛下が50歳になられた時の会見で、「夫子の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ」との孔子の言葉で質問に答えていらっしゃいます。「忠恕」とは、自分自身の誠実さとそこから来る他人への思いやりのことであり、この精神は一人一人はもとより、日本国にとっても「忠恕」の生き方が非常に大切なのではないかとおっしゃっておられます。「忠恕」と「天命を知る」という教えに基づいて、他人への思いやりの心を持ちながら、世の 中のため、あるいは人のために私としてできることをやっていきたいと改めて思っております。

ビンディ 祈り

2015-04-27 14:20:32 | ニュース
前回つづくと書いたが、緊急のビンディ。
考えがあちこち飛ぶのは私の悪い癖だが、大災害に見舞われることの多い我が国にとって、今ネパールで起っていることは消して他人事ではない。

<ネパール大地震、死者3200人超に> AFP=時事 4月27日(月)11時37分配信より
ネパールで25日に発生した大地震で、同国内務省の災害対策当局は27日、国内で確認された死者数が3218人に上ったと発表した。負傷者は6500人を超えるとしている。

ビンディ
一人でも多くの救出を、少しでも多くの救援を

笹本稜平氏の「未踏峰」は、「ビンディ・ヒュッテ」の小屋番たちがカンティ・ヒマール山域にある未踏峰を目指す物語だが、ヒュッテの名前の「ビンディ」とはネパール語で「祈り」を意味するそうだ。

阪神淡路大震災で破壊された高速道路の高架橋や、東日本大震災の津波で流された家屋や夜空をこがすほど漁港を燃やした炎と、氷壁が襲ってきたというエベレストでの被害では、目に映る光景は異なるが、災害に途方に暮れる生活者の表情は同じだ。

ビンディ
一人でも多くの救出を、少しでも多くの救援を

このニュースで、「カトマンズ」という地名を聞くたび、一度も訪れたことのない「カトマンズ」に懐かしい思いを抱く。
「カトマンズ」
ヒマラヤ登山を題材にする本では必須の地名だが、「神々の山嶺」(夢枕漠)ではカトマンズの町並みや、そこに住む人の生活、生き方(哲学)が描かれていたので、強く印象に残っているのだ。
そのカトマンズの町が崩壊している。

ビンディ
一人でも多くの救出を、少しでも多くの救援を

ヒマラヤ登山を描く本で思い出すのが、日本では「強力」というところの「シェルパ」の存在だ。
サミット先進国首脳会議で、首相や大統領の交渉が上手く運ぶように裏方として、しかし実質的に交渉する人物のことも「シェルパ」という。
エベレスト登頂が話題になると、サミッターばかりが賞賛されるが、登頂のカギを握っているのはシェルパであるのは、どの山岳小説を読んでも感じることだ。それほど重要な役割を果たしながらも、個人としての名声を望まない姿勢になぞらえて、サミット先進国首脳会議の実質的交渉者を「シェルパ」というのだろう。
名声にとらわれず地道にこつこつ自分のなすべきことをする気質の山岳地帯の人々は、一歩一歩確実に復旧・
復興へと歩みを進めるだろうが、災害救助は時間との闘いでもある。

ビンディ
一人でも多くの救出を、少しでも多くの救援を


<ネパール大地震 医療ボランティアが出発> NHK4月26日 16時54分ニュースより一部引用
ネパールで25日起きたマグニチュード7.8の地震で、被災者を支援するため、岡山市に本部がある国際医療ボランティア団体の職員が26日現地に向けて出発しました。
ネパールに向かったのは、岡山市に本部を置く国際医療ボランティア団体「AMDA」のマレーシアにあるクアラルンプール事務所で所長を務める大政朋子さんと、看護師の柴田幸江さんの2人です。
AMDAではネパール支部の医師団が活動の準備をしているということで、2人は関西空港からマレーシア経由で日本時間の27日午後にネパールの空港に到着し、現地の情報を収集しながら支援活動を進める予定です。


政府も国際緊急援助隊の救助チームを派遣することを決定したが、それに先駆け現地に出発した医療関係者が、女性二人であったのは頼もしい。
政府が掲げる「すべての女性が輝く社会づくり」。
頭数だけ揃えるのでは反感をかうだけだが、能力ある女性が男女の差なく活躍できる正当な場が築かれていくのなら、人口減少社会にあっては意義のある政策であり、日本の救援部隊の第一陣をきって出発する女性お二人には心からエールを送りたい。ご自身健康に留意されながらも現地の方を最大限救援して下さることを祈っている。

ビンディ
一人でも多くの救出を、少しでも多くの救援を


ところで、ネパールは皇太子様におかれても大切な土地だと拝察している。
それは、皇太子様が登山をされるという理由だけでなく、皇太子様のライフワークでもあり国際的に御活躍されている「(幅広い)水の研究」の原点の地でもあるからだ。

平成19年アジア・太平洋水サミット開会式における皇太子様の御講演より一部引用
(ネパールで皇太子様が撮られた写真を示しながら)
これは,私が1987年にネパールのポカラを訪れた際,サランコットの丘付近で撮影したものです。水を求めて甕を手に,女性や子どもが集っています。ご覧いただくように,水は細々としか流れ出ていません。「水くみをするのにいったいどのくらいの時間が掛かるのだろうか。女性や子どもが多いな。本当に大変だな」と,素朴な感想を抱いたことを記憶しています。
その後,開発途上国では,多くの女性が水を得るための家事労働から解放されずに地位向上を阻まれており,子どもが水くみに時間を取られて学校へ行けないという現実があることを知りました。また,地球温暖化問題の多くが,水循環への影響を通じて生態系や人間社会に多大な影響を及ぼすことも知りました。このようにして,私は,水が,従来自分が研究してきた水運だけでなく,水供給や洪水対策,更には環境,衛生,教育など様々な面で人間の社会や生活と密接につながっているのだという認識を持ち,関心を深めていったのです。


学生時代は水運を研究されていた皇太子様が、「水」を通して労働や環境や教育などさまざまな問題を学ばれる契機となったのが、ネパールで御覧になった単純労働で酷使される女性や子供の姿なのだ。そこへ日本人の先陣をきって医療救援に向かうのが女性であることに、私はある種の感慨をもつが、私の感慨はともかくも、
ビンディ
一人でも多くの救出を、少しでも多くの救援を!

東日本大震災以降は、水問題と災害について講演される機会も多く、またネパールが水研究の第二の起点であることから、皇太子様もお心を痛めておられることだと思われるし、大災害からの復興半ばの我々すべてが心を痛め固唾をのんで見守っている。

ビンディ
一人でも多くの救出を、少しでも多くの救援を!!!

生きた夢と知恵を継ぐ

2015-04-26 19:26:07 | ひとりごと
「ゆずり葉」(4/22) 「運が向いてきたぞ、夢」(4/25)のつづき

良いニュースなので再掲する。

<ホンダジェット、ブランド背負い 空舞う宗一郎の夢> 産経新聞 4月24日(金)7時55分配信より一部引用
ホンダは、23日に日本で初披露した小型ビジネスジェット機「ホンダジェット」で、世界的に成長の続くビジネスジェット市場に本格参入する。二輪車メーカーとして創業し、国内最後発で四輪事業に参入したホンダが、今度は航空機開発で世界の空に打って出る。極めて厳しい安全性が求められる航空機事業で成功できれば、相次ぐ四輪のリコール(商品の回収・無償修理)問題で傷ついたブランド力の復活が期待できる。(松岡朋枝)
「(本田)宗一郎の夢でもありホンダマンの夢でもある。空にわれわれの夢が広がった象徴的な日だ」
23日に記者会見したホンダの伊東孝紳社長は感慨深げに語った。同社の航空機事業の歴史は長い。
昭和37年には、新聞に航空機の設計コンテストを開催する広告を掲載し、航空事業参入を計画していたとされる。
61年には航空機用エンジンなどの基礎研究に着手し、平成9年にホンダジェットの開発を開始。基礎研究開始から約30年でようやく“おひざ元”日本での飛行にこぎつけた。



ホンダの本田宗一郎氏といえば、「官僚たちの夏」(城山三郎)の主人公である通産省事務次官の風見を向こうに回して大見得を切った大人物というイメージがある。

今となっては信じられないことだが、貿易自由化に向けて国家をあげて国際競争力の強化をはかろうという1960年代前半は、自動車は「特定産業」に指定される業界で、メーカーは一社か二社でよい(ホンダは二輪車を作っておればよい)というのが通産省の考えだった。
このような時勢にあっては、ホンダはただ車を作り売るというだけで、通産省の後の事務次官となる官僚と大喧嘩をしなければならなかった。
本田氏が後の通産省事務次官に対して啖呵を切る。
「あんた方役人に何がわかる!? オートバイだって外国製品に立派に太刀打ちできた。厳しい競争があるからこそ、企業は必死になって努力するし、成長もするんです。自由競争のみが、競争力強化の真の手段なんだ」
「なんだと? 俺が私利私欲で会社をやっているとでも思っているのか! 俺たちが、オートバイで世界一位になったとき、お前らはなんて言った。日本のために日の丸を揚げてくれて感謝しています、なんて言ってやがったじゃないか。いいか、俺がもし自動車で日の丸を揚げたときには、お前は切腹するぐらいの覚悟をしておけ」 (本田宗一郎物語より)

自動車産業に参入するだけでも、これだけ大変な時に、本田宗一郎氏が空をも見据えていたのは「車を見るより先に飛行機を見ていた」という本田氏の特異な経験によるものだろうか。

本田氏の「いつか本田が空を飛ぶ」という夢が、「ホンダマンの夢」として受け継がれ、本田氏の没後24年目にして実現した。

老葉と若葉の相違点を探し、今と次を比較ばかりしていては、老若相食んで弱体化するばかりではないか。
ホンダジェットの成功から考えるに、夢と理想の共有こそが、老葉と若葉、前の時代と次の時代を継ぐものではないだろうか。



そのあたりを、もう少し考えるとして、今日の庭いじり。


人間とは勝手なものだとつくづく思う。
「穀物を育てる穀雨だといっても、こう雨ばかりでは何も出来ないではないか」と毒づいたのが効いたのか、
週末は抜けるような青空。すると今度は、
「作物にお日様は必要だといっても、こう日差しがきつくては、しんどくて作業がはかどらないではないか」とボヤいてる。

その昔、農耕民族にとって天候を知るというのは死活問題だったと思う。
「天地明察」(沖方丁)は暦つくりに情熱をかける男の物語だが、鎖国していた日本が天文学や暦つくりや算術に秀でていたのは、それが農業にとって重要だったからに違いない。
限られた土地であげる収穫量の多さは、日本人の勤勉さと優秀さの賜物でもあり、その生活に密着した「生きた知恵」こそが、代々受け継がれる地に足のついた「夢」の源泉だったのだと思う。

庭いじりを始めた頃は、やたらと野菜作りの本を読んでは工夫を重ね、それはそれで楽しいのだが、実際に土や苗を見ながら教えて下さるご近所の元農家さんの意見は「生きた知恵」だと感じている。

最近、野菜も魚も非常に高いし、品薄感もある。
天候不順や燃料費高騰のせいなら仕方がないが、後継者不足で問題が生じているなら、ここらで真剣に考えなければ日本の食が危なくなる。
書物もよいが、共にお天道さまの御機嫌を伺いながら土や作物にふれ「生きた知恵」を伝授するのに勝るものはない。

庭いじりをしながら、そんなことも考えていた。

つづく