<安倍首相、米議会上下両院の合同会議で歴代首相初となる演説へ>Fnn04/29 23:53より一部引用
ワシントンを公式訪問している安倍首相は、まもなくアメリカ議会の上下両院の合同会議で、歴代首相として初となる演説に臨む。
日本の首相が、アメリカ議会で演説をするのは、池田勇人首相の下院での演説以来、54年ぶりとなる。
しかも今回は、アメリカ国民を代表する全ての議員を前にする演説で、まさに、歴史的なものになる。
日本の首相が米議会上下両院で初演説ときいて、ケネディ大統領の就任演説について書くのもおかしな話だが、
「岐路に立ち向かう叡智(4/29)」で書いた「人間が一致団結して立ち向かわなければ、巨大な自然災害にも、猛威を振るう感染症にも立ち向かえない。」とかけて、「上下両院全ての議員を前にしての演説」ととく、
その心は、
ケネディ大統領の就任演説と相成った。
ask not what your country can do for you-- ask what you can do for your country.
ケネディ大統領の就任演説というと、この部分ばかりが有名だが、人類が一致団結して闘わねばならないものとして疫病をあげている。
Now the trumpet summons us again -- not as a call to bear arms, though arms we need -- not as a call to battle, though embattled we are -- but a call to bear the burden of a long twilight struggle, year in and year out, "rejoicing in hope, patient in tribulation" -- a struggle against the common enemies of man: tyranny, poverty, disease, and war itself.
そして今また、トランペットは私たちを召集しています。武装せよとの呼びかけではなく、-武器は私たちに必要ではありますが-戦いへの呼びかけではなく-臨戦態勢にいることは必要ですが-しかし、夜明け前の長い暗闇の中での闘争-、年月を経て、「希望を抱いて喜び、艱難に耐え」つつ-人類共通の敵である圧制、貧困、疫病、そして戦争それ自体への闘争の中で、重荷を背負え、という呼びかけです。
ケネディ大統領は、人類共通の敵として疫病をあげているが、「希望を抱いて喜び、艱難に耐えつつ」重荷を背負って立ち向かわねばならないのは、地震や噴火などの自然災害も同じだと思う。
それはともかく、エボラの流行が世界を震撼させていた昨年、ケネディ大統領が敵としてあげている疫病について書かれた2冊の本を読んだ。
「ウイルスハンターCDCの疫学者たちと謎の伝染病を追う」(エドレジス)
「ホットゾーンー恐怖!致死性ウイルスを追え(リチャード・プレストン)
題名のとおり、致死性ウイルスと闘う疫病学者を描いたノンフィクション。
エボラの収束の目途が立たないニュースと並行して読んだので、ホラーやミステリーとは比較にならない恐怖を感じたが、その一方で我々の知らないところで、世界の命を守るために昼夜をわかたず活動している組織があることに驚き感動した。
「ウイルスハンターCDCの疫学者たちと謎の伝染病を追う」より感銘を受けた箇所の要旨
CDC(米疾病対策センター)
病原体と人間との戦いを統括する作戦本部。
世界中どこであろうと地元の公衆衛生当局が手におえない病原体に出くわしたら、最後にはCDCに連絡をとる。
CDCは最後の拠り所だから。
病原体のサンプルを送れば、その正体の答えと対処の答えがすぐに返ってくる。
現場の援助が必要な場合は、即座に救援隊が派遣される。CDCの派遣部隊は数時間以内おそくとも数日以内に到着することで有名。
生物試薬や検査道具、実験用のウイルスなどが必要な場合もCDCが提供してくれる。
それがCDCの存在意義であり活動内容なのだ。
なにしろCDCは最後の頼みの研究所(ラボ)であり、世界のあらゆるウイルスと最近の収容施設であり、地球上の対疫病戦部隊の中枢なのである。
CDCは第二次世界大戦の直後に設立された組織で、(本文にある通り)自らを疫病との戦いの最期の砦「対疫病戦部隊の中枢」と自負しているが、世界中が現在も依存しきっている組織の維持にアメリカの膨大な国家予算がつぎ込まれている。
それはケネディ大統領就任演説の「人類共通の敵である疫病との闘争のなかで重荷を背負え」という精神あってのことかもしれない、などと「上下両院での首相初演説」のニュースを読みながら感じていた。
「ナニワ・モンスター」(海堂尊)の医療陰謀論を読むと、何事も盲信は厳禁だと思わざるをえないが、「疫病が人類共通の敵であり人類が一致団結して闘わなければ打ち勝てない」のは間違いないだろう。ネットに溢れている陰謀論を云々する術はないが、CDCの活動を読めば陰謀論を安易に信じるのはバカらしいと分かると同時に、命にかかわる疫病対策を一国に依存する危険性も感じている。それは、ある意味で殺生与奪を握られるに等しいからだ。
人類共通の敵に対して人類が一致団結して戦いを挑みながら、それぞれ個々に自覚的に立ち向かう必要がある。
日本は日本として危機に対処しながら、世界と一致団結してことにあたる必要がある。
そこで、昨日の「岐路に立ち向かう叡智(4/29)」の題の意味。
「人間が一致団結して立ち向かわなければ、巨大な自然災害にも、猛威を振るう感染症にも立ち向かえない。そのあたりのことを雅子妃殿下はお誕生日のお言葉で何度か述べておられる。」と書いた。
東日本大震災翌年のお言葉では、まず「日本社会は岐路に立っている」という日本の危機と、それに対し「手を携えて進んでいく」ことの大切さを述べておられるが、世界規模の災害をの頻発を懸念された25年には、世界の危機とそれへの対応を述べておられる。
御病気のためお言葉を伺う機会は限られているが、地殻変動や感染症の問題が世界規模で生じている現在を、
世界の大学で学ばれた雅子妃殿下は広く正確に捉えておられる。
雅子妃殿下が皇太子妃であり、次代の皇后になられること有難いと思っている。
平成24年お誕生日のお言葉より
昨年の震災は,被災地以外の地域に暮らす人々にも非常に大きな衝撃を与え,日々の生活や意識を変えることになるような大きな出来事でした。今,日本の社会は色々な意味で岐路に立っているように感じます。今後,将来への希望と自信を持って,望ましい社会の姿を見出していくために,皆で知恵を出しあい,痛みを分かちあいながら,しっかりと手を携えて進んでいくことが大切なのではないかと感じております。
平成25年お誕生日のお言葉より
自然は,私たちに恵みを与えると同時に災害を引き起こすこともあります。地球温暖化が進むとともに異常気象や災害が頻発し,災害の規模も大きくなっていくと言われています。世界において地球温暖化や生物多様性の減少が現実の問題として進行して行く中,自然への畏敬の念を忘れずに,自然とうまく共存していくことが,今後ますます大切になってくるのではないでしょうか。地球環境の恵みを将来にわたって享受できるよう,自然環境を守り,地球上の限りある資源を大切にして,持続可能な形での発展を達成していくために,私たち人類は,叡智を結集し,力を合わせて取り組んでいかなければならないのではないかと感じています。
ワシントンを公式訪問している安倍首相は、まもなくアメリカ議会の上下両院の合同会議で、歴代首相として初となる演説に臨む。
日本の首相が、アメリカ議会で演説をするのは、池田勇人首相の下院での演説以来、54年ぶりとなる。
しかも今回は、アメリカ国民を代表する全ての議員を前にする演説で、まさに、歴史的なものになる。
日本の首相が米議会上下両院で初演説ときいて、ケネディ大統領の就任演説について書くのもおかしな話だが、
「岐路に立ち向かう叡智(4/29)」で書いた「人間が一致団結して立ち向かわなければ、巨大な自然災害にも、猛威を振るう感染症にも立ち向かえない。」とかけて、「上下両院全ての議員を前にしての演説」ととく、
その心は、
ケネディ大統領の就任演説と相成った。
ask not what your country can do for you-- ask what you can do for your country.
ケネディ大統領の就任演説というと、この部分ばかりが有名だが、人類が一致団結して闘わねばならないものとして疫病をあげている。
Now the trumpet summons us again -- not as a call to bear arms, though arms we need -- not as a call to battle, though embattled we are -- but a call to bear the burden of a long twilight struggle, year in and year out, "rejoicing in hope, patient in tribulation" -- a struggle against the common enemies of man: tyranny, poverty, disease, and war itself.
そして今また、トランペットは私たちを召集しています。武装せよとの呼びかけではなく、-武器は私たちに必要ではありますが-戦いへの呼びかけではなく-臨戦態勢にいることは必要ですが-しかし、夜明け前の長い暗闇の中での闘争-、年月を経て、「希望を抱いて喜び、艱難に耐え」つつ-人類共通の敵である圧制、貧困、疫病、そして戦争それ自体への闘争の中で、重荷を背負え、という呼びかけです。
ケネディ大統領は、人類共通の敵として疫病をあげているが、「希望を抱いて喜び、艱難に耐えつつ」重荷を背負って立ち向かわねばならないのは、地震や噴火などの自然災害も同じだと思う。
それはともかく、エボラの流行が世界を震撼させていた昨年、ケネディ大統領が敵としてあげている疫病について書かれた2冊の本を読んだ。
「ウイルスハンターCDCの疫学者たちと謎の伝染病を追う」(エドレジス)
「ホットゾーンー恐怖!致死性ウイルスを追え(リチャード・プレストン)
題名のとおり、致死性ウイルスと闘う疫病学者を描いたノンフィクション。
エボラの収束の目途が立たないニュースと並行して読んだので、ホラーやミステリーとは比較にならない恐怖を感じたが、その一方で我々の知らないところで、世界の命を守るために昼夜をわかたず活動している組織があることに驚き感動した。
「ウイルスハンターCDCの疫学者たちと謎の伝染病を追う」より感銘を受けた箇所の要旨
CDC(米疾病対策センター)
病原体と人間との戦いを統括する作戦本部。
世界中どこであろうと地元の公衆衛生当局が手におえない病原体に出くわしたら、最後にはCDCに連絡をとる。
CDCは最後の拠り所だから。
病原体のサンプルを送れば、その正体の答えと対処の答えがすぐに返ってくる。
現場の援助が必要な場合は、即座に救援隊が派遣される。CDCの派遣部隊は数時間以内おそくとも数日以内に到着することで有名。
生物試薬や検査道具、実験用のウイルスなどが必要な場合もCDCが提供してくれる。
それがCDCの存在意義であり活動内容なのだ。
なにしろCDCは最後の頼みの研究所(ラボ)であり、世界のあらゆるウイルスと最近の収容施設であり、地球上の対疫病戦部隊の中枢なのである。
CDCは第二次世界大戦の直後に設立された組織で、(本文にある通り)自らを疫病との戦いの最期の砦「対疫病戦部隊の中枢」と自負しているが、世界中が現在も依存しきっている組織の維持にアメリカの膨大な国家予算がつぎ込まれている。
それはケネディ大統領就任演説の「人類共通の敵である疫病との闘争のなかで重荷を背負え」という精神あってのことかもしれない、などと「上下両院での首相初演説」のニュースを読みながら感じていた。
「ナニワ・モンスター」(海堂尊)の医療陰謀論を読むと、何事も盲信は厳禁だと思わざるをえないが、「疫病が人類共通の敵であり人類が一致団結して闘わなければ打ち勝てない」のは間違いないだろう。ネットに溢れている陰謀論を云々する術はないが、CDCの活動を読めば陰謀論を安易に信じるのはバカらしいと分かると同時に、命にかかわる疫病対策を一国に依存する危険性も感じている。それは、ある意味で殺生与奪を握られるに等しいからだ。
人類共通の敵に対して人類が一致団結して戦いを挑みながら、それぞれ個々に自覚的に立ち向かう必要がある。
日本は日本として危機に対処しながら、世界と一致団結してことにあたる必要がある。
そこで、昨日の「岐路に立ち向かう叡智(4/29)」の題の意味。
「人間が一致団結して立ち向かわなければ、巨大な自然災害にも、猛威を振るう感染症にも立ち向かえない。そのあたりのことを雅子妃殿下はお誕生日のお言葉で何度か述べておられる。」と書いた。
東日本大震災翌年のお言葉では、まず「日本社会は岐路に立っている」という日本の危機と、それに対し「手を携えて進んでいく」ことの大切さを述べておられるが、世界規模の災害をの頻発を懸念された25年には、世界の危機とそれへの対応を述べておられる。
御病気のためお言葉を伺う機会は限られているが、地殻変動や感染症の問題が世界規模で生じている現在を、
世界の大学で学ばれた雅子妃殿下は広く正確に捉えておられる。
雅子妃殿下が皇太子妃であり、次代の皇后になられること有難いと思っている。
平成24年お誕生日のお言葉より
昨年の震災は,被災地以外の地域に暮らす人々にも非常に大きな衝撃を与え,日々の生活や意識を変えることになるような大きな出来事でした。今,日本の社会は色々な意味で岐路に立っているように感じます。今後,将来への希望と自信を持って,望ましい社会の姿を見出していくために,皆で知恵を出しあい,痛みを分かちあいながら,しっかりと手を携えて進んでいくことが大切なのではないかと感じております。
平成25年お誕生日のお言葉より
自然は,私たちに恵みを与えると同時に災害を引き起こすこともあります。地球温暖化が進むとともに異常気象や災害が頻発し,災害の規模も大きくなっていくと言われています。世界において地球温暖化や生物多様性の減少が現実の問題として進行して行く中,自然への畏敬の念を忘れずに,自然とうまく共存していくことが,今後ますます大切になってくるのではないでしょうか。地球環境の恵みを将来にわたって享受できるよう,自然環境を守り,地球上の限りある資源を大切にして,持続可能な形での発展を達成していくために,私たち人類は,叡智を結集し,力を合わせて取り組んでいかなければならないのではないかと感じています。