何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

おまけ お山の楽しみ

2018-11-13 12:00:00 | 自然
「ぜんぶ、山 完結編②」の末尾で「オマケがあるかもしれないよ」としたのは、槍ケ岳から降りてきた私が上高地で合流した家族と、いつものお宿に泊まった写真を記録しておくため。

 

年に少なくとも一度は上高地で過すことにしているので、その間ワンコはワンコ実家両親の所へお泊りにいってたのだが、ワンコは自分が生まれた家なのに、飲まず食わずの行をして、ワンコ実家両親を困らせていたから、今は一緒に上高地にお泊りできて喜んでいるよね ワンコ
 


旅のお楽しみというと、美しい風景とともに食事もあると思うが、旅というか山を歩いたあとは、普段はめったに飲まないし美味しいとも思わないビールが、美味しい!
 

うわばみ というわけではないが、いくら飲んでも一向に顔にでず、さほど酔わない私だが、この日ばかりはビールがどんどん進んでいるのが分かるような↑写真。一方で、お料理があまり美味しそうに見えないのが残念だが、それは料理のせいではなく、私の写真が下手なせいで、枝豆の茶わん蒸しなど凝っていて美味しいよ。

他にも色々お料理はあったが、こういう場所で写真を撮ることを好まない家族の意をくみ、総てを撮ることは控えることにした。



上高地の静かな朝。
木漏れ日差す小路を歩いていると、又ここに帰って来るまで元気で頑張ろうという気持ちになる。

おまけの本題は、つづく

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ぜんぶ、山 完結編 ②

2018-11-08 12:00:00 | 自然
「ぜんぶ、山 完結編①」より

上高地から槍ケ岳山荘まで歩くこと、22キロ。
槍ケ岳山荘(3080)は、頂上まであと100m(標高)という所にある。

多くの人が、一日目は上高地から槍沢ロッヂまで歩き、翌朝早くに本格的に槍ケ岳へ向け出発する。

早朝 槍沢ロッヂを発った時には晴れていた空が、森林限界を超えたあたりから俄かに曇り、吹き飛ばされそうな風まで吹いてきて、頂上直下の槍ケ岳山荘に辿り着いた時には、ほんの数メートル先も見えない状態になっていた。
それだけであれば、雲の切れ間を狙い登ろうとしたかもしれないが、どうも高所に弱い山pが槍ケ岳山荘で待機中に立ちくらみを起こしたため、登ることを諦めた。

頂上に立つために、22キロの道程を歩いてきたにもかかわらず、あとたった100mの高さが及ばなかったために、登頂が叶わなかったのだが、その時、私がそれをさほど残念に思わなかったのは、自分の力不足を重々承知しているからでもあるが、数年前に快晴の槍ケ岳山頂に立った感動が今でも目に心に鮮やかに浮かび満足していたからでもあった。

だから、談話室で読んだ「岳 みんなの山」(石塚真一)の一節にホロリとしたことに、自分でも驚いた。

それは、日本百名山制覇を目指す老夫婦の話だった。
99の山を登ってきて、最後の最後に、とっておきの槍ケ岳を残しておいた夫婦が、満を持して槍ケ岳頂上を目指したのだが、あと少しのところで登頂が叶わなかったお話だ。
高齢ゆえに後がない老夫婦は、主人公の山岳救助隊の島崎三歩に残念な気持ちを語るのだが、その老夫婦にかける山歩の言葉が、私の心に沁みた、山pの心を救った。

「ここはぜんぶ槍ケ岳。
 てっぺんに立たなくても、槍ケ岳に登ったんだよ」

そうなのだ。
槍ケ岳は、3180メートルのてっぺんだけが、槍ケ岳ではない。
上高地から横尾までの11キロも、そこから槍ケ岳山荘までの11キロも、すべて槍ケ岳への道程であり、天狗原分岐も 殺生分岐も 播隆上人の洞窟も すべて、でっかい槍ケ岳のうちにあるのだ。
足元の花の可憐さに励まされ、頬を打つ雨や飛ばされそうな風を感じることで、槍ケ岳を全身で味わうことができるのだ。
 

頂上は、もちろん立てれば、それにこしたことはない。
だが寧ろ(素人山登り人にとって)大切なことは、頂上へいたる道程を、しっかり味わいながら自分の足で歩くことなのだと思う。
    

山歩きはよく人生にも例えられる。
長い人生では、いつもいつも頂上に立てるわけではないし、一つの頂上に立てたとしても、そこからは 又別の素晴らしい景色が見えるので、望み出したら際限がない。
だからこそ、頂上に立つことと同時に、そこへ至るための過程が大切なのだ。
山歩きとともに、そろそろ後半戦にかかる人生も、何が自分の頂上なのかを見極めながら丁寧に歩きたいな、などと思いながら、「ここはぜんぶ槍ケ岳 てっぺんに立たなくても槍ケ岳に登ったんだよ」という言葉を噛みしめた。

この山歩の言葉が、山pを救った。

「やみくもに頂上だけを目指す山登りは無粋だ」という山屋さんを知っているせいか、快晴の槍ケ岳を一度拝んだことで満足しているせいか、私自身は今回 登頂を諦めたことを全く残念には思っていなかったのだが、山pは違ったようだ。

「自分が立ちくらみさえ起こさなければ、おそらく雲の切れ間を狙い登っただろう」という悔しさは、まだまだ余力を残している私を見るにつけ、申し訳なさに繋がっていたようだ。

だから、「ここはぜんぶ槍ケ岳。てっぺんに立たなくても槍ケ岳に登ったんだよ」という言葉に、救われたという。

そんな思いを持たせてしまったことに、私の方が申し訳ない気がしたのだが、翌朝 槍ケ岳名物焼きたてパンを4つもgetできたことや、大雨のなかの下山の最後に現れた幻想的な風景は、今回の槍ケ岳登山を完全なものにしてくれた。

ここはぜんぶ 山 ぜんぶで 山


「ぜんぶ 山 完結編」の完結 
でも、オマケがあるかもしれないよ

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ぜんぶ、山 完結編 ①

2018-11-05 12:00:00 | 自然
「ぜんぶ、山①」 「ぜんぶ、ワンコ 山 ②」 「個々の累積の個々が全部 ③」 「ココは全部、山 人生④」 「ぜんぶ、同じ花⑤」 「続 ぜんぶ、山・槍 ⑥」 「ノーベル賞受賞者に出会った山⑦」 「ぜんぶ、山⑧」

最近ではブログそのものが飛び飛びにしか書けないでいるのだが、この「今年の夏山シリーズ」の一回目が8月17日「命からがら、間一髪」であることを思うと、もやは原型をとどめない代物となってしまったので、今日明日中にも完結させたいと思っているのだが、どうなることやら。
  

急速に天候が悪化し、あっという間に霧につつまれ、吹き飛ばされそうな風まで吹いてきた。
これでは盛夏の山歩きは小雨ぐらいが歩きやすい、などと呑気なことは言ってられない。
かなりピッチをあげて登り、上高地からほぼ22キロ地点の槍ケ岳山荘に辿り着いた時には、ほんの数メートル先も見えないほどだった。
山荘前のテラスは、濃霧のなか頂上に登るか迷っている大勢の登山者で溢れていたが、この時はまだ私達はかなりの確率で登るつもりで、昼食のカレーとラーメンを注文したのだが・・・・・その時、立っていることができないほどの立ちくらみに山pが襲われた。

森林限界を超えたあたりから元気になる私とは違い、山pの健脚はいつも2300メートルを超えるとパタリととまり、頭痛などを起こすことが多い。この日も、夏山に備えて足を鍛えていたのが良かったのか快調に飛ばしていたのだが、それが却って徒となったのか、昼食を待つ列の中へたり込んでしまった。
こうなれば私の決断は早く、「岩場も濡れていることだし、今日これ以上登るのは止めて、明日の天候回復を待とう」と、山pに告げ、冷えた体を温めてくれるラーメンに舌鼓をうち、その後(私は)部屋で昼寝を楽しんでいた。

一眠りし、夕食までの一時をテラスで過していると、時折 強い風が霧を飛ばし晴れ間がのぞき槍の穂先が見えるタイミングがある。


こんなタイミングは、30分に一度数分間訪れるだけで、あっという間にまた黒い霧に包まれるのだが、その一瞬を捉えた写真が撮れた人は「インスタ映えする写真が撮れた」とハシャイでいたし、私も穂先を拝めただけでも十分だと思っていた。


だから、消灯前に読んだ「岳 みんなの山」(石塚真一)でホロリとしたことには自分でも意外だったのだが、何よりそれにより山Pが救われた気がしたことが有難かった。その言葉は次回の完結編の完結編にゆずるとして、せっかく撮った写真を記録しておきたい。

「岳 みんなの山」石塚真一)は主人公・三歩が穂高を中心に北アルプスの山岳救助で活躍する話だが、三歩自身は長野県警山岳救助隊ではなく、山岳遭難防止対策協会(遭対協)に参加しているボランティアの(民間)救助隊員だ。穂高と槍の分岐点となる横尾には、こんな標識がある。

そんな横尾には遭対協の建物があるが、そこには勿論 長野県警山岳救助隊の方々もおられ、出動がない時にはノンビリ散歩されている・・・訳ではない。

横尾は槍や穂高や蝶が岳に登る人のほとんどが大休止する所なので、休憩している登山者の様子を観察し、疲れのみえる人や、装備が不十分にみえる人には、声をかけて回われている。このような事も、大事に至るのを減らすことに繋がっていると思われる。

山岳警備や救助にあたってくださる全ての方々に感謝しつつ、完結編の完結へ つづく

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ぜんぶ、山 ⑧

2018-10-25 12:00:00 | 自然
「ぜんぶ、山①」 「ぜんぶ、ワンコ 山 ②」 「個々の累積の個々が全部 ③」 「ココは全部、山 人生④」 「ぜんぶ、同じ花⑤」 「続 ぜんぶ、山・槍 ⑥」 「ノーベル賞受賞者に出会った山⑦」

8月12日早朝、槍沢ロッヂを発ち槍ケ岳をめざした今年の夏山。

帰宅早々その記録を始めたのは、初めての「命からがら、間一髪」な経験に興奮冷めやらぬという状態だったからだが、その後 とびとびにしか記録できず、今に至ってもまだ完結していないのは、もちろん猛烈に忙しいということもあるが、結論からいうと、濃霧のせいでまともな写真が撮れなかったという事と、山pの体調不良もあって登頂が叶わなかったという事もある。だが、SDカードに不具合が生じたことからデジタルものの脆さも体感し、個々の感想はともかくも記録だけでも急ごうと(←何を今更!)思っている。

森林限界を超えると日差しを遮るものがないので、晴天よりは少し肌寒いくらいの曇天の方が歩きやすいことは確かで、この日もそこそこ快調に飛ばしていたのだが、殺生分岐のあたりから、吹き飛ばされそうな風が吹いてきた。

吹き飛ばされそうな風のなか脳裏に浮かんだ「岳 みんなの山」(石塚真一)のある言葉が、今また強く心に迫ってくる。

『なんでだろうね
 追い風には
 押されればいいし
 向かい風には向かえばいいけれど、
 突然吹く横風に
 簡単に飛ばされちゃうんだな
 どうしても』(「岳 みんなの山」より)


初めてこの言葉を読んだのも、たしか山小屋でのことだった.
その時は「人生という山歩き、向かい風の往なし方は多少覚えたかもしれないが、追い風なんて有難いものに出会ったことはないな」と独り言ちたものだが、今は突然吹くという横風が気になって仕方がない。

それは、夏以降、突然の病に倒れたり、思いがけない事で苦しみもがいたり、戦列を離れたりする人が相次いでいるのを目の当たりにしているからかもしれない。

人の命は永遠ではないし、避けることのできない悲しみや不運に見舞われることもある。まして、ズルとインチキの言いたい放題やりたい放題が大手を振って歩いている この世ではストレスばかりが溜まってしまう。
私の目には、誠実ないい人ばかりが苦労を背負いこんでいるように見えるので、安易に「前向きにいこうよ」などとは言えないが、それでも、人は意外と強いので大丈夫だ!と信じたい。

そう思わせてくれる言葉も「岳 みんなの山」にあった。

『人の身体は不思議でさ、登るのは簡単で、下るのはなぜか難しくできてるんだよね。
 ってことはだ、
 人ってのはたぶん上向きとか前向きにできちゃってんだろうなって』



数年前、快晴のなか歩いた槍への道(上の写真とほぼ同位置)




お山の話の完結編まで、あと一歩

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ノーベル賞受賞者に出会った山⑦

2018-10-07 20:37:05 | 自然
「命からがら、間一髪」 「ぜんぶ、山①」 「ぜんぶ、ワンコ 山 ②」 「個々の累積の個々が全部 ③」 「ココは全部、山 人生④」 「ぜんぶ、同じ花⑤」 「続 ぜんぶ、山・槍 ⑥」

今年のノーベル医学生理学賞は、免疫薬で癌を治すことに貢献したという、素人にも有難味が分かりやすい研究が受賞し、しかもそれが日本人だというので喜びも一入だが、ノーベル賞の時期がきて真っ先の思い出したのは、この夏の徳澤園のオープンテラス?での会話だった。
このオープンテラスで、なんとノーベル賞 を二度も受賞した人とその仲間を見かけたのだ。



穂高や槍から下山してきた者が、まず大休憩する横尾から小一時間ほど歩いたところにあるのが、「氷壁」(井上靖)で有名な徳澤なのだが、その間ほぼ平坦とはいえ疲れた体にはキツく、徳澤の手前10分あたりにある、新村橋の標識が見える頃から、頭のなかは、徳澤園のカレーうどんとソフトクリームだけになる。


徳澤園では、昨年夏 涸沢小屋と穂高岳山荘で部屋が一緒だった人達と偶然出会い、お互いの山行の話などで盛り上がったり、カレーうどんと今年デビューのコーヒーシナモンソフトに舌鼓をうったりと、楽しんでいた。

すると、私達が座るオープンテラスの向こう、徳澤園の看板あたりに、なにやら人だかりができている。

その人だかりの中心にいる男性二人に、記念撮影を頼んでいる登山者もいる。
何やら、隣の席の登山者も大興奮している。
にもかかわらず、訳が分からない顔をしていたであろう私達に、隣の登山者が親切にも教えてくれた。
「ピオレドールを二度も受賞したホニャララと、あのホニャララですよ」
<ピオレドール???>
「登山界のアカデミー賞と言われている賞ですよ」
<???>
「登山界のノーベル賞といってもいい賞ですよ。これを知らなければ、山屋としてはモグリですよ」
・・・・・
<すみません。世界的な登山家というと、私の中では長谷川恒男氏あたりで、とまっているもので>

お隣の登山者は呆れながらも長谷川恒男の名を前に黙し、次に出された言葉が、
「一人は、ピオレドールを二度も受賞している平出和也氏で、もう一人は、「イッテQ」で、世界の山々に登るイモトさんを、登山面で支えながら、撮影している中島健郎さんですよ」

<な~に、それならそうと最初から言って下されば。どうりで何処かで見た顔だと思ったのですよ>
足元に赤いザックを置いて、手元を確かめているのが、中島健郎氏


こんな会話が弾んだ’’ノーベル賞談義?’’も、山の楽しい思い出話だ。

ちなみに、ピオレドールは、フランス語で「金のピッケル(手斧)」と言う意味。

山の話は、も少しつづくよ

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