何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

幸せの条件 道を決め進む

2015-11-29 22:45:38 | 
「幸せの条件」(誉田哲也)の本の帯には、「人生も、自給自足」とある。
この意味を考えている。

一人でも生きられることを「自給自足の人生」と定義すると、経済的自立が真っ先に浮かぶが、経済的に独立している事をもって「自給自足の人生」足り得るというものでもないのではないか。
足りない部分を補完し合って、ようやっとボチボチやっていける''家''が増えていることを思えば、自給自足が経済的自立だけを指すものと(外部が)規定することは、時にいろんな形態の''家''を追い詰める。
もっとも「則無恒産、因無恒心」と云うのも確かで実感もしているが、恒産というほどのものに縁が有りや無しやの自分としては、有名な「恒産なくして恒心なし」の前段の「無恒産而有恒心者、惟士為能」に注目している。が、これとて「惟だ士のみ能くするを為す」には程遠いので、良書から学ぶ日々を続けている。

というわけで、「一人で生きられる」を精神的な自立に絞り、それを支えるものを考えてみる。
孟子の云う「惟士為能」の「士」を学問教養がある人に限定すると、いつまでたっても心許ないので、時々思い出す話を書いてみる。
「どれほど辛いことがあり、もうダメだと思っても、心の中にそれを思い出しただけで懐かしくて胸が締め付けられるほどに愛おしい風景を持っている人は、大丈夫」という意味の内容を、読んだか聞いたかしたことがある。
心に、懐かしさと愛おしさで一杯になる原風景があれば、何があろうとも再び一人で立ち上がれる、そうだ。

自分にとって、懐かしさと愛おしさで胸が一杯になる風景があるとすれば、「幸せの条件」の「あぐもぐ」の茂樹社長が必死で守ろうとしている信州の田んぼにうつる北アルプスなのではないかと思っている。だから、穂高村で田園風景を守りながら「燃料も自給自足」を目指すこの物語に、これほど惹かれたのかもしれない。
茂樹の妻の君江は『あの人は、とにかくこの穂高村の、農村としての景観を守りたいっていって、休耕田をなくすためにいろいろ手を尽くしているの。』と言うが、そもそも農作業は大変だ。
情けないことに、米作りというと田植えと稲刈りしか頭になかったが、私と同様に無知な都会者OLの梢恵の目線で書かれる本書を読めば、農作業の大変さはよく分かる。
耕起(田起し)→畦塗り(アゼヌリ)→代掻き(シロカキ)までして、ようやく田植えとなる農家の一年のサイクルは大変だ。
『一年を一週間として過している、みたいによく言ってる。
 つまり春から秋まではほとんど休みなし。日曜も祝日も関係なし。
 夏はみんな三時半くらいに起きて、キュウリとかズッキーニの収穫をして、男衆は6時から二時間くらい
 田んぼの水の見回りにいって、ようやく、8時くらいに朝ごはんかな』

しかし、農業初体験の梢恵がこの厳しい農家の生活を一年体験し、生き方そのものを転換させる。
バイオエタノールの営業で穂高村に行く直前、梢恵は仕事にも恋愛にも行き詰まっていた。
行き詰まっていたというよりは、どうありたいのか何がしたいのか分からないまま惰性で日々を過ごし、仕事からも恋人からも、「どこが悪いというわけではないが、必要かといわれれば全く必要でない存在」という言葉をぶつけられていた。
そんな梢恵が、一年間を通じて土にまみれて働くことで、生きるということを実感し、仕事でも恋愛でも新たな一歩を自分から踏み出すことになるのだ。
『食べるものを、自分達で作って、生きる。
 それによって、他の人達の食も支えて、生きる。
 常に、大いなる自然の一部として、生きる。
 季節を感じながら、雨風と闘いながら、生きる。
 体力的にキツくても、暑くても寒くても、笑って、生きる。
 とにかくあの場所で、皆と笑いながら、生きる―。』

都会でなんとなく生ぬるく仕事をし恋をしていた梢恵は、穂高村で「あぐもぐ」の一員として農業をする決心をする。
「お前なんか必要ないから、長野で契約を取ってくるまで帰って来るな」という過激な激励で梢恵を穂高村へと営業に送り出した社長に、梢恵は「『あぐもぐ』は私を必要としてくれる」と退職を申し出る。その時の社長の言葉も強く印象に残っている。

『本当は、お前は必要となんてされてない』
『・・・・・必要とされてないってのは別に、お前に限ったことじゃないのさ。
 本当に必要とされる人間なんて、その役がその人でなくちゃいけない理由なんて、実際には、大してありゃしないんだ。』
それは、どの会社のどの社長でも同じだという。
『それをいったら、総理大臣の代わりだって大勢いる。
 親だって兄弟だって、いなくなったらしばらくは寂しいが、いずれ人間はその状況になれる。そういうもんさ』

『むしろな、梢恵。大切なのは、誰かに必要とされることなんじゃないんだ。
 本当の意味で、自分に必要なのは何か・・・・それを、自分自身で見極めることこそが、本当は大事なんだ。
 俺が社長業を継いだのは親父が死んだからだが、俺がこれを続けているのは俺の意思だ。
 俺はガラスを弄くって人様の役に立って、そうやって生きていくことを選んだんだよ。
 他でもねぇ、この俺が、片山製作所の社長というポストを必要としてるんだ。
 それを守るためなら努力は惜しまない。
 死ぬまで身を粉にして働く・・・・・・そういうことだよ。
 それと同じなんだよ、梢恵。』

何がしたいか分からないままに、とりあえず内定がとれた会社でなんとなく働いていた、梢恵。
「(梢恵を)必要でない」と宣言した片山製作所の社長は、梢恵自身が片山製作所を必要としていないことを見抜いていた。そして、何をしたいのか、自分にとって必要なのは何かを自分で見つけた梢恵を『誰かに必要とされることなんじゃないんだ。本当の意味で、自分に必要なのは何か・・・・それを、自分自身で見極めることこそが、本当は大事なんだ。』という言葉で送り出す。

「誰かに必要とされている、誰かの期待通りに生きる、というのではなく、自分に必要なのは何かを自分自身で見極め、自分が選んだ道のためには死ぬまで身を粉にして働く」という事こそが、「人生も、自給自足」ということかもしれない。

人生の転換期に、「あぐもぐ」や片山製作所の社長のような強いリーダーシップのある人物に導かれ必要なものを見つけることができた梢恵のように、誰か強いリーダーシップをもった人は現れないか、何か道を啓示するものに出会えないか、と期待して待っている自分は、まだまだ「人生の自給自足」に到達できそうもない。
恒産無くして恒心ある「士」への道は厳しいが、良書に学びながら修行を続けたいと思っている。

梢恵に生きる道を決めさせた穂高村の風景は、きっと私の愛おしい原風景に重なっている。

春 水田にうつる北アルプス


ところで、皇太子ご夫妻を応援する時、お幸せになって頂きたいとは強く願うが、どうあって欲しい、と思うべきではないと考えている。
一般論として、「こうあるべきだ」とか「こうあって欲しい」という願いは、例えそれが善意であっても、まず願う側のかってな思い込みであり、仮に願いから逸れた場合には相手側に「(願いに応えられなれなかったので)必要とされていない」という心苦しさを与えてしまう。

雅子妃殿下は、男児が産めなかったばかりに一定の価値観の者どもから存在価値を否定され、ご自身でも「必要とされていない」と思い込んでしまい、心の病を患われたのだと思われる。
男児を産まない女性に存在価値を認めないという価値観こそがおかしいしが、それで凝り固まった世界におられるので、この点において「必要とされていない」という観念から抜け出されることは難しいかもしれない。そんな雅子妃殿下に、お元気になって頂く以上の何かを願うのは、法改正で無力だった国民としては、申し訳なさすぎる。
だが、類まれなる教養をお持ちの雅子妃殿下ご自身が「必要な何かを見極め、その道を極めたい」と思われる日が訪れることは、強く強く祈っている。

皇太子ご夫妻がご自身の意志で選ばれる道を信じ、その道が開けてゆくことを心から祈っている。


春まだ早き頃、皇太子御一家が訪問される信州の風景


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幸せの条件 共生と独歩

2015-11-28 12:10:25 | 
「幸せの条件」(誉田哲也)の本の帯には「人生も、自給自足」とあるが、まだまだ考えはそこへは至っていないので、「幸せの条件」シリーズは今日も続いている。

自給自足の人生を考えろ、という本だけあって、綺麗事だけを並べている内容ではなく、長い物に巻かれねば上手くやっていけない時があることも、必要悪との向き合い方も考えさせられるが、本書の中核である農政の分野は待ったなしだと思わせるニュースが配信されている。

<農業人口>5年で51万人減 200万人割れ目前  毎日新聞 11月27日(金)15時1分配信より一部引用
農林水産省が27日発表した2015年の農林業センサス(速報値)によると、日本の農業就業人口は10年の前回調査から51万6000人減少して209万人になった。減少率は19.8%で過去最大だった前回の22.3%とほぼ同水準となった。平均年齢は66.3歳で、前回調査の65.8歳よりも高齢化が進行した。
高齢化で農業をやめる人が多い一方、若者の新規就農は伸び悩んでおり、農業の体質強化を急ぐ必要性が明確になった。
東日本大震災の被災地である岩手、宮城、福島の3県では農業経営体が22.6%減の13万9000と全国平均より減少率が大きかった。

若手を取り込み収益をあげるという点では農地の大規模化は不可欠だが、以前も書いた通り、農水省が進める農地の大規模化は進んでいない。
「幸せの条件」でも、休耕田や荒れ農地の問題は書かれるが、それは農家の高齢化と後継者不足と減反政策の弊害だけでなく、農地が荒れ放題になろうとも「先祖代々受け継いだ土地は手放したくない」という意地と誇りが農地集約を阻んでいる実情も炙り出されている。

その一方で、仮に大規模化が実現すれば、こだわり農法とはいってはおれない問題として、農薬との関わり方がある。
農薬については、これまでも「時代に即した祈り」 「千に一つに不出来を恥じる」などで「無農薬や利潤の追求で極端に走ることの危険性と、安易に妥協する危険性」を書いてきたつもりだが、「幸せの条件」でも、無農薬米へのこだわる若手農家の健介と、その良さを認めながらも「農業はビジネス」と割り切りったうえで農業の可能性を広げようとする茂樹の葛藤が書かれている。

『俺は無農薬のすべてが悪いとはいわない。だが向き不向きは絶対にあるんだ。自分の田んぼにはどこから水が流れてきて、上流には誰の田んぼがあって、そこがどういう農法をしてるのか、きちんと管理できてるのか、そういうことだって米のデキには係ってくる。俺だって無農薬はやってる。でも周りは全部俺が管理してる田んぼだ。水や風向きといった、環境そのものをすべて自分で把握し、コントロールできる。そこまでお膳立てして、ようやくほんの少しだけ、無農薬米が作れるんだ。だからって、それがどこでも通用するとは思わない。俺は無農薬米が得意だ、なんて自惚れたりはしない』
『・・・・・下手な意地を張って、無農薬に拘る必要なんて、どこにもねぇんだ。いくら無農薬だって、不味くちゃ客は買ってくれない。一度は買っても、二度は買わない。必要なのは、安全で美味しい米だ。それさえ適正価格で提供できていれば、客は必ず続けて買ってくれる。決して無農薬は、安全の絶対条件じゃない。・・・健介も、頭じゃ分かってるんだろうけどな。若いんだろう。自分の負けが認められねぇんだ。儲からなかったら、潔く手を引く。諦める。そういうビジネス感覚も、農業には必要なんだ。』

農業への熱い情熱と冷静なビジネス感覚をもつ茂樹社長が、若手の健介を指導しつつ休耕田の再興を図っている、「幸せの条件」の農業法人「あぐもぐ」。
無農薬を認めつつも、農薬を利用しての安全性で利潤とのバランスをとる。農地の大規模化を求めつつも、強引な集積でなく(農村としての景観を守るために)休耕田をなくす方法を模索する。
それは、長い物に巻かれながら必要悪とも付き合いながら、本筋を守る生き方を模索する姿勢にも重なってくる。

しかし、ニュース記事でも書かれている被災地の農業経営の縮小は、その原因が原発事故である地域では更に深刻な問題であり、長きに巻かれっぱなしで良いのか?必要悪は本当に「必要」悪なのか?という根源的な問題を突き付けてくる。

「幸せの条件」でも、原発事故が福島の農家に及ぼした影響が書かれている。
茂樹には、福島で農家をしている従弟・誠がいるが、その誠のところが作付制限区域になる。
震災当日は、揺れたけれど箪笥が倒れたわけでも、窓ガラスが割れたわけでもない。外に出たら自転車は倒れていたが、機械類はびくともしていなかった。箱と米袋が崩れたくらいでトラクターもコンバインも何一つ壊れていなかった。
原発からは同じ福島県内とはいえ30キロ離れている。あれは俺達には関係ない、と思ってた誠。
震災前と今と、景色は何一つ変わっていない、それなのに・・・・・
『米、作っちゃいけないんだってさ。仮に作って出荷したら、罰則が与えられる可能性があるんだってさ・・・ひどいよね。俺たちが何したっていうの。原発で作った電気使ってたの、俺達じゃないじゃない。東京の人じゃない。東京の工場とか、大企業とかじゃない。俺達はさ、ガソリンだってできるだけ使わないようにして、地面とお天道様とで、仕事してきたんじゃない。なのに、なんでだよ。なんで俺たちが、田んぼ奪われなきゃなんないの』
『あとさ・・・・・たった300メートルなんだよ。あと300メートル、うちが西にずれてたら、作付制限受けなかったんだ・・・・・憎いよ。ほんと、原発が憎い。やってらんないよ・・・・・』
誠は頭を抱え込み、うなだれる。

「エネルギーも自給自足」が理想だと頭では分かっていても、キロ当たり400円でも売れるコメを、20円で卸さない限り採算があわないバイオエタノールに踏み出せないでいた茂樹たちを、福島の農家の涙が奮い立たせる。
『自分たちで使う燃料くらい、自分たちで作ろうじゃないか。まずは自給自足。それができない百姓に、一体誰を食わせられるというんだい』その思いが、農家のゴミを燃料にする装置を考え出させる。

長い物や必要悪の有用性を認めて共生を図りつつも、それに呑み込まれずに1人でもやっていける覚悟と準備をしておくことの重要性を教えられた・・・教えられて、頭では分かっても一歩が踏み出せない私は、茂樹のようなリーダーを求めてしまうが、これでは本書の副題である「人生も、自給自足」とはいかない。
そのあたりについては、つづく。

ところで、皇太子ご夫妻は被災地の農業にも強い関心をもっておられるのだと思う。
東日本大震災から2年後に宮城県を訪問された時、復興事業の味噌加工場をお見舞いされたが、そこでは地元産の大豆と米での製造を重視しているという。
震災から4年の今年も被災地を訪問されたが、選ばれたのは福島の農業生産法人のトマトハウスで、復興状況や風評被害についてお見舞いと励ましの言葉をかけられたという。
皇太子ご夫妻が大切だと思われることを信じ、その発展を祈っている。

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幸せの条件 知足者富

2015-11-26 19:27:33 | 
「幸せの条件 お天道様」のつづき

自給自足というと、だし汁の水と薬味のネギ以外は国産ではないという海老の天ぷらうどんの例が、日本の食糧自給率の低さを語るうえで有名だが、「幸せの条件」(誉田哲也)で「あぐもぐ」社長・茂樹が力説するところによれば、数字と基点のマジックを取り払えば、悲観的な情報ばかりでもないらしい。

他国から食糧が一切入ってこない状況になり、国産で賄えるご飯と塩だけ食べれておれば自給率は100%になることからも分かるように、概して貧しい国々は自給率は高いそうだ。
つまり、自分の国にないものを輸入してまで食べることで、見かけ上の自給率を低下させているというのが、一点。これに付随し、畜産物の飼料の問題がある。
『国産の畜産物。牛、豚、鶏・・・・・これらはほとんど、自給食物にはカウントされない~略~
 牛豚鶏の食べてる飼料穀物が、ほとんど輸入に頼っているからだ。つまり日本で生まれ育っても、
 食べてるものが国産じゃなかったら、国産肉じゃないってことさ。
 この理屈でいくと、ハンバーガーばかり食べてる奴らの国籍をはく奪しなきゃならなくなるが・・・・・』

もう一点が、自給率をカロリーベースで語る愚という問題提起。
『(一般的自給率についての)今までの話は、実はすべてカロリーベースの話だ。
 ごく簡単にいうと、国内に流通したカロリーのうち、消費されたものの何割が国産だったか、というのを示す
 のが食糧自給率だ。よって、カロリーの低い野菜はほとんど、この食糧自給率にはカウントされない。
 野菜だって量を食べれば、腹は一杯になる。栄養だって摂れる。ベジタリアンってのがいるくらいだからな。
 それだって生きていけるんだ。だがそういうものはカウントしない。
 野菜は自給自足率から、長らく無視され続けているわけさ』

この二点を頭にいれ、茂樹が語る農業生産額を考慮すれば、日本は立派な農業国とも云えるらしい。
『日本の国内農業生産額はおよそ8兆円ある。2000年代に入って大体この辺りを推移している。
 これは一位の中国、二位にアメリカ、三位がインド、四位のブラジルに次いで、世界第五位だ。
 アメリカの国内農業生産額が17兆円。日本はその47%ということになるが、そもそも日本の人口は一億
 二千万強で、アメリカの4割しかいない。この40%の人口で47%の農業生産額をたたき出してるんだ。
 割合でいったらアメリカ以上といってもいい。どうだ、大した農業大国だとは思わないか』

だが、農政について門外漢の私からみても、この説には多少の無理があるように感じられる。
飢え死にしない程度の食事というのを最低ラインにすれば問題ないかもしれないが、今更天ぷらうどんのない昼食は考えにくい。エビ天は諦めろ、という意見もあるだろうが、そもそも出し汁の醤油はほぼ100%輸入に頼っている大豆が原材料だし、うどんの小麦粉も限りなく輸入に頼っている。
これを一気に国産で賄えるようにするのは無理だ、かといって、麺類が一切ない昼食も寂し過ぎる。

国産飼料を使った国産畜産物には賛成だが、これも価格という点で難しいのは、TPPの交渉で一番難航しているのがこの分野であることを見れば容易に分かる。

茂樹は「日本の農業生産額は世界5位」と胸をはるが、農業生産量と農業生産額とは違うわけで、それこそ数字のマジックに誤魔化されている感じもする。

しかし、一つ、たった今から誰でもが実践できることが書かれていた。
それは、残飯を出さないこと。
『贅沢に慣れきった日本人は、作りすぎて余ったり、食べ残したものを毎年、大量に廃棄している。その総量およそ1900万トン。日本の農作物輸入量が、およそ5500万トンだから、その約三割に相当する量を捨てていることになる。また世界でなされている食糧援助が、約600万トン。なんとその三倍以上を、日本人は口にすることなく、毎年捨てているんだ・・・・・』

残飯として捨てるものを輸入しなければ、それだけでも自給率は上がるし、何より食べ物を無駄にすることにならない。
情けないが、すぐには今の食生活を切り替える勇気がないので、せめて食べ残しなどで廃棄する食べ物をつくらないよう心がけようと思っている。

ところで、皇太子ご夫妻は農業にかかわる公務を大切にされている。
皇太子様は「時代に即した公務の在り方」について問題提起されているが、それは冬季国体が開催地選定の困難さと財政の問題から、開会式への皇族殿下の御臨席を拒む事態となった経緯や、御自身が臨席されていた農業青年交換大会もまた財政難で維持が困難だということを十分御存知であったからだと思われる。
その後、冬季国体への皇族殿下の御臨席はなくなったが、農業青年交換大会から形式をかえた「全国農業担い手サミット」に、皇太子殿下は毎年変わらず御臨席されている。
ここに皇太子ご夫妻の農業を大切に思われる御心が現れていると思うのだ。
何で読んだか記憶が曖昧だが、雅子妃殿下は全国障害者スポーツ大会と農業青年交換大会を大切な公務とされているが、それは他の式典での公務が一回きりの関係性になりがちなのに対して、この二つの式典公務では毎年同じ人々に会い、その人々が前回から更に頑張ってこられた姿やお話に接することができるからだ、と読んだ記憶がある。つまり雅子妃殿下は、障害を抱える人、あるいは日々農業に精進する人々の話に真剣に耳を傾け、その人々を応援し、更にはそういった人々を支える制度を重要だと考えておられるからこそ、これらの公務を大切にされているのだと思われる。
そして、その御心は敬宮様にも受け継がれていると思う。
敬宮様は、皇居にあがられるときには、赤坂御用地の庭で育てた花や野菜を持参されると伝えられている。
御自分が大切に世話をしてきた花や野菜を大切な人に届けたいという気持ちは、農業で一番大切なことであり、国を想ううえでも一番大切なことだと思われる。

国を想う時、原風景となる景色があるだろうが、「あぐもぐ」の茂樹社長は穂高村の景観を守るためにも、田畑を生かそうとする。
現在は穂高村は存在しないが、「幸せの条件」で『あの人は、とにかくこの穂高村の、農村としての景観を守りたいっていって、休耕田をなくすためにいろいろ手を尽くしているの。』というセリフを読んだとき、思い浮かべた風景があり、それは私にとっても大切な心の原風景でもある。


春 水田にうつる北アルプス




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幸せの条件 お天道様

2015-11-25 14:07:18 | 自然
23日には、新米のおにぎりと、庭から摘みたての春菊でつくった胡麻和えと、ボジョレーヌーヴォーで収穫に感謝しようと思っていたが、春菊は胡麻和えにできるほど成長していなかったし、ボジョレーヌーヴォーという気分でもなかったので、収穫祭とはならなかった。が、今年は数は少ないが立派な柚子ができたので、自家製柚子味噌でふろふき大根を食べるのを楽しみにしている。(参照、「感謝の乾杯と祈りの献杯」

「あさが来た」は視聴率もうなぎ上りでビックリポンな快進撃だが、それは「泳ぎ続けるもんだけが、時代の波に乗れる」の言葉通りに活躍する主人公・あさの魅力だけでなく、お家が没落しても卑屈になることなく誇りと品位を保っている姉・はつの存在も大きいのだと思う。
江戸時代にはお大名に借り倒され、御一新以降は新政府の横暴な要求に屈し、遂には、はつが嫁いだ大阪一とも云われた両替屋(山王寺屋)は倒産してしまう。夜逃げした先の農家の納屋と畠を間借りして飢えをしのいでいるうちに、はつの夫・惣兵衛は、農業を生業にしたいと考えるようになる。
はつの夫・惣兵衛は、家付き娘で威張り腐っていた母の説得を試みるが・・・・・。
『毎日お天道様や雨風と戦わなあかん。
 せやけどな、(農家ならば)もう世の移り変わりに振り回されることもあらへんのや。
 皆で地に足つけて、もういっぺん働こう』

一口に農家といえども、戦後の農地改革で田畑を失った地主は世の移り変わりの荒波をまともにかぶったわけであるし、減反政策が本物の農業従事者を減反してしまったという面があるし、これからTPPの影響が日本の農業にどのように影響を与えることになるかも、分からない。
が、「次のブームは農業ガールだ」というので最近読んだ「幸せの条件」(誉田哲也)で書かれていた自給自足と世の移り変わりについては考えさせられる。

主人公・梢恵は東京の片山製作所で伝票係をするOLだが、ある日社長の鶴の一声で長野(穂高村)に出張を命じられる。
「社運をかけて製作したバイオエタノール精製装置のための安い米を作付けしてくれる農家の契約がとれるまで、会社には戻って来るな」という社長命令を受けた梢恵は、バイオエタノールの知識が皆無のまま、穂高村に飛び込み、そこで農業法人「あぐもぐ」の人達と出会い、生き方そのものが変わるという物語。
本の帯には「人生も、自給自足」とある。

『百姓ってのは、食うための米を作るもんだ。燃やすためにコメを作る百姓なんざ、百姓じゃねえ』
訪ねる農家から悉く断られるなか、穂高村で出会った農業法人「あぐもぐ」の生活に触れ、更には『最悪、自分達の食べるものさえ収穫できてれば、生きていけるから』という言葉を聞いた梢恵は、自給自足の生活の強みを知り、そこからエネルギーの自給自足という発想を得るのだ。
『そう、ここが、農民の強さなのだろう。
 都会暮らしの月給生活では、お金がなくなったらゴミを漁るか、飢え死にするほかない。
 でも、ここでは食べ物を直接生産できる。売ってもいいけど、自分達で食べてもいい。
 むろん不作の年もあるだろうが、まったく何も採れず、何も口にすることができないという、
 極端な事態にまではまず至らないに違いない』

梢恵が感じた自給自足の生活が、惣兵衛の云う「世の移り変わりに振り回されない、地に足をつけて働く」ということなのだと思う。

だが、全く世の移り変わりに振り回されない(職業)農業というのは、かなり難しい。
家族皆が飢え死にしないで生きていくという最低ラインなら守れるだろうが、それでは日本の農政は成り立たない。

農業を生業とするためには、エネルギーが必要で、エネルギーを消費するということは、世の移り変わりに振り回されるということだからだ。

ガソリン値下げ隊とかいうものが結成されるほど燃料費高騰が世界的な問題となっていた頃、バイオエタノールも盛んに話題となっていたが、あれは一体どうなってしまったのか。一頃よりガソリン価格が下落したのは確かだが、農家が利益を上げるのに十分な価格か? あるいは、燃料が入手できない事態が生じたときに農業はどうなるのか、これは考えておかねばならない問題であり、農業という分野では、エネルギーの自給自足という観点からバイオエタノールを諦めてはならないと思いながら本書を読んでいた。

農業法人「あぐもぐ」の社長・茂樹は「燃料も自給自足」という梢恵の発想に理解を示す。
『現代の農業はガソリンがなきゃ成り立たない。~略~
 中東から油を持ってこないことには、俺達は田んぼを耕すことも、その田んぼに苗を植えるころもできない。
 むろん手作業で昔ながらのやり方というのもなくはないが、そうなったら収量は何分の一にも落ち込む
 だろう・・・・・そういう危機感ってのは、俺も常々持ってはいる。
 自分で使うガソリンくらい、自分で作れたらいいと考えていた』

バイオエタノールとは、農作物とかから抽出したアルコールを蒸留して作る無水エタノールのことだが、何事も採算が合うかが先ず問題となる。
『バイオエタノールを作るってことは、最終的にはガソリンと値段で戦うってことだ。
 そこから考えたら、自ずと原材料費をどれくらいに抑えなきゃならないか、分かるだろう』

ガソリン価格と競うならば、バイオエタノール用のコメはキロ当たり20円でないと燃料としての採算はあわない。が、食用米の卸値はキロ200円、農協に卸すのではなく直売するなら300円以上にもなり、無農薬なら400円でも売れる、煎餅などの加工用でさえキロ50円。この状況で、キロ当たり20円で卸していては農家は潰れる。

本書では、非協力的だった地元農家の一部が情にほだされたり、東日本大震災の原発事故を受け自然エネルギーへの理解が深まったため、問題山積ながらもバイオエタノールによる農業機器の稼働にまで辿り着けるが、実際にはなかなか難しそうだ。

本書のキーワード自給自足について、もう少し考えたい、それは又つづく


さてさて我が家のワンコ
無事に誕生日を迎え、17歳となった。
生後一か月のまだ耳が垂れている状態で初めて出会い、生後二か月目から我が家の家族となり、すぐさま家長となったワンコ。
この17年間、どれほどの愛と憩を与え続けてくれたかを思えば、今の介護など物の数には入らないが、鳴き声に哀切の響きがあるので辛くなる。獣医師によると、少し痛そうな哀しそうなこの鳴き声こそが、幼児帰りの証拠とも云える鳴き方だそうだが、分かっていても堪らない。
ほんの一週間前までは、夜鳴きは改善されたかに思えたが、パワーアップして復活。寝ずの番をする者だけでなく、家じゅうの者を起こしてしまう鳴き声だが、階段状に進むのも痴呆の特徴だそうだ。
今日のように雨がしとしと降る温度の低い日は、持病の神経痛まで復活しやすい。

植物を育てるためには勿論お天道様を仰がねばならないが、ワンコの健康を維持するためにも毎日お天道様のご機嫌を伺い、お日様が燦々と降り注いでくれることを祈っている。

お天道様 我ワンコのためにも照っておくれ。

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優れた感性の根っこにあるもの

2015-11-21 19:08:18 | ひとりごと
「感謝の乾杯と祈りの献杯」「昼の星」(オリガ・ベルゴリツ)「星の王子さま」(サン=テグジュペリ)「星とたんぽぽ」(金子みすず)について書いたが、最近読んだ本にも同じことが書かれていたと思いだし、「流れ星が消えないうちに」(橋本紡)を再び手にとった。

あったあった。
「流れ星が消えないうちに」は、高2の文化祭をきっかけに交際を始めた加地君と奈緒子と、二人のキューピット役の巧の人間模様に、人生後半の生き方を迷う奈緒子の父を絡めた物語だが、絵的に綺麗に描かれている場面に、「昼の星、こころで見なきゃ」と同様の内容が書かれている。
学園祭の出し物でプラネタリウムの解説する加地君はその中で、牡羊座の奈緒子への想いを吐露する。
『皆さんの中には、牡羊座の方がいて、がっかりしてるかもしれませんね。確かに牡羊座は地味な星座です。
 でも、実はすごい星座なんです。ギリシャ神話では、牡羊座というのは黄金の羊のことです。
 そして、ギリシャ神話でもっとも偉い神様である、ゼウスの化身であるとも言われています。
 たとえ見かけは地味でも、本当はすごい星座なんです~中略~
 牡羊座にはもう一つ素晴らしい特徴があります。実は牡羊座は年に一度、大きな流星群の基点になるんです。
 ただ、牡羊座流星群は昼間に流れるので、目には見えません。でも、僕たちの目には見えていないだけで、
 本当はものすごくたくさんの星が流れているんです。僕は知ってます。
 たとえ星座自体が地味でも、流 星群が見え なくても、その素晴らしさを僕はちゃんと知ってます』

この時期になると、しし座流星群が話題となるのは天体ファンでなくとも耳にするところであるが、確かに牡羊座流星群というのは一般的には知られてはいない。
知られていないからといって、目に見えてないからといって、無いわけではない。
地味でも、目に見えていなくても、それをちゃんと知って、告白に用いるような加地君なので、高校生ではあるが何処か哲学的である。

学校や部活動という集団活動のなかで、人としてどうあるべきかを高校生にして語る、加地くん。
「部活でボコられることやハブられることは辛い」と言う巧に対し加地は説く。
『俺は一人でいられなくなる方が怖いけどな』
『人間ってさ・・・誰かに頼らないと生きられないんだよな。俺もちゃんとわかってんだ、そういうの。
 だけど、、一人で生きられるようにならなきゃいけないとも思ってる。
 でないと、結局、ただもたれ合うだけになっちまうだろう。それじゃ駄目なんだ。
 ちゃんと一人で立てる人間同士が、それをわかった上でもたれ合うからこそ、意味が生まれるんだ』

このような哲学的な加地君なので、頭で考えてばかりで行動的でない自分の性格について・・・・・考える。
そうして大学生になって出した答えが、物語の核となる。
『立ってる場所を変えることによって、見えるものが違ってくる。
 そういうのが本当に大切なことだって、ようやく気付いたんだ。』

物語の中核をなすこの言葉は加地君の言葉だが、巧を通して人生に悩む奈緒子の父に伝えられる。
『考えてばかりじゃ駄目だって。動いてこそ、見えてくるものがあるんだって。~略~
 状況は変わらないかもしれないですけど、それを見る目は変わるかもしれないですよ』

加地君が海外で(現地で出会った女性と)事故死したことを受け入れられずに苦しんできた奈緒子だが、元は加地君の言葉が巧君を介し父から語られるのを聞いたことで、『言葉や思いは、こうして巡って行くのだ』と気付き、新しい一歩を踏み出す決意をする。そこでこの青春物語は終わるのだが、当初何か違和感があったのは、「車輪の下」をおもしろいと表現する事に加え、高校生にしては思索的に過ぎると感じたからかもしれない。
(参照、「読書と応援の道」
自分の来し方を振り返り、高校時代にこのような難しいことを考えるのか?物語的にデキすぎではないか?と。

それを少し考え直させる話を聞いた。
普段は広辞苑など手にとりそうにない筋肉頭の子が何やら調べているので、「何を調べているのか」と訊くと、「現実的」という言葉の意味が知りたいという。
何故か?
中学年・高学年で活動している時に、将来の夢が話題となったそうだが、ある女子Aが「絶対に潰れない会社の社長と結婚したい」と言ったそうだ。
それに対し、ある男子は「なんと現実的なユメ」と呆れ、ある女子Bは「ぜんぜん現実的でないユメ」と呆れたそうだ。
現実的という言葉を、男子は「実態社会に即した生々しいもの」という意味で使い、女子Bは「実現可能性」という意味で用いているのだろう。筋肉頭としては、その微妙な違いが気になったため広辞苑で調べていたようだが、「そういうBちゃんのユメは、大金持ちになること。弁護士になっても医者にはかからなければならないし、医者になっても弁護士が必要になる。それよりは、大金持ちになって、医者と弁護士を顎で使った方が良いらしい、だけど、それだって現実的なんだか。頭がいいBちゃんなら、自分が医者が弁護士に成る確率の方が高いと思うけれど」と釈然としない様子である。

なるほど、子供であっても微妙な言葉のニュアンスを心に留め、子供なりに考えるものなのだと、子供時代をすっかり忘れていた自分は気付かされた。
であれば、高校生の加地君が、哲学的思索的であっても何の不思議なことでもないのだろう。
子供時代の自分があまりに能天気だったのか、多少はモノを考えていたとしても、それを忘れるくらい年をとってしまったのか?今の物差しで青春モノを読み、かってに違和感を抱いていたことを反省しながら、今夜は「流れ星が消えないうちに」を手に夜空を見上げようかと思っている。

「微妙な言葉のニュアンス」といえば敬宮様の感性はとても優れておられる。
平成20年、皇后陛下御誕生日の御言葉より一部引用
『この頃愛子と一緒にいて,もしかしたら愛子と私は物事や事柄のおかしさの感じ方が割合と似ているのかもしれないと思うことがあります。周囲の人の一寸した言葉の表現や,話している語の響きなど,「これは面白がっているな」と思ってそっと見ると,あちらも笑いを含んだ目をこちらに向けていて,そのような時,とても幸せな気持ちになります。』
この時、敬宮様はまだ小学校一年生の6歳である。
その6歳の敬宮様が、文才があると誉れ高い皇后陛下(当時74)と感じ方が似ておられるというから驚きでもあり、国民としては大きな喜びでもある。
そして、敬宮様の繊細で秀でた感性の根底にあるものが優しさであることが尚すばらしい。
敬宮様がまだごくごく幼く、雅子妃殿下の御病状がかなり重かった頃、お母様の体調を心配する敬宮様は、お母様を励ますお手紙を書いて枕元にお届けになっていたと、何かで読んだことがある。病人の枕辺を見舞うということが、時に病人の体調に負担をかけるということを理解した上で、お身舞の気持ちを届けたいという優しさに心がうたれる。
思春期を迎えた敬宮様は今は、歌番組を録画して楽しみ、学校ではジャニーズなどの話も弾まれるそうだが、その年齢に相応しい瑞々しい感性と御成長もまた嬉しい。
スポーツ選手やドラマや歌手などについては世代ごとに共有できる記憶があり、その時代や年齢に相応しい出会いと記憶を有すれば、後々同世代の輩と楽しい時間を共有できるというものだ。

三つ子の魂百までとも云う、御心の根っこに優しさをもたれた敬宮様が、優れた感性で以てご自身の時代を吸収され、何時の日かその優しさと知性が活かされることを心から願っている。

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