令和元年 10月22日
朝から無情の雨が降りしきるなか、即位礼正殿の儀の日を迎えた。
阪神淡路大震災の被災者で、後に災害があるたびボランティア活動をされている上司の 「今回の被災地も被災者の方々も大変なご苦労をされているが、変わらない日常を淡々と守り続けることは重要なのだ、弱ったところがあれば他のところが尚更元気に頑張らなければならないと」という言葉で思い出した本を読んでいた。
「一日一生」(酒井雄哉)
あの、失敗したときに首をくくるための死出紐を肩にかけ自害の短刀をさげて出発するほどの厳しさで知られる「千日回峰行」を二度までも成し遂げられた酒井大阿闍梨のご著書である。
その厳しさ故、達成者は千年以上にも及ぶ延暦寺の歴史のなかでも43人のみだという千日回峰行は、比叡山・無動寺谷の明王堂に九日間籠もり断食・断水・不眠・不臥(体を横たえない)のまま不動真言を10万回唱える「堂入り」が有名だが、これは千日回峰行のうちの九日の行であり、残りはひたすら歩き続ける行で、その距離じつに地球一周分の4万㎞に及ぶという。
毎日毎日ひたすら歩くという行を千日近く続けていると、たとえ歩くことができたとしても惰性に流されそうなものだが、酒井大阿闍梨が達せられたのは、「一日一生」という思いであった。
『一日が一生』と思い、『今日一日全力を尽くして明日を迎えようと思える』ことが重要なのだという。
タイトルにもなっている「一日一生」は、「一期一会、そして①」で記した「日々是好日」(森下典子)の一期一会の件にも通ずるものがあると思い再び感銘を受けたのだが、上司の言葉で思い出したのは、歩く行の途中で不調が生じたときの対処の仕方だ。
酒井大阿闍梨は千日回峰行に出立する前に、長い長い時間歩き続けるには『体のいろんな部分を交代で意識しながら歩く』(右が疲れてきたら左足、左が疲れてきたら右足、いよいよ両足がくたびれたら腰、次は首といった具合に意識を交代させ、そこに気持ちを集中して歩く間は、別のところは休ませておく)のが良いというアドバイスを受けたそうだが、酒井大阿闍梨は、それは人生にも通じると語られる。(『 』「一日一生」より)
『人生を歩くっていうことも、その原理を応用すればいいんじゃないかな。
人生って、こっちが疲れたら全部「しんどい」ってことになってしまいがちじゃない。
考えを辛いことの一点に集中し過ぎちゃうから「こんな苦労はもうしたくない」なんて身を投げちゃうとか。
じたばたしたって、どうにもならないところをどうにかしようとするから、疲れちゃうんだよ。』
『しんどいところは休ませておいて、違うところに神経を集中させてみる。
そうして歩けば、案外楽に、結構楽しく生きていけるんじゃないの。』
人生って、こっちが疲れたら全部「しんどい」ってことになってしまいがちじゃない。
考えを辛いことの一点に集中し過ぎちゃうから「こんな苦労はもうしたくない」なんて身を投げちゃうとか。
じたばたしたって、どうにもならないところをどうにかしようとするから、疲れちゃうんだよ。』
『しんどいところは休ませておいて、違うところに神経を集中させてみる。
そうして歩けば、案外楽に、結構楽しく生きていけるんじゃないの。』
かってに酒井大阿闍梨のお言葉を解釈することは恐れ多いが、自らの経験を踏まえ「御即位にかかわる行事は予定通りに行われるべきだ」と話された上司の言葉から、酒井大阿闍梨の上記の言葉を思い出し、時に激しく雨が降るなかでの儀式を見守っていた。
午前中はレンズ越しにも雨風の激しさが伝わってきたが、いよいよ即位礼正殿の儀が始まるという時、画面が明るくなってきた。
そうして、天皇陛下が国内外にご即位を宣明されているとき、薄日が差し込んでいるのがテレビを通しても分かったのだが、この時東京ではまるで奇跡のようなことが起こっていたそうだ。
突如、上空に青空がひろがり、きれいな虹がかかったというのだ、しかも虹は皇居から伸びていたという。
所説あるのは承知しているが、虹には「二度と雨による災害を起こさない」という神様の約束の印という言い伝えもある。
もちろん、地球規模の気候変動はますます酷くなっていくので、これからも 残念なことに災害は発生し続けるに違いない。
だが、だからこそ、酒井大阿闍梨や上司の言葉どおり、しんどいところ 大変なところ以外が頑張るということが重要なのではないだろうか。
なにも 『しんどいところを休ませる』ことや、大変なところ以外は日常生活を(淡々と)頑張ることが、しんどいところや大変なところを見て見ぬふりをしたり、まして忘れてしまうことでは決してない。
しんどいところや大変なところにエールを送るためにも、それ以外の場所はあえて日常生活を「一日一生」の思いで頑張るということが、まだまだ災害が続くことが予測される我が国では重要なのではないだろうか。
そのような時代の象徴のように感じながら、奇跡のような即位礼正殿の儀を見守っていた。
美しい虹は、そのような道の先が希望ある未来に続いていくことを約束してくれているように私は感じている。
まだまだつづく、かもしれない