何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

ブラりす が確立させる存在

2017-02-27 20:30:30 | ひとりごと
ワンコの日から随分と過ぎてしまったけれど、
ワンコからのメッセージを探しながら読んだ本についてだから、読んでおくれよ ワンコ

「犬firstではなく、愛」 「愛の囁きも怪しい語呂も 良い呪文」より

図書館で見つけた本の表紙の絵が、ワンコが途惑っている時に見せた表情に似ているだけでなく、表紙(カバー)の見返しにある内容紹介には、「臆病で気難しいあなたへの物語」とあるので、勢い込んで手に取ったのだけど、寓話やファンタジーが苦手な私には難しかったよ ワンコ
どこかにワンコからのメッセージが込められていると思いながら読んでいたのだけれど、ハリネズミの想像力(妄想力)と慎重さ(優柔不断)に辟易としてしまって、何度も挫折しそうになったよ ワンコ

内容紹介より (以下、『 』「ハリネズミの願い」より引用)
『ある日、自分のハリが大嫌いで、他の動物たちとうまく付き合えないハリネズミが、誰かを家に招待しようと思いたつ。さっそく手紙を書きはじめるが、もしも○○が訪ねてきたら、と想像すると、とたんに不安に襲われて、手紙を送る勇気が出ない。
クマがきたら?ヒキガエルがきたら?ゾウがきたら?フクロウがきたら?―さまざまなどうぶつたちのオソロシイ訪問が、孤独なハリネズミの頭のなかで繰り広げられる。笑いながら、身につまされながら、やがて祈りながら読んでいくと、とうとうさいごに…。オランダでもっとも敬愛される作家による、臆病で気むずかしいあなたのための物語。』

「ハリネズミの願い」(トーン・テヘレン 訳・長山さき 装幀・祖敷大輔)
http://www.shinchosha.co.jp/harinezumi/


ハリネズミは、こんな手紙を書いたんだよ ワンコ  
『親愛なる動物たちへ
 ぼくの家にあそびに来るよう、キミたちみんなを招待します。
 ・・・・・でも、だれも来なくてもだいじょうぶです。』

でも、手紙を書くなり、
『この手紙を読んだら、本当は誰にも来て欲しくないんじゃないか、と皆は思うのではないか?』と思ったり
『ハリネズミの気が変わる前に、急いで行かなきゃ』と皆は思うかもしれない、と思ったりしながら、
『送るのはやめておこう・・・・・今はまだ』と決断するのだけれど、
今度は、「今はまだ」ってどれくらい?と延々と悩むんだよ
今は、まだ、当分、ずっと、この言葉がハリネズミの頭の中をぐるぐる廻っているんだよ

結局手紙を出さないままに、50以上の生き物を紅茶とケーキでもてなす場面を思い浮かべては、
あの生き物がもし来たら、こんな会話になるだろう、あんな事も起るだろうと想像し、
悲しみ苦しみ疲れ果ててしまうんだよ

あるいは、自分の知らないところで、動物たちはお互いに訪問し合っているかもしれないと想像し、
自分を貶している場面、特にハリについて悪く言っている場面を思い浮べ、傷ついてしまうんだよ

時には、出してもいない手紙の返事まで想像して、悲嘆に暮れさえするんだよ

その想像力(妄想力)と慎重さ(優柔不断さ)は、読んでいる者を疲れさせるものがあるのだけれど、
想像のなかの会話に、「ソフィーの世界」(ヨースタイン・ゴルデル)で読んだことがある概念や言葉が出てくるから、考えさせられるんだよ

『僕はいつでも迷っているし、ときどき悲しくなるけれど、絶望することは決してない。絶望は出来ないんだ。
 絶望しそうになったときには自分のなかで「おい!」という声が聞こえることを、ハリネズミは知っていた』

『でも僕は本当に孤独ではないはずだよな、と思った。自分自身がいるのだから。
 自分と話したり、自分を見たりできるのだ。自分はいつもいるじゃないか』
と言いながら、鏡の前に立つところなど、かなり深く考えさせられるんだよ 

『何が存在しないか知ってる?<あとで>。<あとで>は存在しないんだ。<いま>だけが存在する。』

『フクロウのようにいい目をもっていたら、もしかしてもしかしたら、極度の集中力をもってすれば<人生>と<幸福>を見ることはできるかもしれない。それでも<死>を見ることはできないのだ。だから皆<死>は存在しないと思っているのだ。だが<死>は存在するとアリは言っていた。推定上は』

ねっ 考えさせられるだろう ワンコ
ワンコ、ハリネズミが延々と悩みながらも何らかの答えを見出している箇所に共通する言葉が何か分かるかい?
それは、’’存在’’ってことだと、私は思うんだよ ワンコ

ハリネズミは、皆が自分を嫌う理由が、トゲトゲのハリのせいだと思っている
自分自身、どんな時にも意識せざるをえないハリを疎ましく思いながらも、ハリがあるからハリネズミだと分かっている
ハリさえなければ、皆に好かれるだろうと思いながら、
ハリがある自分を愛して欲しいとも願っている
自分(ハリネズミ)を自分(ハリネズミ)たらしめるものを受け入れられないハリネズミは、
’’存在’’するということへの自信や実感に乏しかったのかもしれないさ ワンコ

想像のなかの出来事に くたびれ果ててしまったハリネズミは、ある夜また悩むんだよ
『僕は誰なんだろう? 』 いや 『皆も誰なんだろう?』

悩みながらも『僕は誰にも訪ねて来てほしくないんだ』とハッキリ気づいて、
ハリネズミは、手紙を細かく破いてしまうんだよ

でもね、ワンコ
手紙を細かく破り想像するのを止めたハリネズミを、ぶらりと「ただなんとなく」リスが訪ねてくるんだよ
「ただなんとなく」リスが訪問することで劇的な変化があるのだけれど、
一気に書くには長すぎるから、ここで一本立てることにするよ ワンコ

ところで ワンコ
ワンコはよく、「ただなんとなく」私達の顔を見上げてくれたね 
ワンコとしては何か言いたいことがあったのかもしれないけれど、
黙って穏やかに「ただなんとなく」見上げてくれたね
本書を読むと、その「ただなんとなく」に、どれほど私達は和ませてもらっていたのか分かったよ ワンコ
そんな感謝を噛みしめながら、続く だよ ワンコ

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愛の囁きも怪しい語呂も 良い呪文

2017-02-25 23:51:51 | 
今日25日は二次試験だったよ ワンコ
R君はどうだったか旗色を伺ってきておくれよ

最近 読んだ本にもR君と同じように「野球の素晴らしさを教えたいから指導者(教師)を目指す」という球児が描かれていた。
「敗者たちの季節」(あさのあつこ)
本書は、甲子園出場を決めていた高校と、その高校が出場辞退に追い込まれたことで繰り上げ出場できた公立進学校の球児や野球関係者の物語だ。
野球小僧によると、あさの氏の野球モノは「なんか違うんだな」ということらしいしので敬遠してきたのだが、時代物が思いのほか良かった事と、本書が’’敗者’’をタイトルにしているので興味をもち、読んでみた。

読書備忘録をスコアブックに例えてみると、連続△ファウルか。
10年飼っていた犬を亡くし落ち込む息子(野球小僧)に「マイナスオーラを出すな。マイナスオーラを出してる人には絶対近づかない~略~他人に迷惑だ」と言う母※ を前向きな人間だと書くところに反発を覚えたり、「敗者の苦味も貴重だ」という言葉は(少なくとも)現役野球小僧には通じないと思ったりもしたが、監督のある言葉は印象的で、その一言で、私としてはタイトルを とりあえず肯定的に捉えている。

夏の地方大会決勝で負けが決まった時、万年補欠で一度もグランドに立てないまま終わったキャプテンが泣き崩れた、そのキャプテンに監督が掛けた言葉。
『よくやった。よく耐えた。よく自分と戦った。よく自分に負けなかった。お前は見事だったぞ』


さてさて話は変わり、「今日の二次試験」とかけて「今 稚内で行われている犬ぞりレース」と解く。
その心は、「動物のお医者さん」(佐々木倫子)
「動物のお医者さん」には、主人公・ハムテルと飼い犬チョビが出場する犬ぞりレースの話と、国試を前にした獣医学部の学生が呪文のように語呂合わせを唱えている話がある。
「ぎゅうぎゅうの口の感の狂った短気のデブが、けつようぴに遊びに出んとアフリカのスーダンにこられペットにヒナをもらった」
「見たくないこざるのおしりはまかっか」
「フースフ フースフス」

関係者以外には意味をなさない語呂合わせは、何故か上品でないものが多い。
「動物のお医者さん」には、あやしげな語呂合わせを唱えながら廊下を歩く女子学生に、助教授が「やめたまえ。女の子が口にする言葉ではない」と怒る場面があるのだが、本書で紹介されているものは、私に云わせれば、さほど下品なものではない。
なぜなら大方の生徒は高校の化学の授業(周期表語呂合わせ)で、「ふっくらブラジャー愛の跡」「変なネーチャンあるよ暗闇でキッスの連発」なんてものを習っているのだから・・・おいこらワンだね
私が伝授されたモノのなかには、更に怪しげなものもある。
消滅時効の援用権者を覚えるための「ホモの常連さんは受益者」はカワイイもので、自己所有物への放火の場合の「差物賃保」は、さすがにルビを振ることが躊躇われる。

さて、ここからが予告しておいた、ワンコあるあるが散りばめられている4コマ漫画についてだよ ワンコ
「愛犬うめのはな わっ ほぉ ’’うめ登場の巻’’」(南ひろこ)
ピレネーかな?真っ白で大きな犬うめ と暮らすパパ&ママと兄妹の家族の話なのだけど、
そこで描かれるエピソードの一つ一つがアルアルなんだよ

例えば「地球の訴え」の巻では、
煙草のポイ捨てをする男の人を、うめがガン見し続け、ついには煙草を拾わせるという話なのだけど、
ワンコも似たようなことをしていたね
犬のウンチを拾わず立ち去ろうとする飼い主さんを、ガン見して、必ず拾わせていたもんね

「新入社員」の巻は、我が家のことかと思ったよ
ある日 新入社員が、パパさんの背広に白い毛を見つけるんだよ
パパさんは、「うめの毛だ」と説明するのだけど、この説明が我が家そっくりなんだよ
「うめは、優しくて、凛々しくて、カワイくて、賢くて」と自慢するパパさんを見ながら、新入社員は「二度と犬のことは話題にすまい」と誓うっていうお話
これ、我が家も言っていたね、もっと言っていたね
「男前で、美男子で、気品があって凛々しくて、賢くて天才で、か~わいい か~わいい」このフレーズが我が家ではワンセットだったね ワンコ

ワンコを思わない日は一日としてないけれど、
こんな風に、ワンコとの楽しい思い出を楽しく思い出せるまでになったんだよ 
一年かかったけれどね ワンコ

次もワンコの話だよ ワンコ 

追記 
「敗者たちの季節」、著者はネーミングにこだわるものだと思うのだが、※をいかに捉えるかを決めることが出来なかったことが、本書の点数を辛くさせている。

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果報はお茶を飲みつつ待て

2017-02-25 12:38:33 | ニュース
※ これは本来23日に掲載する心づもりのものであったため、日時の表記が一部ずれている。

グーグルさんから一年前に書いた文が二つ届いている。
一年前の今日も、皇太子様の御誕生日をお祝いする気持ちと、皇太子御一家の御多幸を祈る気持ちを認めているのだが、昨年は特に、皇太子様が水の研究家であられることから、古今東西の「水」学?について記している。
万物の根源 誕生
万物の根源を水と云ったのは、水だけにタレス、と世界史で暗記したのを思い出させる文が「14歳のための時間論」(佐治晴夫)にあった。『そのとき(太初において)無もなかりき、有もなか......
貴船神社の水訓が私には一番しっくりとくるが、今日世界を駆け巡ったニュースを理解するには、「万物の根源は水だ」とするタレスの説を、分子レベルで裏付けする物理学者の佐治晴夫氏の文章が役立つかもしれない。

<39光年先、7惑星に生命?表面に水の可能性> 2017年02月23日 03時00分配信より引用
地球から約39光年(1光年は約9兆4600億キロ・メートル)先の宇宙で、生命を育む可能性がある7個の惑星が見つかったと、米国や欧州などの国際チームが発表した。
すべての惑星の表面に液体の水が存在する可能性があり、一部には海があるかもしれない。一つの恒星の周りに、生命が存在しうる惑星が7個も見つかったのは初めてという。論文は23日付の英科学誌ネイチャーに掲載される。
この恒星「トラピスト1」は、小さくて暗い「矮星」と呼ばれるタイプに分類され、木星よりも直径が約2割大きいだけで、明るさは太陽の1000分の1以下。研究チームは昨年5月にこの恒星を3個の惑星が回っていると発表したが、今回は米航空宇宙局(NASA)
のスピッツァー宇宙望遠鏡などを使って詳細に観測した。

佐治氏の説を用いるまでもなく、水があるところ生物が存在する可能性が高いのだろうが、宇宙に生命体と聞けば、「Ⅹファイル」かデスラー総統&テレサしか思い浮かばない私なので、このニュースが秘める科学的ロマンは兎も角、水の専門家である皇太子様の御誕生日に「宇宙と水」のニュースが世界を駆け巡った偶然のロマンを喜んでいる。

偶然の喜びと云うと、昨年は「お水取り」の花造りについても書いているのだが、この花造りの手順を書いた本を読み終えたばかりだ。

「阿蘭陀おせち」(和田はつ子)
元は武家の季蔵が、刀を持つ手を包丁に変えて一膳飯屋の「塩梅屋」を切り盛りしつつ、隠密の使命を帯びて捕物をするシリーズも32巻を迎えた。
捕物としても料理本としても微妙でありながら読者を惹きつけるものがある本シリーズは、ある意味において「サザエさん」の域に達しているので、季蔵が主家の世継ぎの横恋慕のせいで刀を捨てたのが何年前のことか、その世継ぎに手籠めにされた季蔵の元許嫁・瑠璃が心を病んでしまってから何年の年月が流れたのか、もはや読者は知る由もない。
ただ、いつ回復するかも知れぬ元許嫁の回復をひたすら待ち続ける季蔵の優しさと誠実さが報われる日を、読者としても待ち望みながら読み続けているのだが、本作「阿蘭陀おせち」では、瑠璃に回復の兆しが見えてくる。
の切っ掛けとなるのが、椿の紙花造りなのだ。
心を病み、生きる気力を失い、食は細り体を横たえるばかりであった瑠璃が、猫を可愛がるようになることで少し回復し、本書では椿の紙花造りをするまでになっている。
東大寺の「お水取り」はお松明だけでなく様々な儀式があるが、2月23日にすることが定められているのが、この椿の花造りだ。
水と火を包む徳の花
「お水取りが終わると春がくる」という言葉は知っていたが、どちらかと云うと「球春」の方に馴染みがあった私が「お水取り」に関心をもったのは、ある話を聞いてのことだった。それは、同僚の......
32巻のほとんどを、心を病んだままでいる季蔵の元許嫁の瑠璃さんが、回復の兆しをみせる切っ掛けが花造りであり、その花造りを儀式として行っているのが、2月23日なので、必ずや雅子妃殿下も回復されると信じ応援を続けようと思っている。

ところで、本書のウリは捕物なのか料理なのかが分からないのは、私が料理ヘタのせいかもしれないが、本作で紹介されている美味しいモノなら真似が出来るかもしれない。
ほうじ茶!?
季蔵が捕物の調べで訪ねた先で、美味しいほうじ茶にでくわし、こう思う。
『ほうじ茶を煎れる秘訣は、煎茶よりも少し多めの葉の量を用意し、沸騰したての湯を使い、30数えながら、軽く急須を回し、茶の色がやや濃いかなと思うくらいになったら、湯呑みに注ぎ入れること。ほうじ茶には抹茶や煎茶のそうに、値の違いで質が変わることはあまりない。』・・・にもかかわらず、訪問先の ほうじ茶は明らかに美味しい、さて何故か?
『一度、ほうじ茶の葉を焙烙(素焼きの平たく浅い土鍋)で炒り直してから煎れる』のが秘訣だという。

何なに? どこからかワンコの声が聞こえてくる。
「小豆ママさんは、31巻の「江戸あわび」(和田はつ子)を進化させて超絶おいしいホタテお粥を創作料理し皆に振る舞って下さったのに、お前さんは ほうじ茶か!!!」
「お猫様の御相伴に与るワン」 「ニャンともワンだふるなお粥だワン」
ごめんよ ワンコ
その ほうじ茶も30秒待つことや炒り直しが少々めんどうかもしれない・・・・・。
でも、ワンコを思い出すマンガを見つけたから、その紹介で我慢しておくれ ワンコ
次回はたぶん「ハリネズミの願い」(トーン・テヘレン)と漫画の連発だよ ワンコ

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敬宮様 生まれてきてくださり有難うございます

2017-02-24 12:50:55 | ひとりごと
今日ここには本来、違うものを掲載するつもりであった。
グーグルさんから届いた昨年2月23日の記事に、ピタリと合うニュースと本に出くわした偶然に、喜びがあったからだ。

だが、今それを掲載するのは、今の自分の気持ちに正直ではない。

だからと云え、事情が分からない人間が、あからさまに書いていい内容でもない。

ただ、今の自分のなかにある怒りと虚しさと悲しさに通じるものが、今読みかけの本の ある場面に、ある。

読みかけの本にある、ある場面について書くことが適切ではないのは承知している。
まして、それは甲子園を目指す若者の青春ものであるため、私の心を揺さぶった場面に作者がどのような意図を込めていたのかは分からない。
それ故に、その本の題名を記すことは控えたいと思う。
それ故に、これは時限記事とするかもしれない。
だが、それでも今それを記しておきたいと思うほど、衝撃を受け、怒りに震えている。

野球小僧の幼馴染のその女の子は、小4、10歳の時に両親が離婚する。
理由は、その女の子が、男の跡取りを必要とする家に生まれた女の子だったからだ。
六代続いた老舗の酒屋は、男の跡取りを必要としていた。
その女の子の父は、一緒にキャッチボールができる息子を望み、「男の子ってのは・・・・・いいよなあ」「女の子は跡継ぎにならん」というのが口癖だった。
そして、父は外に女性をつくり、そこには男の子が誕生した。
その女の子の母は、夫には「今の時代、キャッチボールも跡継ぎも、男とか女とか関係ないでしょ」と言いながら、娘には「あんたが男の子だったら、こんなことにはならなかった」と呟いた。

次の日、女の子は髪を切った。
一人で美容院に行き、髪を切った。
「耳が全部見えるくらい短くしてください」
「男の子みたいな」

短くなった髪型は、女の子によく似合った。

10歳の女の子は、泣きながら自問自答する。
「男の子になれないのに、キャッチボールもできないのに、あたしは生きていていいのだろうか。
 生まれてきて、よかったんだろうか。」



・・・・・すっかり面窶れされた御姿に、心からの言葉を届けたい。

貴女の母が、生まれたばかりの貴女に涙ながらに かけた言葉を届けたい。

敬宮様 生まれてきてくださり有難うございます

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この’’道’’が未来を照らす

2017-02-23 01:01:01 | ひとりごと
2月23日 富士山の日は、皇太子様の誕生日でもあるので、山を愛する者のなかには2月23日を「日本一の日」という人もいるという。

富士山の申し子であられる皇太子様は登山を趣味とされるが、その皇太子様らしい素晴らしい御歌がある。
平成17年お題「歩み」で詠われた皇太子様お歌
頂きに たどる尾根道ふりかへり わがかさね来し 歩み思へり

山を歩くことは人生に例えられることも多いが、この御歌はまさに頂きへの一本道を御自身の人生の歩みに重ねられたものである。
皇太子様の’’山’’は、海抜0から登る登山では、ない。
頂きから頂きを結ぶ、真っ直ぐではあるが上り下りの激しい尾根道、積雪期には雪庇を踏み抜く危険もある尾根道、その真っ直ぐな一本’’道’’をお一人で歩いておられる。
皇太子様の’’道’’は、有史以来125人だけが歩くことを許された’’道’’である。

それ故にか、凡人の私には 『まっすぐな道で さみしい』(種田山頭火)の句が思い浮んでしまうのだが、
皇太子様は孤独とも云える一本’’道’’を歩まれながらも、「道」を肯定的に受け留め研究対象にしておられる。

学習院大学の卒論が「中世瀬戸内海水運の一考察」であり、オックスフォード大学留学中には「テムズ川の水運」について研究され「18世紀テムズ川における輸送船舶及び輸送業者について」を著されるなど、皇太子様は「水の道」の研究者だが、「道」に関心を持たれたのは、初等科時代 赤坂御用地内に鎌倉時代の鎌倉~奥州を結ぶ古道が残されているのを御覧になったことが切っ掛けだったという。
(『 』平成29年1月19日 学習院大学での講義について、新聞各紙から引用)
『当時、御用地の外に出たいと思っても、そう自由にでられなかった私は、道を通ることにより、いままで全く知らなかった世界に旅立つことができることを知ったわけです。私にとって道というものは、未知の世界と自分とを結びつける貴重な役割を担っていたといえると思います』

道を見つけたとしても、そこから自由に出かけられぬ厳しい制約のなかで、その道を、歴史への’’道’’、学問への’’道’’、未知の世界へと結ぶ’’道’’へと昇華させ、王道を歩む力へと変えていかれる皇太子様。

その御姿勢は、今年29年の「歌会始の儀」の御歌にも表れている。
岩かげにしたたり落つる山の水 大河となりて野を流れゆく

皇太子様の御歌に、私の写真を付けるのは烏滸がましいが、これは槍ケ岳に登った時に撮ったもので、梓川の最初の一滴となる場所である。


山を歩かれる皇太子様は、山頂近くの水源地の最初の一滴を御存知であろうし、岩陰から滴り落ちる最初の一滴が、いかに急峻な斜面を転がり落ちながら少しずつ川幅を広げていくかも御存知だと思う。


最初の一滴は孤独で、厳しい道を歩まなければならないが、やがて川幅を広げるごとに流れは緩やかで雄大になり、周辺の土地を潤しながら、大海原へと注ぎ込んでいく。
水の道も、皇太子様の歩まれる’’道’’に重なっているように、拝察される。

この’’道’’が、敬宮様へと続くことを、私は祈るような思いで、願っている。

女児しか産まなかったと責められ心を病み、病んで尚バッシングに遭い苦しむ母をもつ娘は、女児であったために軽んじられ、バッシングの餌食にされている。
女という性ゆえに苦しむ娘に、更に女性であるが故に閉ざされた’’道’’を願うことの酷さは、千も万も承知しているが、誰かが最初の一歩を歩まねばならぬとしたら、それは皇太子様の一粒種のお姫様である敬宮様であって頂きたい。

それでなくとも孤独で厳しい一本’’道’’を、悪意に満ちた理不尽な暴風雨に晒されながら、しかし穏やかな佇まいを崩すことなく黙々と歩まれる皇太子様の’’道’’が敬宮様へと繋がる時、この国に希望ある新たな’’道’’が広がるのだと思っている。

山頭火には、もう一句「道」を詠ったものがある。
この道しかない 春の雪ふる

「この道しかない」道を父と娘が歩むとき、頭上に雪は舞い散るかもしれないが、水温む春の雪には明るさがあると思うのだ。
そして、その明るさのもと歩まれる皇太子御一家の道程こそが、この国の行く手を照らすものとなると信じている。

だからこそ我々は、天を仰ぎ淡雪のほの明るさを頼んでいるだけではなく、心をこめて応援し続けなければならないと思っている。

日本一の日  皇太子御一家の御多幸と御健康を、心よりお祈り申し上げます


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