何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

聖地での勝利!

2015-05-31 22:15:21 | ニュース
興奮冷めやらぬ武道館。

剣道世界選手権、日本三連覇達成!

<剣道世界選手権 男子団体戦 日本が3連覇>5月31日 20時21分NHKより一部引用
剣道の世界選手権は、最終日の競技が東京の日本武道館で行われ、男子の団体戦は日本が3大会連続15回目の優勝を果たしました。
団体は1チーム5人で行われ、日本は4チームによる総当たりの予選を勝ち上がったあと、決勝トーナメントでハワイ、ブラジル、ハンガリーを破って決勝に進みました。
竹ノ内選手は「どこかで一本を取ろうと思っていた。自分が勝てば日本は絶対に勝つと思っていた」と話していました。また、内村選手は「若いメンバーがつないでくれて、ぎりぎりのところで勝つことができた。最後は大将として仕事を果たす、その一点だった。本当にうれしい」と地元で開催された大会での優勝を喜んでいました。


先鋒竹ノ内が先ず必ず勝ちにいき、全試合に出場した勝見が安定した強さを見せつけ、中堅の正代が勝ちを呼び寄せ、副将の安藤が激しいツキで攻撃の手を緩めず、大将の内村が確実に勝ちを取る。

団体戦が好きだ。

武道の団体戦の面白味を教えてくれたのは、井上靖氏「北の海」
主人公・洪作は浪人中にもかかわらず四高の柔道の夏合宿に参加し寝技にとりつかれ、柔道をするために四高に入ることを誓うという古き良き時代の青春モノである。
洪作のモデルである作者の井上靖氏は実際に四高で柔道一筋の生活を送っただけあって、作中の先鋒から大将までの人物描写が団体戦におけるその役割と符合しており、武道の団体戦の面白さを教えてくれただけでなく、旧制高校のバンカラな雰囲気もいかんなく伝えてくれる作品であり、本の影響をすぐ受ける私は、旧制高校の寮歌を口ずさむ時期さえあった。
ちなみに、お気に入れの寮歌は四高のそれではなく、我が家の誰にも縁も縁もない七高の「北辰斜めに」であるが、今日の剣道世界選手権三連覇を祝い、久しぶりに「北辰斜めにさすところ」と吟じたくなった。

柔道の団体戦の面白さを教えてくれたのが「北の海」(井上靖)なら、剣道の団体戦の面白さを書いたのは「光の剣」(海堂尊)だ。といいつつ「光の剣」は図書館で借りて読んだので、主人公が愚っち&白鳥シリーズの「ジェネラル・ルージュの凱旋」の速水と「ジーンワルツ」の清川であったことくらいしか覚えてないが、作中の印象的な言葉は読書備忘録に記してある。


『素質と才能は違うんだ。
 この世の中には、素質があるヤツなんて、実は大勢いる。
 河原の石ころくらいごろごろしている。

 才能とは、素質を磨く能力だ。
 素質と才能、このふたつを 持ち合わせている人間は少ない。
 素質と才能の違い、
 それは、努力する能力の差なんだよ。』

粘り腰には自信がある私は、この言葉を信じて、少し?足りない素質の分を(磨き上げる)能力で補おうとしてきたが、ただ闇雲に磨いているだけでは摩耗してしまうだけかもしれない。
「才能とは、素質を正しく磨く能力だ」と、ようやくこの年になって気がつくというお粗末さが、情けない。


ところで、皇太子様の姿勢と眼光にはブレがない。
式典にご臨席の御姿もそうだが一番良く分かるのは、歌会始の儀に御臨席の御姿。
体幹と眼光に微塵も揺るぎがない御姿は峻厳であるのに、柔和さが宿っているのは、剣道をされていたからでないかと密かに思っていた。
今日三連覇を成し遂げた剣士の方々の、姿勢・眼光ともにブレがなく厳しいものを全身に纏いながらも眼差しの奥に穏やかなものを湛えている姿を目の当たりにして、少年剣士の精神が今も皇太子様のうちにあるのだと感動している。


・・・・・言い訳ばかりしているが、地震や噴火などキツイ話題が多いので、スカッと嬉しいニュースは優先的に記したい。
よって、延び延びになるが「水神」の続きは、多分、明日。

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みんな同じ命

2015-05-30 12:51:06 | ひとりごと
「水神」(帚木蓬生)について書くつもりだったが、ニュースは生ものであり噴火という緊急事態なので、話題を変える。

<「犬残せない」「自分の船で」=短時間で決断、避難の島民-口永良部島>
2015年5月29日(金)22時33分時事通信より一部引用
飼い犬を連れてヘリに乗る人、自分の船で避難する人。鹿児島県・口永良部島で新岳が噴火した29日、島の住民が取るものも取りあえず、迷いながらも短時間で避難を決断していた。
海上保安庁によると、島北東部の湯向地区沖に到着した同庁巡視船の乗員は午後1時ごろ、島に上陸。地区にいた住民8人に避難を促した。
男性(77)は当初、「飼い犬を残してはいけない」と避難をためらっていたが、乗員から「一緒に連れて行って構わない」と説得され避難に応じた。
犬を連れた男性は約40分後、他の住民5人と巡視船へ。その後、巡視船に停止していたヘリで屋久島に運ばれた。



犬は間違いなく家族の一員だと感じている私としては、「飼い犬を残してはいけない」という男性の気持ちは痛いほど分かる。
避難を要する災害が次々起こる我が国では、避難時のペットの対策も徐々にではあるが進んでいる。

この問題が関心を集めたきっかけは、何といっても「マリと子犬の物語」(藤田杏一)だと思う。
2004年10月23日、新潟県中越地方をM6.8の地震が襲った。これは被災地山古志村での兄妹と飼い犬の物語である。

主人公の11歳と6歳の兄妹には母がいない。
4年前母が亡くなった時、妹の綾はまだ2歳だったので、母の記憶すらない。
そんな兄亮太と妹綾が一匹の捨て犬と出会う。親兄弟とはぐれた子犬に自分を重ねあわせた綾が、犬が苦手な父を説得し子犬を飼い始める場面が物語前半を占めるため、この家族とマリと名付けられた捨て犬とマリが産んだグー・チョキ・パーの結びつきの強さが伝わってくる。
この家族に新潟中越地震が襲う。
全壊の家の下敷きになり意識を失っている祖父と綾を助けるために、マリは前足を血で滲ませながら倒壊した土壁を掘り続け、更には、救助にきた自衛隊員を二人のもとに誘導し、マリのおかげで二人は助け出される。
しかし、救助のヘリコプターに犬を乗せることは出来ない。
飛び立つヘリコプターからマリと子犬を見て泣き叫ぶ綾と、行ってしまうヘリコプターを追い続ける犬の場面は涙で文字がかすんで読めなかった。

避難所でも命の恩人の犬を忘れられない家族に、山古志村が水没するという知らせが届く。
居た堪れなくなった兄と妹は犬を救うべく徒歩で村へ帰るが見つけることは出来ず、高熱を出して寝込んでしまう。
そして、ついに山古志村一時帰宅の日が訪れる。
山古志村は闘牛のための牛と鯉の養殖で生計をたてている人が多い。大切な命であり生計の糧でもある牛や鯉を諦めなければならない人達のことを思うと父はヘリコプターで犬を連れ帰ることに躊躇いがあったのだと思うが、地震直後に綾と祖父を救助した自衛隊員は、この兄と妹の犬を思う気持ちを痛いほど理解していた。「自分は山古志村に残るから犬を連れて帰って欲しい」という父に、自衛隊員は「みなで帰ろうと」という。
犬を連れ帰った兄と妹に、避難していた山古志村の人々は温かかった。
牛や鯉を残さざるをえなかった人たちは、生き物の命の尊さと、それを慈しむ兄妹の優しさを十分に分かっていたから。

涙なしには読めない物語ではあるが、村人と自衛隊員の理解と優しさのおかげでマリと三匹の子犬は助けられ、安堵のうちに読み終えられる。しかし、残され喪われた命の方が多かったことは忘れてはならないし、この時から7年後の東日本大震災でもペットの受難は続いた。

あちこちに残るペットの骸。飼い主を喪い彷徨うペット。避難先で飼えないため預けられたペット。
ペットを禁じる避難所に入ることを拒み、半壊の自宅でペットと過ごす被災者の方。
災害時のペットをめぐる問題は何度となく特集が組まれた。

その甲斐あってか、環境省は2013年指針を示した。
<災害時、ペットは原則一緒に避難/環境省が初指針/鍵はスペースの分離>2013/08/21 18:02共同通信より一部引用

環境省は20日、大災害時はペットの犬猫は飼い主と一緒に避難させることを原則とし、地方自治体に態勢整備やルール作りを促す「災害時におけるペットの救護対策ガイドライン(指針)」を作成した。東日本大震災を教訓にまとめた。同行避難を明記した指針は初。全国の自治体に配布し、国の防災基本計画にも盛り込む。
指針は、自治体や飼い主などが普段から準備するべきことと、発生時の対応を列記した。
飼い主には、ペットが迷子にならないように飼い主の情報を記録したマイクロチップや名札を付けるよう促し、少なくとも5日分の水とペットフード、予備のトイレ用品などを備蓄するよう求めた。避難所で他の人に迷惑をかけないためのしつけや、避難ルートの確認などの対策も示した。
自治体には、避難所や仮設住宅にペットを受け入れられるように飼育スペースや方法を決め、普段から同行避難の訓練をするよう求めた。災害発生時に被災ペットを受け入れる動物救護施設の設置なども盛り込んだ。
獣医師会にも、協力可能な動物病院や獣医師のデータベース作成などを呼び掛けた。
東日本大震災では、住民が津波や原発事故で緊急避難を余儀なくされ、ペットとはぐれた例が多かった。一緒に避難しても鳴き声や動物アレルギーなどの問題から避難所で受け入れが認められないケースもあったため、指針を作って国の考えを示した。
一方、ペットが多様化する中、指針が想定するのは犬と猫だけで、他の動物については「まだ方針を決めていない」(同省動物愛護管理室)としている。自治体によっては人への危害を防ぐため、大型犬や危険な動物を同行避難の対象外とするケースもある。



着の身着のまま逃げ出す災害時に、何をペットの話かと思われるかもしれないが、ペットと暮らす人間にとって、ペットはかけがえのない家族なのである。
それを理解し指針が示され、今回船での避難に犬が同行できたのは、辛いニュースの中で、少しだけホッとできる情報だった。

ところで、皇太子御一家は犬と猫とカメを飼われている。
皇太子御一家が迷い犬や迷い猫ばかりを飼われている事から拝察するに、人間の保護と責任から逸れてしまう生き物の命に敏感なのだろう。東日本大震災後に敬宮様は、犬や猫はもちろんのことカメの避難についても職員と相談された、と読んだことがある。
一人っ子の敬宮様にとって犬や猫やカメさんは、やはり特別な存在なのだと思うが、命に責任を持つという姿勢を10歳にして有しておられるのは素晴らしく、それが初等科卒業文集につながっているのだと思っている。
「受け継がれる命を育む御心」


蛇足ながら、2年前この環境省の指針を知って我が家でも、常に一月分余分のドライフードと真水を準備はしている。が、齢80を超え、ふやかし御飯を食べる毎日なので今更ドライフードを咀嚼するのは難しいし、目も耳も鼻も利きにくくなり不安感も大きいのか鳴くこともあるので、環境省が許してくれても避難所に連れて行くわけにはいかないと思い、避難用のテントの購入を考えていたところの、今回の噴火だった。
地球規模で地殻変動の時期に入ったと思われるので、何時どんな災害に見舞われるか分からない。今一度、身の周りを点検しようと思っている。

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緊急速報 噴火

2015-05-29 10:45:59 | ニュース
鹿児島・口永良部島で爆発的な噴火 警報レベル5 5月29日 10時08分NHKより引用

29日午前10時前、鹿児島県の口永良部島で爆発的な噴火が発生し、火砕流が海岸まで到達したのが確認されました。気象庁は口永良部島に噴火警報を発表し、噴火警戒レベルを5に引き上げ、気象庁は島の住民の避難が必要だとして厳重な警戒を呼びかけています。


住民の方全ての安全が確保されますよう心より祈っています。

このところ、箱根山の噴火ニュースから破局噴火について書いていた。

「神坐す山の怒りの火」 「破局に終わらせない知恵を」 「つよっしーを信条に」 
「伝承は神の教え其の壱」 「伝承は神の教え其の弐」 「神の教えを継ぐ皇太子様」

火山について門外漢で分からないが、爆発的噴火が起こり海岸まで火砕流が流れるのは「死都日本」(石黒 耀)
でも書かれていた恐ろしい光景であり、これから厳しい現実が次々と突きつけられるかもしれない。
今現在も、噴火の警戒レベルを上げている火山は多くある。

早急な対策を願うとともに、住民の方の安全を心から祈っている。

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どこへ帰る

2015-05-28 12:30:00 | ひとりごと
昼間は真夏を思わせる暑さだが、朝晩は肌寒いくらいひんやりとしている。

人間にとっては悪くない天気だが、寒暖の差が激し過ぎるのか、葉に白い綿のようなもの(カビのようなもの)がついている。はじめはペチュニアの葉で見付け、そのうち花水木の葉まで白くなってきたので、お世話になってる庭師さんに見て頂くと、うどん粉病。
うどん粉病といえば野菜とくにキュウリがなるものだとばかり思っていた。少なくとも我が家でうどんこ病といえばキュウリだったのだが、天気が変だと思いがけない病気が思いがけないものにまで流行る。
では、花水木から少し離れたところに植わっているキュウリはというと、「つよっしー」の名の通り、今のところは大丈夫なようだが、うどんこ病に効くという酢を霧吹きでかけておいた。頑張れ!つよっしー

ところで、いつも剪定してもらう松の根元に米粒が落ちているのを見咎めた庭師さんから「門被りの松に、米のとぎ汁などあげないで下さい。」との御小言。
今まで良かれと思い、せっせと研ぎ汁を撒いていた家人としては「米のとぎ汁は栄養があって良いのでは」と訊ねずにはおれなかったらしいが、その答えは「農薬たっぷりの米のとぎ汁は、枯らしたくないものには与えないで下さい。特に私が剪定する松には撒かないで下さい。」とのこと。

我が家がお世話になる庭師さんは本職の農家さんでもあるので、ここは素直に教えに従うしかないが、松に撒いてはならない研ぎ汁の本体の米を食べる人間の立場は一体?と思わざるを得ない「うどん粉病騒動」であった。
天候不順に病害発生、農薬散布と安全な食品、こうしてみると猫の額の家庭菜園はともかく農業は難しい。その農業の新たな担い手に期待が集まっているようだ。

<「田園回帰」の新たな動きに期待>2015年5月26日(火)8時57分配信 共同通信より引用
政府は26日、2014年度の「農業白書(食料・農業・農村の動向)」を閣議決定した。都市住民が新たな生活スタイルを求めて都市と農村を行き交う「田園回帰」の動きを取り上げ、農村の活性化に期待を示した。
14年に都市住民1147人を対象に農山漁村への定住願望を聞いたところ「願望がある」「どちらかというとある」と答えたのは31・6%だった。前回調査の05年より11ポイント上がった。世代別では特に20代男性の関心が高い。
鹿児島県志布志市と地元JAが協力して特産のピーマンを作り新規就農者を増やしたことや、島根県邑南町が食と子育てに力を入れて定住を促す例を紹介した。



どの夏野菜もそれぞれ難しいが、この私でも唯一毎年失敗がないのがピーマン。
このピーマンの成功をもってして定住型新規就農者の増加を図ろうと試みるのは少々無責任な気がしないでもない。おそらく「帰去来辞」(陶淵明)を意識した農業白書だと思うが、あの有名な「帰りなんいざ 田園将に蕪れなんとす 」の帰去来辞には序章があるのを、知らしめているのだろうか。

帰去来辞 序
余家貧 耕植不足以自給
幼稚盈室 瓶無儲粟 生生所資 未見其術
自分は貧しい生活の中で、農耕に励んでも自給もままならぬ、子どもらは家に満ちて常に腹をすかせているのに、カメには貯えていたアワも無くなり、生命を維持していくための糧について、未だに算段がつかない。

陶淵明は仕官する前に自給自足がままならない極貧生活を身を持って経験しているが、その厳しさを知ったうえで「少きより俗韻に適ふこと無く 性 本と丘山を愛す~荒を開く南野の際 拙を守りて園田に歸る」(拙を守って偉くなれ)と悟り、「帰りなんいざ 田園将に蕪れなんとす なんぞ帰らざる」と高らかにうたい田園へ帰っていく。

私ですら失敗しないピーマンで定住を促すのは無責任ではないかと御上の政策に不満を感じて思い出した作品がある。
「水神」(帚木蓬生)
この作品を読むと、予報が当たらない気象庁や無責任な農業政策をたてる御上に不満ばかり言っている自分が恥ずかしくなる。
そのあたりは、つづく


ちなみに、「帰去来辞 序」を知らしめているのか、と偉そうに書いたが、実は私は知らなかった。
「帰去来辞」を検索していて、「序」を見つけただけの付け焼刃の知識。
陶淵明の有名どころ特に雑詩其の壱「歳月不待人」や「帰園田居」は大好きだが、「帰去来辞」は冒頭の菅原道真による訳の素晴らしさが原文を凌いでいる気がするので、原文にはあまり関心がなかった。
偉そうな物言いを少し反省している。

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右の手だけが知る愛

2015-05-26 18:45:18 | 
ボケッと生活の締めくくりに懸案の本屋に行くと書いていた。
何が懸案かというと、以前「楽園のカンヴァス」(原田マハ)の意見交換をした本友人から『三重苦の少女と教師を書いた「奇跡の人(原田マハ)は涙なしには読めないよ』と勧められていたのだが、正直この手の話には食傷気味だったので、読むかどうか迷っていたのだ。

例えばベートーベンの交響曲第五番「運命」あのダ・ダ・ダ・ダーンは、ベートーベンが耳が不自由になってから作曲されたと知って聞くと更に迫力をもって胸に迫ってくるし、フジ子・ヘミングの苦難の道と不自由な耳に想いを寄せながら彼女の奏でるショパンを聞くと心に沁みわたる感じがする。
誤解を恐れず書くと、ハンディ-キャップがある人の芸術は、その背景もひっくるめて人の心を打つのだと思うので、そのことに食傷気味なのでは勿論、ない。仮に本当に耳が不自由な作曲家が、それを強調するのはアリだと思っている。
「奇跡の人」でも意味合いは違うが、「弱点を強みにする」という表現はあり共感もしている。
が、昨今はどこか狂っている。
何処も悪くないのに障害者を騙って芸術を押し売りする者もいれば、それと知りつつ営業に乗じる者もいる、そのうえ弱者に心を寄せるフリで成り立つ偽善事業まで見せつけられるので、十羽一絡げにその手の話に拒否感があったのだが、「奇跡の人」読んでみて、良かった。

戦後あらゆるものがアメリカナイズされていくことに危機感を覚えた民俗学者などの働きかけで制定された重要無形文化財(人間国宝)の栄えある第一回目に選ばれた、津軽三味線の狼野キワ。
本書は、キワの人生に大きな影響を与えた三重苦の少女「れん」とれんの教師「去場安」の話である。

「去場安」先生という名前から想像がつくように、三重苦の少女とその教師が経る過程(手文字の習得など)は「ヘレンケラー」の焼き直しであるし、人物描写では「蔵」(宮尾登美子)の方が人を惹きつけるかもしれないが、それでも「奇跡の人」にしかないものもあると思う。

本書には、岩倉使節団の留学生として渡米し10年以上にわたりアメリカで最高の女子教育を受けた去場安から見た、「明治の日本」という視点が柱としてあると思う。
去場安が折々に感じる「家庭内にある封建的な男尊女卑」と、それを打破するためにも「日本の女子教育に尽くしたい」という思いには、本書を障害者教育という狭いジャンルにとどまらせない’力’があった。

『あの子には、感情がある。学ぶ能力がある。人間らしく生きていく権利がある。
 人を愛し、信じて、誰かのために祈る。
 そういう人に、あの子はなる。
 れんは、不可能を可能にする人。・・・・・奇跡の人なのですーと。』

れんに対する去場安のこの教育の信念は、後に人間国宝となる盲目の津軽三味線のキワにも大きく影響を与えるが、子供に接する親や教師も学ぶところが大きいと思う。
その想いで本書の冒頭を見ると、ヘレンケラーのこの言葉にも普遍的な意味を見出すことができる。

『その顔を、いつも、太陽のほうに向けていなさい。
 あなたは、影を見る必要などない人なのだから。』

ところで、「去場安」先生は言わずとしれたサリバン先生の捩りだが、これを書いていると、ある事を思い出させるニュースに出くわした。
<「イスラム国」がタリバンと交戦=27人死亡、勢力争いか―アフガン>時事通信 5月26日(火)5時54分配信より一部引用
スペインのEFE通信は25日、イランとの国境に近いアフガニスタン西部ファラー州で24日に過激派組織「イスラム国」が反政府勢力タリバンと交戦し、双方の戦闘員少なくとも27人が死亡したと報じた。


一頃タリバンがニュースにならないことはないという時期があったが、その当時「ヘレンケラー」を音読している子が大真面目に「タリバン先生、タリバン先生」と言っていた。それを聞きながら、違和感があるのに何が変なのか気付かない私に、年かさの子が「その先生は、人の殺し方とか教えてるのかな」とニヤリと一言。

子供というのは、日常のありふれた風景の中からも大きな影響を受けているのだと感じた一瞬だった。

そんな事も思い出させてくれた「奇跡の人」であったが、勧められながらも読むのを躊躇っていた私を後押ししてくれたニュースがある。
産経新聞の皇室ウィークリー384より引用
皇太子ご夫妻は19日、東京都港区の国連大学で、インドのNGOが企画した細密画の展覧会を鑑賞された。NGOは聴覚障害がある人に細密画を教える自立支援活動に取り組む。ご夫妻は支援を受けた画家、シャルマ氏の創作活動を見学し、手話通訳を交えてご歓談。インドの伝統的な絵柄や色彩を引き継ぐ細密画に感心されていたという。

これは公式には発表されていない御活動、つまりマスコミを引き連れての活動でない、皇太子ご夫妻が私的と位置付けておられる御活動である。
主催者とすれば、皇太子ご夫妻のご来場は広く伝えて欲しいところではあるかもしれないが、障害者の自立支援に取り組む活動に、静かに心をよせて応援されているという皇太子ご夫妻の御姿勢が、私は好きだ。
弱者支援の活動を広く知らしめるためには、有名人は時に人寄せパンダの役を買ってでる必要はあるかもしれないが、それを自身のウリにしてはお終いだと思うのだ。

「右の手のすることを左の手に知らせてはならぬ」を信条とする人は、右手のしたことを左手が知る前に喧伝してみせるのが流行る現在を、さぞかし生きにくいと感じておられるとは思うが、そんな方だからこそ心を込めて応援したいと思っている。

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