<北米最高峰マッキンリー、「デナリ」に改称 米政府発表>2015年8月31日 9時50分 AFPBB Newsより一部引用
米ホワイトハウスは30日、アラスカ州にある北米大陸最高峰のマッキンリー山(Mount McKinley、6194メートル)を、「デナリ(Denali)」に正式に改称すると発表した。
マッキンリー山は1896年、後に大統領となるウィリアム・マッキンリー氏にちなんで名付けられたが、地元当局は、深い文化的な意味合いを持つアラスカ先住民の呼称「デナリ」に改称するよう求める働きかけを長年続けてきた。
オバマ大統領は31日から3日間、アラスカ州を訪問し、気候変動の影響を多大に受けているアラスカの北極圏を現役米大統領として初めて訪れる予定。
12月にフランス・パリで国連気候変動枠組み条約・第21回締約国会議(COP21)を控え、オバマ大統領は、自身が「今世紀最大の挑戦の一つ」と呼ぶ地球温暖化問題への取り組みに対する国民の支持を拡大したい考えだ。
偉大な登山家上村直己氏が今なおその懐深く眠っている山として日本では有名な「マッキンリー」がこの度「デナリ」と改称されるそうだが、これは地元先住民の言語で「偉大なもの」を意味するそうだ。
偉大たる所以は色々あるのだろうが、日本テレビの協力を得ながら数々の山を登ってきたイモトアヤコ氏が今年マッキンリー登頂を果たした時、「マッキンリー登山が一番キツかったかもしれない」と番組で告白していたように、海面からの標高ではヒマラヤには劣るものの、麓からの標高差ではヒマラヤを遙かに凌ぎ、緯度が高いことからくる日照時間や気温の問題も相俟って、登頂が極めて難しい山であり、「山高きが故に尊からず」を教える偉大な山である。
マッキンリーについては笹本稜平氏が「その峰の彼方」でその魅力を書いているのだが、これは笹本稜平氏的山岳小説の真骨頂ともいえる作品であるために、ストーリーは骨格(日本の山岳会に嫌気がさしアラスカで登山ガイドをしていた主人公がマッキンリーで消息を絶ち、その主人公をアラスカの現地人と日本の昔の登山仲間が捜索する)しか覚えていない。
では何が笹本稜平氏的山岳小説かと考えると、それは山岳小説でありながら登攀描写よりも、山を歩き岩を攀じることを通じて「如何に生きるべきか」を山のど真中においている事ではないだろうか。この「その峰の彼方」はその色合いが特に濃く、ストーリー展開とは別次元で私の読書備忘録に記されている言葉が多い。
『一人で登ると、いつも帰るのにものすごい意志の力が必要になる。なんて言うのかな。要するに帰りたくなくなるんだよ』『帰ってくることに意味なんかあるのか』ここだけを読めば現実逃避で山に登る述懐のようだが、次に続く言葉は、漫然と日々を過ごす私の心に突き刺さる。
『そうじゃない。おれは生きているふりをしているのが嫌なだけなんだ』
新潟県中越地震で被災者の心を最も励ました曲として、東日本大震災の被災者に向けても贈られたという「Jupiter」(作詞:吉元由美/作曲:G. Holst/編曲:坂本昌之)は、あの当時聞くたび心を打ったが、自分が強く惹かれるのが歌詞のどこであるかは分からなかった。だが、作中『自分を許せない人間は、魂の休まる場所がない』を読んだとき、『夢を失うより悲しいことは 自分を信じておあげられないこと』というフレーズだったと気が付いた。
作中の『希望とは与えられるものではなく、自ら作り出すものだ』などは、最近ようやっと分かるようになった気もするが、『自分で輝かそうとしない限り、人生は生まれて生きて死ぬだけで、そこには意味もない。』と読めば、独りよがりの希望では意味がないのではないかと、ガツンと頭を殴られた気がしている。
笹本作品には心に響く言葉ではあるが、実感をもって理解するには難しい言葉、理解するには心に痛い言葉が、
まだまだあり、それらは私の血肉となるよう読書備忘録で待ってくれている。
『人を愛するいちばん良いやり方、それは人から愛されようと思わないこと。
人から愛されたがっている人間は、いつも誰かと取り引きしていて、与えた愛を上回る対価を要求する』
『未来を決める権利は人間にはないかもしれないが、しかし信じることはできる。
信じる力は涸れることのない勇気の泉なんだよ。』
『自分の幸せばかり考えていると、結果を求めていつも我が身を追い立てるようになる。
周りの人間がみんな敵に見えてくる。
森羅万象すべてを。自分にとって損か得かで価値判断するようになる。』
『間違いなく生きて還れる自信があるのなら、あえて挑戦する意味もない。そこが最大のパラドックスだ。』
間違いなく生きて還れるようなら、あえて挑戦する意味もない、そんな危険に挑戦しながら「還るべき場所」(笹本稜平)を問い続ける「その峰の彼方」の帯にある言葉
つづく
写真出展 ウィキペディア
米ホワイトハウスは30日、アラスカ州にある北米大陸最高峰のマッキンリー山(Mount McKinley、6194メートル)を、「デナリ(Denali)」に正式に改称すると発表した。
マッキンリー山は1896年、後に大統領となるウィリアム・マッキンリー氏にちなんで名付けられたが、地元当局は、深い文化的な意味合いを持つアラスカ先住民の呼称「デナリ」に改称するよう求める働きかけを長年続けてきた。
オバマ大統領は31日から3日間、アラスカ州を訪問し、気候変動の影響を多大に受けているアラスカの北極圏を現役米大統領として初めて訪れる予定。
12月にフランス・パリで国連気候変動枠組み条約・第21回締約国会議(COP21)を控え、オバマ大統領は、自身が「今世紀最大の挑戦の一つ」と呼ぶ地球温暖化問題への取り組みに対する国民の支持を拡大したい考えだ。
偉大な登山家上村直己氏が今なおその懐深く眠っている山として日本では有名な「マッキンリー」がこの度「デナリ」と改称されるそうだが、これは地元先住民の言語で「偉大なもの」を意味するそうだ。
偉大たる所以は色々あるのだろうが、日本テレビの協力を得ながら数々の山を登ってきたイモトアヤコ氏が今年マッキンリー登頂を果たした時、「マッキンリー登山が一番キツかったかもしれない」と番組で告白していたように、海面からの標高ではヒマラヤには劣るものの、麓からの標高差ではヒマラヤを遙かに凌ぎ、緯度が高いことからくる日照時間や気温の問題も相俟って、登頂が極めて難しい山であり、「山高きが故に尊からず」を教える偉大な山である。
マッキンリーについては笹本稜平氏が「その峰の彼方」でその魅力を書いているのだが、これは笹本稜平氏的山岳小説の真骨頂ともいえる作品であるために、ストーリーは骨格(日本の山岳会に嫌気がさしアラスカで登山ガイドをしていた主人公がマッキンリーで消息を絶ち、その主人公をアラスカの現地人と日本の昔の登山仲間が捜索する)しか覚えていない。
では何が笹本稜平氏的山岳小説かと考えると、それは山岳小説でありながら登攀描写よりも、山を歩き岩を攀じることを通じて「如何に生きるべきか」を山のど真中においている事ではないだろうか。この「その峰の彼方」はその色合いが特に濃く、ストーリー展開とは別次元で私の読書備忘録に記されている言葉が多い。
『一人で登ると、いつも帰るのにものすごい意志の力が必要になる。なんて言うのかな。要するに帰りたくなくなるんだよ』『帰ってくることに意味なんかあるのか』ここだけを読めば現実逃避で山に登る述懐のようだが、次に続く言葉は、漫然と日々を過ごす私の心に突き刺さる。
『そうじゃない。おれは生きているふりをしているのが嫌なだけなんだ』
新潟県中越地震で被災者の心を最も励ました曲として、東日本大震災の被災者に向けても贈られたという「Jupiter」(作詞:吉元由美/作曲:G. Holst/編曲:坂本昌之)は、あの当時聞くたび心を打ったが、自分が強く惹かれるのが歌詞のどこであるかは分からなかった。だが、作中『自分を許せない人間は、魂の休まる場所がない』を読んだとき、『夢を失うより悲しいことは 自分を信じておあげられないこと』というフレーズだったと気が付いた。
作中の『希望とは与えられるものではなく、自ら作り出すものだ』などは、最近ようやっと分かるようになった気もするが、『自分で輝かそうとしない限り、人生は生まれて生きて死ぬだけで、そこには意味もない。』と読めば、独りよがりの希望では意味がないのではないかと、ガツンと頭を殴られた気がしている。
笹本作品には心に響く言葉ではあるが、実感をもって理解するには難しい言葉、理解するには心に痛い言葉が、
まだまだあり、それらは私の血肉となるよう読書備忘録で待ってくれている。
『人を愛するいちばん良いやり方、それは人から愛されようと思わないこと。
人から愛されたがっている人間は、いつも誰かと取り引きしていて、与えた愛を上回る対価を要求する』
『未来を決める権利は人間にはないかもしれないが、しかし信じることはできる。
信じる力は涸れることのない勇気の泉なんだよ。』
『自分の幸せばかり考えていると、結果を求めていつも我が身を追い立てるようになる。
周りの人間がみんな敵に見えてくる。
森羅万象すべてを。自分にとって損か得かで価値判断するようになる。』
『間違いなく生きて還れる自信があるのなら、あえて挑戦する意味もない。そこが最大のパラドックスだ。』
間違いなく生きて還れるようなら、あえて挑戦する意味もない、そんな危険に挑戦しながら「還るべき場所」(笹本稜平)を問い続ける「その峰の彼方」の帯にある言葉
『大切なのは魂を裏切らずに生きることー』
つづく
写真出展 ウィキペディア