何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

祈りの旅 静かな山 ③

2022-08-28 11:09:04 | 

ワンコお告げ本は読みながらも、何カ月もそのご報告ができないままでいる。それをタイムマジックを使って何とかするには、もう時間がたちすぎているので、数か月分のお告げ本をアトランダムに記録しておく。

                            令和4年 夏

無理が効かなくなってきたという体力的な問題もあるし、こうありたいと願う姿と自分にできる能力容量の問題の乖離が心苦しいというのもあるし、世間で起こってくる色々様々を見ていると どうせロクな時代はこないという諦観と、あれこれ思いはゴチャゴチャになり、すべきことをする以外の時間的余裕も気力も湧いてこなかった。

もうかなり長い間、そんな思いを引きづっている。
そんな私にワンコが届けた一冊が、この本だ。

「ミカエルの鼓動」(柚木裕子)

本書は、大学病院で繰り広げられる、手術ロボット「ミカエル」を用いる最先端医療派と従来の術式の精度をあげることに拘る派の争いを通して、医療のあり方を問う物語だ。
幸いなことに本書の両派のトップは、最終的には自分の手法に拘泥せず患者優先の道を選ぶので読後感は悪くはないが、世の中そうそう良識をもった常識人ばかりではなく、しょーもない面子に拘り二者択一の両極端に走ったり、第三者的立場で俯瞰的にものをみることが出来ずに極端に走ったり、そうして両極端に割れさせておいて漁夫の利を決め込んでいる質の悪いのが蔓延ったりしているので、お手上げだ。そういえば最近は(コロナ全数把握などで)、100を目指してやっていながら60くらいで限界を訴え、あるべき目盛りを0にしようとする極端派も出てきている。

 

あまり不満ばかり書いていても仕方ないので、本書の印象に残った言葉を記しておこうと思う。

仏頂面ばかりしている医師に、「患者が笑っているのに健康な医師が笑わないのはなぜだ。あんたが抱えている悩みなんか、病を患っている俺からすれば些細なことだ。そんなもん猫にやっちまえ」と言う。ここまでは、まぁありきたりだが、続く言葉が唐突なだけに、印象に残った。(『 』「ミカエルの鼓動」より引用)


「山に登れば答えが見つかるー」

「先のことはそのとき考えればいい。いまは目の前にあることをするだけだ」

この言葉も胸に上高地に向かったが、答えが見つからなかったのは、上高地の地べたを歩いていただけで山に登らなかったからか?

そもそも何の答えを求めていたのかも分からないほど混沌としているような気もするが、今は「いまは目の前にあることをするだけだ」を胸に頑張ってみようと思っている。



活火山の焼岳は先月まで入山規制がかかっていた
自然は厳しいが、生きているから美しいのだと思う


祈りの旅 静かな山 ②

2022-08-21 10:45:30 | ひとりごと

時々怖いなと思う。

このところ連日スマホが「三年前の今日」の写真とやらを届けてくれている(ということで今回の写真は三年前のもの)


ザイテングラードに取りつく前の、いよいよ登るぞ!と気がはやりだす地点

 


奥穂のてっぺんから望む槍

 

スマホから送られてくる写真のおかげで、三年前の夏はコロナもなく40肩(50肩)もなく、天気に恵まれご機嫌に山を歩いていたんだなとか、初めて奥穂に登った時に偶々ご一緒した(どこの何方とも知らぬ)素敵なご夫妻に明神館の前で偶然再会し旧交を温めたのもこの夏だったな、などと懐かしく思い出したのだが、月ごとにスマホに表示される行動(活動)履歴も含め、こんなちっぽけな機械に行動を見張られ管理されているような、うすら寒さを感じている。

三年前の夏は、その半年後に世界を揺るがすようなウィルスが出現することなど思いもしていなかった。
考えてみると近年は、大震災にしても大洪水にしても、「経験したことのない○○○」ということばかりなので、いつ自分が当事者になってもおかしくないという思いは持っている。そんな私でもコロナは思いもしないものだったが、それでも、どんなものであれ、明日そして一年後三年後が続いていくことを疑ってはいなかった。

それが、当たり前でないことを思い知らされる日々を過ごしている。

五月半ば、久しぶりに会った君は、かなりほっそりしていた。
久しぶり、といっても二月後半にコロナに罹患した直後にも会っていたので、たった二カ月ほどのことだった。
最近 合気道だか空手だかを始めたと聞いていたので、「体がしまってイケメンに磨きがかかってるね」と話しながらも、急激な変化に驚いていた。
そんな君がその次の週のある朝「コロナの後遺症か倦怠感が抜けないので病院に行ってみる」と知らせてくれた。その時 電話口から聞こえてきた君の声は、軽い後遺症か五月病か、と明るいものだったから、夕方の電話に衝撃を受けた。
「即刻の入院を告げられた。明日には骨髄穿刺をし、そのまま入院することになる」
君の声は震えていた。
私は、自分の声に涙が混じるのを必死で抑えていた。
それを聞くなり涙声になったのでは、どれほど不安を与えてしまうだろう、そう思い、必死にこらえた。

 

数年前「日々是好日」(森下典子)に出会って以来、自分なりに一期一会を大切にしてきたつもりだった。(『 』「日々是好日」より引用)

『人生に起こるできごとは、いつでも『突然』だった。昔も今も......。もしも、前もってわかっていたとしても、人は、本当にそうなるまで、何も心の準備なんかできないのだ。結局は、初めての感情に触れてうろたえ、悲しむことしかできない。そして、そうなって初めて、自分が失ったものは何だったのかに気づくのだ。
でも、いったい、他のどんな生き方ができるだろう? いつだって、本当にそうなるまで、心の準備なんかできず、そして、あとは時間をかけて少しずつ、その悲しみに慣れていくしかない人間に......』
『だからこそ、私は強く強く思う。会いたいと思ったら、会わなければいけない。好きな人がいたら、好きだと言わなければいけない。花が咲いたら、祝おう。恋をしたら、溺れよう。嬉しかったら、分かち合おう。幸せな時は、その幸せを抱きしめて、100パーセントかみしめる。それがたぶん、人間にできる、あらんかぎりのことなのだ。
だから、だいじな人に会えたら、共に食べ、共に生き、だんらんをかみしめる。一期一会とは、そういうことなんだ......』

 

だが、突然のしかも私より随分年下で元気印な君のそれは衝撃だった。

その日以来、景色の一部が色を失った。
とびきり優秀で人柄も良い君が突如病に襲われた不条理が許せず、治療が何やらはかばかしくない様子なのが許せず、読みものが全て噓くさく思えてきた。(それが本の感想が書けない理由の一つでもあった)

嘘が混じらないものに触れたい。

行きたいところに行き、それを100パーセント味わっておかなければならない。

そんな思いで、感染者急増のなか上高地へ向かった。

山へ向かう途中にメールをした。


奥穂から拝する朝日

きっと絶対必ず良くなる

 

つづく 


祈りの旅 静かな山 ①

2022-08-12 10:36:20 | ひとりごと

何カ月ぶりかの更新となり自分ながら呆れている。
この間もワンコお告げの本は読んでいたのだが、それを書く時間がなく、また気分が乗らなかった、というものある。

八月に入り、怒涛のような日々から少しだけ解放されたので、この間の記録もかね何か少し書いてみることにする。

恒例の夏の上高地
コロナ禍ということもあるが、四十肩(五十肩)のせいか腕と肩に激痛がはしり、そのため可動域が狭まり、岩登りどころではないので、今年も上高地の地べたを這ってきた。
今年の上高地は何といっても、無事に両親を連れていくことが至上命題だった。
最近何をするのも億劫がる両親には、あの懐かしくも美しい景色のなかで細胞の隅々までリフレッシュする必要があると思ったからだが、七月半ばに父が熱中症で倒れ、また周囲の人(のご家族)が次々感染していく状況で、行っても良いのだろうか?と迷いながらの出発となった。

結論からいうと、行って良かった。
いつもお世話になるお宿は、ここで感染するはずがないというほど感染対策が徹底されていたし、久しぶりにマスクを外して長時間歩けたことは私自身にとっても大いにリフレッシュとなった。(人とすれ違う時にすぐできるよう絶えず顎マスクにしてはいたが)
コロナに打ち勝つには抵抗力が必要だとするならば、旅のリフレッシュ効果は大いに抵抗力を高めてくれたと思っている。

食事をする大広間の入り口にあった、「奮起」の文字
いつもお世話になるお宿は、ロビーや壁のいたるところに、
青蓮院門跡の門主の書や画家さんたちの絵が収められており、
         ちょっとした山の美術館の雰囲気があるので、         
これまでも、この文字は大広間の前にあったのかもしれないが、
コロナ禍の今、この言葉は強く心に刺さった。
このコロナ禍、
多くの観光業の方々は何度この言葉を胸に自らを奮い立たせて来られたことだろう。

 

だが、そこかしこでコロナの影響を痛感する旅でもあった。
お盆前の今の時期なら例年、河童橋は橋が落ちてしまうというくらいの大勢の人で賑わっているのだが、人もまばらで静かな上高地だった。
上高地旅の道中立ち寄る、信州のそば屋さんや飛騨高山の古い町並み朝市も、いつもの賑わいはなかった。
これだけ感染状況が悪ければ、良識のある人が(政府が経済経済と旗を振ろうが)自ら自粛するのはやむを得ないという思いと、でもそれは人口減と国際競争力低下が著しい日本の、そう遠くない未来を見るようで、辛い寂しい旅でもあった。

この数カ月、いろいろあった。
それを考えながら、いや考えても仕方がないと思いながら、でも目の前の出来ることは一つ一つ精一杯頑張るしかないと一歩一歩あるく静かな山だった。

たぶん、つづく