【あの頃の名古屋フォーク界 その十八】
ラジオ番組、大石吾郎の「コッキ―ポップ」はよく聴いていた。
いわゆるヤマハ系でポプコン出身者の人たちがメーンであった。
大石吾郎が語る「黙っていれば友達になれない、叫ばなければ消え去ってしまう。
私たちが生まれてきた時から育ててきた何かを伝えあうために、ちぎれかけた世界の心と心を繋ぎ合うために、私たちの歌が今 ここにある」
このナレーション、今聞くとなかなかいい言葉だね。
改めて感動してしまった。
八神純子さんを知ったのはこの番組からであった。
透き通る声が心に響く。
名古屋市千種区出身。
愛知淑徳高等学校 在学中にポプコンに出場している。
二十歳のときに『思い出は美しすぎて』本格デビューする。
この頃からフォークはニューミュージックへと移行していった時期でもあった。
当時、「ザ・ベストテン」という番組があった。
覚えている人たちは多いと思う。
この頃はまだフォーク・ニューミュージック系の人たちはテレビ出演を拒否していた。
でもなぜかポプコン系の人たちは、「ザ・ベストテン」には出ていた。
八神純子さんが「みずいろの雨」がヒットして出演すると、
やはり名古屋出身ということで、僕はテレビの前で応援していた。
コンサートは一度だけ行ったことがある。
今はもう無くなってしまったけど、愛知厚生年金会館。
ものすごくこのコンサートは忘れない思い出がある。
前の方の席でステージ右側の方であった。
スピーカーの近くだったんです。
ものすごい音が耳に入ってくる。
もう途中から、もう少し音を絞ってほしいと思ったね。
「思い出はうるさすぎて」であった。
名古屋のヤマハ系の人たちはレベルが高かったかと思う。
以前もこのシリーズで書いた高木麻早さん。
そして今後書こうと予定しているあみんや我夢など
ポプコンで入賞してヒット曲をだしている。
これも一つの名古屋の文化だったのかもしれない。
八神純子 – 思い出は美しすぎて
ヤマハポプコンですよね。
ヤマハのレッスン曲にはポプコン優勝者の歌がたくさん取り上げられています。
八神純子さん、パープルレインもですよね。
名古屋の方だったのね。あっ、あみんも?
大石吾郎とか懐かしい。
覚えてますよ。
俳優もされてますよね。
コロナで家にいることが増えてやり取りしてたら、よく子供の頃のことや昔のこと思い出して。年寄はよく昔の事言うって、ほんまやなあと思いました。
この歌もザ・ベストテンでよく歌われていました。
ポプコンでかかっていた曲は好きな歌も多く
今聴いても色あせていない。
中島みゆきさんの初期なんか大好きです。
あの頃の歌を聴くと元気がでたり、癒されたりしています。