♪父は今年二月で 六十五
顔のシワはふえて ゆくばかり
仕事に追われ
このごろやっと ゆとりが出来た
父の湯飲み茶碗は 欠けている
それにお茶を入れて 飲んでいる
湯飲みに写る
自分の顔を じっと見ている
人生が二度あれば
この人生が二度あれば
顔のシワはふえて ゆくばかり
仕事に追われ
このごろやっと ゆとりが出来た
父の湯飲み茶碗は 欠けている
それにお茶を入れて 飲んでいる
湯飲みに写る
自分の顔を じっと見ている
人生が二度あれば
この人生が二度あれば
井上陽水さんの『人生が二度あれば』
この曲を初めて聴いたのが中学生の時。
もう50年近く前である。
60を過ぎたらどうなっているのだろう。
遠い未来のことだった。
まだ世間も満足に知らない自分。
両親に反抗していた自分。
だけどこの歌はどこか心に響くものがあった。
♪母は今年九月で 六十四
子供だけの為に 年とった
母の細い手
つけもの石を 持ち上げている
そんな母を見てると 人生が
だれの為にあるのか わからない
子供を育て
家族の為に 年老いた母
人生が二度あれば
この人生が二度あれば
僕を育ててくれた両親はもうこの世にはいない。
満足に親孝行もできなかったかと思う。
親が亡くなって気付く親のありがたみ。
この歌の詩がより一層、心に沁みる。
♪父と母がこたつで お茶を飲み
若い頃の事を 話し合う
想い出してる
夢見るように 夢見るように
人生が二度あれば
この人生が二度あれば
人生が二度あれば
この人生が二度あれば
この人生が
♪父と母がこたつで お茶を飲み
若い頃の事を 話し合う
想い出してる
夢見るように 夢見るように
人生が二度あれば
この人生が二度あれば
人生が二度あれば
この人生が二度あれば
この人生が
今年四月で64歳になる自分。
こたつの中で嫁さんと熱いお茶を飲む。
二人で若いころの話しはしていないが、
息子たちを見ていると、
ふと若いころの自分を思い出すことがある。
『人生が二度あれば』
1stアルバム「断絶」に収録されているが、
僕は3rdアルバム「ライブ もどり道」に収録されている方が好き。
両親を思い出しているのだろうか途中、歌詞を間違って涙ながらに歌っている。
還暦を過ぎた今、この「ライブ もどり道」の『人生が二度あれば』を聴く。
中学の時に思わなかったこの詩の意味が心に突き刺さる。
そして涙が出てきて来そうになってきてしまった。
井上陽水 — 人生が二度あれば
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