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なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

02007年009月008日(土)危うい

2007-09-08 | 妄言
中学生の頃からか、妄想のような一人SFのような
そういう空想を頭の中に浮かべてしまうことがある。


自分が今話している言葉、自分が意図しているのとは
全く別の意味なんじゃないのかという疑問のようなこと。
例えば、僕が「ご飯が好きだ」と云ったとしても実際は
「ご飯が嫌いだ」と伝わっているのではないかと思えた。

コミュニケーションを取っているようで実は全く関係のない
話をしていたりするのじゃないかという疑いにもつかない
妄想。むしろそこまで行くと会話ではなく、もしかすると
単語の羅列だけであったりするかもとかも考えたりした。

そしてもっと云ってしまうと、僕のしていると思っている
ことも何らかの神経系の手違いで全く違うことをしている
のかもと考えたり。ご飯食べていると自分では思っていても
その実、寝ているのではないかとか、危うい感じのものを。

そこまで考えてしまうと、自分が考えている人間の形という
ものも疑わしく思えてくる。類人猿と習って、自分でも認識
しているこの骨格も実は錯覚か、何かの勘違いに過ぎず
本当はよくSFで目にする体液まみれな軟体エイリアンだったり。


もちろんそんなことはSFの世界か、妄想の産物であって
もらわなければ困るけれど、ディスコミュニケーションという
点ではそんなに、僕にとっては大差が無いようにも思える。

誰かに何かを云っても、その真意とするところが相手に
伝わっているのかは疑わしいし、まず在り得ない。
またその逆も当然のものとして妥当され得る。


やっぱり他人のことは全く分からない。想像でしか。