中学生の頃からか、妄想のような一人SFのような
そういう空想を頭の中に浮かべてしまうことがある。
自分が今話している言葉、自分が意図しているのとは
全く別の意味なんじゃないのかという疑問のようなこと。
例えば、僕が「ご飯が好きだ」と云ったとしても実際は
「ご飯が嫌いだ」と伝わっているのではないかと思えた。
コミュニケーションを取っているようで実は全く関係のない
話をしていたりするのじゃないかという疑いにもつかない
妄想。むしろそこまで行くと会話ではなく、もしかすると
単語の羅列だけであったりするかもとかも考えたりした。
そしてもっと云ってしまうと、僕のしていると思っている
ことも何らかの神経系の手違いで全く違うことをしている
のかもと考えたり。ご飯食べていると自分では思っていても
その実、寝ているのではないかとか、危うい感じのものを。
そこまで考えてしまうと、自分が考えている人間の形という
ものも疑わしく思えてくる。類人猿と習って、自分でも認識
しているこの骨格も実は錯覚か、何かの勘違いに過ぎず
本当はよくSFで目にする体液まみれな軟体エイリアンだったり。
もちろんそんなことはSFの世界か、妄想の産物であって
もらわなければ困るけれど、ディスコミュニケーションという
点ではそんなに、僕にとっては大差が無いようにも思える。
誰かに何かを云っても、その真意とするところが相手に
伝わっているのかは疑わしいし、まず在り得ない。
またその逆も当然のものとして妥当され得る。
やっぱり他人のことは全く分からない。想像でしか。
そういう空想を頭の中に浮かべてしまうことがある。
自分が今話している言葉、自分が意図しているのとは
全く別の意味なんじゃないのかという疑問のようなこと。
例えば、僕が「ご飯が好きだ」と云ったとしても実際は
「ご飯が嫌いだ」と伝わっているのではないかと思えた。
コミュニケーションを取っているようで実は全く関係のない
話をしていたりするのじゃないかという疑いにもつかない
妄想。むしろそこまで行くと会話ではなく、もしかすると
単語の羅列だけであったりするかもとかも考えたりした。
そしてもっと云ってしまうと、僕のしていると思っている
ことも何らかの神経系の手違いで全く違うことをしている
のかもと考えたり。ご飯食べていると自分では思っていても
その実、寝ているのではないかとか、危うい感じのものを。
そこまで考えてしまうと、自分が考えている人間の形という
ものも疑わしく思えてくる。類人猿と習って、自分でも認識
しているこの骨格も実は錯覚か、何かの勘違いに過ぎず
本当はよくSFで目にする体液まみれな軟体エイリアンだったり。
もちろんそんなことはSFの世界か、妄想の産物であって
もらわなければ困るけれど、ディスコミュニケーションという
点ではそんなに、僕にとっては大差が無いようにも思える。
誰かに何かを云っても、その真意とするところが相手に
伝わっているのかは疑わしいし、まず在り得ない。
またその逆も当然のものとして妥当され得る。
やっぱり他人のことは全く分からない。想像でしか。